さて理想の食事法をこのブログでいくつか紹介してきたけど、それを頭でわかったところで、はいそうですかと言って実践し続けられる人は少ないだろう。
読者からのコメントにも、断食や少食を頑張ろうとしているけど、なかなか思うようにいかないというメッセージが届いている。
俺も、たまに肉や変な食べ物に手を出してしまうこともあるため、この辺りは非常に勉強中である。
ただひとつ言えることは、肉を食べれば肉を食べたくなるし、油っぽいものを食べれば油っぽいものを食べたくなるし、コンビニ弁当を食べるほど、食べたくなる連鎖が始まることは確かだ。まぁ、タバコみたいなものだ。
どれだけ理想的な食事スタイルを提案しようとも、そこに再現性がなければ意味がない。
メンタリストDaiGo氏は食欲を紛らわすには軽い運動がいいと言っていた。確かにこれはいい。
尾田栄一郎氏は夢中になると2日ぐらい何も食べないで漫画を描くと言っていた。
趣味や、やりたいことがない人ほど、暇になって食べてしまう。人間はお腹が空いたから食べるんじゃなくて、暇でそわそわしてくると、胃に重たい物を入れて、わざと気分をだるくして、ぶっ倒れるように寝たいから食べることが多々ある。酔っ払いが味を求めて飲むんじゃなくて、酔いたいから飲むのと似ている。
また、我々は日光からエネルギーを得ているので、 重厚なビルで日当たりの悪い場所で暮らしていると、お腹が減ってしまう。
この通り、運動や趣味や場所がどうとか、多角的に考えることは可能だけれど、今回は「腸内環境」という点だけで考えていく。何にせよ、これが一番重要だからである。
基本的に、断食や少食に対して我慢するという考えはよくないと言われている。甲田先生もずっと悩まされたけど、「食べ物から命を頂いているんだ」という意識を持つことでやっと少食になれたと言っている。ガンジーは自らの精神性を高めるために少食や断食を行っていたけれど、 食べたくて仕方がないのに忍耐を続けても、決して精神成長を望めるものではないと言っている。
ヨガの聖人スリ・ユクテスワは、「 極端な食事制限は真理の助けになるどころか、かえって害になることが多い。人間のからだに合ったものならば何をとってもよいが、質素な食事に満足できるようにならなければいけない」と弟子たちに伝えている。また、断食している弟子に対して「骨のひとつくらい食わせてやれ。お前の飼い犬ではないか」と言っている。これは、人間の本体は霊性意識であり、肉体はそれに追随するものとして区別しているから、こういう言い方をしたのだろう。
弟子によると、
「先生(スリ・ユクテスワ)は少食で、特に、カレーや砂糖大根の汁やほうれん草であえた米飯に、水牛のギー(バター)を溶かしてふりかけたものを好んで食べられた。ときには豆のスープや、野菜といっしょにカレーであえたチャンナ(新鮮なミルクを凝結させて作ったチーズ)をとられることもあった。デザートは、マンゴーやオレンジにライス・プディング、あるいはパンの実のジュースなどであった」
と言っている。大方、ヨガの修行者たちはこういう食事をしている。1日1食で、ヒエを水に浸して食べるだけの宗教団体もある。
やはり我慢は良くない。不食の人も、「食欲は無いんですか?」と聞かれると必ず「ない」と答える。
ただ、最近はこのカラクリが少し分かってきた 。 俺も以前より腹が減らなくなってきた。
多くの人は、肉や加工食品など、血糖値がガンガン上がるような食事をするため、血糖値の上下が激しいために空腹に苦しめられる。
生玄米菜食を続けていると、腹が減らなくなってくる。ユクテスワ氏が言ったとおり、人間の身体に適したものだったら何を食べても構わない。それであれば大腸が汚れることはないし、病気にかかることもない。
だから別にナッツ類でも野菜でも果物でも大豆でも玄米でも、 植物性食品、アルカリ性食品を摂ってさえいれば何も問題はないとされる。
また、最低でも生の食品は50から60%以上取った方がいいと言われている。 野菜も火を通すだけで栄養のほとんどが失われてしまうし、栄養が少ないと、量で補って食べようとする生理が働くから、過食を免れないし、お金もかかってしまう。煮たり焼いた食べ物は、 タンパク質が変性してしまい、複雑な消化酵素を動員させられる。 動物園の動物たちの餌を加熱食にしたらほとんど死んでしまったという話もある。 人間が老化するのも加熱食のせいだと西先生も話している。
例えば、このアネット・ラーキンスさん(72)は、庭で育てた植物を非加熱で食べ、蒸留水しか飲まないという徹底ようだ。やはりローフード生活をしている人は年をとらない。ただの少食ではこのような肌と髪にはならない。
しまるこ流健食法は、一切の調理器具を使うことなく、煮たり焼いたりすることなく、独身男性が婦女子の力を借りることなく、強く生きるための健康法だから、生食にはこだわりたい。
