「そうだ風俗、行こう。」
6月27日、火曜日。火曜日というだけあって暑かった。その日は、11時〜13時のあいだ出前館をやって、5件の配達を行った。収益は3500円だった。2時間で3500円稼げれば文句はないだろう。
配達をしている時、ラブホテルが目に入った。ピンク色のどデカいベッドで大の字に広がって、乳首を舐められ続けたいと思った。
女に対し、あらゆる義務や権利を除いて、ただ願望だけを見たとき、60分乳首を舐められ続けたいというのがある。しかし60分も乳首を舐めてもらうことは、金を払っている分を鑑みても相手が気の毒になってしまう。ひろゆき氏は、嬢の無理している姿に心が痛くなってしまうから風俗に行けないと言っていたが、ひろゆきにこういう部分がなかったら、ここまで人気は出ていなかっただろう。個人的には、嬢に60分乳首を舐めさせるひろゆきの方が興味深いが。
なんたって底辺層は、みんな激しい肉体労働を科され、泥に塗れ血反吐を吐き、それを風俗に還元せずにはいられないのか。街ですれ違う出前館の配達員を見ると、ぜんいん風俗のために出前館をやっているようにしか見えない。「お待たせいたしました! お熱いうちにお召しあがりください!」とインターホンに向かって叫ぶあの高潔な姿も、風俗に飲み込まれていく己を救済せんがためにアップアップと水面から顔を突き出して声を上げているようにしか見えない。
もう2年くらいセックスしてねえなと思って。その2年前にセックスしたという女に、「セックスしないとバカになるよ」と言われて。なんで女のくせに男目線で語れるんだ?と思ったが、あれは自分に向けて言った言葉でもあったんだろう。多くの男女は知性を保つためにセックスが必要だと考えている。セックスをすれば頭が良くなるのか、それとも悪くなるのか。およそ世間の人情風俗を観察するほどの人なら、考えたことがあるテーマだろう。
『およそ世間の人情風俗を観察するほどの人ならだれでも、童貞の男女は、頭のはたらきが完全で、迅速で、しかも完璧なことに感心しないような人はいないだろう。童貞には、あらゆる畸形なものと同じように、独特のゆたかさと、強烈な偉大さとがある。生命は、その力が節約された結果、童貞の人にあっては、抵抗力と、はかりしれないほどの持続力を持つようになる。頭脳は、余力がつもりつもってたいへんゆたかになっている。純潔を守る人が、自分の体力なり精神力なりを必要とするとき、行為や思索の力をかりようとするとき、筋肉のうちに、鋼鉄を見出し、知性のうちに、先天的な知恵を見出す。それは悪魔的な力であり、意志の魔法なのである』 バルザック
思いついてからは早かった。いったん家に帰って、スマホで調べて電話して、15分後にはホテルのソファでくつろいでいる自分がいた。この感覚は懐かしい。足をバタバタさせながら嬢を待つ俺の姿があった。
12年ぶりの風俗か。
俺は壁に向かってただいまと言った。
これまで風俗は5回ほど行ったが、風俗はそれほど好きというほどでもなかった。出会い系でセックスまで持ち込んだときに比べるとつまらない。出会い系は、10時間だろうが20時間だろうが、一晩中、一日中、時間を気にせずにエロい事ができて、抱きしめ合ったり、ぼんやり宙を見つめ合ったりできるが、風俗にそれを期待するのは無理がある。
14時。頭の悪そうなホテルでぼーっとしていた。変な山奥にあるせいか、スマホの電波が圏外になっていた。これはまずかった。風俗の店にはホテルの部屋番号を伝えてあるが、嬢が急死したとか、何かのアクシデントがあって電話がかかってきた時に出ることができない。楽天モバイルだからだろうか? 本当にバカだな、楽天はと思った。仕事に忙しくて風俗に行く暇がない三木谷社長が俺に嫌がらせしているようにしか思えなかった。60分20,000円。出前館で一生懸命ためた金がセックスなしで消えたらどうしよう。
フロントの電話は繋がるだろうから、フロントの電話を借りて、風俗の店に電話をしようと思ったが、そうしたらフロントに風俗で来たことがばれてしまう。
めんどくせーっと思った。なんだかもう疲れた。ゆっくり寝たい。いちばん暑い時間帯に2時間も働いたから、すでに身体がクタクタだ。こんな調子でセックスできるんだろうか、と思った。なんで俺は今日を選んだのだろう? 暑さで頭がやられてしまったのだろうか? 死もオーガズムも似たようなものだから、とどめを刺されにやってきたのか?
