まーたやっちまった。
二度目の、免停だ。
俺はこの世でいちばん車が嫌いなのだが、仕事は出前館をやっているし、免許は更新をし忘れたために二回取得しているくらいだし、人よりよほど車とは縁ある生活を送っている。
出会い系をやっていて事故に遭いそうになったことも数知れず。男という面目を守るために、女の車を運転して、その車で事故してしまったこともある。初めて会った女の初めて借りた車で事故を起こすなんて、考えたくもない修羅場だろう。俺は今その修羅場を超えて、こうしてピンピンしながらタイピングしている現実を思うと、まったく喜びに満ちた朝を迎えたような、天使のラッパ音が聞こえてきそうである。
友人や家族からも、運転だけはやめたほうがいいと言われ、「今まで見た人間の中で一番運転が下手」と言われたことも数度あり、結婚カウンセラーも、「まずは初デートはドライブに行きなさい。相手の男の運転の仕方で、人生の運転の仕方もわかるから」と言うそうだ。
まぁ、たしかに、運転が上手い人間は、仕事もできるのが多い。およそ、この、平々凡々とした、くだらない、瑣末なルールごとを守るのに適した、人間が小物にできているからだろう。どうやら俺には、道路というものは小さすぎるらしい。本当に、赤信号を見るたびに通り過ぎたくなる。
この不注意は何だろうと考える。一時停止違反、点灯無視、踏切停止違反。踏切直後の交差点右折違反。いつもだいたい標識が目に入らないことが多い。逆に何でみんなこれに気づけるんだろうと思う。すごろくでいうなら全てのマスにとまった程度には違反を網羅してきたつもりだ。井上尚弥でいうなら、4団体統一だっけ? 俺も統一してきたつもりだ。
『踏切を越えたあとに右折してはいけない』なんて、みんな知ってた? みんなも知らないでしょ? お前らも運がいいだけじゃねーか(笑)まぁ、たしかに、戻って見返してみたら、ちゃんと標識はあった。指定方向外進行禁止っていうのかな、あの、青い二本の矢印に分かれているマークのやつ。あのマークはさぁ、わかりづらいんだよねぇ? 「まっすぐと左がおすすめだよ」と言われている気分でさ、おすすめだけど、別に、「右折禁止」って言われている気分にはならないんだよねぇ。で、右折しちゃう。
本当は、こんな奴が公道を走っているのは、迷惑なんだろうな。そこは本当に悪いと思っている。俺も、車も、道路も、大嫌いなのに、どうしてこんなに毎日、出前館の仕事をしているのかわからない。バイクに乗っているのは楽しいし、何より、今、こうしてタイピングをしているような心持ちの一人の時間が、そのまま地続きで続いていっているような、変化を嫌う、俺らしい仕事だからかもしれない。そして、変化を嫌う性格は、そのまま標識も無視してしまう。
※
一発目の免停は、一時停止違反を3回やってしまって累計点数が6点になってしまった。すべて家の近所の同じ場所だ。なんと、同じ場所で3回切符を取られたのだ。信じられないだろう? 俺も信じられない。俺はこの原因を顔が小さいためだと考えている。俺は一般男性のそれと比べて極めて顔が小さいため、普通の人に比べて脳がちっこいのだと思う。よく、ニワトリが3歩歩けば記憶を忘れるというが、俺はあれを他人事と思えないところがある。さいきん、YouTubeでは、ダチョウの走行時の動画がなぜか定期的にあげられているが、走っている姿があまりにもバカすぎて面白いらしく、人々の記憶から忘れられた頃、見計らったように誰かがアップロードする。まるでこの動画の存在を忘れることそれ自体を、ダチョウの頭の悪さと結びつけるように。
俺はあの走っている動画を見て、とても他人事には思えなかった。
↑俺もこんな感じで道路を走っている。
「家に帰ってきた安心感で、つい気を抜いちゃったんだね」と優しい言葉でフォローしてくれる人もいるが、ある程度、気心がしれた仲間に話すと絶句される。「どうして、同じ場所で、3回も、一時停止違反なんてすんの!? はぁ!?」
※
さて、違反者講習だが。
ふたたび累計点数が6点を超えてしまったので、違反者講習に行ってきた。これで二度目だ。
おそらく、これを読んでいる人のほとんどが、見たことも聞いたこともない世界だろう。よっぽど運転が下手だったり、北海道の信号がない道路を120kmで爆走していて、覆面パトに拉致られて一発免停とか、そういった稀なケースでないと起こらないと思っているだろう。
俺としては、どうせまたすぐに3回目も行くことはわかりきっているから、とくだん珍しいことでもないが、皆さんにとっては貴重な情報ソースになってくるかもしれないと思ったから、ルポ的な記事として書いておく。
※
受付は8時30分〜50分まで。もし、1分でも過ぎたら受講できなくなるので気をつけてきてくださいと、電話口で念を押して言われた。59秒までだったらいいんだろうか?
