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「セフレにおしっこをかけられるのが好き」という女子高生 完全版

ここずっとこの記事のアクセスが増えている。そんなにセフレにおしっこをかけられる女子高生が、みんな好きなんだろうか?

本当にインターネットは、金とエロの世界だ。

そんなに気になるなら、もう少し詳しく書いてみるか。

もう5年くらい前になるだろうか。むかし、とある女子高生のブログを読んでいたら、「セフレにおしっこをかけられるのが好き」と書いてあった。出会い系で知り合ったセフレとの体験記を綴ったブログであり、彼女は17歳の女子高生で、相手の男は24だか25の男だった。ほとんどの記事の内容は、その男との関係について書かれてあった。

今はもう閉鎖されていて読めないが、それがまぁ、文章がうまかった。今だって、小生は彼女の文章力に追いついていない。小説家でも、官能小説家は文章が上手いと言うし、とても17歳のそれとは思えなかった。とにかく嘘がないのだ。本物とは、案外こういうところに潜んでいるものだなと思った。

セフレの男とは出会い系で知り合ったそうだが、男には本命の彼女がいて、さらに5人も6人もセフレがいたらしい。男は会う前から、彼女にそれを正直に告白したという。会ったその日にセックスして、「彼女にはしない」「ただの性奴隷」「6個目のオナホール」と面を向かってはっきり言われて、礼装を装いながらしっぽを振ってやってくるハイエナのような男達とは一線を画したものを感じたと、記事には書いてあった。

すべてのデートはホテル直行。金は男が出したらしいが(まぁ高校生だしね)セフレの男は、心だけは、本命の彼女にあずけていたようだった。「まぁ、たぶん、あいつと一緒になることになるんだろうな」と、最終的に帰る家として見定めていたらしかった。だからお前とは遊びだよとはっきりと言われたらしい。彼女はその姿勢に潔さを感じて、自分も潔くなろうと思ってしまったと綴っている。

確かに、「好き」とか「愛している」という言葉は、相手を繋ぎ止めるための弱い気持ちから発信されていることが多い。プロポーズだってそうだろう。俺も弱気な気持ちからしか、こういった言葉を使ったことはない。ただ一人、自分の分身だと思っている20年来の親友に対しては、一度も好きと言ったことはない。まぁゲイになってしまうというのもあるが、やっぱり言葉じゃないんだな。ここは。

この子は、ただの性処理用品としてしか扱われなかったらしいが、正式な彼女より勝っていると考えていた。おしっこをかけたり、かけられたりする関係以上の関係があるだろうか、やりたいこともできない関係より、ぜったいこっちのほうが優れている! と書いてあったが、それはどうだろう。男の洗脳によるところも大きそうな気がするが。

しかし本命の彼女に対して、「嫉妬を覚えたことはなかった」と書いてあった。アクセス数なんてほとんどなさそうな、俺しか見ている人間がいないと思われる小さなブログにそう記しているのだから、きっと本当なんだろう。嫉妬はなかったんだろう。

全身に、首に、鎖骨に、胸に、腹に、腿におしっこをかけられると、体がビクビクして、はぁ……!はぁ……! すごいことをされている……! と、黄金の宮殿にいるかのように、一滴一滴、黄色い汁が柔肌に染み込んだり、酸っぱい臭気を放ちながら、薄く輝く飛沫がアメンボのように弾けるたび、精神的射精を迎えるらしい。それはまたセックスとは違った快感らしかった。目を閉じて、鼻腔を天井に突き出し、自分のすべてを捧げることができる機会を与えられたことに感謝した、と書いてあった。

17歳で、すごいことだ。しかし、案外多くの若い子がこういうアブノーマルなことをしているものだ。神社の鐘を突きながらちんこでまんこを突いてもらったり、終電で誰も乗ってない列車でやったりね。おしっこは聞かないが、そして、そういうことをやっているカップルのほうが、長続きしていることが多い。ブスでも悔しいのに、可愛い子でそういうことをしているもんだから、俺は歯を食いしばって寝る日々が続いたものである。

「あの私がこんなことをされている。あの私が。学校ではいつもプンスカした顔で自分の席に座り、放課後までほとんどそこを動かない、あの私が。前田敦子や沢尻エリカみたいな顔をして、誰ともつるまない私。お高い私。あのお高い私が、おしっこをかけられている」

確か、このような記述があったから、本当にお高かったんだろう。

ちなみにこの子のすごいところは、「私とどういう関係になりたいのかはっきり明示しないで近づいてくる男は、その時点で切る」と言っていたところだ。とても17歳のセリフとは思えない。一度、彼の潔さを知ってしまったからには、嘘方便で近づいてくる男に浅薄さを感じてしまうようになってしまったのだろう。