どうも今日は、今日というより、5年くらい続いている状態なのだが、頭が一つの場所に固定されてしまっているような、釘で打ち付けられたような、頭が動かない状態が続いている。ものぐさな科学者のように、外部にも内部にも頓着がなく、はたから見たらぼーっとしたような、変化がないような、一箇所に固定された状態が続いている。たんに頭を働かせるのがめんどくさいだけかもしれないが、自分でもなぜ生活できているのかわからない。こんなのが公道を走っているのは恐怖だ。ニート生活が長いとこうなってしまう。今もこの感覚で文章を書いているのだが、文章を書く上では役立っている。一点に固定されているから、迷いがなく、滞りなく進んでいく。これが良いことか悪いことかはわからない。川に流れているゴミのような感覚である。この状態のまま女に会おうとしている自分が恐ろしい。まったく緊張していない自分が恐ろしい。
ベルが鳴った。ドアを開けると、40代くらいのドライバーの男が現れた。俺よりももっと頭が固定されていそうな顔をしていた。俺よりももっとゴミとして川に流されるのが上手そうな顔をしていた。先輩だと思った。ぽうっと虚ろな目をしていて、本人もなぜ自分がここに立っているのかわからなそうだった。俺が「どうも、ご苦労様です」と言ったら、男は「は?」と言って、俺の顔にゴミでもついているかのように、不思議そうにじーっと俺の顔を眺めてきた。しばらく俺の顔を見つめていたが、「あ、あ、あ! はい! ははは! どうも、いえいえ!」と言って、川が恐ろしい勢いで流れ始めた。今度は比喩ではなく、デリヘルドライバーはゴミのように扱われているため、人間らしい労いの言葉をかけてもらったことがないのだ。愛がないとこうなってしまう。誰もが、この男にはお礼を言わなくてもいいと、そう思わせる顔をしていた。男の後ろに女の子がいた。すごくブスッとした顔をしていた。ここに来るまでの間、車の中でずっとこの顔をしていたことは想像に難くなかった。部屋に入ってからスイッチを入れればいいと思っているらしいが、それでは遅いくらい、二日も仕事をすれば気づいてもよさそうなものだが。ひろゆきと同じで、俺はこの顔を見たくなかったから、風俗に乗り気ではなかったのだ。
20000円を運転手に払うと、運転手は静かな川の中に戻っていった。女の子が入ってきた。女の子はとても背が高かった。173cmくらいあった。運転手の男が手乗り文鳥に見えたし、そこらの男よりデカいんだから、注意書きとして書いとかなきゃクレームがくるレベルだ。20000円払って自分よりでかい女とセックスしたい男がいるだろうか? 女の子は、色が異様に白く、肌荒れがひどく、びっくりするほどホクロが多く、顔や肌全体がカブれていた。耳が特にひどく、松明の上で横寝してきたかのようにケロイド状になっていた。へんな液体やローションを使いすぎたためだろうか。年はとても若く見えた。
「こんにちは、よろしくお願いします」と俺が言うと、「よろしくお願いします」と女の子は言った。さっき男のちんこを舐めたばかりの口が開いたと思った。「うららちゃんでしたっけ?」と俺は聞くと、「え? ああ……」と、女の子は黙りこんで、しばらく考えて、「あ、はい!」と答えた。自分の源氏名すらろくに覚えてないのか。今さっき会っていた客にはどうしていたんだろう?
