とある漫画通の知人が言っていたのですけれども、その人は、世界中にまだ知られていない傑作漫画を見つけてくることを生き甲斐にしていて、その趣味がこうじて職業にまでなった人ですが、彼ですら、「作品が多すぎて追いきれない」と口にしていましたね。
プロにしろ、アマにしろ、これだけ作品がてんこ盛りになってしまったら、そして、さらにこれにAIも加わってくるとなると、誰かに手をとって見てもらえること自体がほとんど不可能になってくると思いますね。
私たちの時代でこれですから、これからの人はもっと大変でしょうね。だから、どこかで諦めが出てくると思います。この作品の飽和が、ある一定のところまでいくと、それは、我々がふだん日常などで職場で話す、世間話、冗談、同僚との会話が、空気へと消えていってしまうと同じくらいのレアリティになってくるように思います。この、他愛のないおしゃべりと同程度くらいに、作品もまた、学校やコミュニティで、自身らの作品を持ち寄って、仲間内で回し読みをしたりと、狭い範囲内でのコミュニケーションツールに収まってくるのではないでしょうか。
職場の同僚とのおしゃべりが無意味でないと同じくらいには、身内だけで楽しむ作品も無意味ではないように思います。そんな、経済効果も伴わない、ただのエネルギーと時間の浪費かと思われるかもしれませんが、思いの外、人の創りたいという気持ちは強く、この表現欲というものはけっしてなくなることはないと思います。
原初の時代は、きっと、仲間内で楽しむために見せ合っていたものと思われるのですよ。今でこそ、ネットや何かで人とやりとりをし、すべてがバーチャルとなっていく中で、リアルでいっしょに外に出て遊ぶ友達がいることがどれだけ素晴らしいかを再認識したり、たくさん戦争してまわって平和を導き出せたり、地産地消の自然食品が見直されるように、わざわざ、あるべきテリトリーから抜け出ていって、さんざん外を見てまわったあげく、やはり元の場所に戻ってくるように、作品も、公の場で競ったり売ったりせず、やっぱり、ここでよかったんだってことになると思います。そのための通過儀礼が終わりを迎えようとしているのではないかなと思いますね。