霊的修行

書評「人生の扉を開く万能の鍵」ラルフ・ウォルドー・トライン

やはり古典はすごい。この本は自己啓発本の古典である。特に目新しいことは書いてあるわけではないけれど、原始的なパワーがある。

今でこそ「引き寄せの法則」とか「信じれば夢が叶う」とか、そういった類の本は、本屋の天井より堆く積まれてあるけれど、それらは原初なる一冊の本から順調に薄味になっていって、ついに何の味もしなくなった搾りカスなのである。

著者のトライン氏は、作家なのか芸術家なのか宗教家なのかよくわからないが、ニューソート、霊的知性を啓蒙する思想家といったところだろうか。

大抵の自己啓発本はそれぞれのテーマがあって、それに対する具体的な解決策が書かれている。

自己啓発本の名著である『思考が現実化する』ですら、時間の配分の仕方だとか、人と会った時の話し方だとか、紙に目標を書くとか、生活的な努力方法が8割ぐらい書かれていて、残りの2割ぐらいが、「本当の天才とは、創造の泉そのものにアクセスする方法を会得した人間だ」みたいなことを書いてある。

今回紹介する『人生の扉を開く万能の鍵』という本は「創造の泉そのものにアクセスする方法」だけの部分をずっと述べている。

だから思想一本系の人は、こちらの方が楽しめるかもしれない。

最近の俺は、習慣法だとか、何を食べたら頭がよくなるとか、そういった云々は本当にどうでもよくなっている。ただ創造の本源に行き着くことしか関心がない。

この本は神の創造にアクセスするだけのことを書いてあるから、邪魔なものがない。

『思考は現実化する』より、個人的にはこっちの方が素晴らしいと感じた。『思考は現実化する』は、ナポレオン・ヒルが自己啓発のために人生のすべてを費やして、師匠のカーネギー氏から受け継いで凄まじい時間を費やして完成させた本だが、この30歳かそこらの人が書いた本の方が素晴らしいと思ってしまった。

この本の面白いところは、すべて感覚的に書かれているところだろう。

ただひたすら神の声を聞け。静かにしていれば神の声すなわち直感が感じ取れる。その直感自体が神というもので、ひたすらその直感を大きくして即ち神の存在をより大きく感じ取れるようにしなさい。その開かれ具合によってその人の潜在能力が高まるということをずっと感覚的に書かれてある。

エマーソンの『自己信頼』と非常によく似ている。

本なんて読まなくていい。他人の神の解釈ではなく、あなた自身の神の解釈だけを信じなさい。この辺りもエマーソンとまったく同じことをいっている。霊的偉人は本を読まないことを勧めることが多い。ヨカナンダ先生も、20年間に20冊しか読まなかったといっていた。

俺は読書家の文章より、無頼派の感覚人間の書いた文章の方が好きである。エマーソンの文章は好きだ。著者のトライン氏の文章も好きだ。

ラマナ・マハリシも、聖典は真理の存在に気づく上で必要だけど、いずれ本の内容はすべて捨てることになるから、最初の段階だけでいいといっている。段階を過ぎてもまだ聖典を漁ることは、ただの乞食であるとさえいっている。

インフルエンサーなどの一流の人達は、本をよく読めという。しかし超一流レベルになると、本を読むなという。本よりも、もっと高次な根源な存在から学べという。イチローやアインシュタインもその類だろう。

スティーブン・キングが、いい作家になりたかったらよく読んで読む書くこと、それしかないといっていたけど、これに真っ向から反抗しているかのようだ。

小説投稿サイトの人たちは、大量に本を読んでいるのに死ぬほどつまらない作品を書くので、いくら本を読んでもあまり関係ないようである。

しかし、神の創造とアクセスした人間の書いた文章で、つまらなかった試しはただの一度もない。

驚くことに、著者は30歳のときにこの本を書いている。出版したのが30歳だから、書かれたのはもっと若い時期だろう。一世紀前の人の知性というのは、本当に恐れ多い。

学説や他書の引用はあまりなく、ずっと自分の言葉で神と直感について語っている。自分の言葉で書いてある文章は非常に読みやすくて力がある。思考や感情がダダ漏れの文章という感じで、清涼感がある。