「お兄さんが大きくてよかった。静岡って小さい人しかいなくないですか?」と、うららちゃんは部屋に上がるなり、ぶつぶつ不定愁訴を漏らしていた。背の小さい客の男に「この女型の巨人が!」と石でも投げられたんだろうか? うららちゃんは俺の方を見て、「まずは一緒に座ってお話ししましょう」と言ってニコリと笑った。その顔がとても可愛かった。ブスッとしている時はブスにしか見えなかったが、笑うととてもいい顔になった。俺はうららちゃんの顔をいろんな角度から見ると、2、3カ所可愛い角度が見つかり、正面から見たときにそれらの角度の脳内補正がかかって、とても可愛く見えるようになった。
「デリヘルはよくやりますか?」
「はは」
初めに言われたセリフがそれだったから笑ってしまった。お酒は飲みますか? みたいなテンションだ。
「12年ぶりなんですよ」
「え、なんで急にまた?」
「いや、ほんとにさっき、ほんとに15分くらい前に、ふと思いついて」
「あー、ふとやってみようかぁみたいなノリで?」
「はい」
「半年に一回はスッキリした方がええですよ」
「ははは」
男みたいに言いやがる。
女の子は変なコップやら液体やらローションやらをカバンから取り出して、「ちょっと準備してきます」と言って、浴室と洗面台を行き来し始めた。同時にいろんなことをやっていた。プロとはいえ、女の子は本当に同時に何でもできるなと思って眺めていた。うららちゃんは全ての作業を終え、浴槽に湯を溜めはじめると、湯のかさが増えていくさまを放心したように見つめていた。時間稼ぎなのか、一種の精神統一なのか、邪魔してはいけない時間のように見えた。嬢がやってくる前にあらかじめ湯を溜めておくようにと、風俗雑誌にはいちばん目立つところに書いてあるが、今日の俺はそれを守らなかった。時刻は14時過ぎ。2、3件くらい客の相手をしてきたのだろう(そんな時間に風俗やる奴なんて出前館の配達員しかいねーけどな!)、女の子は少し休憩したそうな様子だった。しかし、俺は風呂なんて入りたくないので、「シャワーでいいかな? 湯溜める必要ないよ」と言った。すると、女の子は、がっかりした顔をして、「シャワーでローション落ちればええけど」とぶつぶつ文句を垂れていた。
裸は多大な情報をもつ。同じ人間なのかと疑いたくなるほど、不思議な身体をしている人間が存在するものだ。変わった身体をしている人は絶対にそれを人に見せたがらないから、我々はオーソドックスな身体だけをTVやYouTubeで見ることになる。うららちゃんの身体は変わっていた。俺は何度も目を疑った。あまりにも乳首が大きかった。数年間、洗濯バサミで挟み続けたように膨れ上がっていた。ちょうどドアノブくらいのサイズがあった。ふざけてんのかと思った。しかしふざけようはずもない。肌がすごく白いだけに、ぶたれたようなところどころの赤い箇所が目立っていた。彼氏に暴力でも振るわれているのだろうか? そして、ホクロが異常なくらいに多かった。
うららちゃんはシャワーの温度を何度も俺に確かめてきた。うららちゃんの関西弁が気になったので、「関西の人?」と聞いた。
「大阪やねん」
「大阪か」
「うん」
「大阪って、電車の中でも人が喋ってるって本当?」
「電車にもよるかな。外国人ばっかりの電車はそうかもしれへん」
「外国人がうるさいのか」
「まぁ」
「俺は大阪に行く事はもう一生ないかな」
「えー、なして?」
「なんとなく」
「USJは?」
「USJはかまいたちのコントで初めて知ったもん。それまで知らなくて、友達にもすごくびっくりされて。よくUSJ躱わしてこれたなって」
「そっちが先なんや」
「うん」
「じゃあTDLは?」
「それは知ってるよ」と俺は言った。「TDLを知らない男がいたとして、それを信じてもらえるなんてことがあるのかね? だけど、それでいうUSJが、人によってはそういうことってことかぁ」と俺は呟いた。
「この辺だと富士急で間に合うもんなぁ」と、うららちゃんは俺の哲学的な問いに一瞬も思考を巡らすことなく言った。
「富士急も行かないけど」と俺は言った。
「じゃあ何するん?」
「なんで遊園地が前提なの」と言って俺は笑った。「乗り物に乗っても、座標が変わるだけだしなぁ」と俺が呟くと、うららちゃんは「座標?」と聞いてきた。俺は「まぁ」と答えて流した。
「じゃあ趣味とか、いつも何をやるのが楽しみなんですか?」
「150キロ投げられるように、壁に向かってボール投げてる」
「150キロ? それは速さ? 重さ?」
「速さ」
速さか重さかもわからないのか、女ってやつは。