学校でも、たまにチラッと見てくるだけの男子共に吐き気がすると書かれてあった。それだけ、したいこととしたくないこと、はっきりとした力強い世界が片方にあったら、もう片方は嘘ばかりのくだらない世界に思えてしまったのかもしれない。「学校には、お前におしっこをかけたいと言ってくる男がいない」と書いてあったのには笑った。確かに、向こう側に行ってしまった彼女と会話を成立させるには、それくらいの言葉が必要だったのかもしれないが。

誰も彼もが人間としての尊厳を大事にするように近づいてくる。甘くて優しい世界。偽りと偽善に満ちた世界。大人になればなるほど、みな優しい。誰も傷つけてこない。そんな世界を洗い流すために、おしっこがいちばんよかったのだろうか。少なくとも、当時の彼女にとって。

「おしっこをかけられるとき、全身全霊になれる。人間の最後の尊厳をかなぐり捨ててしまった。シャワーホールに、自分のもっとも大事にしてきたものが流されていく気持ちよさがあった」といっていた。しかし、「私は自立している。自立したままおしっこをかけられている」とも。

セックスだって同じだ。セックスの目的だってそれだ。全身全霊で溶け合うこと。だとしたら、セックスもおしっこもそんなに変わらないような気がするが。

おしっこをかけられた後の心境としては、ただ放心して、頭がボーッとして何も考えられなくなるという。現実に戻るまでしばらく時間がかかるらしい。ただ、この感覚だけは現実にはない。学校でもバイトでも家庭でもどこにもおかれていないらしい。

おしっこをかけてみたい、という欲求は多くの男にあると思うが、やはり躊躇してしまうものだ。よし、かけよう! と思っても、どこまで覇気で相手を覆い尽くすことができるだろうか。少しでもたじろいでしまえば、やらなきゃよかったということになってしまうだろう。二人でただラブホを汚しただけで、タジタジしながら後をするしかなくなる。

それだけ、理性というものを解き放つこと、女の精神のリミッターを外せる男というのは、ほとんどいない。まず、自分を越えなければならないのだから。きっと彼は、暗黒魔人のように冷たく、人間を思わせないような顔で、何も言わずに手を引っ張って浴場に連れていき、膝まつかせ、行為に及んだのだろう。そういった空気を作ることができたのだろう。「おしっこをかけられるなんて無理! バカじゃないの? 気持ち悪い!」と普段言っている女性だって、案外こういう空気の中では、何がどうなるかわかったもんじゃない。何がどうなるかわからなさそうになるから、必死になって、「おしっこ!?」「無理!」「気持ち悪い!」と、大声で喚き立てて、そっちに行ってしまいそうになる自分をがんばって引っ張り戻すように、自分に対して発破をかけているところがありそうだ。

だから女性はいつも、そういう雰囲気を持っている男に対していつも怯えている。ぜったいに自分だけは思い通りにならない! と。だから、あなた方女性は、ここまでこの記事を読んでいるのだろう? もしかしたら、どこかでおしっこをかけられたいと思っているんじゃないのかな? フフ。

まぁ、いい。

「女の全存在を隅から隅まで満たしてくれる、それでいてデリカシーがあって、優しい」というような記述も確かあったな。だから、おしっこはおまけみたいなものかもしれない。

真剣に付き合っている相手に、おしっこをかけることはよくないのだろうか? それができないというのは心に壁があるということなのか? かけたほうがいいのか、かけないほうがいいのか、真剣に付き合いながら、おしっこをかけることを両立させることは不可能なのか? これは自分に負けているのか? 相手が嫌がっているならやっぱりかけないほうがいいのか? しかし、それは自分の精神エネルギーで相手を同化させる力がないからかもしれない。俺が女だったら、かけられたいか? いや、しかし……。と、この女子高生のブログには、そんなことを真剣に考えさせられた。

お互いが理性の壁から解放されて、恍惚だけがある世界、おしっこをかけられていないときでも、ずっとかけられている感触が続いているような、ただ恍惚だけがある世界。だが、その恍惚だって永遠かどうかはわからない。賞味期限が切れた時、理性が「ただいま」と帰ってきて、ただ生活だけが続くようになって、その生活の中において、おしっこをかけ合ったという記憶ほど、邪魔になるものはあるだろうか?

