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赤毛のアン レビュー⑤ 「神を見出すのは40手前がいい」

まったく、毎年思うことだが、どうしてこんなに、新年というものは、空が綺麗なのだろう。

まったく、雲ひとつない。青々とした蒼穹が貫かれている。水色のややグラデーションがかかった。赤ん坊のように生まれたての空でありながら、それでいてさめざめとして深く心に染み込んでくるような、不思議な空である。空の方が違うのか、俺の心の方が違うのか、それは、去年もそうだったし、昨年もそうだった。

まぁ年末年始ということもあって、1週間ばかりまた実家に帰っているけれども、なんとなく、やはり朝になると、どうしてもカフェに行きたくなってしまう。これはもはや病気だろうかと思う。そうはいっても車に乗りたいとも思わず、歩いて行ってもいいのだけれども、たまたま母が使っている電動付自転車なるものが置かれてあって、それに乗ってみたいと思った。いっても、せいぜい、4、5kmぐらいなものである。

まぁ、電動自転車というものは良い乗り物だね。わりと最近、電動自転車に乗っている人をよく見かけるけれども、その理由がよくわかるようだった。電動アシストでスイスイ進む。前カゴの中に、いろいろ荷物を詰め込んだリュックを乗せたとしても関係がない。まったくその重さの影響を受けない。自身が、そのバッテリーとして、ダンベルのような重さを付属させているものの、それも自身の電動のアシストの力で無重力化させてしまう。だから買い物をたくさんする主婦にとってはうってつけだろう。もちろん、学生が通学する分においても、教科者をパンパンに詰め込んだとしても、もろともしない。どんなに荷物を乗せてもスイスイ進んでいく。そういう意味じゃ、クロスバイクより電動自転車の方が良さそうだね。俺は、学生時代、自転車に乗って毎日5キロくらい通学していたけれども、高校時代これがあったらどんなによかったものかと思う。そういえば、タリーズでコーヒーを飲んでいるとき、その駐輪場に止まっている高校生らの自転車を見ると、ほとんど高校生たちは電動付自転車に乗っている。あんがい、彼らはクロスバイクに乗らない。クロスバイクに乗る高校生というものはほとんど見たことがないよね。

漕ぎ心地も最高だ。生の自転車とはまったく違う。漕ぎ出すにしろ、向かい風にしろ、坂道にしろ、なにも問題としない。ふつうの自転車に乗っているとき、風がない時、スルスルと進んでいく状態があるとすれば、そのいちばんいいときの状態がずっと続くような感じである。いや、それ以上である。

25キロ以上はスピードが出ないように設計されてあるので、もっと速度を出したくなるというのであれば、クロスバイクの方がいいかもしれないけど。まぁ、俺は、クロスバイクに乗ったことはないのだけれども、クロスバイクの方が好きだ(笑) はたから見ていて、クロスバイクに乗っている人は、もっと気持ちよさそうに漕いでいるからだ。

そんなことを感じながら、近所のカフェに来てみれば、今日は元旦だしと思って、この実家に帰っている間はゆっくりしようと思って。パソコンはわざと持ってこなかった。紙とペンと本一冊のみである。

それともう一つ、変なイラストを印刷した紙を持ち歩いている。何らかの映像を心に留める訓練をするためである。「ひとたび見たものを、そのまま心の中に浮かび上がらせる能力を養いなさい」と、中村天風先生とヨガナンダ先生は言っていて、割と少なくない聖者が、この鍛錬の重要性を説いている。目でものを見るより、心で見ることのほうが大事だからだろう。じっさい、人は話すとき、あるいは書くとき、あるいは絵を描くにしたって、その多くは、目で見たものではなく、心で見たものを描くはめになるだろう。多くは、心の具象に頼らざるを得ない。しかし、いざ、それを見ようとしても、多くはピンボケしてしまっている。その映像がピンボケしているために、話すにしても、描くにしても、ピンボケをピンボケで伝えることになってしまうのだ。もし、この映像がはっきりしていたら、伝えることもはっきりしてくるだろう。なぜなら、伝え方がはっきりしていることよりも、伝える対象の方がはっきりしていることのほうがずっと重要だからである。じっさい、この手の訓練をしている人の記事などを読んでみると、これをやることによって、より頭がはっきりしてきて、意思疎通や創作行為にあたっても雲泥の差が現れるようになったとある。

