ある日、収容者が横たわったまま動こうとしなくなる。着替えることも洗面に行くことも、点呼場に出ることもしない。どう働きかけても効果がない。彼は何も恐れない。頼んでも脅しても叩いても全ては徒労だ。ただもう横たわったきりピクリとも動かない。この発症を引き起こしたのが何らかの病気かもしれないと、彼を診察所に連れていこうとするや拒否する。彼は自分を放棄したのだ。自らの糞尿にまみれて横たわったまま、もう何もその心を煩わすことはない。
「夜と霧」より
先日、中学の同級生を見かけた。地元で暮らしてても、中学の同級生を見かけることなんてまずない。だが、彼の姿を見かけることは必然だったといえよう。
彼は街を徘徊する33歳のニートだった。中学の頃から既に体重は100キロ超えていて、キチガイで有名だった。いつも死にたがっていて自殺未遂ばかりしていた。授業中にカッターで筆箱を切り刻んで粉々にしたり、急にベランダに出て飛び降りようとしたり、美術の時間にせっかく描いた絵を切り刻んで提出したり、キチガイ正道を直進していた。その度に教室は大騒ぎになり、みんなで頑張って彼の凶行を止めた。何かを切り刻むことが、とくに好きなようだった。
そういう時、彼が何がしかの自殺未遂に出る時、俺がいつも思うことは、今はこうして皆に止められたから死なずにすんだけど、誰も止めなかったら、すぐに死ぬじゃないかということだ。
今すぐにでも、みんなの反応する間もなく飛び降りれば死ねるはずだ。本気で死ぬ気がないのは、彼が今生きていることが何よりの証明だろう。ただ構ってほしいのだろう。当時からそんな風に思っていた。
みんな、あいつは将来すぐ死ぬだろう、若いうちに死んでしまうんだろうと言っていたけど、俺はそうは思わなかった。そして案の定、20年経っても、生き長らえていた。
20年ぶりに再会した彼の姿は恥も外部もなかった。髪は禿げてはいなかったけど、白髪がすごかった。これもまた不思議な髪型をしていて、周りは真っ黒なのに頭頂部だけが真っ白なのだ。富士山みたいだった。別に狙ってやっているわけではないだろうけど、頭頂部だけがなぜか真っ白くなっていた。そして顔が真っ黒だった。日中の徘徊による日焼けと恐らく風呂に入っていないであろうために垢が詰まった為だろう。ホームレスによく見られる浅黒さを呈していた。そして信じられないくらい目が細かった。太っているため、肉厚な瞼の重みに負けてしまった目をしていた。ほとんど一線だった。瞳の色も糞もなかった。寝てる人が歩いてるみたいだった。
どうして風呂に入らないのだろう? 親は何も言わないのだろうか? 引きこもりだとしても、お風呂に入らないことと関係ない。痒いだろうし、入りたくならないのだろうか? 日光で浄化されてるから十分なのか?
そして、犬を連れていた。いつも犬を連れて歩いているらしい。体重が三桁を超える巨漢ということもあり、それが犬を連れているので、近所では西郷どんというあだ名が付けられている。(ちなみに、犬を連れている方がナンパ時の成功率が高いとメンタリストDaiGoが今日の動画で言っていたが……)
彼を見て痛感したことは、全てに諦めているということだった。人間みんな生きている限りはどこか張り詰めた何かを持っているけども、その糸が完全に切れてしまっていた。清々しいほど切れていた。彼の生命は確かに脈打ち循環しているけど、人が生きている以上抜いてはならないものを放棄してしまった顔をしていた。これから何をどうするか、結婚や仕事は? 親が死んだらどうするのか? そういった未来の不安はなさそうだった。過去の不安なさそうだった。記憶が全てなくなっているように見えた。
外をふらふら散歩するのは、恥も外聞もなくなってしまったからだと思われる。同級生に見られようが、近所の人に見られようが、そういったところは超越しているのだろう。ここで刮目すべきところは、完全に人間を捨てた人間だけが散歩をするということだ。そこらの引き篭もりは日中の散歩なんてしない。完全に人目を気にしなくなると、引き籠ることすらしなくなる。ただ身体の求めに応じるようになる。向日葵のように、ただ日光に向かってくるくる廻る。
多くの人は彼を見て不幸だと思うだろうけど、スイッチが切れてしまっているので幸も不幸もないように思えた。案外、つまらない会社でつまらない仕事をして過ごすよりマシに見えなくもなかった。
もし俺が、「よお、久しぶり、元気してるか?」と話しかけたらどうなっただろう? おそらく彼はぼーっと顔を上げて俺の方をじっと見ると思う。一般の人が驚いたり何を話そうか考えたり記憶と戦ったり、この場に一番適した対応を探す色もなく、ただぼんやり俺の顔を見て止まってしまうように思えた。2分でも3分でも、普通、常人には考えられない時間を、俺の顔を見てボーッとしてしまうんじゃないかと思われた。そんな反応をするのは赤ちゃんと野良猫だけだ。
生きるでも死ぬでもなく、ただ途切れてしまった人間。
みんなこうなりたくないからせかせか働いているんだろう。だが、世間の習わしを借りずに、ただ相手の顔を何分も見たまま止まってしまうという原始的な反応は、ある意味人間精神の深淵に通じているところがありそうだ。そして、二度言うが、そんなに不幸には見えなかった。
実は……、ちなみに俺もキチガイだったので、こいつとよく遊んだ仲だった。中学の時、ちょうどクラピカと幻影旅団のバトルで熱くなっていた時期だったので、俺とこいつ二人でクラピカの真似をして左手に鎖を巻いて登校したことがあった。二人でヒソカの真似をして、授業中にトランプタワーを作っていたこともある。
俺の家に遊びに来て、一緒に遊戯王カードをやったこともある。エグゾディアデッキといって、指定のカードを五枚揃った時点で勝利になるというデッキなのだが、遊戯王カードはカードの枚数に上限がないため、30枚でも60枚のデッキでも別によかった(今はどうか知らない)。だからどんな枚数のデッキにしてもいいのだけど、指定のカードを5枚揃えるデッキなら、カード枚数が少なければ少ないほどいいのに、こいつは馬鹿なので100枚以上にしたデッキで、エグゾディアを揃えようとしていて、いつも俺に負かされて死のうとしていた。総じてカードゲームが下手な人間は、人生も下手だと見て間違いなさそうだ。