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くそどもが

動画について、よく考えている。

動画は、核となる一点を、何度も擦り続けるのがいい。

いちばん生命力が輝いている部分を見つけて、そこに留まり続ける。擦り続ける。

あまり包括的に色んなことをぶち込むよりも、たったひとつのいちばんエッセンスが凝縮されている、すなわちその作品の「顔」なるものを執拗に攻めるということだ。

導入が長かったり、細部のことまで余すことなく語ろうとすると、だれてきてしまう。胸の中のいちばん激しく流れる感情を感知して、それを明らかにし続ける執拗さが必要だ。

鴨頭さんはよくそれをやっている。ヒトラーもやっている。ヒトラーの我が闘争にもそうやるといいと書いてあった。ジャルジャルのコントもそんな感じだ。

人間のもっとも感情的な部分をつく。そこでまくし立てる。そこから離れない。嵐を起こす。ひたすらそこを擦り続ける。

話し手も、受け手も、そこに留まりたいのである。あっちこっち話が散らかると、聴くのがしんどくなる。

このように、情報を完璧に語り切ろうとすると生命が死ぬわけだが、それだと構造的なトークができなくなる。それにより深みが出せなくなる。鴨頭さんぐらいになってくると、構造的なトークもできてしまう。多角的なトークでも生命を失わない。

落語家になってくると、一人十役なども珍しくないらしい。このような全体を御しきれる力は場数を踏まないと養われてこないだろう。小生は今のところ、そのときの一点の感情を擦り続けるという極めて小さな範囲にしか光を当てることしかできない。

大きな感動を起こすには、複雑な構造をうねうねまわりながら、ドッドッドッドッと、らせん階段を登っていくような、すべての布石がその頂きに結集される必要もあるだろう。ドストエフスキーの小説のように? いや、もっと単純化を目指すべきか。

あまり小さな成功だけを収めたとしても、自分の人生観を変えてくれるものでもないなら、わざわざ時間をとって見るものでもない、どんなに手軽でも見ない、と思われることになる。

しかし、楽しい! これほど挑戦のしがいがあるものはない!

台本は書くべきか。一応記事で書いたものを喋っているのだが、記事で書いたままを喋べろうとすると、まず失敗する。

人は、そのときに去来した新鮮な感情にしか、人を感動させる力は宿らない。

予め用意したものを話そうとして、順番通りに思い出しながら話すと、死ぬ。あるいはメモを見ながら話すと、死ぬ。トークの生命が死ぬ。

話しているときに思いついたこと。これは何がなんでもいいたい! 今ならこの言葉がバッチリはまる! という瞬間は、まさしくバッチリはまる。それはそのときの瞬間でないとダメだ。タイミングをひとつ逃すと、もうつまらなくなってしまう。瞬間、瞬間に、思いついたものを話し続けることができたら、それがいちばんいい。

おそらくそれは自分自身が感動するからであろう。もともと用意したものを話しても、自分が感動しない。自分が感動しないと人も感動しない。

動画は、話すことがはっきりしていないと、何も話せなくなる。動画をやりだしてから、自分が今までどれだけ曖昧に情報を発信してきたか、思いしらされた。

動画を撮り出してから、人間力がUPしてきた。これはYouTuberの多くの人が体験することらしい。瞬時に言葉が出るようになるし、人前にでても声が大きくなる。晴れ晴れとした態度でいられることが多くなった。気持ちがいつもはっきりする。

はっきり大きな声で自信をもって話さないと、人はその動画を見れたものじゃない。まず自分が題材に精通し、はっきりと物事を捉えるようになるから、いつでもはっきりした態度になるようになる。心には、いくつもの言葉の岐路があらわれるが、いちばん強く光っている言葉を選択する能力が得られていく。

その力は記事にも及ぶ。迷わなくなる。書いているときも、なんとなく次の言葉はこれを選べばいいかなと、判断がはっきりしてくるようになる。動画だと、迷っている時間がないから、次々といちばんはっきりした部分を選択していかなければならない。

動画を撮るようになってから、記事の質が上がった。それは最近の投稿の質と量を見れば明らかだろう。話し言葉で書くようになるから、スムーズに読みやすい文体が確立されていく。

まあ、いろいろ難しいことをいったが、己の胸の内側のもっとも輝いている部分、それをおもいっきり打ち出すことができたら、それでいいだろう。それ以上ありようはずもない。

小生には夢がある。

何も持たずにカメラの前に立ち、ただ話して爆笑をかっさらって去っていく。そんな落語家もどきでありたい。それは記事ではできないことだ。

自分の胸のいちばん奥にある光を、トークとひとつにする。

ずっと前から夢想していた。自分がカメラの前に立ち、凄まじい爆笑を起こしている絵図を妄想していた。ずっと動画は撮りたいと思っていた。でもできなかった。記事と比べると、余りにもお粗末だからである。とくに構造的な深度が桁違いだ。動画だと直線的になってしまう。だから仕方なく、記事を書き続けるしかなかった。

