理学療法「独立開業・副業・仕事体験記」

授業中に女子生徒の机を蹴っ飛ばした哲学講師

理学療法の専門学校の教師というものは、大学の教育学部を卒業したわけではなく、教育実習を履修したわけでもなく、教員免許を持っているわけでもなく、ただ病院で働いていた経験を買われて学校に雇われているに過ぎない一般人だと言っていい。

病院で勤務する理学療法士の年収は400万円くらいだが、学校の教員になると700万円くらいになる。そのため、現役の理学療法士たちは学校の教員になれるためなら何でもする。コネというコネを頼りに、烏合の衆の経歴を恥ずかしげもなくひけらかし、何とか教職にこぎつけようとする。

理学療法士と聞くと、名前だけは頭が良さそうに見えるから、勉強の毎日なんだろうなぁと市井の人々は思うかもしれないが、なんてことはない。ただの詐欺である。勉強するセラピストは400人に一人くらいであり、基本的には理学療法士は国家試験をパスした後は勉強をしない。筆者は理学療法士時代、本を読んでいるセラピストというものを一度も見たことがなかった。

そのため、彼らが教師になったって、何も教えられることはない。100歩譲って、実技はいい。実技は、病院で自己流で勝手にやっていた施術を、ああでもない、こうでもない、それらしくやってみせれば学生はそのまま信じてしまう。だが、座学はそうはいかない。座学は、先に言った通り、国家試験をパスして以来、解剖学も生理学も、テキストを開くことはないので、あとは、もう、めちゃくちゃなことを言うしかなくなる。ずっと、めちゃくちゃことばかり言っていた。もうめちゃくちゃすぎて、何を言っていたのかも思い出せない。「低血糖よりも高血糖の方が、ヤバくなることが多い気がする。そういうことの方が多かった気がする」とか、印象論みたいなことをずっと言っていた。

教科書の内容をほとんど無視して、自分が病院時代に、流れてくる仕事、あくまで、業務的な内容を、教科書を無視して、あることないことを勝手に話していた! いつも病院での仕事の体験談を話すしかしないくせに、テストとなると、そいつの業務的な内容などテスト問題として成立するわけがないから、テストのときだけ、授業で話してもいない病理上の固有名詞などが散々に入った問題用紙を生徒たちは初めて見せられることになり、生徒たちは、まったくの自習で、それを乗り越えるしかなかった。

こんないい加減がまかり通るのが、理学療法の専門学校である。教師たちは生徒たちから巻き上げた高額の入学金や授業料をレクサスやBMWに充て、帰りはしょっちゅう焼肉を食べに行っていた。医療従事者のくせに、タバコを吸い、教員同士顔を合わせてもパチンコとゴルフと風俗の話しかしない。理学療法の話をしているところを見たことがなかった。しかし、これは学校に限ったことではない。筆者が病院勤務時代によく目にした光景だったが、同僚との昼休憩中に、誰かがへたに医療知識について口にしようものなら、みんなにすごく嫌な顔をされる。やれやれ飯を不味くさせてくれたぜ、頭の中に余計な情報入れさせてくれんなよ、耳にしてしまった以上は一応覚えるしかあるまい、俺たちの職業にいちばん関係ない話してくれんなよ。と、本当に、すごく飯がまずくなったという顔をする。理学療法士たちの昼休憩なんて他愛ない、世間の皆さんが昼ごはんの時に話される会話がそのままリハビリ室で行われる。ここでも、建前がまかり通る。お互いにはっきりと理学療法に興味がないと言うことができれば、次のステップは開かれるのに、それだけはしない。

しかし、生徒たちはもっと理学療法に興味を持っていなかった。彼らもまた、この高齢化社会、医療系の資格は食いっぱぐれがないだろうと考えて入学してくるのであるが、いーからさっさと資格よこせよ! こっちは18歳かそこらで、人生を諦めて、自分のやりたいことや、少しでも興味のある業界に行きたいという希望を無下にしてやってきてるんだから、その覚悟だけで入学してきたご褒美として、資格をさっさともらえないことはおかしい! と腹を立てている様子だった。

総じて、理学療法士はほとんど、年金生活をしている高齢者を相手にリハビリすることになるが、その意味で、施術者と患者は似ていた。夢と希望を引き換えに手にしたセラピストのまったりとした空気は、おじいちゃんおばあちゃんの持つそれと寸分違わないもので、いつもリハビリ室は明治時代の古本屋のような空気が流れていた。教える者も、教えられる者も、現役のセラピストも、興味がないという狂った世界だった。

