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実家に帰ったら、お母さんにめっちゃ怒られた

投稿日:2019-11-24 更新日:

たった一日、実家に帰っただけで、この家は荒れていた。

帰宅一番に、俺がバックで車庫入れをしていると、
「もっと右! ダメ! もういい! 私がやる! まったく寝てる間もない! ご飯だって作んなきゃなんないのに……! あーーッもう!!」と、母親が窓から顔を出して叫んだ。近所のおばさん達も何事かと外に出てきてしまった。

非常に狭い車庫で、2回、3回切り返してうまくいかない時もあるけど、5回以上チャレンジすれば大体収まる。そうやっていつも収めてきたんだから放っておいてほしい。ただの時間の問題なんだから。そう思っても、これが言えない。母親のどこを探しても、傾聴のスペースが見つからないからだ。

こういうときの母は、驚いて「ギャァーーーー!!!」と、咄嗟に叫んでしまう人のような、衝動しかない。混じり気のない純粋な衝動である。キレるとか怒るとかとまた違う。閃光のような衝動だ。衝動の前では、我々は成すすべもない。

姉が夜勤明けで帰ってきた。昼の14時だった。そして18時から会社の忘年会があるらしい。4時間だけ寝るといって、寝ようとした姉に向かって、母は、
「化粧はどうするの?」
「そのままにする」
「そのままって、夜勤したままの化粧で、そのまま飲み会にいくの?」
「うん」
「やめて! みっともない! 恥ずかしい! だったら断わればいいじゃん! なんで断らないの!? 夜勤明けでそのまま飲み会にいくのがそもそも無理なスケジュールでしょ!? 一日働いた化粧で恥ずかしい!!」
37歳になって、親に言われて、しぶしぶ洗面台に向かって化粧を落としてる姉の姿は情けなかった。

キラキラした格好で友達と買い物している女も、家ではこんなふうに怒られて、分厚いメガネにドテラを着て、親に心を開かない誓いを立てる夜もあるんだろう、と思った。

そして、姉が飲み会から帰ってきて、入浴を終えて、一息ついていると、
「ねぇ……! お風呂のフタ閉めといてよ! 最後にお風呂に入ったらフタ被せといてよ! 私がこの時間に洗濯すると思う!? 水分が外にでて明日洗濯するときの水がなくなっちゃうでしょ!? 普通最後に入ったらそうするでしょ!?」と、二階でヘッドホンしながら漫画を読んでいた俺にまで届く声で、また怒られていた。

もう23時を回っていたから、あとは平穏だけだろうと思っていたので、裏切られた。一緒に生活していたら、風呂に蓋をするかしないかなんて分かりそうなもんだけど、なぜ姉は蓋をしなかったんだろう? 暗くて可哀想に思ったのか? しかし、怒られた本人も、自分の過失だとわかっているから、ぐうの音も出ない。いや、やはり衝動に押されて何も言えない。

昔、母が録画していた「やまとなでしこ」を解除して、友達と借りてきたビデオを視聴していたら、「ねぇ、これ、私の録画してあるのはどうなってんの?」と聞かれて、「ええと…………」と言い終わらないうちに、母は友達がいる前でビデオデッキを引き抜いて、窓から投げ捨ててしまった。友達は、「お前のお母さん、全然やまとなでしこじゃないね」と言い残して、二度と遊びに来ることはなかった。

この恐ろしさはどこからくるのか? ヒステリックにしては度が過ぎている。今年60を迎えようとしているのに、まだまだビデオデッキが足りないくらいだ。

母親はよく悪夢にうなされる。ものすごい声で、「助けてーーー!!」「怖いよーーー! 怖いよーーーー! 助けてーーー! うわああああああーーーーーーー!!」と、声にならない声で、息子としては聴くに耐えないつらそうな声で叫ぶので、俺はいつも猫のようにキョロキョロしてしまう。

夢はすべてを現している。昼の顔よりその人を現している。これが母の正体かと思うと悲しくなる。怒りっぽい人は老けるのが早いと言うが、確かに年の割に老けている。死んだカバみたいな頬をして、干し柿みたいに重力が顔の下半分に集まっていて、頭も親父より禿げている。

これは遺伝だろう。死んだおばあちゃんも毎晩うなされていた。母と同じで気性が荒く、同じというか、大元なんだけど、般若みたいな顔をして、いつも怒鳴り散らしていた。怒り方も全く同じで、衝動的で、泣いてしまう。陰湿的に、相手を困らせてやろうという他意や計算はなく、ただその瞬間、肉も皮もなく、閃光だけの存在になる。

