実は、実家に帰っていると、どうしてもポテトチップスを食べてしまうところがある。
一人暮らしのあのマンションじゃまったくお菓子は食べないけど、実家だと、普通に置いてあるから、食べてしまう。
環境か、やはり人間は環境に屈する生き物なのか。
このとおり、なぜか実家にはポテトチップスが山のように置いてある。少しでもガソリンが減ったら満タンにしておくどこかのしっかりさんのように、いつも満タンの状態で置いてある。お母さんも、お姉ちゃんも、よっぽどポテトチップスが好きなんだろうなぁ、と思っていた。
小生は、実家に帰ると、これを2袋〜4袋食べる。一晩に、4袋食べることがある。食べたくて食べてるんじゃなくて、越えるために食べてしまう。2袋食べれば十分なんだけど、完全に終わらせようと思うと、もう少し突き詰めたくなってしまって、4袋いってしまう。なぜ偶数なのかわからないけど偶数にすることが多い。3袋より、4袋にしてしまうことが多い。
別に食いたくはない。はっきり誓って言うが、まったく食いたいとは思っていないのだ。ただ、気になるのだ。食いたくはないが、どうしても気になってしまうのだ。どんな味だったか、どんな歯ごたえか、身体に伝わってくる感触、身体を通り抜けていく感覚、ポテトチップスの全存在を余すこと受け止めて、それでぜんぶを終わらすために食べているだけだ。
実家には、2週間に1回、いつも2泊3日して帰る。別にポテトチップスを食うために帰ってるわけじゃない。御殿場の方にも利用者さんが一人いるので、そのための中継地点として、ホテル代わりに使っているだけだ。
今日は帰った時に、危険な方にかけようと思っていたので、「ただいま」とか、「ありがとう」とか「いただきます」とか言うようにしていた。ぜんぶ言った。言ったけど、向こうは別に何も気に留めてなかった。さすがに、「生んでくれてありがとう」とか、「大好きだよ」「お母さんマッサージしてあげるよ」とかは言えない。「生んでくれてありがとう」は死ぬよりきつい。
夕食を食べていると、テレビで『から揚げ専門店の特集』がやっていた。
「ねぇ、あんたって、からあげ食べたいと思う?」
「思わないかな」
「からあげってみんな好きだよね。あんな不味くて油っぽいもの、なんで好きなんだろうね? 私はすぐに胃もたれ起こすけど」
「確かに。からあげほど身体に悪いものはないからね。肉自体が身体に悪いのに、小麦粉やら変な調味料やら、それを底質な油で揚げて、いちばん身体に悪い食べ物の代表格だろうね」
「ふーん。そんなこと気にしてるの? 食べたいのがあるけど、我慢してる食べ物とかあるの?」
「からあげだってその一つだよ」
「あ、そうだったの(笑)」
といってお母さんは笑った。
そこで、小生は勇気を出して言ってみた。
「ポテトチップスだって、その一つだよ。向こうじゃまったく食べてない。ここで終わらすために、こっちに来たときは食べてるだけ」
小生がそう言うと、母親はまた笑った。
終わらすため、と言っただけで、すべてが通じたことに驚いた。親子だからだろうか? これから面倒くさい説明をしなきゃいけないと思っていたから、これは意外だった。割と多くの人が、「終わらすために食べている」と一言いっただけで、通じてしまうものなのだろうか?
「よっぽど好きなのかと思って、いつも買っておいたけど」
「えっ、これはお母さんとお姉ちゃんが食べるからじゃないの?」
「違うよ。あんたが食べるからだよ。私もお姉ちゃんも一切食べないよ。あんたしか食べないから、あんたが来た時のために満タンに用意しているだけ」
「あっ、そうだったんだ」
確かに、一晩に4袋も食べられたら、満タンにしておかなければならないだろう。
「……」
やってやったぜ……と、小生は思った。
このように自分から先にポテトチップスについて悩んでること、それについて克服しようと思っていることを白状してしまえば、もうポテトチップスを食べられなくなってしまうのだ。危険にかけるとは、そういうことだ。
母親からしてみたら、勿論こうやって言い出すまで、理由などわかりようがない。4袋も食べるから、ああ、よっぽどポテトチップスが好きなんだなぁ、と思う他ないのである。毎晩4袋も食べられたらそりゃ困るけど、2週間に1回帰ってきて、4袋食べるのなら、向こうだってまぁいいか、用意しておいてやろうと思うだろう。
しかし、それもこれで終わりだ。すべては終わった。
なるほど、この手は使えるなと思った。漫画家が締め切りになると頑張れてしまうように、マコなり社長も、「今から何時間以内に仕事が終わらないと、お前ら全員にご飯を奢る」とか、自分を追い込むために先に制約を作ってしまうと言っていたが、やはりこれなのだろうか?
どうも、小生は根がのんびり屋で怠惰だから、この方法だけはいつも避けていた。まあ皆さんもポモドーロテクニックとかは聞いたことがあるだろう。ひどい緊張感の中で何かをやったりするのは嫌で、とにかくリラックスが大好きで、副交感神経の方に舵を切って、ゆっくりゆっくりリラックスしながら何かに取り掛かる方が大好きな人間だった。
しかしまぁ、それじゃあ、どうもダメだなぁと思って危険な方にかけてみたら、まぁ本当に1秒1秒が戦いである。未だ根っからの甘さゆえ、危険な方にかけるといったって、この危険は違う、こっちの危険にしよう、と、まだ危険を選び好みしているが。まったく中途半端だ。ここが岡本太郎と俺の差だ。
危険な方にかけるため、今日はプリンを買って帰った。甘すぎて不味いとか私タルトの方が好きなんだよねとか言われた時、やっぱり殺したくなった。←何が危険だ。俺がいちばん危険じゃねーか。
まるで仕事している気分だ。就職したての新人の頃の気持ちを思い出す、いや、働いて5年経ち、ここらで一度、新人の頃の気持ちを思い出すかと奮起しているサラリーマンか。
仕事も実はそうなんじゃねーの? と小生は思った。適正とか、相性とか、運命論の立場でずっと考えてきたけど、そんなことはなくて、ただ楽をしようとしていただけではないか? 危険な方へ、二択が迫られた時、常に危険な方へ選択していれば、どんな仕事だってやれるんじゃないか? そんなことを思った。
※
深夜、家族が寝静まった中、こっそり、猫の目だけが黄色く怪しく光る一階の居間にノソノソと下りていき、古い朽ちた井戸から、深遠から伸びてくると思われるような恐ろしい手でもって、小生はそれを掴んだ。それを持って、またノソノソと、二階に上がっていった。
お母さんは、何も言わなかった。
「終わったの?」とは聞いてこなかった。
まだ、克服したとは言ってない。「終わらすために食べている」とは言ったが、「もう終わった」とは言っていない。「もう終わったから、買わなくてもいい」とは言ってない。
なぜか家の母親は、小生が部屋にいるときでも、勝手に入ってきて掃除を始めるのだが、そのとき、ゴミ箱に入ったポテトチップスの残骸の袋二匹をちらりと見た。何も言わなかった。
また、お母さんは買ってしまうだろう。欠如した二袋分を補充しに、買いにいくだろう。
「もう終わったから、買わなくていい」
その一言が言えなかった。
別に言わなくても、食べなければ、「もう終わった」ということが伝わるはずだった。