子供の進路の話とか、二人で真面目に語りあって、協同体として暮らしていく過程で、おしっこをかけ合ったという記憶ほど邪魔になるものはあるだろうか? どのぐらい支障が出るか分からないけど、結婚して子供が産まれて、正月に親戚と顔を合わせたり、お弁当を作ってピクニックに行ったり、運動会で二人三脚しているとき、ふとおしっこをかけ合っていた記憶が蘇ってしまったら、レースで転んでしまうと思うし、親子の足の紐も切れてしまうんじゃないか?

5年か。彼女は今どうだろう? 今は22歳か。もう結婚していたっておかしくはない。彼女がもしまともな男と結婚して、家庭に入って皿を洗ってる時、ふと、おしっこをかけられたことを思い出してしまうだろうか? そのとき、果たして後悔するのか? (若気の至りだった……)と思うだろうか? 後悔はしないだろう。ただ、それをずっと自分の中に閉まっておかないとならないというのは、少し荷が重いかもしれない。しかし、女は誰でもこういう秘密を持っているものだ。

女性はやはり、自分のすべてを捧げたがっている。捧げたいけど、捧げきれない。それはひとえに男がだらしないからだ。彼女たちにだって、男の嘘がわかるから、本気でないのがわかるから、自分自身も力が抜けてしまい、捧げることができなくなってしまうのだ。

べつにそれがおしっこというつもりはないが。

女は安心安全を求めているのは確かだが、一方で、すべての女性が、一夜のもとにすべてを失ってもいいと思っている。

これが愛か、恋か、風俗か、快楽か、脳の信号か、現実逃避か、やっぱり若気の至りで、やっぱり家の庭を眺めながら、ゆっくり茶を飲んでいる老夫婦が極地か。

しかし、女性は自分の一番大事なものをここに投げ出すと決めた人のためなら、自分を投げ出すことができる。無論、おしっこだって全然ありえるだろう。そして、それに最上の喜びを感じる。

だから、おしっこをかけるとか、かけないなんていうのは、それに付いてくるおまけみたいなもんだ。全身全霊を無条件に捧げたくなる。それの外側の現れとして、おしっこがちょうどうまくはまったのだろう。彼女は本気で彼のことが好きだったのだろう。

女はおしっこを求めているわけではない。強さを求めている。男の強さが欠けている分、女は強くなる。怒鳴りつけたり、便座カバーをびちゃびちゃに濡らした責任を男に取らしたり、間違った形の強さを身につけていってしまう。右を見ても左を見ても、そんな夫婦ばかりだろう。

男が挑戦をやめたとき、目の輝きを失った時、女も女であることをやめる。

彼女たち(主婦)だって。あんなに大声を出して、旦那を叱りつけたいわけではないのだ。そんな自分が嫌で嫌でたまらないのだ。でも、家庭ごっこを運営していくには、そうするしかないのだ。

男にだって言い分はあるだろう。俺だって! お前達のためにこんなにがんばっているのに! どうして、どうしてわかってくれないのだ……! と!

男は考え違いをしている。一生懸命、無理して役割を果たしているのに、女はちっともわかってくれないと心外に思っているだろうが、わたくしたちは、何もそんなことを頼んでいないのよ。岡本敏子

まぁ、それがおしっこだと言うつもりはないが。

夫にタバコを辞めさせて、便座に座っておしっこするように約束させ、そんなことを繰り返していくうちに、安心感を覚えるが、同時に何かを失っていく気がするだろう。今後、ますます男は女性化していくだろう。おしっこをかけられる男は、もう世界に何人いるかどうか。

彼女は、自分の人生において、一人の男に完全にまで支配されたこと、彼が自分のものにならなくても、彼とこれから一緒に人生を送ることができなくても、彼と出会えたこと、彼におしっこをかけてもらえたこと、そういう時間を人生で送ることができたことを、誇りに思っていたようだった。

我々は、植芝盛平のような本物に出会い、武道場ではっきり喝を入れられ、むしろ、叱られたいと思っている。目を覚まさせてほしいと思っている。けどそんな大人はどこにもいないから、もう諦めて、効率的とか合理的とか、メンタリストDaigoとか、ひろゆきの傘下に入り、自分から物質主義に傾いていっているのだ。

おしっこをかけ合うのは、本物ではない。本物ではないが、本物不在のこの世において、彼女も、セフレの男も、おしっこを本物とする他なかったのだ。

まぁいい。素晴らしいブログを読ませてもらったお礼だ。餞に俺の方で代わりに世界に一言いっておいてあげるよ。

「すべての女はおしっこをかけられたがっている」

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