今現在、この能力を開拓することは、俺にとっても最も大事なことの一つになるのではないかと思っている。当時、ボクシングが重要だ、道場での稽古が重要だと、自らの勘にしたがって努力を始めたのがちょうど一年前、やっぱりその勘は正しかったと心から言える。今、これがなかったら、神へと繋ぐ架け橋なるものを見出せなかっただろう。今回も、これはきっと正しいものになるだろう。

電動付自転車に乗って、カフェへ、一つのイラストを持っていって、それを特にジィーッと見たりはしないけれど、模写したりもしないけれども、それを軽くチラッと一目見るようにして、網膜の裏に焼き付けるようにして、今度はそれを閉じて心の中で思い浮かばせるという訓練をしている。絵にしろ、文章にしろ、自分の人生設計を描くにしたって、この、心の中に留めた映像をぼやけた形でなく、はっきりさせるという力が、どうしても必要になってくるように思われるのである。きっと文章においても、ここがいちばん重要になってくる。これがどうしても今までうまくできなかったけれども、中心感覚にピントを合わせると、前よりはっきりと記憶させられるになった。まぁ、あまり一度に長いことやるよりかは、ふと、ちょっとしたときに、チラッと見てチラッと記憶するのがいちばんいいと言われているけどね。

耳は、何回か曲を聞けば、頭の中でそれを再現させるのは、絵に比べれば難しくはないが、それは俺がそういう人間というよりも、ほとんどの人がそうだろう。そんなふうにして、カフェを一つの修行場として、大晦日も元旦も、この年末年始を過ごした。

午後になると、実家の家の外には、およそ5.5キロの続く、千本浜の海岸線があって、その林道の中を歩き続けた。松林にかこまれて、この年末年始にだけ見られる雲ひとつないきれいな空さえも憚られる、プリンス・エドワード島にも負けないくらい美しい背の高い松にかこまれた遊歩道があり、このために俺はこっちに引っ越してもいいんじゃないかと本気で思ってしまうほどである。海岸線を歩くのも気持ちいいけれども、やはりコンクリートということもあって、そっちはやっぱり自転車のほうがいいだろう。いつかクロスバイクを手にしたら、5.5kmのコンクリートの海岸線を往復してみたい夢がある。今は、どちらかというと、下の松林の遊歩道の方を歩いて、帰りはマラソンして帰ってくる。

今日、カフェに行ったとき、ふと、もう一つだけ、赤毛のアンのことを書きたいと思った。そのもう一つが、最も重要だと思ったのだ。俺はやっぱり何も持たないでいた。紙とペンと、イラストが印刷された紙だけ。電子機器を何も持たずにカフェに行くということは、気持ちよさがあるけれども、

もう、赤毛のアンについては、4つもレビュー記事を書いたとおり、昨日書いたもので、終わりにするつもりでいたが。アニメの方は最終話まで見たし、もう書くこともないと思っていた。十分書けたなと思えば、そうは思えないところもある。でもそれを含めての記事というのものだ。その時その場で思いついたものを書く以上の事はしなくてもいいと思っていたから、ヨシにしていたけれども、何か肝心なものを書けなかったような、これでいいのかなと思ってしまうところもあった。

そんな夜、ふと、たまたま赤毛のアンについて、情報の補完をしようとして、ネット記事を漁っていたら、俺よりもずっとすごいレビュー記事を書いている人が見つかった。

L.M.モンゴメリ『赤毛のアン』 & 高畑勳監督 『赤毛のアン』 : ロマンティックさを少し

もう60歳をこえている人で、ハンドルネームも『年間読書人』と書いてある。そのハンドルネームにうそいつわりがないようで、たしかに博覧強記の読書家であることがうかがえる文章力で、すべてにおいて俺とは歴然の差があった。60年の読書量が、電動アシストのようにアシストしているようで、その確かな考察と文章力に魅入ったものである。

自分より確かに考察力や文章力が高い人を見つけたとしても、そこに勢い勇んで、他の記事も読んでみたり、自分のライフワークの一つに組み入れたいと思わないことは、これもやはり、縁のなせる技か。これ以降は多分もう読む事は無いことを考えると、ネットでいくらか感動したり感じいるものがあったとしても、(少なくとも、自分の側で)つながりをもつ、もたないことは、どういう塩梅に仕組みが働いているのかは、いまだにわからない。