「野球やってはったんですか?」
「いや特には」
「なんでそんなことしてはるんですか?」
「よく運動しましょうとか言うけどさ、いろいろ身体動かしたり、体操したり、マラソンとかして、それで運動の効果は得られたとしても、技術的な部分が何も身につかないのは寂しい気がしてね。どうせ運動するんだったら、150キロ投げられるようになったり、テニスが上手くなったりとか、特殊技能もついでに欲しくなっちゃうというか。意識が高いのかわかんないけど」
「へー」
こういう話をすると、熱心ですねと感心されるものだけど、うららちゃんには何一つ響いてない様子だった。もう幼少期から、何らかの専門性を特化しようという試みを完全に切り離している人種に見えた。女は男ほど自分の能力や可能性に期待して生きていないかもしれないが、風俗嬢となるとそれは顕著になる。
俺は変なスケベ椅子みたいなものに座らされて、変なローションをちんこにかけられた。
「お兄さん細いですね。くびれがある男の人は初めてですよ」
「食べても太らないタイプで」
「私もです〜」
「お姉さんも細いね。女の子は服着てると細く見える子が多いけど、脱いでも細いっていうのはすごいよ。本当にそんな子めったにいないもん。男の細さより断然難しいと思う」
「そうですか」と言って、うららちゃんは照れながら嬉しそうに笑った。「私も食べても太らないんです。これって身体に悪いらしいんですよね。ちゃんと栄養吸収できてへんっていうか、食べたものがそのまま……、汚い話で恐縮ですけど、そのまま出ちゃうっていうか」
「よく噛んでる?」
「いや、噛まないんですよ」
「食べるの早い?」
「めちゃくちゃ早いです」
やっぱりと俺は思った。「やっぱりこれは早食いが影響してる気がするね。ゆっくり食べる人って身体がしっかりしてる。ちゃんと消化されて栄養になるんだろうね。早食いの人の方が太りやすいって説もあるんだけど、細い人って見てるとみんな食べるのが早いんだよね。YouTubeの大食いの人もみんな細い。だけど、歩くのと一緒で、食べる早さってなかなか直せるものではなくて。仕事と食べる早さも関係しているようで、仕事が早い人は食べるのが早い。歩くのも速い。これに関しては今のところ外したことがないよ」
「そうなんや」
「……」
やっちまった。遊園地のことは何も話せないくせに、食事のこととなるとうるさくなる。風俗に来てまで食事のことを熱く語るとは思わなかった。
「うーん。汚い話で恐縮ですけど、食べたものがドーンってそのまま下に降りてくる感覚やねん」
風俗嬢が恐縮なんて言うんだなと思った。
※
「ええで」
シャワーで全身を洗い流してもらった。ちんこに多少の水滴がついていたので、俺はペッとそれを払うと、浴室から出て、ベッドに向かおうとした。
「え? 拭かんと」
「ああ」
「……」
うららちゃんが奇異のような目で、じーっと俺を見てきた。
この時、非常に長い沈黙が生まれた。
「なして拭かんの? え?」
「……」
「え……?」
「……」
「なぁ、よく人におかしいって言われへん?」
「言われないよ」
「嘘や」
「……」
「言われるやろ」
「うん」と言って俺は笑った。
まぁ、さすがに、シャワーを浴びた後にタオルで拭かない人間がいたら、狂人に見えるところはあるかもしれないが。これには理由があったのだ。身体が濡れていたら俺だって拭くけど、たいして濡れていなかったのである。変なスケベ椅子みたいなのに座らされて、ちんこに変な液体をかけられ、ちんこにシャワーをかけられ、ちんこ以外はそれほど濡れなかったのである。だからちんこについた水滴を払えばそれでよかった。ポーズとして、拭く体を装えばよかったかもしれないが。
うららちゃんは宇宙人のように俺を見ていた。うららちゃんって名前の方が宇宙人っぽいが。俺としては、関西人の方がガサツというか、完全な人間として見れないところがあるが、関西人に呆れられると、どうしていいか分からなくなってしまう。
「なんか、すごいな」
「……」
「見たことないかも。こんな人」
「そうか」
こんなことですごいって言われても何も嬉しくないけど、こういう天然をしでかす時が他人から一番すごいって言われてしまう。それほど世の中ではピュアの鮮度が刺さるっていうか、面倒くさがって大雑把な行為をする時がいちばん変人に思われる。少しは焦って取り繕えば汚名も返上できるのは知っているが、それもやらないから余計に変に思われた。変人っていうのは、つまるところ、取り繕うことをやめた人間をいうのだ。彼らのあの無機質な、まるで血の通ったものを匂わせない、コンクリートの擬人化のような風貌の中には、こうした熱い人間性がいつでも滾っているのだ。