一階では、運転免許試験を受けにきたらしい大学生くらいの若い連中がはびこっていた。季節は11月だったが、まるで新春のように色めき立っていた。3階の、違反者講習がおこなわれる場所への階段を上がっていくと、明らかに、上から異質なオーラが漂ってくるのを感じた。1階から2階はさほど感じなかったが、2階から3階における変化は、空気が変わったのがわかった。
3階に上がると、朝なのに、翳が差したような、一階よりも太陽に近いはずなのに、暗かった。
3階でも、一階の大学生たちのように、回遊魚か、スタンプラリーのように、申込書に名前を書いて、更新通知ハガキや免許証の提出、講習手数料を支払い、スタンプを貼るといった、番号がつけられた窓口をまわるハメになるのだが、やっていることは同じなのに、お通夜みたいだった。まるで香典袋をもって順番待ちしているようだった。
このとき、職員にはとても丁寧に案内された。素行不良の者が多いのか、まるで刑務所の荒くれ囚人のように、あるいは檻から脱走した動物のように、腫れ物に触わるように対応された。非常に物腰が低い態度だったので驚いた。おもてなしと言ってもよかった。
それは、市民の皆様からの税金で私たちは食べさせてもらってますから、というよりも、まわりまわって、彼らへの態度へは、こうしておくのが一番いいという、経験則から導き出された処世術のようだった。しかし、彼らの顔からは、もっと恐ろしいものが感じとれた。過去に何か音沙汰らしいものがあって、おそらく一度、犯罪者たちに高圧的な態度をとっていた時期があったが、それが裏目に出てしまい、それが元で凄惨な事件が起きてしまった、というような、そんな過去があった顔をどの職員もしていた。
講習手数料は10,250円。日本は弱者に優しい国と言われているが、悪いことをした人間から搾り取る隙を見逃さない額だと思った。
※
教室に入ると、すでに受講生たちが集まっていた。教室はなんてことのない、普通の教室だ。学校で使うような、スクリーンとプロジェクター、教壇に職員が立っていた。受講生は全員で10人くらいだった。
服装としてはラフな者が多かった。11月ということもあり、そこまで厚手ではない、プールの清掃員が着ているようなナイロン系のパーカー、濡れても大丈夫なやつだ。なぜか男も女も全員、この手のパーカーを着ていた。俺もGUで買った2980円のナイロンパーカーを着ていたから一緒だ。彼らもGUのパーカーを着ていた。唯一ちがうのは俺は白系ということだ。俺は、斎藤ひとりさんの、「黒い服を着ていると運が悪くなるから、霊性修行者は白い服を着るようにしなさい」と話していた動画を視聴してからもっぱら白い服しか着なくなったが、彼らは全員黒系の服を着ていた。せっかく白い服を着ているとはいえ、上下左右を黒で囲まれていたので、オセロのようにひっくり返って俺も黒にされてしまいそうだった。
一人、小説家っぽい見た目の痩せぎすの45〜50歳くらいの女性。
メガネをかけた、黒パーカーの、コンビニに買い物をしにやってきたような50代の男。
チリチリパーマの明るめの茶髪の、チン毛みたいな髪型をしている20代後半の男。
90代くらいのおばあちゃんもいた。腰がほぼ直角に曲がっていることもあり、職員二人と、そばにいた50代の受講生女性が、付き添って介護していた。どうやって椅子に座らせるか、また、座ったとしても、長らくその姿勢を維持できるか、仔細に検討していた。受講生の中には、(ッチ、ババアのくせに運転してんじゃねーぞ)と、言いたい気持ちがあったものが数人いたようだったが、今、こうして、自分も同じ穴の狢としてここにいることを思うと、矛を収めるしかなかったように思われる。悪を弾劾する場合、自分もまた悪であってはならないという真理は、犯罪者の巣窟においてもつらぬかれていた。
教室の外に、おばあちゃんの娘さんらしき人の姿もあった。何かあったときにすぐに対応できるようにということだろう。心配そうに、廊下から様子を見守っていた。そうやって教室の外に立って見守る時間が作れるのだったら、運転が必要なときはこの人が運転すればいい、と思ったが。しかし、その、90歳のおばあちゃんでなくては立ちいかないような(たとえば農業のトラクターを動かすとか)場合もあるということか。周囲の視線を察してか、おばあちゃんは、ワシの生活にはどうしても車が欠かせんくてのう……というように、小さい身体をさらに小さくさせていた。
全体的に高齢ではあった。20代はチン毛あたま一人、30代は俺だけ、40、50代の男女が半数以上。80、90代が2人いた。全体で10人くらい。男女比は同じくらい。
俺は、世間がいうほどには、高齢者は事故を起こしてはいないものだと思っていた。本当は若者の方がずっと荒い運転をしていて、事故も多く、高齢者が事故を起こした時にだけマスコミが面白がって騒ぎ立てているものだと思っていた。しかし、この出席率を考えると、すこし考えを改める必要がありそうだと思った。
違反者講習は週に2回開催されているが。この静岡県の東部地方に限って、累計点数が6点以上に溜まってしまった人間が、週に2回、10人も集まるということは、多いのだろうか、少ないのだろうか。よくわからなかった。ひょっとしたら俺一人ということもありえるかもしれないと思って、今日はやってきたところがあったから、10人もいてくれて安心した。
パッと見たところ、“悪”という印象は受けなかった。どちらかというと善に近かったような気がする。しかし、それは、害がないという意味である。毛の虫ほど害がなさそうで、いかにも麻薬や銃火器の密売をやっているような見た目の連中がわんさかいるだろうと思ってきてみたら、そんなことはなく、平々凡々とした、間の抜けた、いや、抜けすぎているといったような、昼行燈というか、学生時代によく提出物を忘れて先生に怒られていたタイプの、いかにも仕事ができなさそうな、銀行の振り込みを任せたら、印鑑も通帳も忘れたまま銀行に行ってしまい、そのまま立ち尽くしていそうな、何も任せられなそうな、注意力が低そうな、鈍感、ヌボ〜っとしたような、ゆでたこのようにゆであがってそうな、頭上に、温泉の湯気マークが浮かんでいそうな、ショーペンハウエルが、「怒りのない人間は、知力もない。知力はある種のとげとげしさ、鋭さをはらみ、そのため毎日、実生活、芸術や文学で無数の事柄にひそかな非難やあざけりをおぼえるが、それこそ愚かな模倣を阻止してくれるものだ」と言っていたが、怒りというものがなさそうだった。前にいる受講生の頭を、後ろからひっぱたいても、「?」という顔をするだけで、また前向きに戻ってしまいそうな、覇気というものがなさそうだった。
