仕事 恋愛 ドトール観察記

ドトールのヤリチン嫌いがヤリチンを好きになるまで

2020-11-30

最近、ドトールにヤンキーの店員が入ってきた。

非常に背が高く(190cmくらい)、まだ20歳くらいなのだが、異様に落ちついている。

一般的にヤンキーというものはあんがい小心者が多く、目に映るすべての男に対し、どちらの方が喧嘩が強いのかと比べずにはいられない。チビのヤンキーになると、体格のいい女に勝てるのかどうか不安でいたりする。しかし190cmになるとそんなことは考えなくなる。わざわざ力を証明しようと思わなくなるからだ。落ち着きは、そこからきているのだろう。

このドトールには、ウエイトトレーニングが趣味らしい40代の中年男たちがやってくることがあるが、中年たちの方がずっといきがっていた。彼らは老人と看護学生しかいないドトールで威張り倒し、店員が弱そうな男のときは、「兄ちゃん、アイスコーヒーもらえる!?」とカウンターに肘をついて無駄にでかい声を出す。べつにコーヒーじゃなくて喧嘩でもいいんだぜ? と言うかのように。彼らは席につくと、ブルブル震えながらコーヒーを作った店員をニヤニヤ見ながら、コーヒーにプロテインを入れて飲む。しかし190cmの店員の前では、大人しくコーヒーを注文する。これは喧嘩用ではなく健康目的のための筋肉ですと言わんばかりに。

190cmはとてもモテていた。ニヤニヤしない自販機くらい背のある男はそれだけでモテるものだ。新人なのに要領も良く、気遣いもでき、しかし筆者が見たところ、パートのおばさん達からはとても好かれていたが、同世代の女店員達からはあまり好かれていないように見えた。それはなぜだろう?

同世代の女の子たちは、190cmに目をくれると、ふーん。完全に見た目ヤンキーじゃん。自分からみんなに声をかけてるし、評判いいみたいだけど、私のことも落とせると思ってるんでしょ? いるんだよね、そういう社会派ヤンキー。オレ誰とでも仲良くなれますってノリ、嫌いなの私。私は落ちない。と、若い女性スタッフたちは、性器にアロンアルファを塗ったかのように、ガードを固くしていた。

女性という生き物は、ヤリチン男を見ると一生懸命に勝とうとする。私は落ちない。私だけは落ちない。私はその辺の女とは違う。と、ヤリチンとやらないことで女としての価値を証明したくなるのだ。

ヤリチンより上に立ちたいし、ヤリチンにヤリ捨てられた女たちよりも上でありたい。ヤリチンランドの記念館に自分の墓標を立てられることほど、女にとって不名誉なことはないのだ。

女は目の前にヤリチンがいるだけで狂わせられる。ヤリチンから発せられる信号が、脳内にノイズとなって鳴り響くのだ。そのノイズと戦うように、彼女たちは歯を食いしばっていた。股間も食いしばっていた。

おや? 一際股間を食いしばっている女の子がいる。ちょうどいい、今回はこの子をこの物語の主人公にして話を追っていこう。胸のワッペンに『小西』と書かれている。『小西』? 面倒くさいから『ヤリチン嫌い』と呼ぶことにしよう。

ヤリチン嫌いは、人一倍190cmのヤリチンに対抗意識を燃やしているようだった。

声? かけてくればいいじゃん。でも素っ気なくしてやる。あんたがいくら口説いてきても、私は素っ気なくしてやる。あんたの連勝記録に初黒星をつけるのは私だ。という顔をしていた。

しかし、どうやらそれがかえって悪手になるらしい。はじめからすんなりヤリチンと仲良くなる女よりも、ヤリチンに抵抗しようとする女の方が、落ちてしまうようなのである。

ヤリチン嫌いは自分からヤリチンに声をかけたら負けだと思っていた。ヤリチンの前で迂闊なことを口走ってしまったら、それをきっかけにすぐにパンツの隙間に入り込まれそうな恐怖を覚えた。

怖いのである。ヤリチンといえども、一応は社交上の会話をしなければならない。ヤリチンだからという理由で仕事上の会話を拒んだら、それはそれで自分の負けになってしまう。しかし、この仕事上の会話をしていたら、気づいたらセックスしていそうで、怖いのである。

その心中をよそに、真のヤリチンは決してチャラチャラと女に声をかけたりしないのである。実際に、190cmのヤリチンは業務上に必要なことを必要な温度で交わすだけだった。そうなると、ヤリチン嫌いはますます混乱してしまう。あれ? 拍子抜けね。思ったより声をかけてこない。私の方が素っ気なくしてやろうと思ったのに、私の方が素っ気なくされている……? なんか、返り討ちにあってるみたいで癪ね。Aさんにはあんなに親しそうに話しかけてたけど、Bさんにはそれほど話しかけるわけでもない。私はCさんとDさんの中間くらい。と、自分とヤリチンとの現在の距離を厳正に数値化して考えてしまう。四六時中ヤリチンのことを考えてしまい、考える時間が長ければ長いほど、自分でヤリチンの存在を大きくしてしまうのである。

(声をかけられたらムカつくけど、声をかけられなくてもムカつく。この気持ちは何だろう? 私はどうしたらいいんだろう?)