さっきまで楽しく会話ができていたのに、と俺は思った。シャワーのあと身体を拭かないだけで関係が壊れてしまう。この関係の方がよほど水滴より儚いものに思われた。この状況でこれからセックスすることを思うときつかった。なんなら、この文章をうららちゃんに読ませて疑いを晴らしたかった。この文章を読めば、俺が決してコンクリートの擬人体ではなく、ちゃんと血が通った人間であることはわかってもらえただろう。この文章が何かの間違いでうららちゃんのカバンに入ってくれたらどれだけ嬉しかっただろう。
なんだかもう疲れてしまった。俺は虫の息になってトイレに行き、用を足すと、トイレから出てきたところで、うららちゃんが先ほどの宇宙人を見るような目でまた俺を見ていた。
「え? トイレ行ったん?」
「うん」
「今、消毒した意味ないやん。トイレ行ったら、また消毒しなきゃならないやん」
「ああ」
そういうもんか。
「なぁ、ほんまに大丈夫?」
「うん」
「フェラしないならええけど」
「……」
「するやろ?」
「うん」
なんで怒られながら、フェラするとかしないとか、そんなやりとりしなきゃならないんだろう。
うららちゃんは少し怒ったような顔をしながら、ローションセットを持って浴室に入っていった。俺もバツの悪い顔をしながら、担任の女教師の後に続いて職員室に入っていく小学生のように入っていった。
クソ、風俗すらまともにできねーのか、俺は! 本当に、風俗嬢ってこういう時に怒りを隠せれねーから風俗嬢なんだよ! しかしなぁ? 俺は初対面の人間に、そんなに変人だ変人だって言ったことねーぞ? 面と向かって言うかぁふつう? 俺から言わせりゃ、そんな失礼なことを平気でできる方が変人だ。人を変人変人って言い続ける失礼さに気づかない鈍感な人間に……。セックスする前に変人変人言われて、色気も何もあったもんじゃない、セックスとかわかるんだろうかと思われていそうだ。わかってるから風俗に来たんだろーが! どうしてこんなにガサツなんだ? 関西人だからか? 女だからか? 男の方がこの辺りは繊細な気がするんだがなぁ、男だったら初対面の人間に変人ですねなんて言わないし、言ったとしても今俺が抱いているような気持ちにさせないように工夫するもんだ。たとえ相手がシャワーの後に身体を拭かなかったとしても、だ。そういう意味じゃ俺の方が常識的だと思うがな。内面の気遣いにおいては俺の方が細やかだと思うんだが、それでも、きっと全ての会社は、俺よりうららちゃんを雇いたいと思うだろう。俺は風俗嬢に社会性で負けた。風俗で自信を粉々に砕かれた。なんのために風俗に来たんだ?(笑)気持ちよくなりに来たのに、気持ち悪い、なんで精液じゃなくて涙を流さなきゃならねーんだ?
俺は部屋の中で、一挙手一投足、神経を注がなければならなくなっていた。金を払って何をしているんだろうと思った。社畜時代、上司の目を気にしながら縮こまって仕事していた気分が蘇ってきた。
もう一度うららちゃんにちんこを洗ってもらった。俺は浴室から出て、今度はちゃんとタオルで拭いて(これも不思議なことに、そのまま、また拭かないでやり過ごしてしまいそうになった。本当だ。習慣というものは恐ろしい。ふと、風の便りによって、ふわっと”タオルで拭く”というメッセージが胸の中に飛び込んできて、やんごとなきを得た。それくらい微妙な差だった)、力尽きている中、やっとの思いでベッドまで行って、倒れ込み、そのままミイラのようにベッドの上に横になった。すると、うららちゃんに、「布団めくらんの?」と言われた。俺は言われたままに、最後の気力を振り絞って布団をめくった。すると、うららちゃんは、また無言で、例のあの目をもってして、「いや、めくらんならええけど」と言い、それ以上の何かを言いたそうな顔をして俺の方を見ていた。
めくるよ! めくればいいんだろ!?
布団めくらないくらいで変人扱いされなきゃならんのか!
布団くらい、めくるわバカが!
まぁ、さすがに、布団めくらないことについてはどっちでもよさそうだったが。
うららちゃんがこの部屋にやってきてから、この15分かそこらの時間で、
1、ちんこを洗った後に拭かなかった。
2、ちんこを消毒した後におしっこをした。
3、ちんこを出したまま掛け布団をめくらずに上に寝転がった。
3点セットのミスをしてしまった。全部ちんこ繋がりだ。
なんだ、このちんこは。もう切り落としちまうか?
