食べ物に関する研究・美容・健康

ラザニアを越えていきたい。いや絶対に越える。もう越えた。これが最後最後最後。終わった。

このことを文章に書くのは初めてではないが、今さっき、読者さんとのやりとりを通じて、自分のラザニアに対しての苦悩を語ったところ、ラザニアが頭の中から消えていったところがある。俺はずっとこれまで1人で格闘してきた。多くの人から、しまるこは上級ミニマリストだとか、しまるこさんのような生活をしたいとか、僕も仕事を辞めてクソニートになって、晴耕雨読の自由な毎日を送りたいと一部の読者に尊敬されているところがあるが。しかし本当の正体というと、ただのラザニア小僧なのである。ラザニア? ラザニアなんて食いたくねーよバーーカ! 俺はラザニアが大嫌いなんだ! ラザニアが嫌いで嫌いでしかたない。助けてくれ。ラザニア。ラザニアが大嫌いだ。早くラザニアを通り抜けたい。さて、俺というのは上記のようなコメントのような生活を送っているのである。この数ヶ月は更新しないでしまるこは何をやっているんだろう?と思われたかもしれないが、こんなふうに食べ物と格闘していたのである。まぁ、他にもちょっと大掛かりな、どうしても書きたいシナリオがあって、それをやっていたのもあるから、一概に食べ物だけとはいえないが、食べ物と格闘することで、多くの時間とエネルギーを取られてしまっているのは事実である。 このブログには食べ物について深く研究したいと言う熱心な読者が訪ねてやってくるけれども、実際のところ俺はこういうところがあって、月に50,000円くらい、食べ物に使ったりしている状態がここ数ヶ月続いているから、あんまりブログを参考にされるも困ってしまうところがある。格闘すれば格闘するほどラザニアの魔力にはまってしまう。ラザニアー? くだらねーなぁ。マジでムカつくは。ラザニアなんてどうでもいいわ。俺の人生に全く関係ない! 本当にどうでもいいんだ! 頼むから俺に関わらないでくれ! 本当に本当に嫌なんだ! と。越えよう越えようと、これを最後にしようと、そうすれば、そうするほど、その食べ物が、対象が、自分の中で肥大化していき、猛烈にとらわれてしまう。ただの執着である。そして俺は1日に5000円以上の金を使ったり、1日にばんからに4回行って、ラーメンを4種類食べて、醤油をひと口食べたら店に出て、家に戻り、また数時間後にばんからにやってきて、しおを頼んで一口食べて家に戻り、塩だか味噌だか分からない、ばんから特製ラーメン? なるものを(一際値段の高い)を一口食べて、また帰って、もうわけわかんねー生活をしてきた。またばんからというものが、人気なのか知らないが、ラーメンが出てくるまで遅いんだ。一口食べるために30分ぐらい待った。混んでるのもあるしね。正直に計算するのも怖いが、月に50,000円以上使ってたんじゃないか? 上級ミニマリストが聞いて呆れる。 俺は別にいい上級ミニマリストと名乗って、自分の生活や暮らしを自慢したいわけじゃないが、じっさいのところ、こんな風な生活を送っている中。あんまり崇められても困ってしまうところがある。 それよりも俺の真の姿を知ってもらいたい。こんなふうに困っていること、こんなふうに散財していることそしてこれを乗り越えようとしていること、その方が情報として価値があると思う。 というよりも、もうあんまり選択の猶予ができる状態ではなくなってきた。はっきり言ってしまえば、とても苦しんでいる。あんまりこんなこと言うと、病院に行けとかそれはなになにという病気かもしれませんとか、この薬が効くかもしれませんとか、私はこうして乗り越えましたとか、いろいろあるかもしれないが、んなことはどうでもいい。全員死ねと思っている。というか死にたい。死ぬために俺はこんなことをしているのだ。死ね。別にラーメンなんて食いたくない。食べたくない。食べたって体が油っぽくなるだけだ。俺はこの体が油っぽくなる感覚が大っ嫌いで、体がびちゃびちゃして気持ち悪くて、脳の中にもウジ虫が湧いているような、体全体がウジ虫に侵されたのような、最低な気分になって、身体中を掻きむしりたくなってくる。あー何も食べない。絶食とはいわないまでも、玄米と味噌汁と梅干しや軽い何かで済ませてた頃の日常が恋しい。俺はあの頃の日常がいちばん好きだった。納豆パスタもなかなかよかったかもしれないな。それでいいはずなのにどうしてこんなことになってしまうんだろう。苦しい苦しい、そう、こんなふうに苦しい苦しいと言ったって、周りからしたって解決できるものでもないし、自分で乗り越えなければならない。周りだって何か声をひとかけしようと思ってくれるかもしれないが、それすらも煩わしく、1人でずっとこんなふうに格闘ばかりしていた。まぁ、これについて書くのは初めてではない。こんなことはいくらでもやってきた。

