しかしいくら言ったところで、実務上の効率が悪いと、仕事は滞るものである。
以前は一日に15000字ほど書いていて、日に3記事の更新をしていたことがあったが。
まぁ、これだけ情報が溢れる世界で、一日に15000字も小生の文章が読みたいという人も少ないだろうし、しかし、いったいどうやってそんなに書いていたんだっけ?
記事をまとめて公開するのは、別に何かを狙っているわけでもなく、同時に書いているから、一つの記事を無理して最初から完成まで書こうとするのは、苦痛なのである。
何かが足りないな、と思うと、その記事はそのまま眠らせてある。ちなみにこの記事は二ヶ月前に書きかけたまま放ったらかしてあるものを、えーい! ままよ! と放り出したくなったのである。
だからなかなか毎日更新ということができない。一日一記事を公開し続けるよりも、一週間かけて同時に7つ書き上げる方が楽である。
例えばドストエフスキーはこんなことを言っている。
「私の場合でも、ある場面が頭に思い浮かぶが早いか、待ってましたとばかり、心に浮かんだままに書きくだします。それですっかり嬉(うれ)しくなってしまうのです。さてそれから、数ヶ月、あるいは一年もかかって、それに手を加えます。つまり私はその場面について、一度だけではなく、何度でもインスピレーションを受け直すのです(なぜならば、私はその場面を愛しているからです)。これまでずっとやってきたように、私は何度でもここを 削ったり、あすこへ付け加えたりするのです。そして、正直な話、ずっとよいものができあがります。もちろん、 これはインスピレーションがあっての上です。インスピレーションがなくては、なにひとつできるものではありません」
なるほどな、と思った。とにかくシーンを書けばいいのだ。みんな、見たいのは人間ドラマなんだ。ドラマ、そのバーっと熱くなっているシーンを、まず、それを書き出してやればいいのか、と思った。
バルザックも、断片的に浮かぶシーンを、順序を気にせず書き散らしていたらしい。
やはり断片的に思いついたシーン、それを後で、起承転結させて、それなりに見栄えをよくしてやればいいのか。とにかく、胸の熱いうちに、熱いシーン、熱い部分だけを書いておいて、放っておくのがよさそうだ。
まぁそうやって、書いたのが、もうずっと前に書いておいて放置しておいたこれなのだけど
女は、「どうせ○○はお前とやりたいだけだよ」→「ち、違います! そ、そんなわけないじゃないですか!!」という会話をやりたがっている
やっぱシーンが大事なんだな〜。
人間はそれ自体が、なにか発言をしたり、書き留めると、その不足を補おうとする働きがあり、完璧完成をしたがる生き物なのである。シーンだけを書くと、勝手に全体が完成されていくのである。
まずはとりあえず書いてみると、あれも書きたいこれも書き加えたいと思っていくものである。 そしていよいよ完成に近づいてくると、今度は手が止まらなくなってくるものである。 ここから来る創造意欲と言うものは馬鹿にできないとゲーテも言っている。
まったくめんどくさいぜ。
しかし、文章を書く時は、思考を書くのではなく、心を書くのではなく、気づきを書くのが最も重要である。
思考や心を書くと、どうしてもうるさくなってくるけど、気づきだけは、あまりうるさくならない。
気づきはなかなか自分から追い求められるものではなく、ピカソの言う通り、「我々はひらめきを形にすることができるだけである」と言っているように、いつでもぱっと浮かんだものをぱっと書けるように準備して待つという姿勢が一番重要だと思われる。