最近、中村天風先生とヨガナンダ先生の本を再読したけど、「まず心をはっきりさせなさい。理想を現実化するためには潜在意識にはっきり細かいイメージを焼きつけなさい」とあった。
あまり目標を声高に語るのは好きじゃないけど、はっきり細かく書くことで、理想が現実化するような気がして書いてみた。そしてせっかくたくさん書いたから、ネットに晒すのがいいと思った。
皆さんも、大悟した人間のブログやyoutubeがあったら、見てみたくなるだろう。今のこの時代を生きる人間が大悟した発信物があったら見てみたくなるだろう。それが不食なり、宙を飛ぶなり、目で見てわかる形で見せてくれたら最高だろう。
結局のところ、リーディングをしたいと思っている。自分の知恵を超えて、神人冥合、即身仏になり、天から勝手に降り注いできたものを発表できたらいいと思っている。
しかしこれもなんだか漠然としている。
恐らくこれだけ真理を追求している俺が、なぜこんなに真理を追求しにくい時代と場所に投入されたのか。その運命を呪ったこともある。
しかし、この時代にこそ真理が必要で、誰かがこの時代に真理を悟らなければ、ますます人々は迷走するだろう。マンションを出て2分も経たないうちに、からあげ「大ちゃん」がある。からあげのにおいが昇ってくるこの場所にこそ、真理を見出す意義がある。
ドストエフスキーはバルザックのことを宇宙的英知だと言っているし、モームは小説家の中で唯一の天才はバルザックのみだと言っている。バルザックが書いたものは全てが傑作な上に、何よりもその多作に天才性あると言っている。
だから俺もろくにバルザックの本なんて読んだこともないくせに、偉人のみんながバルザックは天才と言っているから、一緒になって言っている。
モーツァルトもそんな感じだ。「突然いったいどこから来たかわからないけど、急に完成された音楽がふと天から送られてきて、自分ではこれを指一本触れることができません。また、絶対に忘れることはありません」と言っている。
インドの天才数学者ラマヌジャンも全く同じだ。ラマヌジャンは全く数学の教育を受けたことがないのにも関わず、頭の中に見たこともない数式が送られてくると言っている。
ミケランジェロも、「あなたはいつも何を考えて彫刻を掘るのですか?」と聞かれた時、「考えたこともない。ただ素材が命じるままに彫り起こすだけだ」と答えている。
まぁ……こんな風に、ミニマリストだったり糞ニートほど、ジョブスやらザッカーバーグやら孫正義がどうとか言いだす(笑) ろくにアルバイトもしないくせに超一流企業のトップ陣を引き合いに出す(笑)
しかし俺はこの境地に達してみたいのだ。自分で考えることもなく神から素晴らしいものが送られてきて、それを原稿に写すだけなんて最高だ。とても楽だし何より完全無欠だ。俺じゃなくて神が創るんだから。
基本的に宗教芸術一元論の態度をとっている。ヨガナンダの師匠さんは「人は神を体験するまでは間違いしか起こさないものだ」と言っている。俺はこの台詞を妙に納得してしまった。
もちろん、神を隠れ蓑にして自分の仕事をおろそかにして断食と瞑想を繰り返すのは、現実逃避でしかないだろう。
つい最近だ。本当におかしなくらい目まぐるしく時代が進化していって、これまでゆっくりなペースで進化してきたのに、本当にバタバタして何がなんだかわからない。わざわざ富士急ハイランドに行かなくても、みんな立派なジェットコースターに乗っている。
周りが全員他人に見えて、心の置き場所が見つからない。何が正しいか、どう生きるかなんて見つけられない。働いたってしょうがないけど働くしかない。戦国時代よりも幕末よりも世界大戦の頃よりも、この時代は深刻なんじゃないだろうか。国も企業も、無知な市民から搾取することに熱心だ。何も考えないでボヤボヤ過ごしていると全て奪われてしまう。 どうして? 国って一番偉いんでしょ? 一番正しいんでしょ? どうして私達を助けるどころか攻撃するの?