「食べたい」とはなんだ? 「おいしい」とはなんだ? 〜5号のホールケーキを食べたくてしかたなかった日のこと〜

お母さんに「ポテトチップスやめる宣言」をしてみた

蒙古タンメン中本に、一緒にセブンに売られている「まろやかチーズ6P」を5P入れて食べると美味しい

今年最後の、いや人生最後の食べ納めとして、白糸の滝へニジマスを食べに行った。

そして上記のコメントにある通り、今はラザニアが気になっている。今度はラザニアだぁ? ホールケーキやラーメンや寿司やウニや、ハーゲンダッツや、そばや、山の奥地にある超高級そば店や、バイパス沿いにあるやっすい350円くらいのそばや、満腹状態の時に食べる場合や、空腹状態の時に食べる場合や、食べ物だけじゃなくて、腹の空き具合という内部や外部の環境を絡めたりして、その、最後の一口というものに全ての神経を注いで生きてきて、今は、ラザニア? だ。どうしてこんなにラザニア気になるんだろう? 別にまぁラザニアに限ったことではない、ラザニアの1個前はセブンのオリジナルカップ焼きそばが気になっていて、このセブンのオリジナルというものはまるちゃんのカップ麺と何が違うんだろう? と気になってしまい、やはりコンビニ限定のカップ麺は何か違うんだろう? マルちゃんと明星と何が違うんだろう? と気になってしまい、俺は「違い」を気にしているのか? もう、 これからはずっと玄米生活となるのだから、自分の中で気になっているもの、もう一度最後の確認をしたいと思っているもの、そういったものは全て再確認しないと気がすまなくなっているのか? 「違い」が気になる。おいしいなんてことはどうでもい。俺だって別にこんなコンビニのカップ焼きそばなんか食べるよりも焼きそば専門店で富士宮焼きそばなんてものを食べたほうがずっと満足度も高いはずなの、別においしさを求めているわけでもない、リーズナブルなものを求めているわけでもない。ただ頭の中にセブンのオリジナル焼きそばというものが頭の中に降って湧いたら、それを消化するまでは次にいけないのである。で、食ったら食ったで、セブンの焼きそばとローソンのオリジナル焼きそばはどう違うんだろう? とまた気になってしまう。その次は何が気になるのか自分でもわからない。これで最後にしようとすると、最後がまた新しい形で現れてしまう。そして今はなぜかラザニア気になっているのである。ラザニアが食べたくて仕方なかったことなんて一度もない。今だって、ラザニアなんて心底どうでもいいと思っている。タリーズで執筆しているときに、隣でラザニアを食べていた人がいて、何なんだろう?これは。ラザニアというのは俺はこれまで食べたことあっただろうか? 小さい頃に食べた気がする。しかしなんだろう? 別に美味しそうだと思わない。食べたいと思わないのだが、このラザニアという存在感が、自分の中の頭の中に降って湧いてしまって、大きな位置を占めている。また食うのか? また金を使うのか? タリーズのラザニアは1000円する。 一度気になったら、それを食べ終わるまで気になってしまう。毎日タリーズで執筆しに行っているから、地獄だ。どうしてもポスターのラザニアが目に入ってしまう。タリーズに行くたびに、注文するかしないべきか一回いっかい戦わなければいけないのである。 そういうこともあって俺はタリーズの半分以上のメニューは実は食べてしまった。バジルパスタが気になったので、バジルパスタを食べて、バームクーヘンが気になると、バームクーヘンを食べた。バームクーヘンなんてどこでも売ってる。コンビニでも売っている。そう思うと、コンビニのバームクーヘンとタリーズのバームクーヘンとは何が違うんだろう?と思って、比較するために両方買って食べたりしていた。どちらの味も違いがわからなかった。「違い」がわからないと、もう一回確かめるために、もう一度この蛮行を何回もやり続けることもあった。 これで単純においしさを求めてこんなことをしているわけじゃないことを分かってもらえただろうか? それを食べ終わるまでそれが頭の中から消えてくれない。タバコみたいなもんだろうか? 酒みたいなもんだろうか? これが最後。最後、最後と決めて決着をつけようとすると、どうしてもその存在が気になってしまう。ただ存在が気になるだけなのである。本当は食べたいんだろう? と言われても、本当に食べたくない。じゃあうんこは? うんこを食べたいと思った時、どうするの? と思うかもしれない。 今のところ特にうんこが食べたいと思わないけれども、対象がうんこになってしまったら大変だ。 自分でもどうしてうんこ食べたいと思わないのか不思議だ。うんこは食べ物じゃないからだろうか? だとすると、やっぱりなんだかんだ言って、おいしさを求めてしまっているところがあるんだろうか? 自分でもわからない。

