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小生は高校の頃、鞄を持たないで登校する生徒でした。

投稿日:2020-08-27 更新日:

小生は高校のとき、鞄を持たずに登校していた。

自転車通学だったが、カゴの中には何も入っていなかった。

空っぽのカゴの自転車で、住宅街、自転車道、商店街、学園通りを40分かけて通り過ぎて、学校の門をくぐっていった。

小生が自転車を駐輪場に止めて、手ぶらで校舎に向かうと、クラスメイトが窓から小生を指さした。

「なにあれ?」「朝2度目の登校?」「一度目だよ」「サイクリングかよ」「本当に何も持ってない」「マジウケる」「何しにきてんの」「もうクロスバイクでいいじゃん」「めっちゃウケる」「しまるこが鞄なしで登校してるぞ〜〜!」「本当だアハハハハ!」と、指をさして笑われた。

朝はこういったものがいちばんウケる。山あり谷ありオチありの話より、視覚に訴えるものがいい。

小生自身はなんてことないことだと思っていたが、周囲は思った以上に反応した。この指とまれといったような、家族みんなでリビングに集まって一笑するような、ゴールデンタイム番組的な汎用さがあったのかもしれない。

小生は雨の日も風の日も、鞄を持たずに登校し続けた。

ある時期から、朝のあいさつ運動などというものが行われた。いろんな教師が入れ替わり立ち替わりで校門に立ち、生徒にあいさつをするというものだった。

「お前なんで鞄持ってこないんだよ(笑)」

「(笑)」

という感じで、ほとんどの教師は笑って見過ごしてくれた。「朝からフットワーク軽いね〜!」といってくれる家庭科の先生もいた。「サッカーだったらオフサイドだな」とか「散歩か?」という気が利いたことをいう教師もいた。美術教師は想像力が掻き立てられるようで、小生のことをじーっと見ていた。

「止まれ」

体育教師だけが黙っていなかった。小生は体育教師に呼びとめられた。

「お前なんで鞄持ってないんだ」

体育教師は流れてくるレーンの中で一つだけ不良品を見つけたようにいった。

「学校の机の中に、教科書は入れてあるからです」と小生は答えた。

「じゃあ家で復習はどうするんだ」

「自宅用の参考書があるからそれでやってます」

もちろんやってなかったがそう答えた。

「それは市販の参考書か?」

「はい」

「学校で勉強した内容なんだから、学校で使う教材で勉強しなきゃダメだろ」

「市販の参考書も書いてあることはほとんど同じなので大丈夫です」

「だが学校で習う内容と、市販の参考書では、違ったところがでてくるだろう」

なんだこいつは? お前だって学校の教材と市販の教材と見比べるような勉強したことねーだろ。お前がいうんじゃねーよ。だから体育教師になったんだろうが。仮に少しくらい違ったっていいだろ。その結果困るのは俺だし、どっちも開かない生徒より100倍マシだろ。つーか嘘だよ。はじめからぜんぶ嘘だよ。学生が家に帰って復習するなんてどこの都市伝説だよ。まあ嘘って気づいてんだろうけどな。朝から校門前で嘘つき合戦なんてしたかねーよ。

「お前は全部の科目の教科書を、机にしまいこんでいるのか?」

「はい」

「プリント類とか貰ったものはどうしてるんだ?」

「プリントも机の中にしまいこんでます」

「家に持ち帰る必要があるプリントはどうするんだ?」

「学ランのポケットにいれて持ち帰ってます」

「ポケットにいれたらプリントがくちゃくちゃになるだろう」

うっるせーな。俺のプリントがくちゃくちゃになろうがてめーに関係ねーだろうが。体育教師のくせに変なところに想像を働かせるヤツだ。

いやらしい野郎だ。『体育教師だからってバカにするな。ちゃんと高校生よりは頭がキレるんだぞ』っていいたいのがバレバレなんだよ。

体育教師は座学教師より頭が悪いと思われていて、はたして生徒よりも上なのかどうかという疑問に晒されている。だからいつも、生徒と知恵比べをしたくてたまらなくなっている。

もちろん定期テスト上位2割に入るような生徒には負けてしまうので、そうなると活発なグループの生徒たちのところへ点数を稼ぎにいき、ノリについていけなくなると、教師ヅラをして説教をし、次は知性的な生徒のグループの方へいって、お前ら勉強もいいけど少しはハメを外さないといい大人にならんぞといって歩く。自分の立ち位置が定まらない、不規則なバウンドをするラグビーボールのような存在なのである。

