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分裂した精神

精神分裂病という言葉のある通り、あるいは、統合失調症という言葉のある通り、

精神というのは、確かに分裂するだろう。

それは病気というカテゴライズする前から、こと、自分の身で実験してみても、すぐにわかることだ。

うそを使う。よそゆきの態度をとる。いざ仕事をするとき、上司や、嫌な同僚や、気が許せない相手、演技をしなければ立ち行かない相手に対しては。あるいは自分の一人の時間でさえ、自分に自分を嘘をつかなければ、とうてい自分を守り通せないとき、精神は分裂する。

ふだんが完全であるから、その状態から比較してみれば、あ、いま分裂したな、いま、分かれたな、と、自分が薄くなったような、欠けたような、二本になったような、中心から分離されてしまっているのは、わかることはわかるものである。

岡本太郎が、自分を必要以上に高く見せたり低く見せたりすることから崩壊していくんだよ、といっていたが。

スティーブンキングも、小説を書くうえで、文法やその他のミスはいい。ただし、嘘をつくと、トラックが通り抜けられるくらいの大きさの修復不可能な穴があいてしまうといっていた。

さいきん、分裂についてよく考える。

たいてい、ギーターの言葉でもなんでもいいが、宗教的なことを口にするとき、そこで結局、精神が分裂してしまうようじゃ、意味がない、ということだ。

俺もそうだったが、宗教的な戒律を守ろうとするとき、彼らの精神は分離している。本人も、どこかで違和感を感じているけれども、自分に自分を言い聞かせるようにして、分裂を分裂のままにしている。

このことから、他人に騙されるということはない。自分に騙されることはあっても。

分裂病とはよくいったものだ。痴呆でもなければ、病気でもない。ただ、分裂しているだけだ。統合している状態から、一つ、二つ、分離していってしまっているだけだ。地球上の全員が分裂している。だから全員、精神分裂病だ。

分離しなければやっていけない世の中だと思うと、個人よりも社会に責任があるだろう。俺でさえ、今、タリーズで働いたとして、分離せずに働き通せる自信はない。顔に、「やる気あります!」という真っ赤な嘘をかいて、皿洗いから始めると思うと。

この分離した状態が、世の中では正しい態度とされていて、家に帰って一人で部屋で過ごす時間になっても、制服が脱げないこともある。一人でいる時間でさえ、分離し続けている。それが精神分裂病というものの正体だろう。じっさいの病理学の方はしらないけれど。国家試験のときに勉強したけど、ぜんぶ忘れた。ぜんぶ、勘で話している。

このあたりを、まったく分裂させずに、歩き、話し、仕事をする人などといったものは、いるものではなく。

今、こうして、書いているそばから、分裂しそうになっているのだから、やはり、相当に難しいのだろう。

これ以上書こうとすると、分裂した部分で書きそうになるので、ここらで終えておく。

たいてい、浮ついたような、地から足が離れたような口調や態度になるから、それはすぐにわかる。お互いに暗黙のうちにわかっているが。子供はやらない。大人だけがこれをやる。そうしなきゃ生活が送れねーだろうがよ、というのはもっともだが。オメーみたいに出前館やってタリーズでコーヒー飲んでる生活送ってんじゃねーんだよこっちはという意見はもっともだ。

ただ、一つ、政治家という連中だけは、ぜったいにこの顔はしてはならないと思う。山本太郎も素晴らしいかもしれないが、分裂しているかしていないかといったら、分裂している。

政治家なんてものは、どれだけ傑物であろうとも、そもそものスタートが、分裂したところからでしか始められないから、無理っちゃあ無理だけどね。

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