Mr.Childrenの最近の歌詞について思うことがある。別にミスチルに限ったわけではないが、結婚してしばらく経った、いい年をしたおじさんが、君が好きとか、愛しているとか、異性に対して恋い焦がれている内容を詩にしている。
最近だと、himawariという素晴らしい曲があって、よくyoutubeで聴いている。
「怖いもの見たさで、愛にさまよう僕がいて、君のいない世界ってどんな色をしてただろう?
違う誰かの肌触り、かっこつけたり、はにかんだり、そんな僕が果たしていたんだろうか」
素晴らしい歌詞だが、これは桜井さんが今の奥さんに対して書かれたということでいいんだろうか。
桜井さんは、とあるインタビューで「結婚すると恋は数年で冷めしてしまう。その後は、人間として相手を好きになることが大事」といってた。よく聞く言葉だが、詩をみるに、恋愛体質であろうと推測される桜井さんですら、数年で冷めてしまうものなのか、と思った。
そして、結婚して数年どころか、15年以上経っているはずの、桜井さんだが、どうしていまだに異性への恋についての詩を書いているのか、そこが不思議なのだ。
色々推測されるが
・奥さんではなく、別の浮気相手
・過去の恋愛を思い出して書いている
・異性ではなく、自分の子供、友人などに向かって書いている
これらが有力だが、どうも、桜井さんが歌っている様子をライブ等の動画で見ていると、純粋な輝き発光している。まるで嘘、やましさがない。彼自身が歌っているというより、彼自身は透明で、別の何かが憑依して歌っているようにもみえる。
曲のクオリティとか、高音がどうとか、そういったレベルではなく、明らかに魂の練度が違うのだ。最近のMr.Childrenのほとんどの曲の歌い出しは、ゆっくり低い音で、普段の自分の心的状態だと思われる心の音階から、スッと歌い出す。これは、いい曲を作って、いい曲を歌おうという気持ちというより、そのままの心的態度をそのまま差し出すといった感じだ。
人工的に操作された感じがない。魂の鼓動をそのまま歌にしている。いいメロディラインが浮かんだから、これをサビとして売り出そうという魂胆がなさそうだ。bucknumberはライバルはMr.Childrenと言っていたけど、どうもまだ、心地の良いメロディラインを大事にしすぎて、Mr.Childrenとは出発点からして違っている気がする。
桜井氏の深い思想や哲学が、魂の一番深いところでメロディと一緒に発現される、難解だけど、曲の細かい部分まで、自分の深層心理と結びついているか確かめながら曲を作っている様子が垣間見えるようだ。大体、そういうのはフワっといきなり曲が浮かぶから、その浮かんだメロディと自分の深層心理と、上手く一致して、嘘がないか確かめながら整えているんじゃないかと思う。
深層心理には嘘がないから、魂のレベルで作曲、作詞している桜井さんに限って、jpopらしいありがちな、愛しているとか愛していないとかいう歌詞を書くことは許されないのだ。
難しい言い回しをしたとおもったら、すごく平坦で一見、誰でも描けそうなフレーズの歌詞を持ってきたりする。これは、簡単とか難しいとか、凝った言いまわしにしてやろうとか、プロらしくとか、そんな見栄えを気にしてないからできるのだろう。ただ、正直に自分の深層心理から浮かんだものを大事に書き留めるようにしているから、結果的にそうなっている。
以上のことから、正直に作詞をしていることは確かだ。
だったら、今、異性に対して愛しているとかいっている詩は、何なんだろうか? 誰にむけて書かれているのだろうか? 今現在、異性と恋愛しているとしか思われない詩が多々あるが、この瑞々しい感性は一体どこから? 誰と恋愛しているのか。誰を愛しているのか。肉の色を帯びた歌詞もある。
夫婦として、人間として今の奥さんに対して愛しているというには恋愛の色が強すぎる。 まだ奥さんと恋愛が続いているのか? 奥さんは未だに若々しくて綺麗なのか?
これは、他の壮年期のアーティスト全員にいえることだ。