このレビュー記事の中で、とくにこの文章が心に残った。

高畑勲が前記の著作の中で指摘しているように、アンとマリラが象徴する「子供と大人」には、それぞれの正しさが存在し、どちらか一方が正しいということではないのだと、私も思う。だからこそ、アンは、子供のままのアンではなく、少しずつ成長し、大人へと変わっていったのだ。

しかしまた、老いたマリラにむかってアン自身が語ったように、変わったアンの中には、昔のままのアンが生きてもいる。変わらないままのアンが、ずっと生きているのである。

そしてたぶん、それはマリラやマシューだって同じことだったろう。

長らくその存在が見失われていたとは言え、マリラの中にも、マシューの中にも「子供」だった頃の彼らが生きていたはずであり、だからこそ、アンの呼びかけに、彼らの中の「子供」が共鳴して、彼らは「子供の生の力」を呼び覚まし得たのである。

あぁこれだなと思った。そうだ、確かに俺は書くことに回って、すっかり頭から抜け落ちていたけれども、俺は確かに赤毛のアンを見ていて、これがいちばん重要なテーマとして感じ取ったものだったのかもしれない、と思わされたのである。

もちろん、赤毛のアンは、幼少期は全体の一部に過ぎず、これからアンは高校に行ったり大学に行ったり、結婚したり子供を産んだり、ひとつのその時代の女性としての象徴としての人生、あるいは全女性としてのひとつの人生がその著書のいちばんのメッセージであることは疑いようはないようだけれども。グリーンゲイブルズで過ごしたその期間は、確かに強く心に残るものかもしれないけれども、全体の一部であり、アニメではそこまでしか放送されていないということもあるけれども。

俺はどうもその場の熱い想いで、そのとき感じたことをそのまま書いて、書きっぱなしにしてしまうところがある。書きっぱなしというより書き殴りか。読んだ人ならわかるだろうが、ほとんど冷静さを欠いていて、目を血走らせていて、主観も主観、ほとんど客観性を持たない、ただの感情の吐露である。あらすじすらちゃんと書かないから、読む方の人からすればなんのこっちゃもわからない。しかし、この人は、ちゃんと落ち着いていて、冷静に、最後まで観察が行き届いているように見えた。

確かにアンから見たマニラ、マニラから見たアン、この人は、およそアンとマニラの二人を主人公として見て書いている。

確かに、この二人はほとんど正反対な人間のように思え、互いの年齢差、性格差、正反対の人間同士が中和されて、ひとつの完全な魂へと移っていくその変遷について、正しいレンズと角度からそれを追っているような、そんなレビューの書き方をしているのである。俺は、きっと、この書き方がいちばん素晴らしい角度のように思ったのである、

さて、それと同時に、これもまた、俺の体験や主観に根付く事柄になってくるのだけれども。俺もまた、アンあのような人間だったように思うのである(笑) とにかくうるさくて、喋り出すと止まらない。本当に一日中しゃべっていて、黙るということができなかった。それはどうしてもできなかった。俺が修学旅行とか3、4日家を空けると、水を打ったような静けさだったと家族からも述懐されている。口から生まれたんじゃないかと家族から言われるほどおしゃべりで、元気で、そのときの自分を見ているようで、アンは他人とは思えなかった。

そして、もう一つ似ているところがあって、うちの母親がマニラのような人だったように思うのである。

うちの母親も厳しかった。

俺が家にしろ学校にしろ、問題ばかりを起こして、一年のうちに問題を起こさない日の方が珍しいくらいで、とにかく静けさを持たせようとして、習字教室に通わせると、イカの子供のように、教室中に墨をばらまいて、墨だらけにして、その日の午前中に帰されたくらいだし、今度はピアノ教室に通わせると、

しかし、今思うと、育て方が下手だなぁと思わなくもない。こういうおてんばの子供は、武道を習わせた方がいいに決まっているだろう。じっさい、その人が習い覚えなければならないことは、歳をとった後でも履修するはめになり、今、こうして俺は変な道場に通っているのだから。