文字通りヒューズが飛んでいる。そして、今日、よくよく観察していたら、母がしゃべっていないことがわかった。母はいなかった。代わりに悪霊が母の口を開かせていることがわかった。うなされているのも、悪霊の声だった。祖母から母へ悪霊が受け継がれている。俺にも継がれている。なぜなら、俺もうなされるからだ。

母と姉は、仲がいい時はとても仲が良くて、2人でいつまでも一緒にテレビを見ている。笑ったり、一緒にタレントの悪口を言って、二人で一つのポテトチップスを半分個して食べている。だから姉は母に怒られると、無二の親友を失ったような顔をする。

もう降参……! と白旗を振ってる人間にトドメを刺しているのに、まだ攻撃をやめない人がいる。死体を蹴る人間がいる。ただこれがいけない、あれがいけないと、事実だけを言い渡して、ただ用件だけを伝えればよくて、感情を伝える必要なんて全くないのに、それに気づかないで、用件よりも感情の方を大きく伝えてしまう人がいる。

俺はもう家を出たから、たまにこの狂った家族を見るだけだからいいけど、一緒に暮らしてる人からしたらたまったもんじゃ無いだろう。姉にも問題があるといえばあるが、それでも、ただ用件だけを言えばいい。

姉も何度も家を出ようと思ったに違いない。しかし、立ち止まってしまうのは、やっぱり母が好きだからだろう。母を一人にできないんだろう。

俺が死んだとき、一番悲しむのは母だ。姉も、自分が死んだら母が一番悲しんでくれるのを知っている。

母親は愛の天才である。このヒステリックや衝動は、愛の裏返しでもある。女は愛の天才だけど、全員必ずヒステリックである。「母の子への愛だけが本物で、それ以外の愛は小児のままごとにすぎない」と三島由紀夫が言ってたけど、それは確かに無視できない考察である。母猫が子猫に、川の渡り方を教えている動画は、いつ見ても涙してしまう。

俺も少しはこの愛に追いつこうと戦ってみるのだが、母を愛すのは非常に準備がいる。運転しながら覚悟を澄ましてきて、そのままの鮮度でバックで車庫入れしてたのだけど、ギャンギャン罵られて、ものの20秒で覚悟は崩れ去ってしまった。

「人は遠くにいる人は愛せるけど、近くの人だけは愛せない」

よく準備して、清潔な服を着て、いい風を浴びて、社交心を賦活させ、入社したての営業マンみたいに臨むときは、出会う人すべてを愛せるかもしれないけれど、家に帰った時だけはそうはいかない。家や、職場に帰ってきて、自分のメールボックスを開けたり、ネクタイを外す頃には、顔が豹変する。マザーテレサが、「人は遠くにいる人は愛せるけど、近くの人だけは愛せない」と言ったのは、このことである。

そしてもっと恐ろしいのは、うちの母は、一度怒り切るまで怒ると、今度は優しくなるのである。信じられないほど優しくなるのである。今目の前で怒っていたのは、誰だったんだ? と思うほど、母親の顔は、一点の曇りもなく、後ろから殴っても許してくれそうな、あまりにも無垢に、懐っこく話しかけてくるのである。俺と姉は不本意ながらも、いつも応じてしまう。嬉しそうに、楽しそうに、ただ会話を楽しみたくてしょうがない、気の合う旧友を見つけたように話しかけてくるのである。俺たちはいつもこの優しさに吸い込まれてしまう。人間にこれを拒絶できる非人間的な感情は持たされていない。

30年以上、こんなことを繰り返してきたのに、コロっとやられる。自分でバカなんじゃないかと思う。姉もそう、もう二度と口を聞かないと覚悟を決めた顔をしても、次の日には一緒にテレビを見て笑うはめになる。余計なことまでベラベラ話してしまう。怒られたら嫌う。優しくされたら好きになる。これじゃあバカみたいだ。

これは職場でも見られる。若い女の子が上司に怒られて、(心を開いちゃダメ! 私、この人にどれだけ心を傷つけられたの? 用件だけ言ってくれればいいのに、悪意をぶつけられた! 嫌い。嫌いに徹する。牡蠣のように口を閉ざしてみせる。今回は絶対に勝ってみせる……!)と、覚悟をするが、次の日、自然に上司に話されると、(あーあ! また笑っちゃった! 笑顔見せちゃった! ああ……! でも、悪くない! やっぱり仲がいいのが一番! 私が悪かったんだ! これでいいんだ!)という顔をする。

しかし、潜在意識の中には深く刻まれているのである。絶対に恐怖は消えないのである。心から仲良くなれないのである。スネオとジャイアンみたいに、調子がいい時や、共通のいじめっ子がいるときは、お互いの力関係は平等に見えるけど、やはりスネオの顔をよく観察してみると、心から笑えていないのである。

結局、俺は家を出て、その子も不可解な人間劇を繰り返して、職場を去っていった。

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