最初に食べ過ぎてしまうことは仕方がないが、 その季節に応じた新鮮な果物や生野菜を食べているだけで、だんだん胃腸が落ち着いてきて、空腹に苦しめられなくなってくる。
さて、 これは俺にとって非常にためになった 話で、断食や少食に興味ある人にとっても希望のある話だと思う。ガンジーの断食指導の学者は断食についてこう語っている。
『私の経験によれば、浣腸で腸をスッキリきれいにしておくことができれば15日の断食も楽なもので、10日の断食より難しいということもありません。(以下略)腸をきれいにするという点では、私は直腸から水を通すことを心得ています。その水は大部分がすぐに直腸から外へ出てしまいます。1mくらいの高さのところに浣腸器をしつらえて、私は温浴しながらこの浣腸をします。大量の水を飲むことはあまりお勧めすべきではないと思います。まず1Lの水を腸へ通します。その後続けて2L、そして3、4Lお水が透明に綺麗になるまで通します』
甲田先生もミルマグというものを使って腸内洗浄をしていたと著書にあった。俺は現在大根梅流し法によって腸内洗浄をしているけど、一度浣腸と比較をしなければならないだろう。
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大根梅干し煮汁による宿便流しの研究
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1度でも断食をしたことがある人なら分かるが、15日の断食を楽勝と言えるのは並外れている。この文章から伺えることは、私たちが断食に苦労するのは、腸が汚れている(腸内細菌の不良)ために苦労しているだけで、断食そのものは考えているより辛い行為ではないかもしれないということだ。
ライオンは2週間ぐらい絶食が続いてもピンピンしているし、狩猟時代の人間も2週間程度の絶食は当たり前だったかもしれない。本来、人間は、長期の断食に耐えられるよう設計されていて、自身で腸内環境を狂わしていることに原因がありそうだ。
中村天風先生は病は忘れることで治ると言っている。空腹を感じながら断食をしてもメリットはないと思う。どうせ後で食べ過ぎてしまうだけだ。肝心なのは腸の状態を綺麗にして、少食や断食をしても空腹を感じない腸を作ることだ。空腹は忘れ去られなければならない。
だから長い時間をかけて、生玄米やら生野菜など、本来人間が食べるべきものを適切な量だけ摂り、随時、浣腸などで腸内洗浄をして大腸が綺麗になれば、たった1日や2日食べないだけで大騒ぎするような人間にはならないと考えられる。
山岡鉄舟も、貧乏で、月の半分は何も食べられなかった。食べられた日も、庭で採れた野菜を少量食べただけだと言っている。それでも90kgほどの体重を保ったし、剣術道場では何十人もふっ飛ばして鬼鉄と呼ばれていた。
俺は今、柿2つ。生玄米小さじ4杯、コンブ3枚、味噌小さじ一つの1日1食で無理なくやっている。正直この量は少食どころじゃなく、断食に近いかもしれないが、今のところは問ない。もし空腹を感じるようであれば、その都度、果物や生野菜、生玄米を補填する形をとりたい。だが少なくとも宿便が出るまではこれを続けてみようと思っている。
多くの断食指導者は、急な断食は絶対にやめるべきで、徐々に体をならしていきなさい。と言っていたけど、最近になって、この意味がわかった。
俺はそういう考えは負けだと思っていて、何事もいつも極端で早とちりして転んでばかりで、断食を繰り返して失敗ばかりしていた。
まず生玄米菜食から始める。初めの頃はいくらでもお腹いっぱい食べてもいい。しかしどう頑張っても、お腹いっぱいまで食べれない。そんなに美味しくないし、生だとよく噛まなきゃいけないから、ほどほどで十分になる。
逐一お腹が減るたびに、自分の好物の果物や生野菜を好きなだけ食べたらいい。腸内が綺麗になってくると、そんなに食べたいとも思わなくなる。
また、宿便を出したいのであれば、何も食べないよりも、リンゴを食べ続ける生活をした方がよっぽど早いとエドガー・ケイシーも言っている。
俺は不食に生きる人達が羨ましくて、急発進してしまったけど、やはり何でも順序があるようだ。
今のところ2週間ちょっとだけど、まぁしばらくはこの超少食を実践して、経過を発表していきたいと思う。多少の空腹感と引き換えに胃腸が健康になるのなら願ったりだ。
断食や少食は、その人の「腸の状態」によって、空腹の辛さは断然変わってくる。とにかく質素な食事が食欲を自然に調節してくれる。
しかし……、なんというか、 少食そのものに価値があるのではないか。
俺はいつだって断食や少食を繰り返してその先の見返りを期待しているけど、その考えは食べ物に失礼だし、そういう姿勢がいつまでも霊的偉人たちとの壁を作っているような気がする。