しかし、人間の不幸はいつだってしなくてもいい努力をするところにある。教師たちは自分から理学療法を取ったら何も残らないという顔で講釈を垂れ、生徒たちは、「先生! はやく次の『中臀筋の筋力低下によるトレンデレンブルク兆候』について説明してください! 続きが気になってしかたありません!」という顔をしていなければならない。筆者はこの光景を3年間見続けていて、いーからさっさとやめちまえ、そのくだらねー茶番を今すぐやめろと思っていた。互い胸の内はわかりきっているのだから、さっさと吐いて楽になったほうが過ごしやすくなるのに、どういうわけか、これが、どの業界でも、どの社会でも、行われている。なぜ、建前は建前として独立した生命を持ち、権利を主張するのだろうか? なぜ我々は、その幻でしかない生命の前になすすべもないように破られなければならないのか? カンボジアなどはその点、素直である。お互いに仕事なんてめんどくせーから適当にやろうぜと、素直に胸の内を告白するから、慇懃無礼でなければならない郵便局のスタッフさえ、ほおづえをついて、スマホを触りながら接客し、客はその態度の前に楽しそうに世間話をして去っていく。俺はずっとそれをやれと思って見ていた。みんなでどんちゃん騒ぎをして、「理学療法なんてくだらね〜〜〜!! ウェーーーイ!!!」と言って、クラッカーを鳴らしてピザを食べながら授業をやればいいのに(もう最悪、ちんこも出せばいい)、絶対にそっちの方がガキどもの成績も上がるのに、なぜそれをしないのか不思議に思いながら、3年間通い続けていた。

しかし、これは、学校内部における話で、外部講師にとっては、そんなことはどうでもよかった。

週に一回、「哲学」の講師として、40歳くらいの男が外部講師として勤務していた。理学療法の必須履修科目に、なぜ哲学が必要なのか? それこそ哲学と言わざるを得ないが、おそらく、なんとなく豪華な感じがするという、バカ丸出しの考えだろう。理系だけど文系っぽい要素を加えてやれば、なんとなく豪華な感じがするという、マックのバリューセットと同じ考えからきていると思う。哲学という、抽象的で形而上学的なものをサイドメニューに置けば、すごく豪華な感じがしてくるのだ。

哲学講師は、理学療法の「り」の字も興味はなさそうで、ただ自分の雇い先さえ確保できればいいと考えているようだった。事実、いつもそんな顔をして学校の廊下を歩いていた。非常にクセのある男で、なにやら犯し難い雰囲気を持ち合わせていて、「精神的向上心がない人間は馬鹿だ」と顔に書いてあった。冬にサンダルでやってくるし、ヒゲは散らかし放題で、ビニール袋にきゅうりを入れて歩いている姿も見かけたことがある。理学療法の教師たちを頭からバカにしていて、他の教員と交わっているところを見たことがない。まさに孤高の遊歩者という風体だった。学校側も、雇ったことを後悔した顔をしていた。いったい誰だ? あの男を採用したのは。バガボンドの武蔵じゃねーか。道場破りに来たのか? 講師は週に一回しか学校に来なかったが、その他の日は、主に法政大学で弁をとっているらしかった。だから、この学校での仕事などいつでもクビになっても構わないと思っていたから、あんなことをしでかしてしまったのかもしれない。