うららちゃんは裸体で近づいてきて、ベッドに腰掛けて、「ほんまに変やなぁ」と言った。
「まぁ、天然とはよく言われるよ」
「天然……ていうか、なんか、ドラえもんみたい」
「ドラえもん? どういうこと?」
「頭のネジがおかしいっていうより、ネジが抜けちゃってる感じがする」
「……」
ネジか。まぁ、ドラえもんもロボットだしな。
「じゃあ今からタイマー設定します」と、うららちゃんは、勉三さんが使っていそうな昔ながらのタイマーをどこからか取り出して言った。今から60分ってことだろうか? この空気を考えると長いなと思った。俺はてっきりうららちゃんが部屋に入ってきたところから既に押されているものだと思っていたが、風俗をケチくさく考えすぎていたようだ。「今タイマー残りいくつなの?」と俺は聞いてみた。
「……」
うららちゃんの返事はなかった。おかしい。聞こえているはずなのに。俺はもう一度聞いてみた。
「タイマー残りどんくらい?」
「残り……?」と、うららちゃんは消え入るような声を残して、そのまま黙り込んでしまった。うららちゃんはベッドから立ち上がって、ベッドのすぐそばの客間のソファに向かい、ソファに置かれていたカバンを持って、浴室に入って行ってしまった。
?
は?
なんだあの様子は。てめーの方がよっぽど変人じゃねーか。
おかしい。浴室にはもう用がないはずなのに。それから、うららちゃんは浴室から出てきたと思いきや、洗面台、リビングを行き来して、また浴室に入って行ってしまい、今度は2分くらい経っても出てこなかった。ん? なんだこりゃあ。少なくとも、今、この場合は、うららちゃんの方が変なことをしているに違いないが、一度、変人の烙印をしっかり押されてしまった者に発言権はない、そうやって正義は押し潰されていってしまうのだが、それは風俗でも同じらしい。本当に何をやってるんだろう。俺が変人だからセックスできませんって社長に電話しているんじゃないよな? もうシャワーを浴びる必要もない、水の音も聞こえてこない、いったい本当に何をしているんだ? 俺は全裸のままベッドの上に大の字になって、3分ほど天井を見つめていた。うららちゃんが戻ってきた。俺はもう一度、「タイマーは?」と聞こうと思ったけど、それは決して口にしてはいけないような気がして、目を瞑り、闇の中に葬った。
「じゃあどうしよっか?」とうららちゃんは言った。
「上に乗っかっててほしいかな」
「上? 騎乗位?」
「いや、騎乗位じゃなくて。普通に上に抱きついたまま乗っかっててもらって、ハグみたいにギューっとしながら、乳首を舐めててほしい」
この台詞は、これまで生きてきて口にした中で、恥ずかしい言葉ベストファイブに入ったかもしれない。
「舐めるのは乳首だけでええの?」
「えーっと、全体的に。ちんこも舐めてほしいけど」
「じゃあ、全身リップして、フェラして、最後にハグでいい?」
「うん」
なんだその予定調和な言い方は。「ハグでいい?」って言われるハグのどこに楽しみを覚えろというのか。余計に距離が広がりそうなハグじゃねーかよ。
乳首を舐められると、俺はうああああああとでかい声で叫んだ。別に出さないでもいられるが、出したほうが気持ちよくなれるから、わざと不可避という体でデカい声で喘ぐことが多い。すると結構な確率で、「男の人で喘ぎ声を出す人初めて見た(笑)」と言って笑われる。
最後までドラえもんっぽくあった方がよかったかもしれない。無機質で、何を考えているかわからないロボットみたいな人間が、乳首を舐められると騒ぐので、余計にどういう人間なのかわからなくさせる不思議があった。しかし、騒ぐ俺の様子を見ながら、うららちゃんはよそ行きの顔をしていた。タオルで拭かないことはブーブー言うくせに、乳首を舐められると騒ぐことについては何も言わなかった。俺のせいで、街を歩いている静かなサラリーマン達の株を下げてしまったような気がした。彼らはどこか犯し難い雰囲気を漂わせて街を歩いているけれども、ひょっとすると、彼らの正体は、乳首を舐めればみっともなく騒ぐ小物が正体なのではないかという間違った認識を、うららちゃんに与えてしまった気がした。
※
「どうやった? 12年ぶりの風俗は」
「よかったよ」
「そう」
「風俗はあともう一回だけ行って、それで最後にしようと思ってる」
「そのもう一回は何なん?」
「なんだろう、もう一回行かないと気が済まないというか、終われないというか。ある種の決着かなぁ?」
