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自殺

結婚に臆病になっている男の心理とは、未来にわたって彼女を愛し抜くことができるかどうか、一緒になって生活しているうちに、その恋は色あせてしまうんじゃないか、彼女に対して興味を失せ、自分も興味を失せられてしまうんじゃないかという不安である。収入や経済の理由からではない。

いつまでも尊敬されていたい。自分より優れている男を見て怯える。終いには、自分よりこの男と彼女が一緒になったほうが幸せになれるだろうから、自分は身を引いたほうがいいのではないかと考えるようになる。

ネットで喧嘩している人も、最後は相手の勇気がないところを貶すようになる。勇気、勇気、勇気、学校や会社のいじめもそう。「やーい、弱虫」「臆病者」「あいつ、一ヶ月で会社辞めちゃったよ(笑)」

勇気。それだけは、みんな手放しちゃいけないと思っているから、必至にそれを握りしめようとする。ブラック企業で辞めないのもそれだ。ここで辞めちゃダメだ、引き返してはならない、みんなやってるんだ、俺だけやめるわけにはいかない。

戦争だってそうだ。前線で仲間が命を投げていくのを見て、自分だけが無事に家に帰って、泣いて迎えにやってくる家族を抱きしめ、ゆっくり茶を飲むなんて、到底できないと思うようになる。

人間はみんな、自分が勇気を失ったらおしまいだって始終言い聞かせているから、だから、誰かを攻撃するときは、その人の勇気を踏みにじる。

小説投稿サイトでもそうだ。「いつもいつも同じことばかり書いて、新しいことをやることを怖がっているのですか?」とか、「ろくに推敲しないで出して、一夜で仕上げたとか、本当の自分の実力じゃないっていいたいんですよね?」とか、やっぱりいつも、どんな喧嘩も、最後には、相手の勇気を貶すところに行き着く。そして勇気だけはバカにされると、人はどうしようもなく耐えられなくなってくるから、今度は意固地になって、わけのわからない作品を提出してくるようになる。勇気も勇気で、勇気に縛られてしまう。それはやっぱり本当の勇気ではないからだろう。

しかし、これを恋愛に置き換えて考えてみると、俺がこれまでモテなかったのは、運命的な相性の問題だと思っていたが、やっぱり勇気がなかったからだ。俺が今までモテなかったのは、ただひとつ、勇気がなかったからだとはっきりわかった。

そして、記事にそれが現れてしまっていることもわかった。けっきょく、洞察力なんてものはありはしない。相手を見ようとすると、絶対に見えなくなる。相手は、すべて俺自身だ。自分の体験を通してでないと、相手のことは見えない。相手の中に自分を発見するから、書ける。逆に言うと、そこまでしか書けない。

俺がちゃんと本気で生きれていない。自分から逃げている。人よりは逃げていないつもりでいたが、いちばん肝心の核から逃げている。そこからいっつも少しだけ外れている。少し外れるのも大きく外れるのも一緒だ。この、外れている部分で書いている自分、外れている部分で話している俺、今は、それが本当に大っきらいだ。だから自分にイライラしてしまうんだろう。だから何事にも魂が宿らない。毎日毎日自分にイライラしている。今まで素直に生きてこなかったから、こんなふうになってしまった。まずはここからだ。こいつをなんとかしないと、創作だって恋愛だってできやしないんだ。自分の人生は何一つ始まらない。

いくら霊的修行や食生活をどうのって言ったって、ダメだ。始めの出発点がずれてるんだから、どうにもならない。

だから、自分のことがわからないと、相手のことだってわからない。すべての記事は、自分のことを書いているに過ぎないんだから。

しかし、おちんちんバスターズの2話と7話はいい。今年ももうすぐ終わるが、良かったと思うのは、その二つくらいだ。あとはぜんぶゴミみてーなもんだ。

あれも、書く前はめんどくさくて嫌で嫌で仕方なくて、無理して書いたが、けっきょく大事なものは、すべて面倒くさいものなのかもしれない、効率、環境、合理的、そうやって、心の中のゴミをすべて掃除して、快速列車のように一気に走り抜けられたらいいと、そういう方面の努力をしてきたが。

女は、女特有の陰気臭さを出すが、女はそんな自分をよくしっていて、あなたはこの生理臭を乗り越えてこられるの? と男を試している。とつぜん生理臭い空気を撒き散らすのはそのためだ。これはすべての女にある。元々が「陰」の性質なのだ。恋ってのは、いつも、それを試されているんだと思う。運命じゃない、運命は自分自身だ、やっぱりみんなめんどくせーってよく言っている、本当に大事なもんは、やっぱりめんどくさいもんなのかね? 