しかしだ。こうして文章に書いてみるのも1つの手だと思った。今までは食べなければ終われないと思っていたけれども、少し読者さんとやりとりをしたら、なんだか気持ちが軽くなったところがある。自分のこの病気を素直に打ち明けて、なんだかそれから気分が軽くなったのである。もういっそ思いっきりぶちまけてみよっか、ラザニア、ラザニアラザニアラザニアラザニアラザニアラザニアラザニアラザニアピラニアみたいだ。ほんとにラザニアもピラニアも変わらない。ピラニアのような恐ろしいものなのだから今の俺にとってはしかしどうだろ。起こしてラザニアラザニアラザニアラザニアラザニアと言えば、言うほど、自分の中でラザニアの存在が大きくなってくる? と思いきや、こうして書いて、ひたすら叫ぶことで俺の中のラザニアが減っていってるような感じがする? わからない、これからもしかしたらどうしても食べたい食べ物を、それを起こして文書で起こして、ひたすらぶちまければ、俺の中のラザニア消えていってくれるかもしれない? そういう願いを込めて、今ラザニアについて書いている。これの面白いところは、俺はセブンのオリジナルカップ焼きそばやら、ばんからラーメンとか、これが最後でケリをつけたいと思うと、それを超えない限りは、そこで頭の中でその対象物でストップがかかる。つまり今ラザニアでストップがかかっているから、ラザニアを食べ終わるとまた新しい対象物が俺の中に迫ってくる事は確かで。もしここでラザニアを食べずに終わらせることができたら、俺はここですべての、ラザニア以降の食べ物を含めて、すべての食べ物を卒業することができるわけである。今までもそうだった。その対象物を食べ終わるまではその対象物でストップがかかるものだから、ここでラザニアを食べなければ終われるかもしれない。 よしそうしよう。やはりこれには自分に鞭を打つような強い強い強い罰が必要である。ラザニアを食べた時はちゃんと言う。絶対に言う。動画で撮りたいところだが、タリーズのメニューだから、店で撮影はできない。お持ち帰りにしたら、冷めてしまって、ラザニアを十分に体験できない。家に電子レンジはないからな。なかなか店で食ってるところ撮影はできない。しかし俺は決意する。ラザニアだ。ラザニアを食べた時はちゃんと反省会を開く。反省会を開くことにも甘えない。そして反省会を繰り返し、繰り返し、反省会を1つのコンテンツにするという気持ちも全くない。なぜならこれが最後だから。 そうだ。これが最後だ。しかしこの最後と言うものをいつも自分の聞き取りの中だけど押さえ込んで言って自分の中で最後ときめか買ってきたから簡単にこの約束を破ってしまっていた。この決意はしっかりブログにのせ、上級ミニマリストとか言って、食べ物を研究しているぶっているこのブログで宣言して、つまり周りを巻き込む必要がある。宣言する必要がある。そうでないと終われない。まぁ、周りなんてどうでもいいがな。しかし、ここでラザニアを最後とはっきり宣言すれば、終われる気がする。終われるのか? 終えるしかないだろう!! いつまでも、いつまでも、月に5万円以上、ラザニアに金を払って、カップ焼きそばを7つ買って、タバコを吸いまくって、いつまでも、こんなふうにして過ごすのか? そのたびに腹がいっぱいになって、自負心でいっぱいになって、寝てしまって、そうやって、金ばかりでなく、時間も無駄にしてきた。健康、もだ。これが俺だ。くそ、クソク、クソク、くそ、くそ、くそうおp雨おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!! 俺は変わるんだ! 乗り越えてやる!! 俺は絶対にラザニアで終わるんだ! ラザニア? なんでラザニア? こんなのラザニアなんて心底どうでもいい食べ物が最後っていうのも何か落ち着かないな、気分が悪いな。どうせだったら1番大好きな食べ物、ウニをたらふく食べて、沼津港のこぼれウニをたくさん食いまくって、それで終わりにしてやろうか? あぁそうしたかったけど、もう先延ばしにしたくないしなぁ。ウニだって、本当は食いたくないけどなぁ。しかしラザニアよりよっぽど食いたい。あーウニ食べたくなってきたなぁ。最後はウニがいいなぁ。で、そうすっと、ウニに意識がいくと思うだろ? 違うんだな。あくまでラザニアに今は意識がある。これは俺にも理屈はわからないが、ラザニアを越えるまでは、あくまでラザニアでストップがかかるんだ。ラザニアに助けてもらっていると言ってもいい。