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全てのものを有るものとして、社会に洗脳されて生きている人間が愛とか恋とか言うのが

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俺たちはいつも変なものを食っている。

 

朝起きたら変なパラパラしてないパンを食べて(本当のパンはパラパラするらしい。保存がきくように固形物として固めるために変な化学添加物が加えられるらしい)。

 

そして長期間保存がきくように調整された水を飲んで、会社でも学校でも行く。

 

太陽ととか草木とか空気の存在に見向きもせず、スーツを着たり電車に乗ったりコンクリートの上を歩いたり、すれ違う人間を無視したり、分厚い制服を着た駅員を視界に収めて通り過ぎて、外は鉄の塊が走っていて、会社に着いて挨拶して掃除して。

社会的なことをしている。
社会しかない。
ここには社会しかない。

 

ちゃんとした日の光を浴びていないので、コンクリートや鉄の中に心は全部封じ込められている。

 

人と出会ってたくさん話してるように見えても、何も話してなんかいない。
ただ音を発しているだけだ。

誰もこの世に生きてなんていない。
生活なんてどこにもない。
決まった場所に行って
決まった作業をするだけだ。
その作業も意味はない。ただ人に迷惑をかけているだけだ。
烏合の衆のような顔をして、ただ制服を着てただ仕事している顔をしている。

彼らは仕事を終えて一人で帰っているときや、運転しているときにいつも寂しそうな顔をしている。

自分では気づいていないんだろう。

子供だけが真人間だ。

帰りにサーティワンアイスクリームによって300円ぐらい払ってアイスを食べる。

金とか財布とか取引とか店員とか並べられたアイスとか、全部がちゃんちゃらおかしい。
他に目を向ければ椅子や机や建物やコンクリートばかりだ。

 

誰も生きてなんていない。誰も働いてやしない。
こんな糞みたいな男と女が出会ったとして、一体何が始まるというんだろうか。

恋とか。
そんなものはどこにもない。
いつだってただ社会があるだけだ。
俺たちは社会と付き合って社会と結婚している。
大人になればなるほど社会しかない。 

 

いろんな人が出会って愛とか恋とか好きとか嫌いとか言っているけど、思考停止した猿たちの社会の延長でしかない。

 

この世界にはせいぜい太陽の放つ光だけしかなくて。
人間一人一人の心の中にも太陽があって。
太陽が話す放つ光と同じ精神状態になっていなければならない。それが正常の在り方だ。そこで初めて個としての存在が表れる。

 

自分の心的操作が拙く、精神感知スキルが乏しく、表層の部分や浅い呼吸で人と話して1日が過ぎていく。

腹が減ったら飯を食って、服が汚れたら洗濯して、
暇になったらテレビを見る人間が恋(笑)というものをしようとする。
それがちゃんちゃらおかしい。

短髪で赤いジャージを着て。
少し口をもごもごさせながら。
デパートやフードコートの中をポケットに手を突っ込んで歩いて。
自分は若いから、これから恋が起こる。
当然のように恋が起こるものだと思っている男の顔がアホに見える。間が抜けて見える。

 

やはり空海の言うとおり、この世には何もないのだ。
やっぱり何もなかった。

この何もないことに気づいた者同士でなければ、
恋なんてありえるんだろうか。

 

岡本太郎は究極の恋愛は片思いしかないと言っていたが、やはりその通りなんだろうか。

少なくとも、この世界には何もない。デパートとフードコートもサーティワンもアイスも何もない。椅子も机もない。

 

あるものとして考えているから。
みんな死人のような顔をしているのだ。
やはりおかしいのはそんな奴らが恋とか愛とか言うことだ。

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