友達との電話シリーズ

おまんこフェスティバル

しまるこ「この前タリーズで、お茶飲んでてさぁ」

友達「うん」

しまるこ「俺、同じ場所でずっと座ってられねーくらい、コンチクショウで、おてんばで、犬畜生だから、気分転換に、すぐに立ちあがっちゃうんだよ、で、フラッと外の公園を一周してくるんだよ。一時間に一回くらい」

友達「一時間に一回か、まぁ、多いね、うん」

しまるこ「そしたらね、ちょうどなんかイベントみたいなのやってて。森林公園の中に、布幕のテントがいっぱい張られてて、1900円の特大ステーキ串とか、ケバブだったり、トルコ料理だったり、移動型寝台のマッサージ屋だったり、北京ダックだったり、たこ焼きだったり、民族衣装のアクセサリーだったり、まぁ、いろんな食べ物だったり、展示だったり催し物がいっぱいやってたんだよ」

友達「うん」

しまるこ「で、入口んとこに、『◯◯(住んでいる市)フェスティバル』って垂れ幕がバーンって飾ってあってさぁ」

友達「うん」

しまるこ「おまんこフェスティバルとまんこフェスティバルじゃぜんぜん違うなって一瞬思ったのね」  

友達「ん?」

しまるこ「いや、これがさぁ、『まんこフェスティバル』だと、まぁ面白いっちゃ面白いんだけどさぁ、『おまんこフェスティバル』だとぜんぜん違うなぁって」

しまるこ「おまんこフェスティバル」

しまるこ「まんこフェスティバル」

しまるこ「『お』がつくだけで、こんな違うかぁと思って」

友達「うん」

しまるこ「まんことおまんこでぜんぜん印象違くなる例はいくらでもあると思うんだけど、フェスティバルがいちばんそれが顕著にあらわれるっていうか、まんこフェスティバルだとそこまで面白くないんだよね」

友達「うん」

友達「いや、面白いと思うけど」

しまるこ「カタカナにしても」

しまるこ「マンコフェスティバル」

しまるこ「オマンコフェスティバル」

しまるこ「ぜんぜんダメでしょ?」

友達「ぜんぜんダメだね」

しまるこ「カタカナだと、マンコフェスティバルの方が勝っちゃうくらい」

友達「『オ』がない普通のマンコの方が」

しまるこ「そう」

友達「でも、垂れ幕は『◯◯(住んでいる市の名前)フェスティバル』だったんでしょ?」

しまるこ「そう」

しまるこ「はじめはもともと一つだったんじゃないかってくらい、おまんことフェスティバルの結びつきが自然に感じられて。いま別々に使われているのは、もともと一つだったのを切り離して使われてるんじゃないかってくらいで」

しまるこ「すごいピッタリきて、いい響きだなって」

友達「一周回らなくてもってことでしょ?」

しまるこ「そう。一周回らなくても。ダイレクトで」

しまるこ「そこで、俺、初めて、チンカスって言った人、すげえなって思って」

しまるこ「ちんこでさえ、すごく劣等というか、ひどく馬鹿にした言い方なのにさぁ、そのカスだぜ?」

しまるこ「昭和の中旬頃かね? 戦後、だんだん戦争から遠のいてきて。焼け野原になった瓦礫の山たちも片付いてきて、新しい家がだんだん建ってきて、バブル期あたりかな? たぶん、その辺りに、チンカスって言葉が出てきたんだと思うんだけども。余裕が生まれてきてね。仲間がちょっと間抜けなことをしでかして、「このチンカスがぁ〜!」とか言って、笑いだしてきたんだと思うんだよ」

友達「なんか、頭の中に金八先生が出てきたけど」

しまるこ「今では、もう、普通に、ちょっとしたときに、チンカスがぁ、チンカスがぁって、あいつはチンカスがぁとか、言うけどさぁ」

友達「日常の中でね」

しまるこ「そう」

しまるこ「でも、もうみんな、その初めの感動を忘れちゃってさぁ。残念だなぁって思うね」

しまるこ「だってチンカスだぜ? ちんこのカスだぜ?」

しまるこ「みんな、本当にあれを想像しているのかなぁ?」

しまるこ「俺ダメなんだよ。チンカスだけはダメ。ちょっとでも誰かがチンカスって言おうもんなら爆笑しちゃう。『おーい、早くしろチンカス』とか、『お前、ほんと、チンカスだなぁ』とか、誰かが言ってるの聞くと、もうその瞬間立ってられなくなるくらい笑い崩れちゃう。いつも、なんでそんなにチンカスで爆笑すんの?とか、小学生かよとか、クソみたいなツッコミされるんだけど、そんなクソみたいなツッコミされると、すぐに冷めて真顔になっちゃうんだけどね」