哲学講師は、授業らしい授業をやらなかった。ただ彼の人生訓、歩んできた道のりを語るだけのものだった。そういう意味では、理学療法の教師たちと似ていたかもしれない。しかし、彼らのような、いい加減なちんちくりんみたいな授業はやらなかった。20代後半に仕事を辞めて、そこから哲学講師になるまでがいかに大変だったか、哲学とは何か、哲学で食べていくことの難しさがお前らに分かるか? いつの時代も、世の中は哲学を必要としていないから、哲学者があらゆる職業で評価を得るのにいちばん時間がかかる。特にショーペンハウエルの話をよく話した。ショーペンハウエルは60歳を越えるまで評価を受けることがなかった。学説的な論述をいくら書いても売れないから、世に対する恨みつらみを込めたエッセイ本を出して、やっと晩年になってヨーロッパにその名を轟かすようになった。哲学講師はそんな話をして、「んー、俺も40だから、あと10年くらいかなぁ? あと10年したらわかりやすいエッセイ本を出して、それまではまだ君たちにはわからない難解な論文の方を書き進めなければならないんだ」と言い、その彼の書いた難解な著作が、学校授業の指定教科書にあてられていた。確かに理解に苦しむ内容で、このテキストに沿った内容をやられるより、YouTuberのライブ配信のような授業をやってくれることはありがたかった。なぜかショーペンハウエルより10年早い計算になっていたが、このように、妄想だかわからない、およそここでしか聞いてもらえないような話をずっとしていた。この学校は、どうしてどいつもこいつもテキストを使わないのか謎だったが、生徒に好評だった。生徒たちは、運動学や義肢装具学より、ずっと興味深そうな顔をして哲学を聞いていた。ハンバーガーよりポテトナゲットの方が売れるということがあるのだ。

さて、とある日の午後の授業だったが、いつものように哲学講師が意識の高い話をしていると、三人の生徒がこそこそと話をしていた。一人はメガネ男。二人目もメガネ男。三人目は女の子だった。

哲学講師は、彼らを目にすると、話を中断し、「そこの三人。さっきから何をずっと話してる?」と言った。

三人はとつぜん、自分たちが矢面に立たされたことに驚いた。

「何を話してるの?」と哲学講師は言った。

「何を話してたか言ってよ」

「…………」

三人は黙っていた。

すると、どっちかのメガネの男が「すいません」と言った。

「いや、謝らなくていいよ。俺は何を話していたのか聞いてるの」

「……………」

「ん? 何を話してたかわからないことないだろ。数秒前まで話していたことなんだから」

「……………すいません」

「いや謝ってほしいわけじゃないの。いい? よく聞いてね。授業中なのに話してたってことは、それだけ話さなきゃいけなかった内容があったんだよね? その内容を聞いてるの。いや、べつにただの雑談でもいいんだけど。人がさ、こうやって授業しているときに、君たち若者は何を話すもんなのかなって、単純におじさんは興味があるの。わかる? 本当にそれだけ。だから言ってくれる? 何を話してたか」

「………すいません」

哲学講師は笑った。

「うーん、あのさぁ、ここを間違えるのはやめよう? 謝らなくていいの。謝ってほしいわけじゃないのよ。ただ話してほしいの。何を話してたか。本当にそれだけなんだってば」

「…………」

しかし三人の生徒は黙っていた。

「えーーー? 嘘? なんなの君たち? なんで君たちそんなに頭悪いの? 理学療法の学校の生徒ってそんなにバカなの? ちゃんとリハビリできんのそれで? 困ったなぁ。ぜんぜん伝わんないなぁ。俺が悪いのかな? なんていえばいいのかなぁ?」

「…………すいません」

哲学講師はまた笑った。

「怒ってないっていえばわかる? あのね、怒ってないの。だからお願いだから謝らないでくれる? そこだけは約束して? 逆に謝ったら怒るよ? 何を話してたのか話してほしいだけなんだってば。だから、もう一度聞くけど、何を話してたの?」

「…………」

「な・に・を・は・な・し・て・た・の?」

「………………」

「おいおいおい! 嘘でしょ? 君たち嘘でしょ? 自分がいま話してたことだよ? わかんないわけないじゃん! そして俺は怒ってるんじゃないって何度も言ってるじゃん!」

「…………」

「えええーーー! うそ! 今の子ってこんなに何もできないの? ちゃんと買い物とかできんの!?」

三匹の子豚は、どこまでも怒られていると思っていた。だから怒られている人間の態度を貫かなければならないと思っていた。すべての不幸は、配布された問題文を読み違えていたことにあった。その問題文の答えはとても簡単だった。小学校一年生でも解ける問題だった。「今朝、おにぎりを食べました」と書けば、それで100点をとれた。最悪、「暑い」でも、100点をとれた。哲学講師は呆れ返っていた。講師は生徒を傷つけたいわけではなかった。講師自身も、こんな茶番はさっさと終わりにして次に行きたかった。はやくショーペンハウエルの話をしたかった。しかし、講師は、途中で気づいたのではなかろうか? これこそが彼らにとって必要な授業だということに。それこそ「哲学」だということに。彼らがバカだということはわかっている。反省していることもわかっている。しかし、沈黙で終わりにしてしまっていいのか? 謝罪で終わりにしてしまっていいのか?