そして、そういうときは高い確率で仕事のミスを起こしやすくなる。

ある朝、筆者がドトールに行くと、ヤリチン嫌いが店長に怒られていた。シフトを忘れていたらしい。店長に、「工藤君(190cm)が代わりに出てくれたからいいけど、ちゃんとお礼は言っておきなさい」と言われていた。

ヤリチン嫌いはヤリチンに謝った。ヤリチンに謝るのは不本意だが仕方ない。これはどう考えても自分が悪いのだから。すると、なんとヤリチンは、ヤリチン嫌いに強い口調で怒ったのだ!

「小西さん、仕事なんだと思ってんすか? アルバイトだって仕事は仕事なんだから、ちゃんとやってくださいよ」

ヤリチン嫌いはびっくりしてしまった。ヤリチンは女に優しくするものだから、「いいっす、ぜんぜん気にしないでください。俺がシフト忘れたときはお願いしますね」という言葉が返ってくると思っていたのだ。

確かに多くのヤリチンの場合、女のミスをなんでも庇って優しい言葉をかけてしまうものだが、それは二流のヤリチンである。一流のヤリチンは違う。はっきり怒るのである。相手が先輩だろうと言うべきことは言う。

(うそ。口説かれるどころか怒られた。私、ヤリチンに怒られた。私、先輩なのに。でも、ぐうの音もでない。だって私が悪いもの)

声もまたやっかいだった。どこぞの小男のように甲高い声でキャンキャン怒られたら、心には響いても子宮には響かない。190cmの身長になると、総じて声が低いことが多く、渋くて深みがあり、子宮によく届く声だったのだ。低温火傷してしまいそうだった。

勝手に張り合って、勝手に一人相撲して、勝手にミスをしてしまう。ミスの始末を自分でするのならいい。しかしヤリチンがするとしたら? ヤリチンが代わりにお客さんに謝る。ヤリチンが代わりにシフトにでる。そんなことが続いたら? そうやってヤリチンのことを考えれば考えるほど、ヤリチンの存在が大きくなっていく。そしてミスも増える。なに、この始末書の山は……? 机の上の始末書が190cmくらいになっとる! もう素っ気なくなんてできるわけがない。ヤリチン嫌いの当初の予定は完全に崩れ去っていた。

ある日、ヤリチンが休憩に入ろうとしていた。休憩しながらコーヒーを飲もうと思ったのだろう。ヤリチンはレジにいってコーヒーを注文した。

「山内さんは何飲みます?」

「え? 買ってくれるの?」

「はい」

「ありがとう。でも、今仕事中だから飲めないし、気持ちだけ受け取っておくね。ありがとう」とおばさんは言った。

するとヤリチンは、「入金だけ済ましちゃいましょうよ。あとで山内さんが作って飲んでください」と言った。

パートのおばさんは驚いていた。15年くらい若返ったような顔をした。

今コーヒーを作って休憩室に置いておくより、休憩に入った瞬間にできたてホヤホヤのものを飲めるようにという心づかいである。

なかなか手の込んだ気配りである。一歩間違えれば不幸な事故を誘発してしまう恐れがある。わざわざこんな面倒な思いをしてまでパートのおばさんにコーヒーを届けたいだろうか? まだ20歳かそこらで、恐ろしい男である。

こういうのはヤンキーの方が上手い。ヤンキーは度胸があるからである。優しさとは総じて度胸に依存している部分が大きい。多くの人が人に優しくできないのは、度胸がないからである。思いついても実行できないで終わるのだ。

ヤリチン嫌いは一部始終を見ていた。あんなふうにおばさん達にコーヒー配っちゃってさ。できすぎだっつーの。私はあんたの策には引っかかんないんだからね〜と思った。思ったが、ふと、考え直した。これだけのことがスマートにできるということは、結婚した後も夫婦生活をスマートに送れるのでは? たとえ浮気の心配のないヤラナイチンと結婚したとしても、冷めたコーヒーをデスクの上に置きっぱなしにするようだったら、結婚生活も冷めきってしまうことになるかもしれない。

(ヤリチンのコーヒー)

ヤリチン嫌いはヤリチンが作ったコーヒーをおいしく飲んでいた。

(おいしい)

お礼をいわなきゃ。でもどうやって話しかけたらいいかわからない。最初、あまりにもブスッとしてしまった。あの顔まだ覚えているだろうか? ひどいブスだった。穴があったら入りたい。股間の穴に入ってしまおうか? あぁ、ダメだ、アロンアルファで塗り固められてる〜

もうヤリチンモードを発動してくれてもいいのに、いつになったら発動するのかしら? コーヒーを買ってくれるとか、そんなつまらない前戯はもういらない。はやく私を飲み干してほしい……!

もしヤリチンがはじめから口説きにかかっていたらこうはならなかったろう。ヤリチンはヤリチンのリズムを通した。彼は何もしなかった。何もしないという仕事をした。「金と女は追うな」という格言があるが、それは今回のようなことをいう。

『罪と罰』でポルフィーリーがラスコーリニコフを追い詰めたように、ヤリチン嫌いは完全に蜘蛛の糸に絡め取られていた。もがき、苦しみながら、自分から一生懸命に糸を巻き付けながら進んでいった。自分から、糸の中心へ、中心へ、もがきながら進んでいった。

恋する女がいれるコーヒーは美味しい。小生はヤリチン嫌いが作ったコーヒーを飲んだ。蜘蛛と糸とポルフィーリーの含みのある笑いがブレンドされたような味がした。

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