「学生がな、鞄を持たずに登校するってことがどういうことがわかってるのか?」

教師は腕を組み、仁王立ちでいった。

「学生はな、学校の看板をいつも背負っているんだ。サラリーマンが鞄を持たずに歩いていたらどうだ? その会社員が務めている会社の商品を買いたいと思うか?」

「いや、別に……」

小生はそう答えた。本当に別にどうでもよかった。小生は欲しい商品があったら、その企業の社員が全裸で歩いていても買う。

教師は小生の返答にカチンときたようだった。口調を荒げながらいった。

「お前はなんとも思わないかもしれないが、みんなは思うんだよ! 同じなんだよ、その会社員と! 朝の8時前に、鞄を持たないで自転車をこいでる学生を見ると、どこの高校かしら? 〇〇学園? いったいどういう教育をしているのかしら? うちの子を入学させるのはやめておこうかしら? ってことになるんだよ!」

なるほど。近所のババアたちの見栄えのために鞄を持てといいたいのか。まあ、いってることはわからんでもない。それがお前の授業か。座学の先生たちの真似事をしてみたわけか。

小学校でも中学校でも会社でも家庭でも、どこでもいえることだが、不良より昼行灯タイプの方が怒られてしまう。

小生の高校には不良がいっぱいいた。もともと偏差値40くらいの学校だったので、学ランを全開に開けていたり、腰パンをしたり、ローファーの踵が潰れていたり、はなわのような髪型をしたり、派手な化粧をしたり、鞄を持たないよりずっと学校の風評を悪くしそうな生徒がうじゃうじゃいた。しかし、そういった生徒たちよりも、鞄を持たない生徒の方が怒られてしまうのだ。

不良も不良で一種の組織なのである。学校カーストのトップに位置しており、発言力がある。また、不良は高校生らしくてどこか青春の匂いがする。不良は正良なのである。フィギュアを制服の裏ポケットに入れているメガネよりずっといい。学園ドラマのように、不良の世話を焼くのは健全である。怒る方も怒られる方も健全だ。そして不良は世故に長けており、人と関係を築くのがうまいから、教師もあまり強くいえない。だから不良は見送られる。

しかし鞄を持たない、昼行灯タイプの、仕事のできないサラリーマンの卵のような学生は、どれだけ怒っても怒りすぎることはない。怒るのに遠慮はいらないとされ、これ以上ないサンドバッグにされる(鞄がないのにサンドバッグにはされてしまう)。

勉強もやらず、スポーツもやらず、いったい何のために学校にやってくるのか? 働かないくせに飯だけは食いそうな、一度も人生に本気にならないまま終わりそうな、不良よりずっと不良品。なんだこの生産性のなさは? 学生とはいえ、時間の無駄使いをしている人間を見てるとイライラしてくるのである。そのうえ鞄を持ってこないだと?

社会をなめるな。社会はそんなふうにできてない。そんなんで通用すると思うなよ? 鞄を持たないで登校するだと? 大人をなめるな。反社会的な芽。大人への反抗。大人への反抗なのかこれは? なんなんだ、気味が悪い。摘み取ってやる。

俺はとっくに芽を摘まれてしまった。俺の土地はペンペン草ひとつ生えてない。俺は職員室でいつも馬鹿にされている。肩身が狭い思いをしている。体育教師だからという理由で発言を低くみられ、俺の提案だけいつも却下される。俺が挙手するだけでほくそ笑まれる。力仕事だけは回ってくる。「我々と同じ教師と名乗ってもらいたくないものですな」「フィジカルトレーナーの方が適切では?」「この前ライザップ新規従業員募集してましたよ」そんな声が聞こえてくるような気がする。

俺が鞄を持たないで職員室に入ったらどうなる? 考えただけで恐ろしい。全身の血の気がひいていく。何も言われないだろう。誰も何も言わないだろう。その無言が怖い。視線が怖い。みんな静かに事務仕事を続けるだろう。その静けさが怖い。その静けさがチクチク刺さるたびに、俺は自分を変えてきた。それが今の俺だ。鞄を持たないお前の姿を見て、俺の、この変え続けてきた俺の努力を否定された気分になった。

こんなことはあってはならない。ぜったいにあってはならない。鞄を持たないだと? バカバカしい。バカバカしくて怒る気にもなれん。どうして他の先生たちは無視できて、俺は無視できないんだ? どうしてこんなに胸が熱くなるんだ。別に鞄を持ちたくないとは思わんが、俺が頭で押さえつけてきた俺を見せられているようで、社会に順応するためにとうに捨てた自分を、まざまざと見せつけられているようで、摘んだと思った芽が、生えていたようで、むしり取りたくなってくる……!

