恋愛

「セフレにおしっこをかけられるのが好き」という女子高生

とある女子高生のブログを読んでいたら、「セフレにおしっこをかけられるのが好き」と書いてあった。

この子は、ただの性処理用品としてしか扱われていないとのことだったが、正式な彼女より重要なポジションにいると考えていた。

セフレの男は、正式な彼女がいるが、彼女と普通にデートしたり、お粗末なセックスをするばかりで、その付き合いは淡々としたもので退屈極まりないものだったらしい。

ブログの女の子は、全身に、首に、鎖骨に、胸に、腹に、腿におしっこをかけられると、体がビクビクして、はぁ……!はぁ……! すごいことをされている……! と、狂乱の奥に突き進んでしまい、一滴一滴、黄色い汁が柔肌に染み込んだり、酸っぱい臭気を放ちながら、薄く輝く飛沫がアメンボのように弾けるたび、精神的射精を迎えるらしい。

「嫉妬はない。気を使って本当にしたいセックスができない関係より、私はこの方がいい」と言っていた。

 

基本的に恋愛は、どこかで結婚を意識するし、二人で陽が当たるようなまっすぐな人間道を寄り添って歩いてしまうものなのか。

真面目な話とか、学業や仕事を、真剣に二人で励ましあって生きていく過程で、おしっこをかけ合ったという記憶は邪魔になるのか。

どうでもいい女や、都合のいい女、セフレでないと、おしっこをかけ合うのは難しいかもしれない。

交際がふざけたもののように見えてくるし、結婚してもいいのか疑問になってしまう。

また、風邪のとき、よく看病してくれたことなんてあると、おしっこをかけるのは忍びなくなるかもしれない。

 

だがこのブログの女子高生は、性を完全に解放してこそ、男と女の究極の世界があると考えている。

17歳で、すごいことだ……。

ちなみにこの子のすごいところは、「私とどういう関係になりたいのかはっきり明言しないで近づいてくる男は、その時点で切る」と言っているところだ。

この子も出会い系が大好きらしいが、つまらない馴れ初めのやり取りのメッセージを送ってくる男は相手にしないそうだ。

 

確かに、おしっこをかけ合うことができない関係というのはつまらない(俺はかけ合ったことないけど)

制限ある恋愛は退屈で、本当の自分を晒すことができない煩わしさがつきまとう。何をしても許される関係を別口で持っていたら、尚更だ。

おしっこをかけたりかけられたりしている時に、二人で恍惚するらしい。あぁ……! なんてことをしているんだろう……! びっくりして怖くて、ゾクゾクして、人間の性や命の喜びを完全にまで味わってる……! と、このブログのライターは書いている。

たとえ自分はセフレで、性処理用品だとしても、絶対に自分達の関係の方が優れていると思わずにいられなくなるらしい。

男から、イッた後にちんこから精液が溢れ出てくる動画を送られてきて、めちゃくちゃ興奮して、何度も見てしまうらしい。

 

 

真剣に付き合っている相手と、こんな下品なやりとりや、おしっこのかけ合いを望んでいたとして、それができないというのは良くないんだろうか。それは心に壁があるということなのか。真剣に付き合いながら、おしっこをかけ合うのを両立することは不可能なのか。

確かにどんなに愛する人でも、全身におしっこをかけてしまったら、その瞬間から正常な関係がどこか壊れるような気がする。

だがその壊れた世界こそ、本当の楽しい性生活がある。しかし支障がある。

どのぐらい支障が出るか分からないけど、結婚して子供が産まれて、正月に親戚と顔を合わせたり、お弁当を作ってピクニック行ったり、運動会で二人三脚しているとき、ふとおしっこをかけ合っていた記憶が蘇ってしまったら、転んでしまうと思う。レースはビリになるだろう。紐も切れてしまうんじゃないか。

愛と性を両立するのは難しいのか。

それはそれ、と割り切って……。

いや、普通に割り切れるか。

みんな結構割り切れてるね。

いや、でも。

 

 

 

 

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