ピアノ教室に通ったら、まぁまったく鍵盤なんて叩く様子もなく、ベートーヴェンの運命のように、ジャーーンジャーーーーンとやるくらいで、変な、いつも持ち歩いていた、チャンバラのおもちゃみたいなやつで、ピアノを弾いてるよその子供を斬りつけたりして、暴れて邪魔ばかりするので、その日のうちにやっぱりまた送り帰されることになり、確か、そのとき、その先生に、「さすがによその子だったのでやめましたが、自分の子供だったらビンタしていました」と言われたのを母と一緒に聞いたのを覚えている。

まぁそれはさておき、もしうちの母親がマニラに似つかない、たとえば、マシュウのような、とっても穏やかなお母さんであって、そんな両親の元に育てられていたら、俺はまたぜんぜん違った大人になったかもしれない。当時は、俺の破天荒ぶりに負けないくらい、俺の母親もヒステリックで、俺は39年間生きてきて、こんなにヒステリックな人を見たことはなく、姉もきっとこれには同意するだろうけど、もし、これが、穏やかな母のもとで育てられたら、それはたとえば、俺は子供の頃に、そのような自由な羽を持っていて、もし母親がその羽の健やかさや、伸びやかさ、美しさを褒めたたえてくれて、さらにその羽を伸ばすために、羽の思うがままに飛び立つことを、その都度許してくれていたなら、俺はやっぱり違った大人になったと思う。もっとすごい大人になれた。もっと創意工夫に富んだ、いずれの能力も高い人間になったんじゃないかと、そう思った事は何度となくあって、むしろ母親にこの自由な羽を痛めつけられ、折られ続けたと悔やんだこともあったけれど、それは間違いだったと、アニメを見る前からそう思っていたことがあったけれども、このアニメを見てとくにはっきりと、母親は間違っていなかったと思った。俺がこの家に来て、この母親に出会って、母親に育てられたことは間違いどころではなく、まったく天の理に適った、いちばん幸福なものだったとはっきりわかった。それはやはりこのアニメを見たからである。

また、やはり、マシュウのこのセリフも手伝っているだろう。

「そうさのう、あの子はそう甘やかされもしなかったようだ。時々わしがお節介したのも、別に害はなかったようだ。あの子は利口で、きれいで、それに何よりも良いことに優しい子だ。私たちにとってはお恵みだった。スペンサーの奥さんが間違ってくれて、運が良かったと言うもんだ。もっとも、それが運ならばの話だが、どうもそれとは少し違うようだ。神の思し召しというものかも知れない、全能の神がわしたちにはあの子が必要だと認めて下さったんだ。」

アンがマニラという強烈な中和剤に対して、決してそこから逃げないところもあったけれども、甘やかされずに、その中で大人になっていったこと決して悪いことだと思わない。俺も当時はなぜ、こんなに厳しくされなければならないのだろう、よその家よりとても厳しい、母親は、どうしてこんなに厳しいのだろうと思っていたが、母親の厳しさと言ったらとにかくなすこと全てにおいて厳しくて今ですら、やはりいったん怒り出すと止まらなくなってしまって、それは厳しいというよりも、ヒステリックで、もう60を越えても、激しい気性であり、俺はこんな激しい気性の人をいまだかつて見たことがない。それは姉も同じことを思っているのだろう。そんな、世界でいちばん気性が荒い人が自分の母だということは、とても珍しいことだと思う。しかし、神は決して必要のないことは行わない。俺が望もうと望まなかろうが、神はただ自分の決めた正しい法則のままに動くだけである。そして、それは何の意味もなく、自分の法則に従って動いているわけではなく、全てが最善のために、俺にとっていちばん良い母親はこの人だということを知っていたのである。なぜなら神が母であり、母が神であるからである。

親父は、マシュウみたいな人で、これもまた、俺は、39年間生きてきて、うちの親父ほど優しい人、穏やかな人というものを本当に一度も見たことがないのである。これも姉は同意するだろう。なんともいえない優しさを体現したような人だった。俺は一度も手を上げられたこともなければ、怒られたことすら一度もなく、
「まぁまぁ。いいじゃないか」しか言われなかった。だからといって、父親の方が母親より優れているということもなく。母親もまた、そんな父親のような存在であって、もし、そんな二人の子供として生まれていたら、やっぱり俺は今とは違う自分になっていたのではないかと思わなくもないが、しかし神はそうはさせなかった。俺にとって最もいちばん良い方向へ運んでくれた。アンと同じように。