「あー、代わりに二人のどっちかが答えてくれると思ってんだろ? 頭悪いくせに根性も悪いなお前ら。しょうがねえなー。じゃあこうしよう。おいメガネ。あーメガネ二人いるなめんどくせえ! なんでメガネのくせに雑談してんだよ! じゃあお前、青いシャツ着てる方のメガネ、そうだお前だメガネ一号。この先はお前にしか聞かない。よかったな残りの二人、お前らは解放してやる。メガネ一号、お前が答えるまで終わらないよ。授業が進まなくてみんなの迷惑になるからはやく答えろ」

メガネ一号の中にほとんど慢心などはありはしなかったが、そのわずかに残っていた慢心すら奪い去られた。メガネ2号と女子生徒は、今にも打ち上げを開いて乾杯をしたそうな顔をしていた。

メガネ一号はしばらく沈黙して、「……………………すいません……………………」と、さっそく、言ってはならないことを口にした。

「だから謝るなっつってんだろうが! 俺は怒ってねーんだよ! お前が謝るから怒るんだろうが! いい加減にそれを理解しろ!」

「……………………」

メガネ一号はそれでもわからないようで、目が悪くなるまで勉強してきたこれまでのどの問題と比べても、こんなに難しい問題に出会ったことはないという顔をしていた。

講師は教壇のいちばん近くにあった女子生徒の机まで歩いて行った。女性生徒の机の前に立つと、「いいか? 次すいませんって言ったらこの女の机蹴っ飛ばすぞ? めちゃくちゃに散らかってみんなの迷惑になるから、はやく答えろメガネ一号」

とつぜん、そう言われた女子生徒は、ハトが豆鉄砲を、いや、バズーカを食らったように驚いていた。あたし? え? これは何? 私は何を見せられている? (トイ・ストーリー?)(桃太郎?)彼女は自分が何の劇を見せられているのかわからなかった。自分がその劇のヒロインになっていることはもっとわからなかった。

「おいメガネ一号、たった一言だろうが。何でもいいから話してたこと言えって言ってんだよ。それで終わりにしてやるから。男見せろよ。一言だろうが」

「…………」

哲学講師は、「あーしょうがねーな」と言って、「10、9、8、7、……おーい、メガネ一号。10終わるまでに言わねーと、マジで女の机蹴るからなぁ〜? この女を救えるのはお前しかいないぞ〜?  5、4……」

こんな男がいるのか、と生徒全員が思った。そして同時に、この男はやると思った。他人にこれだけの男らしさを要求する男である。自分に男らしくない結末を許すはずがない。メガネ一号のメガネは、教室中の男子生徒をお父さんに、教室中の女子生徒をお母さんに、映し出していた。しかし、その期待をよそに、教室には愉快犯が潜んでいた。彼らはニヤニヤした笑みを浮かべて、教室中のメガネが全滅するまでやってほしい……! と、医療従事者にあるまじき悪魔のような考えを持っていた。涙を浮かべている生徒もいた。子宮のなかに匿ってあげたいという顔をしている女子生徒もいた。

「3、2、1」

3を下回っても秒読みの速度が変わらないのが彼らしかった。凄まじい音がした。机は見たこともない飛び方をした。教室中の全生徒は、本当に哲学講師なのか? 体育講師ではないか? と思った。

「10……9……」

体育講師はまたカウントダウンを数えだした。

「俊哉(としや)、がんばれよ」

「俊哉……!」

「俊哉がんばれ……!」

男子生徒たちがメガネ一号を応援し始めた。

「俊哉……! 俊哉……!」

「俊哉がんばれ~!」

「俊哉いけるって! がんばれ!」

「俊哉くん……!」

「俊哉くん……! 俊哉くん……!」

女子生徒たちも応援し始めた。

「メガネ一号、このままでいいのか? 今日変わらなかったらいつ変わるんだ!」と哲学講師が言うと、お調子者の男子生徒が「今でしょ!」と言った。後ろの男子生徒が頭を引っぱたいた。教室に笑いが生まれた。

「メガネ一号、理学療法士になるんだろ? 患者さんの前でも黙ってんのか! メガネ一号!」

メガネ一号は意を決したような顔をして、口を開いて言った。

「……すいません」

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