なぜほかの先生たちはこの生徒を怒らなかったんだ? ユニークなジョークだけいって、特に注意をしなかった。そんなに悪いことだと思わなかったから? 俺だけ反応してしまった。俺だけやっぱり頭が悪いのか? こんなことに怒るのはセンスがないから、一言のジョークで済まそうとしたのか? 一周まわってそういう解に達したのか? 俺だけ一周まわれなかったのか……? 俺だけガチで反応してしまう。俺だけ同族だから? 俺だけ生徒と同じレベルだから反応してしまうのか? こんなにムキになってしまうのは……。なぜ。他の先生たちみたいに一笑に付して見過ごせばいいのに。こいつの中にいる俺が、俺を見てくるかのようだ。お前もこっち側だろう? といってくるかのようだ。お前も職員室のガラスを全部割りたくなるんだろう? と囁かれているようだ。

わかってるよ。社会の皮を被ったってたかがしれてる。俺はここまでだった。俺は女子生徒に言い寄られたら関係を持ってしまうだろう。午前中は昼飯をどこに食いに行くかばかり考えている。定時になったら学校と関係のない人間の顔になって去っていく。だから本当のところで強くいうことができない。人の覚悟は透けて出る。生徒たちにもそれがわかるんだろう。看板は俺も背負ってるんだ。見下げた看板を背負ってるのは俺なんだ。ここが限界だった。本当の自分から外れた自分でがんばった結果、ここが限界だった。

別にお前が鞄を持たないのを羨ましいとは思わない。不便だと思うし。鞄を持たずに職員室に入りたいと思わない。ただ、その他人の目を気にしない態度が気にいらなかった。俺が気になってしまうからだよ。もっと気にしてほしかった。もっと俺のことを気にしてほしかった。もっと慌ててほしかった。困ってほしかった。人と違うことをしたら赤面してほしかった。お前にも芽を摘まれてほしかった。俺と同じように……。

小生は理解した。すべてを理解した小生は、鞄を持つことにした。一緒に負けてあげることにした。教室カーストと職員室カーストの底辺同士、手を繋ぐことにした。鞄という社会の重荷を一緒に背負ってあげることにした。なぜなら、体育教師は小生に寄せることはできないが、小生は体育教師に寄せることができるからだ。

「しまるこがきたぞ!」「しまるこだ!」「鞄持たないでやってくるぞ」「これがなきゃ朝が始まらんからな」「笑ってやろうぜ」「ほれ、みろ、あそこだ……」

何も入っていない鞄だった。小生の鞄だけ異常にふにゃふにゃしていた。空気の抜けた浮輪みたいだった。そこには紙1枚入っていないことは明らかだった。

「うーわマジかよ」「つまんねー」「まさか体育教師に怒られたぐらいで自分のスタイル曲げるヤツだったとはな」「持ってる鞄みたいにふにゃふにゃした野郎だな」「なんだあのEDみてーな鞄は」「見損なった」「毎朝楽しみにしてたのに」「死ね」「チッつまんねーな」「あの鞄なら持たない方がマシだろ」「持つ方が嫌味だよな」「卒業まで一回でもジッパー開くことあんのかよ」「今日の小テストやる気なくした」「学校くるな」「鞄の中に入ったまま出てくるな」

小生は自分の席につくと、鞄を机のフックにひっかけた。

「ひっかけてんじゃねーよ捨てろよはやく」「捨てろっていってんだそれをはやくバカが」「バカじゃねーか」「ばーか」「死ね」「お前が鞄持ったらお前に何の意義が残るんだよ」「お前の仕事は鞄を持ってこないことだろ」「ちゃんとやれ」「他に何もできねーんだからそれくらいやれよ」「昨日をこえるつもりで鞄を持ってくるな」「はやく捨てろ」「鞄を持たないか学校やめるかどちらかにしろ」

小生は机の中から一限の授業である現代文の教科書を取り出した。

「やっぱり机の中から取り出してんじゃねーか」「マジで意味ねーじゃん」「鞄なんの意味があったんだよバカが」「意味ねーことしてると殺すぞ」「教科書も捨てろ」「教科書机の中から取り出すんだったら鞄持ってきた意味ねーだろマジで」「お前の首をフックにひっかけろ」

小生は静かに授業の開始を待った。目を窓にやると、校門に体育教師がいた。登校する生徒にあいさつをしていた。

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