さて、今年1年はどんなふうに生きようかと、ゆっくり考えてみようと思って、紙とペンだけ持っていって、とにかく頭を真っ白にして、余計なことは考えまいと、いや、いろいろ頭が考えることに任せようと、そのために、今日は書くことをやめようと思った。そのためにパソコンは持っていかなかった。

2時間でも3時間でもゆっくり座っていようと思っていたのだが、これは書かなければと思った。別になんてことのない、さんざん書いた、赤毛のアンのレビュー記事に対するその補足である。誰が読むのかもわからない、誰が必要としているのかもわからない、だけど、俺の胸のなかには依然としてはっきりとやってくる、詩情性豊かにして、そのほかのすべてを押し抜けて、唯一はっきりとして自分の胸に迫ってくることは、それは書こうと思った。今では、目標も何もない。今年だって、目標も何もない。ただ、俺には、俺でなくとも誰にだって、詩情性豊かにして、その人の胸の中に、すべてを押し除けて入ってくるものがある。それは、そのまま外に出さなければならないと考えるのである。

人はこれを押し除けて、自分のやらなければならないこと、自分の定めた計画のために漕ぎ出していくものだけれども、書くということは、唯一、そのときに胸にやってきたことをそのまま書くことでしかないと思う。現実は現実に対していつでもその人の限界容量いっぱいで挑めるような、またとない最高最善の機会をいつでも送り届けてくれるものであり、この人生は、やっぱり複雑奇怪に満ち、いつでもその人の書くべきに値する事象に満ちているのだから書くことに困るということは決してないだろう。いつでもその人の胸の中だけに豊かに迫ってくるものがある、これを扱うことに、詩人の詩人たる理由があるように思う。

今年一年、どう生きるか、それはやっぱりもう、わかりきっていて、ソクラテスは、「神を見出すのは40手前がいい」と言ったとされる。他にも、別の聖者、パパジも、神を見出すのは40手前がいいと言っていた。じっさい、パパジのサットサンにやってきたアラフォーの男に対して、パパジは、彼に、「君ぐらいの年齢の男が、神を見出すのに最も適した年齢だ」と言っていて、俺はその箇所を、何度も舐めるように読み直して、自分のことのように受け止めている。

なぜ神を見いだすのが40手前がいいかはわからない、いや本当はわかる気がする。20歳や30歳より、なぜ40手前がいいのか、なぜ若ければ若いほど神を見いだすのが良いとされないのか、悟った人たちはみんな、彼らが40手前で見つけたからか、40歳までに人間世界のあらゆる業を体験し尽くして、もう人生航路から学ぶこともなく、しかし、その40年の俗世での体験は、神を知った後でもないよりはあった方がいいというものか、しかし、それにおいても、40年以上は長すぎるというものだろうか、俺も、これまでの越し方が悪かったとは思わない、さすがに、習字教室を墨だらけにしたのは悪かったと思うけれども。この40年間ですら、神の贈り物のように思える。俺はやっぱり贈り物のようにこの両親にもとへ送られてきたのだと思う。もっとも世間では、子供は親を選べないと言っているようだが、本当のところは、子供が親を選んで生まれてくるのだ。

だから、俺は今年中に、あと10ヶ月以内に神を見出さなければならない。だから、とうぜん、それが今年の俺の目標だ。

ちょっとこれまでの一年とは比べるべくもない。俺にとって、これまでの人生の中で、過去何億回生まれ変わってきたなかでも、いちばん重要な一年となるだろう。

と、そんなことを、カフェに着いて、これからのこの一年について、2時間でも3時間でも、ゆっくり考えようと思っていたところ、赤毛のアンのことからこれらのことが、一度にバァーッと頭のなかに迫ってきて、書こうと思った。こうやって書くことが、俺の書き方である。だから、やはり俺は大きな計画のために書くことはしなくてもいいように思うのである。カフェにて、紙とペンで思いついたものをじゃあ今ここでと思って書こうと思ったけれども、やっぱり音声入力で、バーっと書きたいと思って、結局、電動自転車でカフェに行ったものの、15分もせずに家に帰ってきた。音声入力がついている電子機器を使うためである。

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