そうは言ったが、本当はあと3回行こうと思っていた。今回が消化不十分だったせいか、もうこりごりだと思う反面、ナンバーワンの女の子と、別の店舗のナンバーワンの子と、たまたま写真で気になった子、計3回。6万以上かかるが、それで最後にしようと思っていた。何がどう違うのか、確かめたかった。
「なんか淡白そうなかんじがするもんね、お兄さん」
「そう?」
「うん。なんか恋愛とかしても、淡白そうなかんじがする」
あれだけ乳首を舐められて騒いで淡白か。女の子の評価ってわからないな。
「でも、この人はって人に出会ったら、すごく上手くいきそうな気がする」
「そう?」
「うん」
それは本音に聞こえた。少なくとも、うららちゃんから見て、俺はうららちゃんのいうこの人ではないらしいが。そして、女性全体の目を代表して言わせてもらうなら、俺はごく限られた女にとってでしか魅力的ではないだろうという意味にもとれた。乳首を舐められて騒ぐ男に、この人はって人か。もう犬と付き合った方がいいような気がするけどな。
「そっか。そうか。でもね、俺だって、昔に別れた女の子のことを一年半もずっと考えちゃったことあるよ。毎日、毎日、一日中、ずっと頭から離れなくてね。信じられる? 一年半だよ!? 自分でもなんでこんなことができるんだと思うんだけど、一年半、朝から晩まで毎日だよ? ほんとに淡白な人間だったら、こんなことになるとは思わないんだけど」
「私は3日以上考えた事はないよ」
「3日か」
「うん」
俺が身の内話をしたからか、うららちゃんは、それに応じるかのように、「私は、とにかくお金貯めたいんよ」と言った。
「そんなに必要なの?」
「とにかく貯金してる。前は普通の会社にOLとして勤めてたんやけど、これずっと続けてても一生貯まらんと思って。それで辞めて、この仕事をして。この仕事は今しかできないやん? 老後ゆっくり安定して暮らすために、いま稼いでるんよ」
「そっか。貯まってる?」
「うん。家賃と食費以外、お金使わない生活してる」
「それはすごいね。自分の欲を制することができる人間はなんだってできるよ」
まぁ、大抵こういう子は、家賃が8万円だったりするんだけど。
俺はこれまで5回ほど風俗に行ったことがあるが、一人を除いて4人の子が、急に何の脈絡もなく、とにかく貯金をしていると言い出してきて驚いたことがある。今回もそうなるんじゃないかと密かに思っていたら、本当にそうなったので驚いた。色気のない話だから話さない方がよさそうものだけど、貯金に励んでいる人間はそれを言わずにいられないらしい。
12年前に会った風俗嬢は、看護学校に行くために学費を稼いでいると言っていた。12年。今頃ナースステーションで薬の投与量の計算でもしているだろうか。しかし、この手の女の子がちゃんと貯金してちゃんと専門学校に入学できたという話を聞いたことがない。仮に入学できたとしても、よくわからない不運に見舞われて卒業できなかったりする。自然のなぞめいた修正能力が働いて、淘汰されてしまうのだ。金に綺麗も汚いもないかもしれないが、運には綺麗と汚いがある。では、身体を売ると何をしてもダメなのか? では、買う方はどうなのか?
「すごくお金に困る家庭だったから、もうお金に困りたくないんよね。将来、子供に同じ思いをさせたくないし」
「そっか」
「でも今じゃ私が大黒柱みたいになっちゃって。何かあると家族が私に頼ってくるんよ。この前も実家の洗面台が壊れちゃって、私が買ったん。7万した」
「偉いよ」
「……」
「俺は一度もそういうことがないんだわ。これまで、生きてきて、ぜんぶ親になんでもしてもらって。予備校も専門も大学もぜんぶ行かせてもらって(それで出前館やってるから意味わかんねーんだけどな)、最近だってよくわからないけど、『お姉ちゃんが事故って車壊れて新しいの買ってあげたから、あんたにも買ってあげようか?』って言われて。べつに金持ちじゃないんだけどね、余裕なんてどこにもないんだけど、本当に何でもしてくれる。私が生きている間はあんたを守ってあげるってなんて言われたりして。本当に、こういうことされると頭がおかしくなりそうになるんだわ。俺はせいぜい帰省する時、ケーキを買ってってあげてるだけなんだけど、今だって自営業でちょっとだけ働いて、ほとんどニートみたいな暮らししてるんだけど、俺が自分の力で成した要素なんてほとんどない。生まれた環境に恵まれただけ」