「講義が始まる前に、みなさんにお願いがあります。スマートフォンは電源を切るか、せめてマナーモードにしてください」
と、今日の講義を担当するらしい、教壇に立っている職員が言った。
「私どもとしましても、受講中にスマートフォンを触っているものを発見した場合は、退場させなければならない決まりを申し渡されております。こちらも、見てしまった以上は、手段をとらなければならなくなってしまいますから、くれぐれも、皆さんの方でも気をつけてください。電源を切るのが理想ですが、それが難しい場合、せめてマナーモードにしていただいて。あいだに10分の休憩を挟みますから、どうしても触りたい方は、そのときに触るようにしてください」
やはりどこまでも低姿勢だ。まるで息子にDVを受けている父親のような話しぶりだった。
また、彼らの方でも、ポケットからスマホを取り出す一動作にしても、ダラダラした、ゆっくりとした、もったいぶったような動きを見せて、これが大阪桐蔭高校野球部だったら顧問からリンチをうけてもおかしくない体たらくだったが、職員は平気でその姿を見送った。
すでに、もう、この段階で、机につっぷして寝ている男がいた。俺の左となりの席の男だ。いちばん若い、20代後半のちん毛頭の男だ。きっと性病なのだろう。
この手の風景も慣れたものといったように、教壇に立っている職員はプロジェクターの電源を入れた。スマホはダメでも寝るのはいいらしい。
9:00〜9:50
開講説明、適性検査10:00〜11:50
社会参加活動(旗振り、ゴミ拾い)12:00〜13:00
昼休憩13:00〜13:50
運転の心構え14:00〜14:50
道路交通法15:00〜16:00
違反者講習考査、適性検査結果発表、本日の感想文(タイトル〜違反者講習を受けて私が思うこと〜)、閉講挨拶
「今日、車で来られたかはいますか?」
ざっと、今日の一日のスケジュールを話すと、職員は急にここまでの優しい態度を一変させた。この部分を話す時だけは、目をキッとさせて、囚人に対しての鬼教官のような態度を見せた。
「今日、車で来られたかはいますか? いませんよね? 今日一日だけは、今日だけは我慢してください。今日の0時を過ぎないと免停解除にはなりません。この講習を受けて、今日の0時までは……、みなさんは、“無免許”という身分になります。この間にもし運転していることがわかったら、“無免許運転”で逮捕されたのと同じ罰則となり、25点の違反点数が加算され、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金になります。大変なことになりますよ。運転してこられた方はいませんね? ぜったいにいませんね?」
「……」
教官の態度にほだされたのか、受講生たちは無言というかたちで答えた。
「じっさい、いるんですよ。運転してやってこられる方が。これね、皆さんね、けっこうね、バレないと思ってるかと思いますが、これ、バレるんですよ。密告が入るんですよ。同じ受講生から」
「……」
「いませんね?」
「……」
「わかりました。帰るさいは、かならず、かならずですよ? バスやタクシーなどの公共交通機関、あるいは、家族や友人にお迎えに来てもらって帰るようにしてください。そこだけは、いいですね? そこだけは……くれぐれも、よろしくお願いしますよ?」
シンとした室内に、彼の刺すような声が響いた。
大人というのは怖いと思った。これまでヘラヘラしていて小物ぶっていたので、これは楽勝だなと見くびっていたが、さすがに常に犯罪者集団を相手にしているだけはあるなと思った。これは危険だと思い、俺はスマホの電源を切ることにした。
※
職員による講義は非常に手慣れたものだった。
お笑いトリオのロバートのコントに、「10000回舞台に上がって上演したコント師」というコントがあって、ふつうコントをする場合、どんなベテラン芸人であれ、上演前は緊張するものだが、それが10000回となると、控え室から舞台に上がるその移り変わりの瞬間がとてもスムーズになる、というコントだ。意味がわからなかったと思うから、もう一度説明するが、その控え室から舞台までの、その、“移り変わりのスムーズさ”だけにフォーカスを当てた、あまりにも慣れている体で、控え室と舞台のあいだをスムーズに行き来するといった内容の、5分間のコントだ。
おそらくこれは若い頃のロバート秋山が、ベテラン芸人の慣れた登壇の様子を見ていて着想したコントだろう。この免許センターの講師にもまったく同じことが言えた。あまりにも、無感動、無拍子、無印象、今、風呂に入っているかと見紛うくらいの自然さで話すので、
道路交通法13条によると〜、からして〜この場合、累計点数が6点以上になると〜、といったふうな、ぼちぼちと、長らく、矢継ぎ早に言葉を繰り出しているので、このあいだに、“ちんぽ”という言葉が挟まれていたとしても、無事に聞き過ごされてしまいそうだった。この繰り出されている言葉のなかに、“ちんぽ”が挟まれていたとしても──。
俺は受講中、ずっとそんなことを考えていた。たぶん、今、ちんぽと言っても、聞き流されたな。言っても言わなかったとしても、同じ未来が訪れると思うと、言わなければ損、ということはないが、それが起こってしまう事実に、いくらかの驚嘆を隠せなかった。
一部、寝ている生徒もいたが、「では46ページを開いてください」と講師がいうと、ほとんどの受講生がそのページをめくるから、案外真面目だと思った。ちゃんとついていって話を聞いている。この真面目さが、どうして道路で活かされなかったと思うと、残念にならなかった。
※
二限目は、『社会参加活動』だった。