もしラザニアを食べてしまったら、俺はウニに行ってしまうと思う。だから全てはラザニアにかかっている。ウニを食べ放題で食べまくったら、また金はいっぱい飛ぶだろう。だとしたらラザニアにくい止めてもらっていたほうがいいかもしれない。ラザニアも1000円するんだけどな。そっか俺はラザニアに守られていますか。ラザニアで最後ラザニアで最後ラザニアで最後ラザニアでピラニアで最後。ピラニア? ピラニア食いたくなっちまったらどうするんだ? アマゾンまで飛行機乗って行くのか? まぁ、そんなふうにして、ものすごく物理的に手間がかかるものが最後になってくれれば、俺も面倒になって後回しにできるんだが。じっさい、手間をかけて、ニジマスを食べに行ったこともある。でも、ニジマスぐらいが限界で、ニジマス以上となると現実的でないから、あまり現実的でないピラニアとかになると、それはそれで執着しなくなってしまう。執着はあくまで、自分の手の届く範囲内に限って発生するものらしい。別にふざけているわけではない。本気だ。本気の決意である。俺はただここでラザニアを食べようと本気で困っているところを正直にここに書いて、もし本当に食べてしまったら本当にそのことを書く。しかしそれについて書かないようにするのが一番いい。そのために書いているのだから。いやだラザニアで終わらせる。今ラザニア俺の中で、こうして書いたことによってラザニアの存在がむしろ巨大に膨れ上がってしまったけれども(だから今まで書きたかったのである)しかし、同時に、薄れていっている部分も感じるのである。もう後に引けない。食べたらラザニアについて書かなければならない。それは約束する。そんな面倒くさいことはしたくない。この文章だって、本当はこんなバカみたいなこと書いていたくないんだ。もう俺にはこの手段しか取り残されていない。全身全霊で100%の力でラザニアに挑んでみる。はぁ、ラザニアが最後か。なんか釈然としないなぁ。笑。最後はこぼれウニがよかったな。馬糞みたいな、すっごいこぼれているウニで終わりにしたかったけど、不思議とラザニアが手前で守ってくれている。こぼれウニを先に食べたとしても、ラザニアを食べなければ終われないだろう、それくらい、今はラザニアの存在が俺の中で大きくなっている。不思議だ。なんだか今は乗り越えられそうな気がする。今まで多分意味ないだろうと思っていたから、こうして書かなかったけど、なんだか今は乗り越えられそうな気がする。こうして宣言して、こうして正直にぶちまけたことによって、勇気が出てきた。俺は一人で抱え込みすぎていたのかもしれないな。そう考えると、毎日ラザニア起こして文章で書けばラザニア消えてくれるかもしれない。それともかえってラザニアと連呼することで、ラザニアの存在感が膨らんでしまうのか? もう選択の猶予は無い。もう一人で十分格闘してきて乗り越えられなかったから、こうして文章でぶちまけることでラザニアを卒業できるか試してみようと思うのである。ラザニアラザニアラザニアラザニア何がラザニアラザニア何食べた?雲子子痛くもないしあーやっぱラザニアって言ったりラザニアラザニアラザニアって言っているとラザニアが俺の中で膨らんでくる感じもするのもわかんねぇなぁ。でもラザニアラザニア、ラザニア、ラザニアラザニ と蛇っていうの増えているようなもう秋のアトランティックようだが、こんな病気を抱えている人は俺の他にもよるかもしれない。そういえば前俺のファンだが一定食べ物を乗り越えたいと思ってきた人がなんかいろいろ話してたな、これも少し、俺の今のラザニアに通じるものがあるかもしれない。まぁつまり俺の私生活なんてものはこんなものだ。こんなふうに腐って淀んで全てにおいて終わっている、乗り越えたいと思うからダメなんだ。これを食べ終わって、ラザニア食べ終わって、最後に次に進もうと思って、新しい出発のためにラザニアを設定して終わらせようとしたってまた出発が後回しになるばかりなんだよなぁラザニアの代わりにまた新しい登場人物が出てきちゃうからな。もうわけわかんねぇぜわけわかんねぇけどとにかくもう俺はひたすらラザニアについて書いてラザニアを殺すことにしたラザニアラザニアラザニアラザニア食いたくねーんだよばかラザニアなんて言うしねしねしねしねしねしねしね。ラザニアラザニアSiriラザニア死ねラザニア死ねラザニア新さんに

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