1人1人がしっかり自分の頭で考えて、自分の足で生きていかないと、どうもこうもいかない。実際みんなどうもいかなくなっている。毎日が競争で息をつく間もない。そんなことをしてる間に搾取の手は忍び寄ってきて、肉を食わされ病気にされ、シャンプーをつけられハゲにされ、鉄筋コンクリートで固められて地球の磁場から切り離され、あまり儲けさせると逃げられてしまうから、家畜のように17万の最低賃金をエサ箱に入れられ、私達はハフハフ卑しい音を立てて食い散らかす。
ホリエモンはいい時代だという。Mr.Childrenの桜井和寿さんもHANABIの歌詞に「今はそんなに悪い時代じゃない」と書いている。クソニートの俺もいい時代だと思っている。週の6日は休みで、日々好きなことをして生きているからだ。だが、周りを見渡すと、明らかにみんな昔より肉体も心も頭も悪くなっている。マスメディアに洗脳されて正常な判断ができなくなっている。
俺は理学療法士で、 現在自営業で月に6万稼いで生きているけど、 ずっとこんな暮らしをしていくつもりはない。 基本的には好きなことや得意なことを生かして収入を得たいと思っている。 自分では理学療法をするよりも、記事を書いた方がいい人間だと思っている。
このブログは一度、広告審査に通ったけど、「出会いを目的とした出会い系の記事ではない」という理由で取り下げられてしまったので、現在は収入を見込めない状態になっている。だからYouTubeの方で手を伸ばしていかなければならない。
2ヶ月サボっておいて言うのもなんだけど、ブログを書くのは楽だ。楽な気持ちで書いていて、思考の整理というか思考の吐き捨て場というか、日々あるごとに音声入力でメモをしているだけだ。恋愛なら恋愛方面のところにメモを加える。仕事なら仕事、出会い系なら出会い系、食事なら食事。しかもその食事の中には、玄米について、肉についてと分類していく。欄や色でわけておいて、ハッとしたときに、その欄にメモをぶち込んでいく方法を取っている。 本を読んでいる時も、これは大事だなと思ったことを欄の中に埋め込んでいく。だから書いているというよりも、「 整理している」「まとめている」という感覚に近い。だから気づいたら記事は出来上がってる。いつも並行して同時にたくさんの記事を書いている。
今日は10時間で3000文字程度の記事を15個書いてしまった。まだ断片的な文章の寄せ集めにすぎないから公開というわけにはいかないが、大したものだ。2ヶ月ブログから遠ざかっていたから不安だったけど、やればできるものだ。前より頭が良くなってる気がする。 しかし俺は休みが週に6日もあるんだから、これぐらい働いて当然だ。
これを見て、わぁすごい。しまるこは努力家だなぁ……! と思うだろうか? こんなのはTwitterでつぶやいてるのと変わらない。人間がふわふわした気持ちをその瞬間に捕まえて書き溜めておくと、あっという間にこれぐらい出来上がる。
まあ、偉そうなことを言っていても、そこらのYouTuberが20分や30分ベラベラ喋っている分量を文字数に換算すれば、3万や4万字はくだらないから、この記事10個分の量に相当しているわけで、大したことでもない。
昔は、「今日は3時間書くぞ!」「記事を書き終えるまでは帰らないぞ!」という気持ちでやっていて、全くの白紙の状態から、最初の一文は何を書こうか〜? という感じだったけど、今はそんな状態は抜け出した。この1年半でずいぶん進化した。この方法を体得できるようになっただけでも、 会社を辞めた価値があったと思う。もしサラリーマン生活を続けていたら身につかなかったと思う。身につけられたとしても、今より大分遅れていただろう。実際サラリーマン時代はブログを書こうと思っていたが、3年間で1つも書かなかった。
まったく金になってないのに、何のために書いてるのか。読んでくれる人を楽しませたいという気持ちはあるけども、自分用のデータベースとして活用しているところが大きい。 紙のノートにメモするのはバカらしいし、オフラインのパソコンに募らせるのもなんだか寂しい。どうせ保管するならオープンベースにして、多くの人に共有してもらった方がいい。
そしてなんといってもYouTubeの台本にしようと思っている。さて玄米が大事だと言ってもそれについていきなりカメラに向かって話そうとしても、なかなか喋れたもんじゃない。 一度こうしてブログの記事として書き上げておけば、後は記事を参考にして喋ればいいかなと思っている。
つまり俺は断食と瞑想を通じて霊的能力を高めて、エドガー・ケイシーのようにリーディングを通じたメモができるようになりたいのだ。そのメモをまとめて、ブログにして、台本にして、YouTubeで紹介して……といった風なスタイルを確立したいのだ。我ながら全てを連結させた頭のいいやり方だとは思っているが、理想と行動が追いついてないのが現状だ。
基本的に作家の本を読んで文体の勉強をするのはあまりやっていない。 あくまで瞑想によって心的境地を高めて、 より深い自己意識の中から文章を紡ぎ出せる術を試みている。 1年半前より、その目論見はうまくいっているようには思えるが。
霊的修行を通じて大吾することによって、自分の潜在能力を覚醒させて、今よりさらに面白いものを作れるようになろうとしている。別に誰かを救いたいわけじゃない。誰も見たこともない最高の破壊力を持った作品を作れるようになりたい。含蓄に富み、 人間精神の最奥を呼び起こされて、爆笑も盛り沢山で、 感動系でもないのに感動して、涙が止まらないようなものを書き上げたい。当時、シラーの「群盗」を観た観客は、みんな泡を吹いて倒れたという。
HUNTER×HUNTERみたいな漫画を描ければいいんだけど、絵が下手で適わなくて、集英社からも突き返されたから、こうして文章や動画でやってくしかない。ブログを書くのはわけないけど、YouTubeはなかなか厳しい。何か新しいことをやろうとすると大変気力がいる。
こういう時、アイシールド21で言ってたけど、
「一流選手は転んでもすぐ立ち上がる。二流選手はその後に遅れて立ち上がる。三流選手はいつまでも横たわったままだ」
という言葉を思い出してしまう。動画は言葉の一つ一つに体重が乗らない感じがして、どうも気持ちが悪い。 普段人と話さないから喋れなくなってるのかもしれない。だが時代はYouTubeなので、何とかしなければならない。まぁなんとかしよう。 勝間和代さんも同じような事をボヤいていたけど、今は何とかなっている。
ブログなりYouTubeなり、今は底辺を迷走しているけど、自分にとっても世の中にとっても、霊性意識にとっても、理に則した毎日を生きていれば、自ずと成功するだろう。少食にしていれば運も良くなるだろう。ダメだったとしても、そのまま死ねばいいだけだ。今と何も変わりはない。俺の人生が失敗作だとしても、俺がそれをよしとしていれば何も問題はない。
そして月に6万稼いで、6万以内で生活していれば差し引きは0なんだから、慌ててつまらないことを書いたり、サムネ詐欺だったり、炎上商法だったり、アルバイトしたり、やりたくもないことをやる必要もない。 やっぱり、こうして目標に向かって生きる自由が与えられているんだから、いい時代だなと思う。
これが俺の潜在意識に送る計画である。