恋とは、楽しいとか楽しくないとか、ラブストーリーのように甘かったり切なかったりするもののように思うけど、試練の要素が、強いと思う。

人を愛することに喜びを見いだせるような、試練というやつかな。試練試練ってそんなことを言いたくはないが、そうとしか思えないから仕方ない。男は一人で部屋で恋愛について考えると、都合のいい甘い蜜の部分だけの世界が広がっていってしまうが、女はそれを気づかせてくれる。女だって恋愛脳で、子供だってババアだってお花畑が広がっているが、だが、現実的だ。男よりずっとずっと現実的だ。ときにすごく現実的なことをいって、男のプライドをへし折ってしまうが。

女はみんな二面性を持っている。ものすごく真摯に相手に自分の全てを捧げたいと思っている反面、男に比べて結構軽口を叩いてしまうところが多い。笑っちゃいけないところでよく笑うし、男が本気で夢を語ったり、熱くなっているとき、「すごいね! ねぇねぇ青山に新しいカフェできたからそこ行こうよ!」と平気で言えてしまうところがある。別にいいんだが(笑)

そういうことを自分じゃ気づいていないんだね。女も、気づきたいから教えてもらいたいと思ってるんだけど、なかなか誰も言ってくれないからね。だから、ローテーブルの上に菓子を広げて仲間内で男についてワーワー話しているような言葉をポロっと言ってしまう。そんなことを一度言ったり、言われてしまうと、向こうからもお返しの矢が飛んできて、そんでもって理想の城は壊れてしまう。これは、恐ろしいほど簡単に壊れる。運命だと、心の底から信じていたその城は、本当に簡単に一秒で壊れてしまう。俺も多分ここは言わないかな。女は全てを捧げたいと思っているし、男だって愛し抜こうといつだって決意しているが、運命だのなんだの言ったところで、たった一言で全部こわれてしまう。その一言に敗れ去るのが、怖いのだ。一言言うことも全部言うことも同じだからね、お互いの全部を直そうという方向にいってしまう。最近、乃木坂で『君が叱ってくれた』っていう曲が出たけど、まぁ叱ってもらいたいところがあるんだろうな、女は。でも、俺は、やっぱりそこは自己完結型の人間で、あまり叱れないだろうなぁ。叱られて、それでも愛する気持ちを失わないようにしよう、とがんばるかもしれないが、叱る方の勇気は出ない気がする。相手の悪い所は全て目を瞑って。そういう方面の努力に向かってしまう。

恋は決して魔法のような甘い蜜じゃない、現実を教えてくれる気付け薬だ。それで男は初めて夢見から覚める。そんなことを何度もやってきたが、それでもまた魔法を信じてしまう。まぁ、初めから全部わかり合えると思ってるからダメなんだ。どうしてもわかり合えないところがある。わかり合えないことばっかりなんだ。女を理想視しすぎてしまう36歳の独身男には困ったものだ。だから何も期待しない。見返りを求めない。それもいいが、そうする他ないような気がするが、本気にならなくていいということにはならない。やはり恋愛というのは、片想いだ。自分がどれだけ愛せるか、無理して愛してしまう自分を越えていけるかどうか。

36歳にもなって、まーだこんなことばっかり考え続けている。何もせず、頭の中で理論だけこしらえて、正しいか、間違っているか、ずっとうだうだやっている。こんなもんは、飛び込んでみなきゃわからないもんなのにな。

岡本太郎は50年付き添った敏子さんに、ずっと恋をさせた。結婚はしてないが、事実上の妻だ。50年だ。敏子さんは岡本太郎が亡くなった後も恋をし続け、岡本太郎のために生きて死んでいった。そんな男と女を見たことがない。

鴨頭さん夫婦もすごいと思うが、「毎朝妻の顔をみるたびに、お前は世界でいちばん綺麗だ」と言っているらしいが、加藤浩次も週2で必ず奥さんを抱くようにしているらしいが、まぁそれもそれで素晴らしいし、俺には体験として見えてこない世界だから、何も言えなくなってしまうが、だが、どこか無理のようなものを感じるところがある。愛というか、愛っぽいというか。俺の言っている試練というやつに似ているかもしれない。わからないがね、やっぱり自分の体験以上のことはわからなくなってしまう。いいことだと思うし、尊敬するのだが、まだなにか奥に秘密が隠されている気がする。その秘密は自分の体験によってしかわからないから、これ以上は書けない。

俺はいつまでも尊敬され、愛され、この人以上の男はいない! って思われたくて、ずっと最後までそう思われたくて、それができる自信があるようでなかったりするから、こんなことを考えるんだろうな。女が浮気をしても、まったく女を責める気になんてなれない。ただ自分が情けなくなるばかりだ。女の主婦になっていく顔を見るたびに、そこに自分の罪悪感を見出すことになるだろう。

困ったなぁ。困った36歳だ。

俺が逃げてしまうところの原因はこんなところだ。岡本太郎のようにできる自信がないから、やっぱりやめておこう。人間を完成させ、自己を確立し、よく準備ができてから結婚しようという思考になってしまう。月収8万だし、相手もいないのに、そんなことばかり考えている。20歳くらいの頃からずーっと考え続けてきた。

運命は確かにある。しかし、それは外にあるんじゃなくて自分の中にあるらしい。そして、それは自分の中で、自分の成長につれて、築き上がっていくものらしい。運命は自分の中にある。

こうして一文一文を書く時だって、ただ勇気を試されているんだ。才能やセンスじゃない。

しかし、飛び込まなきゃならない。傷つくのを怖がってちゃダメだ。危険だと感じたら、やっぱりそっちが行きたい方なんだ。そっちにいけ。恋愛も記事も動画も、すべてそっちにいけ。瞬間に飛び込まなければならない。上手くやる必要はない。ありのままに、そのまま飛び込め。ただそれだけだ。そこを逃げるからすべて崩れていくんだ。

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