俺が言い終わるや否や、うららちゃんの顔に怒気のようなものが走って、「運がいちばん大事なんやから!」と、荒げて言った。
恐怖を感じた。もし、彼女のシャワー中に彼女のカバンから金を盗もうとしているのがバレたら、引越しババアのような世にも恐ろしい罵詈雑言を浴びせられる光景が浮かんだ。風俗嬢たちの中にはそんな怪物が潜んでいる。
「頼れるものはぜんぶ頼ってええの」
「そうだね」
「……」
彼女たちほど恵まれた環境をバカにしない者はいない。俺は運にギャンブル性はないと思っている。この子が身体を売らなければならなかった因果はあると思っている。しかし、何が運だ。俺にできるか? 22、3歳で、身体を売って稼いだ金を自分が使わない洗面台にあてられて。
「ダメだー」
「ん?」
「あ」
「どした?」
しまった。
不意に口から出た言葉だった。
「いや」
「うん?」
と、うららちゃんは興味津々な顔をして俺の方を見てきた。
「どうしたん?」と、これまでで一番艶っぽい声と、色っぽい顔をして、
「いやぁ」と俺はたじろいだ。
「座って話さん?」と、うららちゃんが言って、ベッドからソファへ移った。
※
「あー、よかった。初めはどうなるかと思ったけど、こんなに楽しく話せて嬉しかった」
「そっか」
「うん。お兄さん、初めは掴みどころがなくて、物静かで、正直よくわからんかったから、こんなに話せるとは思わんかった」
「それはよかった」
俺はただ話を聞いていただけだった。もし、風俗嬢を落とす条件があるとすれば、彼女の本当の言葉を聞いてあげることだろう。
俺たちは全裸のままソファに座って話していたが、うららちゃんは立ち上がって、「人は生きてるだけで偉いんやから」と言った。
俺の心に宇宙のようなものが走った。
「そうかな?」
「うん」
「そう思う?」と、俺はもう一度聞いた。
「人は生きてるだけで偉いんよ」と、うららちゃんは言った。
宇宙のようなものが走った。俺はしばらく放心していた。簡単なものだ。簡単だ、俺はなんでこんな簡単なんだ? 俺はこの簡単さに苛立ちを覚える。でも、いいだろう、この宇宙を信じてみたって。みんなだって本当は信じているくせに、はっきりとした確証があるまでは、口に出して言えないだけだ。だから、俺みたいに、すぐに好きになってしまう男を笑うんだろう。
「じゃあ帰ろっか。いっしょにホテルでよ」
「うん」
「今日は何で来たん?」
「原付」と、俺は笑いながら言った。
「ええやん! 原付!」
うららちゃんは、原付の、その自由さ、快適さ、便利さ、その肯定的な要素を、寄せ集めて抱きしめるように、夢いっぱいの乗り物のように言った。事実、そう思っているのだろう。自分の夫が乗るという要素を排除した場合に限って。
俺が勝手に原付に乗ることに関しては、とてもいいことだ、というような顔をして、うららちゃんは言った。
「忘れ物はない? 一回出ちゃったらまた入るのにお金かかるよ」
やれやれ。何もできない赤ん坊だと思われてやがる。おっぱい吸ってたのはそっちのくせに。
「現金? カード? ここ、ここにカード通して」
「わかるわ、それくらい」と言って俺は笑った。「なんか、本当に何から何までやってもらって」
「いいんよ、お客さんなんやから。ほとんどのお客さんが受け身やよ」
「プレイも受け身?」
「うん。攻めてくるお客さんなんてほとんどおらん。ほとんどのお客さんが、全身を舐めてって言って、横になってるだけ」
どうしようもねえなと思って心の中で笑ってしまった。することよりもされることばかりを欲するからモテないのに、風俗に行くことで、その弱さは完全なものになってしまわないんだろうか? 完全な草食動物になろうとしているのか。
「お客さんなんだからええんよそれで。だけど彼女と一緒の時はリードしてあげた方がええかもね」
「うん」
※
ホテルから出た。俺は何度もいいと言っているのに、うららちゃんは見送ると言って聞かないので、俺はうららちゃんの前で原付を跨ぐはめになってしまった。
「ブオーーーーーーーーーーーン! オンオンオンオンオン!」
うららちゃんは優しく手を振っていた。原付で去っていく俺を笑わずに見送れることにすごいと思った。原付で風俗だぞ? 車買うための金を、風俗にぜんぶ使っちゃって、金を貯められないと思わないんだろうか? そんなことを考えながら、俺はうららちゃんの前を横切った。