記事の力を活かすために、エロゲー動画をはじめた。これなら、文章力を活かしたまま、リアルタイムのアドリブ力に文章を殺されないまま、小生の良さを発揮できる。絵も音もついている。動画ソフトの演出もある。

しかしこれだと遅くなってしまう。パッとひらめいてパッと出すことができない。その日に書いたものはその日のうちに動画にしたい。エロゲーだと間に合わないのである。気持ちが熱いままに発信しないと、機を逸してしまう。あとで絶対にやらなくなる。実際、書き上げた記事をすべてエロゲー化しようと思ったが、億劫で続かなかった。

そして、そもそも面倒くさい。この面倒くさいというのがいちばんやっかいなのである。手をつけてさえしまえば動画編集なんて5時間程度で終わるが、取っかかりが面倒くさくてやる気がしないのである。記事は思いついて完成していくのに、動画だけ遅れていってしまうのである。そして興味の尽きた、新鮮な感情が失われた作品を弄らないといけなくなる。ここにすべての問題があるように思えた。

速さ、とにかく速さが大切である。

それは、作品が完成する速さではなく、自分の興味が失われない速さである。

人はその瞬間に、パッパとできること以外は長続きしない。小生は記事と動画制作に忙しいが、これがどちらとも、編集に時間をとられるようだったら、絶対続かない。どちらも、無編集だから続けられるのである。これは、イケハヤさんもメンタリストDaiGoも勝間和代さんもいっていたことだ。

人が無編集でただ話している動画など、人は見たくない。小生も見たくない。小生も、そういう動画に出くわすと、すぐにブラウザバックして、乃木坂の歌ってる動画やハースストーンの動画を見る。

だから、やる意味なんてないようにも思える。見られても、恥をかくだけだ。

しかし、そもそも再生が2、3回しか再生されてない。誰にも見られていないのである。そもそもが見られていないのだから、トークが上手くなったところで見てもらえるようになるわけでもない。

無編集、無編集……、いいじゃないか。無編集の記事でも面白いといってもらえることが多いのだから、動画でも無編集でやれるはずである。実際、無編集でやれてる人はいる。メンタリストDaiGo、イケハヤさん、N国の立花さん、鴨頭さん、勝間和代さん、ホリエモン、ひろゆき、そうそうたるメンバーだ。

ジャルジャルを初めとする、お笑い芸人のコントやライブも無編集だ。本当の内容で勝負する人は、編集が邪魔になることが多い。ドラゴンボールやワンピースだって、スクリーントーンが使われていない。二流どころばかりが作品の見映えにこだわる。

小生は地味な行為が大好きだ。バットの素振りを延々とやってられる。テニスの壁打ちも延々と一人でやって上手くなった。記事も、自分の思考や感情を完璧に操りたいという動機でここまでやってきた。動画も、完璧にしてみたい。今はその欲求で撮り続けている。

記事はだいたい300記事を越えたあたりから調子がでてきた。動画も、まずは300本を挙げてみよう。今はまだ50本程度だ。しかし、今ですら、ものによっては記事より面白い動画もある。

動画の流れや性質を見極めることができれば、記事より面白さは上回るだろう。動画の方が情報量が圧倒的に多いからだ。いったって、記事は動画の台本なのである。台本が本番に負けてはならない。

パッとあらわれて、パッと話して、パッと面白いことをいう。それがどうしてできないのか。男なら、それくらいできたっていいだろう。ここに全ての才能を投下する価値がある。

漫画家は無理。頭の中にある映像を原稿に描き落とせない。小説家も無理。長編小説を書き上げられない。お笑い芸人も無理。今さら35歳がどうやって芸人になれるかもわからない。じゃあYouTuberになるしかねーだろうが。

とにかく今は、撮って撮って撮り続ける。書いて書いて撮り続ける。自分の深部感覚と動画がひとつになるように。

今、人生でいちばん最高に楽しい! 昨日も武者震いが続いて寝れなかった。深夜の3時に徘徊してしまった!

鴨頭のハゲだろうと、村上春樹だろうがドストエフスキーだろうがジャルジャルだろうが、岡本太郎だろうが、ダウンタウンだろうが、越えていく。この俺こそが最強最高だとしらしめてやる。俺はいつも歴史と戦っているのだ! そのために挑戦を続けているのだ。再生回数が3? バカが(笑)関係ねーよ。くそどもが。この俺こそが最強だと、それさえ証明できればいい。バカどもが。世界を荒らしてやる。ぺんぺん草いっぽんも生えないくらい焼け野原にしてやる。YouTubeもお笑い芸人も、たった一人のよくわからない男に全員やられる。たった一人の男がカメラの前で話すだけで、巨億の富で作られたハリウッド映画が為す術もなく倒される。

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