この本のいうところは極めて単純である。ただ静かにしなさい。静かにして聞こえてくる直感の声を感じ取って、それをどんどんどんどん大きくしていきなさい。

本を読んだり、他人の考えを引用することをひどく咎めている。とにかく、ただ自分の声を聴け。神と一体となれ。

「自分を品定めしてはいけない。他人の言葉に動かされる人たちに品定めさせてはいけないのだ。ただあなたの魂の最高の部分にだけ従い、慣習や因習や、宇宙の原則に則っていない人間がつくったルールに縛られるのはやめなさい。何が宇宙の原則に則っているかは、正しい精神、正しい心をもっている人ならわかるはずだ」

ずっとこんな感じの文章が続く。

「何が宇宙の原則に則っているかは、正しい精神、正しい心をもっている人ならわかるはずだ」

わかるはずだといわれても、わからない人もいるだろう。「わかるはずだ。感じ取れるはずだ」みたいな、投げやりのような、相手任せの感じは否めない。しかし、そういうものだろう。

「私たちが真の自己を悟る度合いに応じて、無限の生命と自分の生命が一つであることを悟る度合いに応じて、またこの聖なる流れに自分を開く度合いに応じて、直感の声、魂の声、神の声が明晰に語り始める、そして私たちがその声を認識し、耳を傾け従う度合いに応じてその声は一層明晰になり、やがてその声の指針には全く間違いがないというところにまで達するのだ」

この辺りも、スピリチュアル本に影響されてTwitterで騒いでる傀儡と異なる。無限の生命を受けている本物の文章を感じる。

全く間違いがないというところまで自分の奥にある声に聴き入ろうとすると、多くの人が「それは危険だ! 絶対にやめた方がいい! 若いうちはそういう勘違いをするものだ、取り返しがつかなくなるぞ! もっと周りをよく見て本を読め!」と頼んでもないのにジジくさいお節介を焼いてくる。

なぜなら、そういう人達は常にずっとTwitterに張り付いていて、すでに他人の意見に自己が埋没していて、自分の色を更に濃くしようと歩んでいる人の邪魔をしたくなるからである。ずっとTwitterをみてる方がよっぽど取り返しがつかなくなるのだが。

「聖なる流れが自由に流入している体は、病気になるはずがない」

「全ての生命は内側からすっと外へと向かうものであるから、思考の力と様々な精神状態や感情は肉体を影響を及ぼしているに過ぎない」

「全ての考えは自らを再生産する傾向がある。ゾッとするような病気や感覚いわゆる悪を思い描いていると、魂に傷や病巣ができ、それが体にも再生産される」

「強い罪悪感を持っている人の汗と、普通の人の汗には科学的な違いがある。犯罪者の汗を科学的に分析すると心の状態がわかる。汗にセレン酸を加えるとはっきりとしたピンク色になる」

「自分を開く度合いに応じて、あなたの体に活力が流れ込む。今まで支配していた古い障害物は駆逐される。何日間も泥水が流れ込んでいる溝がある。泥は段々に溝の周囲や底にたまり、泥水が流れ込み続ける限り、泥も溜まっていく。これを変えることだ。美しく澄んだ急流が流れ込む水路を作ると、まもなく溝の周囲や底に余っていた泥まで流れ去るだろう」

「一番重要なのが大元にある偉大な原理を掴むことである」

「体の一部分に不調があっても、その部分が活性化されるイメージを思い浮かべることですぐによくなる」

「自分の中心を見つけそこで生きることだ。誰にも何にも自分の中心を明け渡してはいけない。自分の中心をしっかり守っていれば、その度合いに応じた貴方はますます強くなれる。ではどうすれば自分の中心を見つけることができるだろうか? 無限の力と一つであることに気づき、常にその気づきを実践して生きることである」

