ちょうどその日は俺の誕生日で、ゆきなちゃんはご飯を奢ってくれた。
カラオケではthe brilliant greenの『愛のある場所』を歌ってくれた。「男の前ではこれを歌え」と、バーの店長から言われて練習してきたのだと俺に言った。
ご飯を食べて、カラオケに行って、ゆきなちゃんを家まで送るとき、俺はほとんど黙っていた。
彼女は助手席の窓から見える景色の感想を述べたり、懸命に話題を振ってくれた。
「そうですね、美容院に行ったときはよく美容師さんとお話しますよ。だってお話した方が楽しいじゃないですか〜!」
という言葉を聞いた後でも俺は黙っていた。
「どんな人がタイプなの?」
「今は知識がある人です! 知識が豊富な人を見ると尊敬します!」
ゆきなちゃんはコピー機の営業職で、23歳の新卒だ。自社のコピー機を、紙のようにペラペラ話して売りつける先輩の姿が眩しかったんだろう。
「 他にも会った人いるの?」
「そうですね、浜松の人と会いました」
「へー、どんな人だった?」
「なんでもよく笑ってくれる人でした」
「付き合わなかったの?」
「うーん、私はいいなって思ったんですけど、連絡こなくなっちゃって」
「え? なんで?」
「うーん、たぶんですけど、一緒に熱海に行ったんですけど、車の中にいた時間が長かったから話すことがなくなってきちゃって、2時間ぐらい無言が続いちゃったんです……」
「2時間!? 2時間って結構だねぇ……! でも無言はお互い様じゃない?」
「うーん、そうかもしれないですけど……」
だから、この子は反省を活かそうとして、一生懸命俺に話題を振ってくれていたのだ。
この話をした後でも俺は無言でいた。
俺はなぜ黙ってたかというと、二人で沈黙から逃げるようにして言葉を捻り出したところで、結果は見えているからだ。仲のいいカップルが無言でいるように、一足飛びでそこに行きつきたいと考えたのである。こうして時間を操ろうとして、成功したり失敗したりだけど、俺はこの方面の努力を続けている。
女はセックスになると変貌する。それまで借りてきた猫のように大人しかったのに、まるでジェットコースターのようにちんこの上に乗って大騒ぎすることもある。
こっちの許可も取らずに勝手にちんこを握ってきて、そのまま眠ってしまうこともある。赤ちゃんがお母さんの手を握ったまま離さないように。
セックスはただ性的満足が得られるだけでなく、ここにきてお互いが本音で話せるようになる。産まれたままの姿になって、すべてを曝け出し、微睡みの中で二人で天井を仲良く見つめる。そうして深く息を吐くと、さっきまで二人で固くなって身の上話をしていた時間はなんだったのだと拍子抜けする。
ゆきなちゃんはなぜ出会い系をやっているのかわからないくらい可愛いかった。営業職をやっているだけあって顔に快活な空気が流れていた。身体は細いのに胸は大きくて、性格もよかった。「バドミントンやってたからふくらはぎは太いんで見ないでください(笑)」って言われたけど、しっかり見た。変なコピー機を売って歩くにはもったいない足だと思った。社会人一年目というのは、いちばん従順で、 慌てて出勤してパンを咥えて走っているようなところがあって、女のいちばんいい頃かもしれない。
俺は運転しながら、ゆきなちゃんが浜松の男とヤッたのかヤッてないのか、ずっと考えていた。
「ゆきなちゃんの家で少し休んでってもいい?」
「え? うちですか? ちょっと、散らかってるし」
「片付けの時間待つよ」
「うーん、今日はもう遅いし、お開きにしませんか?」
「このまま自分の家に帰るまで体力が持ちそうにない」
「疲れましたか? 私、仕事中は車の後部先に寝転がって休むときありますよ?(笑)」
「後部席だと休まらないから、ホテル行こう」
「えー……」
と彼女は黙ってしまった。
ちょうどもう目の前にホテルがあったので、俺はそのままホテルの駐車場に入って行き、ゲートを潜ろうとしたら、
「「「イヤッ!!!」」」
とゆきなちゃんが大きな声で叫んだ。
小動物が一生懸命力を振り絞る感じで、精神の限界まで追い込まれた人が発する声だった。
「…………」
それまで明るく話してくれてたのに、下を向いて、両手をギュッと握りしめて、止まってしまった。
「…………」
ゆきなちゃんは下を向いて止まってしまった。
真っ当に生きて、真っ当に育った女の子の正しい反応だと思った。
「誰にでもやってるんですよね? こういうこと」
「誰にでもってこともないけど」
「まだ私たち、会って6時間ですよ?」
「時間は関係ないと思う」
「え?」
「そんなに俺は時間を気にしないというか、6時間だろうが1ヶ月だろうが、時間の流れに合わせて行動することは自然だけど、自分から時間を進めたって、行き着く未来に変わりはないと思う」
「うーん? 言ってることはわからなくもない気がしますけど……。でも、私は嫌です」
「浜松の人は、家に上がらなかったの?」
「上がったけど、2回目ですよ?」
2回目かよ! 2回目で上がってるじゃねーか! 6時間と何が違うんだよッ!(笑) なんでそんな真面目に怒れんだよ……!
