霊的修行

肥田春充先生に学ぶ最高最強の姿勢

神が人間を作った思惑通りの姿勢をしなければならない。

人間はどのような態度でいるべきか。どのような姿勢を取るべきか。何を食べるべきか。どういう思考でいるべきか。どういう精神状態でいるべきか。それはすでに決まっている。

それ以外の道にいくと、すべて悪いことしか起きなくなる。

姿勢と精神がリンクしていることは今さらいわずともわかることで、誰でも知っていることだけれども、

肥田春充先生も、強健術についての極意は、金銭がいるものではない。場所もいらない。高価な薬物もいらない。器具もいらない。相手もいらない。時間もいらないといっている。貧乏で忙しい現代人にとって福音である。

不安なことばっか考えてる人間は、いつも前かがみで猫背で、腹部を圧迫してしまい、胸式呼吸になっている。

こんなものは今すぐ試してみればわかることだが、下腹部をぐっと突き出して伸ばすようにすれば、まず不安な気持ちなんて消える。不安でいられるはずはない。

そんなのは根本的な解決にならないと思う人はいるだろう。考えて考えて考え抜いて答えをだすことに人生の値打ちがある。ただ姿勢をまっすぐにして生きていればそれでオールオッケーなんてことはありえない。精神修練にもならないし、現実逃避だ。……と思うかもしれない。

だが俺はオールオッケーだと思っている。本当に正しい姿勢を取れればだが。

そう。上手く姿勢が決まると、すべてがうまい具合に消え去ってしまう。思考がクリアになる。

禅とは精神を研究するものではなく姿勢を研究するものだと天才禅師の道元もいっている。

姿勢をきちんとするだけで頭はよくなるし、人に優しくなれるし、身の回りのすべてのことが丁寧になってくる。難しい言葉や優しい言葉をあれこれいうよりも、ひとたび姿勢を決めて行動に移せば何よりも説得力があるものである。

本当にいい姿勢というのは疲れないし、気持ちがいいし、ずっと続けたくなるものだ。

俺はもともと理学療法士だから、人よりはずっと姿勢について研究してきたけれども。何より健康面でいちばん効果があるような気がする。

1日に5分でも10分でも、しっかり自分の姿勢を決めて、腰と腹の中心の一点にガツンと力を入れてやればそれで十分なのである。それで一生の健康が手に入る。

座ってはようが立ってようが歩いてようが、いつでもできる。今では柔らかく沈み込むような椅子はとてもじゃないほど座りたくない。昔あれほど嫌っていた硬い椅子を好むようになってしまった。おかげで高価な家具を必要としなくなる。

断食や少食と一緒で、神の視点から見て人間の生活をよくするものというのは、金がかからないものだ。すべての面でメリットしかない。

床の上で寝るという健康法もおそらくそれに相当するだろう。肥田先生も、西勝造先生のお二人がいうから間違いない。ヨガの修行者の多くもこのやり方で寝るらしい。俺はまだちょっと厳しいが……。

俺は瞑想よりも、姿勢の方に意識を向けている。

瞑想の時間を用意しなくても、姿勢が決まれば瞑想と同じような状態になる。

眠くならなくなるので読書もはかどる。昼寝の習慣もなくなった。夜就寝につくときはすぐに眠れるようになった。肉体労働をしない人は、良姿勢を保つことだ。運動するよりよっぽど素晴らしい効果を得られる。

まぁ俺もだらだら過ごす時間も多い。今もマットレスの上で、くだらない格好しながらポチポチスマホを打って、この記事を書いている。

しかし、日常のだいたいの行動をするときは良姿勢でいる。まったく疲れないし、毎日の生活が本当に気持ちよくなった。

よく少食なんて苦しいからやりたくないとか、一日一食は人生損してるとかいう人は少なくないけれども、これは空腹の喜びを知らない人がいうことだ。

確かにたまに暴飲暴食したくなるときはあるけれども、少食は少食で、ずっと頭の中に冷風がなびいている気持ちよさがあるものである。

午前中に水しか飲まないで生活してるときの、体内が浄化されていく清涼感といったらない。午前中水ので過ごすなんて気持ちよさしかないのだ。

人々が不安で不幸なのは姿勢が悪いからである。

理学療法士の友人も、毎日20分運動するよりも、普段を良い姿勢で過ごす方が、比べ物にならないほど効果がある。そういう人は猫背にならないし、すべての健康数値が極めて良好だといっていた。

姿勢が人を作る。女の美しさも姿勢にある。姿という字がそれに表れている。

では、どういう姿勢をとればいいのか?

前置きが大変長くなった申し訳ない。

基本的には言葉で説明するより、絵を見た方が早いだろう。

この通り、まずお尻を後ろに突き出す。そのままお尻を引っ込めないまま、体を起こしていく。

上半身の力をまるっきりぜんぶ脱力する。下腹部だけにグッと力が入る感じ。足は支えてる分だけの力が入る。

上半身 弱(嘘なる嘘)

腰腹部 強(真なる真)

下半身 中(虚なる真)

力を入れるのは下腹部のみである。だが決して自分で力をいれない。お尻を後ろに突き出したまま体を起こすと、力を入れようとしなくても自然と下腹部に力が入る。

お尻を突き出す。お尻を引っ込めないまま身体を起こすと、勝手に下腹部にグッと力が入る。すると横隔膜がぐぅーーっと伸びる。

図のような微細な一点になると俺にはわからないが、おおざっぱな基本的な下腹部の緊張は上で挙げた通りになる。お尻を突き出したまま身体を起こすと腰がそる形となり、図の辺りが緊張する。

鏡を見ながら肥田先生の写真と同じようになるようにやってみるといいだろう。

痛かったり気持ちよくなかったりする場合は間違っている。特に上体に力が入っているときは無理している感じがするだろう。すべての力を抜いているのに、姿勢の構造上、勝手に下腹部に力がはいってしまうというのが正しい。

やってみると、とても気持ちいいのでぜひ普段の生活に取り入れてほしい。というより、取り入れなければならないのだが。

俺の説明より肥田先生本人の指南を参考にされた方がいいだろう。

肥田春充先生に学ぶ、正中心一点における立禅について

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大事な対談をしているのだろう。みんな改まった姿勢を取っているが、肥田先生の姿勢の美しさは格別だ。

相手方の二人も恭しい姿勢をとっているが、背筋を伸ばしているだけである。

腰と腹が決まっていないから肥田先生のようなシャキッとした感じがないのである。肥田先生はこの通り、生活を切り抜ぬいたどの写真においても、崩れた姿勢がない。

ひとつだけ珍しく、くつろいでいる写真があったが、この写真ですら腰と腹が決まっている。くつろいでいるときですら、腰と腹を中心に生きているのだ。

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