マイクロバスに乗せられ、街へでて、ゴミ拾いをしたり、横断歩道で旗振りをするというものだ。
旗振りとは、『シートベルト 絶対 大事』 『思いやり いつも優しい 運転を』『メール一文字 事故一生』といったようなメッセージが書かれた旗を、交差点で掲げるといったものだ。
俺は一度やったことがあるから知っていた。
本来、違反者講習では、「社会参加コース」と「実車コース」があるが。ほとんどの人は「社会参加コース」を選択するとされる。「社会参加コース」は10,250円で、「実車コース」は14,250円で、4000円と変わってくるからだ。ちなみに「実車コース」では、自動車教習所で実施され、講義、運転適性検査や実際に自動車等やシミュレーターを運転し、運転の特性や安全運転の指導が行われる。
「みなさん、トイレは済ませましたか? 向こうに行ったらトイレはありませんから、ここで済ませてください」「みなさん、トイレは大丈夫ですか?」と、2回確認されたこともあり、子供の遠足みたいだと思った。
「お弁当を持参してこなかった方は、向こうで買ってもらって構いません。その時間は用意してあります。場所はろまん街道になりますから、近くにマクドナルドやセブンなど買いに行ける場所があります。休憩時間中に買いに行ってこれるだけの余裕はありますから、今日、お昼を持ってこなかった人はそこで買ってきてもらっても構いません。この免許センター付近には、そういった場所はありませんから」
総勢10人くらいを乗せて、マイクロバスは走りだした。免許センターから20分くらい走ったところに、ろまん街道といわれる場所がある。ろまん街道というだけあって、珍しい、海鮮バーベキュー屋や、室内が真っ暗で人の顔が見えないスペイン料理店など、ふつうのバイパス沿いには見られないような浪漫的な店が集まっている。俺も高校時代は、学校帰りに友達とろまん街道のどこかの店に入ったものだった。
街道近くの公園に、マイクロバスを停められる規模の駐車場があり、そこに駐車してバスから降りると、一人ひとり旗を渡された。伸縮自在の分厚いステンレス棒で、最長で2、5mぐらいになりそうな、重いものだった。これを旗振りの場所まで持ち歩いていけということらしい。
われわれは徒歩10分程度の、もっとも交通が多いとされる交差点まで歩いていった。たどり着くと、交差点は確かに入り組んでいて、ちょうど上流からくる車と下流からくる車、あるいは四方八方から流れ込んでくる車が最終的に一つの場所に合流する滝壺を連想させた。
「では、旗を伸ばして、ガードレール越しに立ってください」
「間隔をあけて、それぞれ立ってください」
俺は開始したそばから、いかに楽に立っていられるかを研究した。ガードレールに対して垂直になっているコンクリ柱の部分、そこに旗を引っ掛けるようにして、手ではほとんど支えないようにする。すると手で持っていなくてもじゅうぶんに支えられることを知って、(よし……!)と思った。一応は手で支えるポーズをとるにしても、自分の重心から離れた場所で手を添えているとしんどくなってくる。腕を上げても下げすぎても苦しいところがあった。ちょうど腰すぐそばの、ポケットあたりの位置で手を添えているとまったく苦しくなくなった。他の連中を見てみると、片手どころか両手で持っていて、それもずいぶん腕が疲れそうな角度で持っているので大変だなぁと思った。俺は旗振りの才能があるかもしれないと思った。
そんなふうにして、10分ほど経った。
11月の、10時30分過ぎの時間は、それほど寒くはなかった。昨今の11月というのは、秋ともいえず、冬ともいえず、どの季節にも分類されない不思議な気温を放っているが、これが真冬だったら大変だろうなぁと思った。90近いおばあちゃんもちゃんと立っていた。腰が90度に曲がっていながらも、尻を突き出すようにして、両手で差し出すように持っているので、お代官様に年貢の米を献上しているような姿だった。その横で、地面に置くのが嫌なのか、荷物がパンパンに詰まったようなショルダーバッグを肩にかけたまま旗を持っている40代の女性の姿もあった。
道中、この交差点に着くまでの間、このおばあちゃんだけがチョイチョイ軽口をたたいていて、「まったく、90にもなって、こんなことをやることになるとはねぇ」「おかげさまで、これでも頭の方は大丈夫なんですよ」「やれやれ……まさか、こんなことをやるハメになるとはね……」と自分からよく皆に話しかけていた。旗振りの時間も周囲にチョイチョイ話しかけていたのだが、「旗振り中は私語厳禁で」と職員に言われ、黙りこんでしまった。
さらに10分ほど経ったとき、例の若い、20代後半と見られる、この中でいちばん若い、ちんげ頭のチリチリ頭パーマの男が、その場にしゃがみこんでしまった。「どうしたの?」「大丈夫?」と二名の職員がやってきた。ガードレールのすぐそばに噴水場とベンチがあって、職員は彼をベンチに座らせた。「いったんバスに戻って座らせよう」「じゃあ、彼をバスに連れて行くから」と言って、一人の職員が彼と共にバスに戻って行った。
「ちょっと!」
そのとき、急に職員が大きな声を出したので、俺はビクッ!と驚いた。
「君! ガードレールにつっかけないでよ!」と、職員は俺の方にズカズカと歩み寄ってきて、俺のやり方にケチをつけだしてきた。
「あ……これは…‥」
「ダメだよ! ちゃんと持たないと! そしてなるべく両手で持って! 両手で持っていた方がちゃんと振っているように見えるから」
「……」
両手で持つことだけはなんとしても避けたかった。せっかく最も力を抜いて持ち続けられる最高のポジションを見つけたのに。あーあ、これでやる気をなくした、と思った。俺は自分のやり方を否定されると、そこでやる気を失ってしまう。文章だってそうだ。今だって、こんな書き方をしているけど、この書き方を否定されたら、文章なんて何も書けない。野球のバッティングにしても、その人の固有のフォームを否定されたら、どの選手も打てなくなってしまうし、そもそものやる気を失ってしまうだろう。
(すべて、物事は、いかに自分がやりやすくするかにかかっているのに……!)