やっぱり浜松の野郎とヤッてやがったな……。
「出会い系って、やっぱりこういう人ばっかりなんですね。私、もう、出会い系やめよ」
「そっか……」
ずっと黙りっ放しで、やっと口を開いたと思ったら『ホテル行こう』だ。そのまま黙ってた方がよっぽどマシだった。 今回も、時間は操ろうとして失敗した。
「でも、誰にも言うわけじゃないよ。ゆきなちゃんと一緒にいてすごい楽しくて、もっと関係深めていきたいなって思ったというか」
「それは2回目、3回目って、順を重ねて育んでいくのじゃダメなんですか?」
「ダメじゃないよ。ダメじゃないけど、わざわざ時間を置く必要もないんじゃないかって思ったんだよ。もちろん無理に言ってるわけじゃなくて、ダメなら引き下がるし、ただの『提案』というか。『提案』を出しただけだから、ゆきなちゃんは受け入れるか断るかどちらかを選べばいいだけで、好きになったり嫌いになったりする必要はなくて、ゆきなちゃんは断るを選んだから、それだけの話というか」
「…………」
「ゆきなちゃんが嫌だというなら、俺はおとなしく身を引くし、また日を改めてデートに誘って、関係を深めていけたらなぁって思うんだけど、『提案』しただけでそんなに怒る必要はないような気がするけど?」
「…………。そういうことを持ち出すことがよくないと思います。私、そんな軽く見えました?」
「いや、見えないよ! 全然そういうんじゃないのはわかってる。むしろ、若いのに良い子で、出会い系って正直変な人が多いけど、ゆきなちゃんは本当に礼儀や会話がしっかりしていて、びっくりしているくらいで」
「それ、浜松の人にも言われました。出会い系の人ってみんな同じこと言うんですね」
「(笑)」
しかしここにきてよく喋るな俺は。喋りだしてからどんどん嫌われてるし。
はぁ。なんだか自分が生きてちゃならない生き物に思えてきた。女は一度男を生理的に拒絶すると、虫けら以下の態度をとる。どれもこれも出会い系のせいだ、出会い系で変な女に出会い過ぎたせいで、俺はおかしくなってしまった。
ついさっきまで、一緒に誕生日をお祝いして、カラオケで『名もなき詩』や『気まぐれロマンティック』を歌って、あの時間はなんだったんだ? 彼女はこんなのに飯を奢ってしまったことを後悔してるだろう。
しかし癪だな。俺のこと何も知らないくせに。ちょっとホテル行こうって言っただけじゃねーか。無理やり連れ込んだわけじゃねーじゃねえか、すぐ引き下がったじゃねーか。それでも俺は悪いのかよ? たった一言で俺を悪モン扱いするオメーの方が悪者だって見方もできるんだぜ? 言わねぇけどな。
お前はキャンキャン俺の悪口言うけど俺は言わねーんだよ。お前だって二回目でヤッてんだから、同じ穴のムジナじゃねーか。
出会い系の男だって生きてんだ。優しくしてやれよ。あいつらだって、おばあちゃんが死んで泣いた夜もあるんだぜ? コピー機のように表面をこすってる人生しか歩んでねーから、表か裏かでしか判断できねーんだ。
※
「前の彼氏はスゴいオラオラ系で、AVの見過ぎっていうか、すごい痛かったです。私から好きになっちゃったからしょうがなかったんですけど」
「それが理由で別れたの?」
「それもあるけど、彼、運転中にイライラしてたときがあって、急にハンドルにパンチしたんです……! それ見て、『あ、無理だ……!』って思っちゃって」
(なんか、あまりろくな男と付き合ってねーじゃねーかよ)
俺は、ただじゃ帰らないと思って、彼女の性事情に踏み込んだ。
彼女も、もう俺と二度と会わないと決めているようだったから、色々話してくれた。
「ねぇ、明日会える?」
「明日はAmazonからシャンデリアが届くから家にいないといけないんです」
「へー、俺も一緒に届くの待っててもいい?」
「いや、いいです」
話せば話すほど、どんどん嫌われていった。最初、口数の少ないクール系を気取っていたから、それが自分に返ってきて恥ずかしかった。まったく最低な誕生日だ。
俺はゆきなちゃんがオラオラ系の元彼に、本当は痛くて嫌なのに、彼に合わせてセックスしてる姿を想像しながら、帰途についた。
もしホテルに誘わなかったら付き合えたかというと無理だったろう。女はどうでもいい男にホテルに誘われた時だけに怒るからだ。