しまるこ「みんな、たぶん、絵を想像してないんだろうね。俺、毎回一回いっかい、頭の中で絵を浮かべてるもん、だってチンカスだぜ? あれを例えてるんだぜ? みんな、たぶん、頭で想像しないで、ただ言葉だけ口にしてるわ、血が通ってないわ、AIと同じだわ」

しまるこ「たぶん、これは最初に言い出した人の新鮮な着眼点を忘れないようにっていう俺の注意力が働いてるんだと思うんだけど」

友達「平等院鳳凰堂を守ろうとするように」

しまるこ「そう、その人の手柄を一生守ってあげようって、文化遺産を守ろうとしているところがあると思うんだけど」

しまるこ「俺マジでチンカスって言葉を目にしたり、耳にしたり、何かネットとかでも、コメントとか読んでてYouTubeのコメント欄でチンカスって言葉が目に入ると、毎回、爆笑しちゃうもん」

友達「それは幸せなことだね」

しまるこ「そうかなぁ?」

友達「でも同時に地獄かもしれないね。終わらない射精というか」

しまるこ「これがさぁ、例えば、結婚しても、初めて会った時の相手の印象がずっと続いてるとかだったらいいことなのかもしれないんだけれど」

友達「チンカスだからね」

しまるこ「いや、みんなね、想像してないんだって。チンカスって言葉が会話中に現れても、そのまま流しちゃってる」

しまるこ「なんで流すの!? って感じなんだけど。みんなよく止まんねぇなぁと思って、よくストップしないなぁと思って、俺ちょっと待ってって、今、チンカスって言った!って」

しまるこ「なんかもったいない気がしてね」

しまるこ「究極のリアリストというか、ダメなんだよね。流すことができない」

友達「いちいち思い出していられないからね」

しまるこ「こっちとしては、偶発的というか、毎回、初めて会ったような新鮮な感覚があって、そんなに意志を持ち出してる感じはないんだけどね」

しまるこ「だってチンカスだぜ? ちんこのカスだぜ?」

しまるこ「あんなの、だって、やばいでしょ?」

しまるこ「めちゃくちゃやばいんだけどなぁ」

友達「チンカスに限ったことじゃないけど、みんな会話中に止まらないことだけは確かだわ。今、俺らがこうして話しているのって、止まって、止まった部分にフォーカスして話しているわけじゃん? この、『チンカス』ってものに対して。みんながエスカレーターのようにノンストップで流れてしまっている事象に対して一度立ち止まって考えてみようよってことでしょ? 俺も、この、止まるってことは大事だとは思う。チンカスはともかく、止まらないと、流れていっちゃって、そこにわけ入っていって考えることができないからね。職場の連中と話してるときにいつも思うことは、あぁ止まんないなって。いつも止まらずに流れていく感覚だけがあるわ。この止まる止まらないが、あんがい重要かもしれないね、会話において」

しまるこ「べつにチンカスじゃなくても」

友達「うん。俺もチンカスじゃ止まらないもん」

しまるこ「チンカスじゃ止まらない?」

しまるこ「おまんこフェスティバルも?」

友達「おまんこフェスティバルは止まるけど」

友達「止まるのは、二人で一つの問題に対して、同じくらいの注意力でとどまっているときに、共感というか、この人話せるなぁって感じを覚えるのが、それが止まるっていうか、止まっているときの心情の内訳だと思う。べつにそれがチンカスじゃなくても。それって案外、初対面の人でも起こるからさぁ。初対面の人でも止まって話しているときあったりするから」

しまるこ「初対面の人とチンカスについて止まって話せたらすごい正義だとは思うけど」

友達「いや、悪だろ」

しまるこ「悪だね」

友達「職場の会話だと、みんなで車窓から外の景色が流れていくのを眺めている感じ。車から降りてその中の一つの店に入っていくという感じがちょっとないね。やっぱりもっと山嶺から濁流のように押し寄せてくる川を一歩一歩かき分けるようにして入っていくのが必要になってくるかなぁ」

しまるこ「話すということが、止まって景色を見ることと同じだというのなら、何も話していないということになるね?」

友達「ただ走っているだけ」

しまるこ「AIじゃねーか」

友達「たぶん、チンカスで止まるような人はいても、一回いっかい爆笑する人はいないと思うんだよなぁ。チンカスで止まるような人だったら、おまんこフェスティバルとまんこフェスティバルの違いはわかるとは思うけど、でも、爆笑はないと思う。一回いっかいチンカスで爆笑してたら、その場合だとしても、会話が成り立たない気がする。ってか、正直、邪魔だと思うもん」

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