──ゲシュタルト崩壊。
俺はみんなと同じ持ち方にするようになってからは、自分を見失ったような、ひどく落ち着かない、バランス感覚を失ったアベコベの生き物のように、ひどくギクシャクした生き物になってしまった。
そして、今、やっとみんなと平等の立ち位置に立ったと思うと、いかに彼らがタフな戦士かということを思いしらされた。おばあちゃんは年貢納めの格好でちゃんと立ち続けているし、その隣で重そうなショルダーバッグをかけている女性も、あいかわらず左肩にかけたままにしている。
開始から40分くらいが経った。
前の違反者講習のときにも旗振りをやったが、そのときは15分くらいで終わった記憶がある。そのときは埼玉だったから、県によって違うのかなと思った。正直、もう限界を迎えそうになっていた。自分のやり方を否定されてからというもの、精神的な負担も大きかったと思われる。
「あと、もう少しだからね」
「一時間15分やったら、20分休憩して、そこから15分やって終わりだよ」
「後半は15分だけだからすぐだよ」
と二名の職員が交互に言った。
後半は15分? バスケットの第4クォーターみたいだ。
なぜ、前半は1時間15分で、後半は15分なのだろう? あらゆる前半と後半と冠されているものでそんな時間設定を見たことがない。サッカーでも、バスケットでも、あらゆるスポーツでも。サッカーで、前半が一時間15分で、後半が15分だったら、ここまで人気のスポーツになっていなかっただろう。それだと後半というよりPKみたいだ。一体、どういう考えがあって設定されたものなんだろう?
一時間15分立っていることは、思っている以上にしんどいものだった。この中でいちばん若い俺が苦しいのだから(しかも前半20分ズルをして)、他の受講生にとっては、相当苦しいものに違いないと思った。
まだ、11時前といった時刻である。目の前では、あいかわらず、たくさんの車が走っていた。この時間に車が走る理由ってなんだろう? と俺は頭を働かせていた。通勤でもない、ランチに行くでもない。いったい、なんだろう? いったい、これらの車は、なんの目的があって走っているのだろう? ただ車を走らせている、ということはあるわけがないし。いや……、じゃあ目的は、なんだ? この時間に、目的などあるわけがないだろう。じゃあ、やっぱり、ただ、車を走らせているのか……? なんのために……?
ふと、職員二人が、ベンチに腰をおろして休憩をし始めた。やはりロバートのコントのようだ。あまりにも手慣れすぎていて、仕事と休憩の“境目”が見えづらい。見えづらいというより、ほとんどなかった。職員たちの姿を見て、あれ? 休憩なのかな? というふうに、一人、また一人、旗を下ろしはじめた。「うん、休憩にしていいよ」と、職員はニコリと優しい言い方で言うので、よけいに意味がわからなかった。
わぁっと、やっと休憩だぁ……というふうに、みんな、子供のように屈託のない顔を見せた。90のおばあちゃんと、隣にいた40代の女性は、生き別れになっていた親子が再会したような顔を見せていた。50代の、いい年齢の男が、ふぅぅと噴水前のベンチに腰掛けた。すぐあとに、湯に浸かったような、「あー……」という声をあげて、空を見上げた。空は曇り一つない、満天の青空だった。
「20分休憩をとったら、後半15分やって、それで終わりになりますから。後半はすぐ終わりますよ」
じゃあ、事実上もう終わったもんだ、というふうに、俺たちは言葉こそ交わさなかったが、勝利を分かち合った。
バスの彼の様子を見てくるよ、と言って、一人、職員はバスへ向かっていった。そうやって、ことあるたびに、どちらかの職員がバスと交差点を行き来していた。
職員が戻ってくると、
「後半戦、いきましょう!」
「よし、それじゃあ、後半戦スタート!」
というような掛け声はとうぜんなく、やはり、時間になると、ロバートのコントのように、なんとなく、彼らの仕事モードに移り変わった空気を察して、われわれは旗を取り、それぞれの位置へ戻って行った。このとき、誰一人として、前半と違う場所に立ったものはいなかった。とくに打ち合わせはしなかったが、全員が全員、前半と同じ場所に立った。
確かに、後半戦の15分は早かった。このときも、「終わり」という声があったのかなかったかもわからない。旗は各自、バスまで持っていくようだった。10人分の旗だ。これを職員二人で5本づつ持てるものではない(高齢の老人2名の分は、職員が引き受けていた)。伸縮棒なので、一番小さいサイズに縮めて、バスまで持って歩いていった。
「え!? あの、休憩時間は!?」
一人、50代の女性が慌てた様子で、職員に詰めよった。
「休憩はさっきとったでしょう。もうこれからバスに戻って帰りますよ」
「え!? このあと、ご飯を買いに行く時間があるんじゃないんですか!?」
「それはさっき、休憩時間を20分とったでしょう。そのときに買いに行ってもらわないと」
「そんな! ぜんぜんわからなかったですよ! さっきのは、だって、休むための休憩時間かと……、私はてっきり」
「どうする? 時間ある?」
職員は、もう一人の職員に尋ねた。
「何、どうしたの?」
「この人がね、お昼買い忘れたんだって」
その一言が、おばさんを怒り心頭にさせたようだった。おばさんの口調は荒っぽいものになった。
「だって言ってくれなかったじゃないですか! 休憩のときに、お昼が必要な人は買いに行ってくるようにって!」
