うちの母親は夕食を作るさいに、下ごしらえを3時間ぐらい行う。完成された料理は7品か8品くらいの、色とりどりのおかずやフルーツが立ち並んでいて豪華だ。
一品の量が多くないが、品目が多く、種類が雑多なので、旅館の料理みたいだ。これが毎日続く。
ひとつの大皿に盛り付けてしまえば、洗い物も楽だろうに、そういうことはしない。
主婦歴は30年以上になるが、料理に目覚めたのは10年ぐらい前からだ。
初めからこんなに頑張ってはいなかったが、だんだん慣れていくうちに手が込むようになってきた。
ここ最近は更に進化していて、料理本を見て勉強しているし、生協の食材を選んでいる時の顔は凄まじいものがある。
本人は自分はいたって普通の主婦で何の取り柄はないと考えている。
十数年怠ることなく、毎晩これだけの料理に挑む主婦なんてどこを探してもいないのに(おそらくプロの料理人でもいない)、自分ではその価値に気づいてはいない。
しかし残念ながら、その息子は断食にはまって不食の境地を目指しているので、産んだ方も産まれた方もタイミングを間違えてしまった。
得てして人間というのは自分の長所に気づけない人が多い。
正直俺だって自分の長所がよく分かっていない。
他人には面白いと言われるから、とにかく面白いことをするしかないと思っている。
夜な夜なバットを振っていて凄まじく綺麗なスイングができることもあるし。
この前友達とボクシングした時、ジャブ一発で相手を吹っ飛ばした時は、凄まじくびっくりされて、俺自身もジャブで体重を思い切り伝えて相手を吹っ飛ばすことができるなんて、プロの格闘家でもなかなかいないんじゃないかと思った。
昔ボクシングをしていたが、32にしてやはり格闘家になるべきか本気で悩んだりもした。
こんなふうにいつも人間はタラレバで苦しんでいる。
はっきりと自分の長所はこれだと神様が言ってくれればありがたいのだが、なかなかそうはいかない。
かっこよくてスポーツ万能でボクシングが上手くて、みんなから面白いと言われて、自営業でそれなりに成功して毎日日曜日のような暮らしをしていて毎日温泉入りたい放題で、出会い系の女とたまにセックスして、貯金も1000万以上あって、俺の人生が羨ましくて仕方ない人間がいるかもしれないが、3日に1回は死にたくなる気持ちと戦っている。
まぁそんなことはどうでもいいのだが。
長所ということはなかなか他人からじゃないと見えないらしい。
母親だったらその料理のスキルを活かして YouTube なりブログなりで公開すればかなりの金額を稼げると思う。
正直よその家の夕食でこんなにすごいのが出るとは思えない。
何よりすごいのが3時間も4時間も下準備を続けられるということだ。
何を思ってそんなに3時間も4時間も頑張っていられるのか。
その間一度でも自分は料理に向いていると思ったりしないんだろうか。
正直料理をするために生まれてきた人間と言ったっていい。
この能力をたったひとつの小さい家の中で完結させてしまうのはもったいない気がする。
しかしマザーテレサは自分の家族を大切にすることに心を砕きなさいと言った。それを第一にしなさいと言った。聖書にも書かれていたような気がする。
自分の家族のために時間と愛を使う。それが人間が到達すべく最後の境地というのなら、もう既に母はその境地に達しているのか?
今のままが一番いいのか?