中村天風先生と言っていることがまったく一緒である。

99%どころではなく100%一緒である。部分的に似ているとかではなく、本の初めから終わりまで、すべて100%一緒である。

俺はそれはとてもいいことだと思う。賢者たちがそれぞれ違うことをいっていたら困ってしまう。

「明るく希望に満ちて、陽気な考えを抱いていれば、あなたは同様の結果に結びつく。悲しくて不安で落ち込んでいれば同じような結果と結びつく」

俺が今人生で何も悩みがなくて楽しいのは、この知識を持っているからである。楽しいことしか考えていないので、楽しいことしか起こっていない。

すべての生命である「無限のスピリット」との一体感やそのスピリットとのつながりを認識している度合いに応じて、また聖なる流れに自分を開いている度合いに応じて、わたしたちはどこにいようとも最高のもの、最も力強いもの、最も美しいものと調和することができる。

物質宇宙にあるすべて、かつて宇宙にあったすべての発生源は思考だ。思考から始まって、かたちができ上がる。城も彫像も絵画も機械も、すべてのもとは、物質的な表現や形体をとる前にそれを考え出した人の心にある。そもそも、わたしたちが生きている宇宙そのものが神の思考エネルギー、つまりすべての背後にある「無限のスピリット」の結果なのだ。

疑いや不安という要素を入れると、とても大きかった力が無力化されて、実現しなくなる。確固たる期待によって支えて水をやり続ければ、それは力となり、引き寄せるパワーとなる。そのパワーは絶対的で抗いがたく、その絶対的なパワーの度合いに応じて絶対的な結果を生み出すのである。

人間は内なるスピリチュアルな感覚を通じて自分を開き、神の知識の直接的な啓示や自然と生命の秘密を受け取る。そして、神とひとつであること、神の一部であることを意識し、聖なる資質をもつ神の子として至高の存在であることを悟る。 聖なるインスピレーションのもとで直感が育ち磨かれて、そのなかで現実化するスピリチュアルな至高性と光、これが関心や興味が向かうすべてのものごとの性格や資質や目的についての完璧なビジョンと直接的な洞察を与えてくれる……。

「全ての人に神を見出せば、そのことによってますます神に出会うようになる。素晴らしいことではないか。あなたにとっても私にとっても素晴らしいことだ!」

目の前の人から神を見出そうとする姿勢は私にとって、本当にいちばん欠けている部分です。恥ずかしい。

物書きにとっても最高のアドバイスをくれる。

作家に必要なのは霊性意識であるという。どんなに文章の訓練をしても、霊性意識がない本は読む価値はないという。霊性意識を確立した人間の文章からは、行間から神の意識があふれ出るという。文章よりも行間の方がずっと多くを語るという。

楽観主義者は正しい。
悲観主義者も正しい。
どちらも正しいのです。
それぞれの観点からはどちらも正しく
この観点がそれぞれの人生を決定づけます。

人間生活のすべては
「原因」と「結果」の法則で成り立っている。
偶然というものはこの世に存在しない。

不満不平を言うために一刻たりとも時間を割いてはならない。
そんな暇があるなら自分の理想を追い求め、それを実現するためにその時間を活用するべきだ。

絶対的に信じること。それが唯一本当の成功法則である。

あなたの持てる最善のものを世界に与えよ。
さらば、最善なるものがあなたに還ってくるであろう。

多くの人が自分の可能性よりずっと低い次元で生きている。それは、常に自分らしさを他人に手渡しているからだ。世界に対して力を発揮したかったら、自分自身でいなさい。

あなたの持てる最善のものを世界に与えよ。さらば、最善なるものが、あなたに還ってくるであろう。

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