「それは、そのときは言わなかったかもしれないけど、ここにくる前に、教室で言ったでしょう?」
「でも、それは……、私は、さっきのは、あくまで休むための時間で、お昼を買いに行く時間はまた別に用意してあるのかと……」
「うーん……」
困ったな……というふうに、職員は後頭部をポリポリかく動きを見せた。
「いいんじゃない? 時間押してないでしょ?」
「すぐ戻ってこれそう?」
「たぶん、10分くらいで戻って来れると思いますけど」
「あの、私も……」
もう一人、40代の女性が名乗りあげた。ショルダーバックにパンパンに荷物を詰まらせていた女性だ。
「私も、さっきの時間は、休むための時間で、買い物に行っていい時間だとは思わなくて、お昼買いそびれちゃったんですよ。私も行ってきていいですか?」
ほらぁ! やっぱり! というふうに、最初にクレームをつけた50代のおばさんは嬉しそうな顔を見せた。
じゃあ、なんであんなにパンパンに荷物が入ってるのだろう? と俺は思った。
こうなってくると、情勢は完全に逆転した。
「仕方ない……10分、休憩をとりましょう」
(はぁー!? まじかよ……)という声が、他の受講生たちから聞こえてきそうだった。じっさい、数人の男性受講者が不服そうな顔をしていた。これだけ立ち続けて、さらに10分……。
「先にバスに戻っててもいいですか?」
やってられないというふうに、一人の男性受講生が言った。
「それはいいですよ」
その言葉に安堵し、受講生たちがバスに向かって歩き出そうとしたとき、その反対方向を歩き出していく40代の女性の姿があった。この女性も言い出せないでいたが、お昼を買いに行く機会をうかがっていたらしい。こうなってくると──俺は思った。さすがに職員が悪いか──? 今、ここで、3人の人間がお昼を買いに行く現実を思うと──いや、でも──、俺は思った。確かに、職員は、教室でここに来る前に言っていた。「お弁当を持参してこなかった方は、向こうで買ってもらって構いません。その時間は用意してあります。近くにマクドナルドやセブンなど買いに行ける場所があります。休憩時間中に買いに行ってこれるだけの余裕はありますから、今日、お昼を持ってこなかった人はそこで買ってきてもらっても構いません」
俺は昼食をとらない人間だから関係ないと思った。しかしそういった姿勢もまた悪である。何が悪であるか見極めることだけが悪から離れられることができるのだ。
バスに戻ると、20代のちんげ頭の男が、いちばん後ろの広い座席で身体をのばして寝ていた。てっきり座っているものだと思ったが、靴を脱いで、身体を大きくのばして寝ていることに驚いた。
これは間違いなく悪だと思った。
※
「では、バスを降りた時点で、各自、休憩時間に入ってもらって構いません」
マイクロバスは免許センターに着いた。
「午後の開始は13時になりますから、それまでには教室にいるようにしてください」
そうして、次々と、犯罪者たちはバスから降りていった。
おばさんたち3名は、食いしん坊の汚名を着せられたこともあって、何も言わずにバスから降りた。それをならうように、後に降りる人たちも、無言で降りていった。
その中で俺だけが、職員に「ありがとうございました」と言った。
「これは……」という顔を、職員の男はした。
もう一人の職員の男も、「……ふむ」という顔をした。
まさに、違反者講習生の鏡といわんばかりだった。それまではまったく目立たなかった俺だったが、ここにきて周囲の注目を浴びることになった。「この、いい子ぶりっ子が!」俺の後ろについてきていた中年の男が「さっさと降りやがれ!」というような、俺の背中を蹴り落としたそうな顔をしていた。彼らは、おばさんたちのように食いしん坊の汚名を着せられたわけではなかったが、不機嫌で通せる機会と通せない機会を選べる立場にあった場合、ほとんどの場合、前者を選んできたためだと思われる。
※
やはりというか、思ったよりも、この市井では、昼食という文化はとりわけ大事なものとして根付いているようだった。
先の事件を鑑みるに、昼ごはんというのは、生命に関わるような、重要な一件ごとで、まるで、アラレちゃんがオイルがなくなって動かなくなる一歩手前で、センベエに泣きつくような、ギリギリの死生観が漂っていた。
教室では半分くらいの受講生が消えていた。いったいどこに行ったのだろう? 今日は車で来てはいけないことになっているし、謎である。
そう、今回の違反者講習でいちばんつらかったことは、ここだった。車で来てはいけないことだ。(じっさいのところは、出頭日に免許と通知書を渡してからが免停になるので、免許センターに到着するまでの間、つまり、“行き”に関しては車で来てもいいとされる)
俺も今日は、朝6時に起きて、電車とバスを乗り継いできて、もしその一つでも乗り遅れてしまったら、すべてが水疱に帰すという危険な賭けだった。そしてまた帰りも同じことをしなければならない。免許センター行きのバスは一時間に一本しか走っていないから、帳尻を合わせるのに苦労した。車であれば30分ほどでこれる場所だが、2時間近くかかってしまった。
帰りもまた、2時間くらいかかる計算だ。16時という中途半端な時間に終わるので、仕事終わりの友達の手を借りるわけにもいかず。また、家族にしても、母親に、免停になったので違反者講習に行くと言ったら、ものすごい剣幕で怒られるのはわかりきっているから、言い出せなかった。
免停のいちばん恐ろしさといえば、この、時間だろう。車なしで免許センターまでを往復しなければいけない、時間。旗振りの時間。時間、時間、時間。いつも時間を享受できていたことがどれだけありがたいことだったか、身にしみてわかる時間だった。時間のことを考えていると、
「いつもはこの時間は寝ている時間」と、おばあちゃんが笑いながら話しかけてきた。
「あー寝る時間ですか」
俺は反射的にかえした。
「横になれないから、大変」とおばあちゃんはまた笑った。
「車で来れたら、車の中で寝れたかもしれないですけどね」
「そうだね」
そうだねとおばあちゃんは言ったけど、駐車場まで行って戻ってくることを考えたら、ここで座っていた方がまだ良さそうなくらいだった。
「ここは、愛鷹山が見えないね」とおばあちゃんは言った。「てっきり、愛鷹山の近くだから、大きく見えるだろうと思って来てみたら、なーんも見えない」と言って、笑った。
「たしかに、見えませんね」
「アタシが住んでいる御殿場も、富士山が見えないよ」
「え!? 御殿場に住んでいて、富士山が見えないなんてことがあるんですか!?」
俺は本当に驚いて言った。
「あるよ」
「いや、だって、御殿場駅で降りたことありますけど、降りた瞬間から、あの富士山の大きさにはびっくりしましたよ」
「近くに……」おばあちゃんは言った。「近くに、ビルが建ってから、見えんくなった」
「あー、ビルで、遮られる感じですか」
「なんて?」
「遮られる感じ」
「なに?」
「遮られる。さ・え・ぎ・ら・れ・る」
オーケーオーケーというふうに、おばあちゃんは、今ではもうあまり見ることもなくなったOKのサインを手で作った。ただ、それは、すべてを雰囲気で流すときにだけ見せる人間がするような、あの例の動きのように見えた。
おばあちゃんは席に座ると、ピロ織からおにぎりを二つ取り出した。その前の席でも、50代くらいの女性が自分で作ってきたらしいおにぎりを二つ広げていた。他にも数名、同じようにおにぎりと水筒を広げている光景が見られた。水筒は全員、とうぜんのように自前だった。もっと生活能力がない人たちの集まりかと思っていたら意外だった。おかかか、何か、白米が全体的に黒っぽく変色していることから大量に具材が入っていると思われ、コンビニで売られているおにぎりよりずっと美味しそうだった。
非常に美しい食べ物のように見えて、輝いて見えた。
彼女たちは、全員、ずいぶん使い古されたような、今にも穴という穴から水がピューピュー吹き出そうな水筒を使っていた。
“水”の使い方で、その人の人生がわかるものだ。
持ち歩きタイプか、自販機タイプか。
あるいは、どれだけ喉がかわいても、家に帰るまでは我慢するという第三のタイプもあるが。
人生という道路を運転する上では、この“持ち歩きタイプ”は極めて事故が少ないタイプとされているが、今日の講習で、半分以上が水筒を持参していたことから、この理論にメスを入れることを余儀なくされた。
なぜ、これほど丁寧な女性たちが、違反点数を重ねてしまったのか。ドライブスルーで買ったハンバーガーとコーラ片手に運転するといったことは決してなさそうだが。
※
「で、あるからして、69ページの挿絵にあるように、このトラックのうしろにいる後続車が見えづらくなっていて〜」
講義は再開された。
やはり時間だなと思った。
バルザックは、友人と観劇に行ったさい、いつ終わるんだ? まだか? もう終わるか? と、数分ごとに隣に座っている友人に尋ね、友人はほとほと呆れ尽くし、バルザックを誘ったことを後悔したという逸話があるが。
俺も、最後に映画館に行ったのは12年前だが、見たくもないスターウォーズの新作を友達が見たいがために連れ出されたが、その時間は死より辛かった。
ほとんどすべての人と同じように、俺も、人生をやり直したい想いに駆られることもあるけど──、高校時代に戻って、今度はちゃんと勉強をして、恋愛もして、好きだった陸上部の東條直美と付き合って、今度こそセックスしたいと思うこともある。
今の俺なら彼女を落とせると思うし、勉強だって、当時はまったく集中できなかったけど、現在は、カフェなら集中できることを知っているので、カフェで勉強すれば、立教くらいだったらいけるんじゃないかと思う。国立は難しいかもしれないけどね。毎日タリーズで4時間執筆している現在の習慣を考えれば、学校の勉強の3時間や4時間などは屁ではないだろう。
そんなふうに、3日に一度は、立教に受かって東條直美とセックスしている生活を想像していたけど、今日をもってそれはなくなった。
もう座っていることに耐えられなかった。受講中、ずっと、今にも立ち上がって、全裸で盆踊りをしたい気分にかられていた。
※
「みなさーん、お疲れ様でしたー。最後はー、感想文を書いてもらいます。今日の講習を受けて、どう感じたか、書いてください、お願いしますねー!」
そういうと、職員はプリント用紙を配布していった。
(きた……!)と俺は思った。
俺の筆を走らせるいい機会だぜ、と思った。
こうして、ブログや小説投稿サイト以外にも、文章を書くことを要求されてそれに応えるという形にワクワクしてしまう。配られたプリントを見ると、A4用紙に20行くらい罫線が引いてある、あるていど分量がいるものだった。教室内を見渡すと、受講生たちは紙を凝視しながら、この時間がいちばんつらい……といった顔をしていた。
俺は何を書こう、と思ったとき、このさいだから、本当に思ったことを書こうと思った。建前や様式ぶったことはいらない。本当に思ったことを書いてやろうと思った。その結果、行きすぎたことを書いてしまったとしても、それで今日の履修が認められなくなるということもないだろう。
『私は出前館の配達員をやっています。だいたい一日に4時間くらい運転します。今回、累計点数がたまってしまったのも、この出前館の配達の仕事のためです。一時停止違反が二つ、踏切の後に右折をしたためです。それで6点になってしまいました。私は走っているときに、道路標識がわからないことがあります。ぜんぜん気づきません。まるで道路は、社会の縮図のようです。急に方向転換したり、身勝手な動きは許されず、決められた方向をまっすぐ走るだけです。少しだけ曲がることが許されたと思ったら、また、まっすぐ。基本的に車は、まっすぐ走るために作られているものなのだなと、運転するようになってからわかりました。私は道路を走っているときに、モンゴルの大草原で馬にのって走れたらどれだけいいだろうとよく考えます。縦横無尽に、走りまわったり、急停止しても、何をしてもはばかれない。空を見るために立ち止まってもいいとされます。だから、一時停止なんて、これくらいいいだろう、というのがあるのだと思います。こんな人間は、運転するべきではないのでしょう。自分でも、本当にいつも、こんな人間が道路を走っていて申しわけないと思っています。でも、他にやりようがないのです。私は出前館の仕事をやるくらいしかできません。できるなら、自分の書いた文章で、暮らせていけるだけの収入が得られたら御の字ですが、それは私の方でコントロールできるものではなく、天知る、地知るといったところです。今か今かと、今日にでも死ぬんじゃないかと思いながら、バイクにまたがっています。それでもまだ、こうして生きているということは、生きて、まだやらなければならないことがあるから、生かされているのだろうと思います。』
と書いた。
誰よりも長文だったが、誰よりも書き終わるのが早く、もう書くスペースも残っていなかったので、ペンを置いた。
講習の感想になってないな、と思い、講習のことを書こうと思ったが、スペースが残ってないから諦めた。そのまま、ぼーっとしていると、国語の先生みたいに、腰に手をあてながら、机と机のあいだを歩いていた職員の足が、俺のところに来て止まった。
(終わった?)というふうに、目で俺に合図を送ってきたので、俺は(終わったよ)と合図をかえした。(どれ……)というふうに、職員は紙を手にとって持ち上げると、メガネ位置を直し、上から読んでいった。
読み終わると、(うん)というふうに机に置き、職員は机と机のあいだを、“まっすぐ”歩いていった。
どこか反社会的な、これからも事故を起こしますという予告犯の犯行声明文にも捉えられなくもないと思ったが、社会は優しいと思った。
「みなさん。これで、みなさんは0点になります。リセットされました。ですが、今朝言った通り、ぜったいに車に乗って帰ってはいけませんよ。それだけはくれぐれもお願いしますね。それでは、今日は長い時間、お疲れ様でした」
職員がそう言い終わると、あちこちから嘆息の声が聞こえてきた。
「やっと終わった」という小さな声も聞こえた。
あーいま終わったよー、迎えにきてーといった声もちらほら。
外に出てみると、肌寒くなっていた。16時にしては少し暗い気がした。地面の茶色のコンクリートと、広大な駐車場にポツポツと数台だけ車が置かれてあって、それがなんとも寂しそうに見えた。
バス停に行って時刻表を見ると、発車時刻が16時00分になっていた。ちょうど今でていったばかりだ。次のバスが17時00分なので、これから一時間待たなければならない。建物内は16時に閉鎖してしまうので入れず、外にはベンチらしい椅子ひとつ見当たらない。俺のあとにやってきた3人の受講生たちも、同じように時刻表を見ては、ぎょっとしたような顔をした。そのあと、空を見上げるような遠い顔を見せた。
自転車でやって来ている人は、そんな俺たちの姿をよそにキコキコ漕ぎながら帰っていった。90のおばあちゃんは、正面玄関に迎えの車があり、乗り込む姿が見えた。
これは……、待てなくて、どうしようもなくなっちゃう人もいるんじゃないか?と思った、どうしようもなくなるっていったって、どうしようもないんだけど。無理ってこともありえるんじゃないかと思った。無理ってことになっても、無理も何もどうしようもないんだけど、もう……、おしまい……というふうに、道路に大の字になって自分から倒れてしまうこともあるんじゃないか、と思った。
ブオオオオオオオン。
俺は、そのとき信じられない光景を見た。
ちんげ頭の男、40代の男、50代の男、3人の受講生たちが、それぞれ自分の車に乗り込むと、車は動きだし、駐車場を後にしていった。
ブオオオオオオオン。
──バカな、あれほど言われたのに──
3つのビー玉がそれぞれ定位置から弾かれていっているようだった。
バス停は免許センター入り口にあったこともあり、彼らの車が左折して出て行くときに、一時停止で止まることになるのだが、その止まっている少しのあいだ、俺たちはハンドルを握っている彼らの顔が見えていた。彼らはよそゆきの顔をしていた。我々はまじまじと彼らの顔を見続けた。一人、左折していき、また一人、そしてまた一人。3人が消えて、道路奥のはるか遠く仰ぎみる一点の星のように小さくなったころ、小説家らしい40代の女性が、「さっき、講習受けてた人たちですよねぇ……」と言った。