朝8時50分、タリーズに行くために幹線道路を原付バイクで走っていると、ふと、「初体験の記事を書こう」と思った。それまで何度か、初体験の記事を書いてみようかなと思ったことはあったけど、そんなに気がのるものでもなく、採用しないでいた。
だが、このときは、なんか、いい感じに書けそうな気がして、ああこれは、名作になるに違いないと、書く前からわかっていた。こういう感覚で書き始めるときは、たいてい、他の記事に抜きん出て面白い記事になる。じっさい書いてみてそれは的中した。とめどなくどこからか文章があふれてきてほとんど迷いがなかった。一日に25000字書いてしまった。これは最高記録だ。今までどれだけ調子が良くても20000字も書けたことはなかった。このとき思った。これが正しい書き方なんじゃないかと。むしろ、今までよくやってこれたもんだと思った。このように、いつも、書くことで書き方を学んでいるのである。
俺は、いうほどには、文章を書いてきて、そんなに楽しいとは思っていなかった。まあまあ楽しいというくらいだ。それなのに、もう5年かな? 6年か、それくらい文章を書き続けてきて、自分でもなぜこんなに文章を書いているのかはわからない。とくに作家になりたいとか、ブログで金を儲けたいというのもない。ただそれが自然だからというほかない。なぜか文章を書くことだけは続けてこれた、本当にそれだけだ。
だけど、初体験の記事を書いているときは、楽しくて楽しくてしかたがなかった。こんなに文章を書いていて楽しかったのは初めてだ。ふだんは、いつも朝9時からタリーズで執筆していたけど、はやく続きが書きたくてしかたがないので、朝7時からやっているコメダに入って書いていた。17時になると、それ以降は書かなくなるのだが、次の日が待ち遠しくしかたなかった。(←じゃあ次の日を待たずに夜通し書けよ、と思うかもしれないが、俺はなぜか、執筆の時間は厳格に定めていて、夕方17時以降は書かないと決めているのだ。太陽が活動している時間と同じ時間しか働こうとしない。『夜に仕事をするのは大凶』と水野南北が言っているのもあるのだが。また、ショーペンハウエルも、太陽が沈んだあとに文章を書くと、翌朝にその部分を書き直すはめになると言っていたから、真似をしている)
それからというもの、出前館もあまり真面目にやらなくなってしまった。こんな文章を書ける人間は世界ひろしといえ、俺くらいだろうと思って、この文章の放つ光が人々を惹きつけ、富は余るほど勝手にやってくるようになるだろうという確信にちかいものを感じたからだ。今まで、自分を信じられなかった部分が、労働というところに結びつけていたような気がする。自分を信じられるようになって、精神の方が先に労働から解放された気がして、不安というものがなくなった。
なにがいちばん大事かというと、自分のやっていることに楽しみを覚えることだ。ロダンの、『芸術家とは自分のやっている仕事に喜びを覚える者だ」という言葉の意味がわかった気がした。
真に偉大な才能の人は、作中に至高の幸福を感じるものだ。ロースは山羊や羊の毛を熱心に描いて倦まない。そしてこの無限の細かさを見ると、彼が作中に世にも純粋な幸福を楽しみ、仕上げなどは意に介しなかったのが分かる。「より凡庸な人々には、芸術はこういう満足を与えない。彼らは制作中に、ただ仕上げ後の出来栄えだけを念頭においている。こういう世間的な目的と傾向とを持っていては、偉大なものなどできるはずがないよ。」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ; エッカーマン. ゲーテとの対話(上) . KotenKyoyoBunko. Kindle 版.
俺が、たぶん、これまで文章を書いてきた理由は、ここにあると思った。たぶん、楽しみを引き出したかった。いまいち、楽しめるようでいて楽しめず、もっと楽しめそうなのに、それを引き出せそうで引き出せなくて悔しいから、この5、6年書いてきた。
ゲームも、YouTubeも退屈だ。でも何もしないのはもっと退屈だから、それらに手を伸ばしてしまう。何か、もっと自分のエネルギーをぜんぶぶつけられるような何かをくれ、と願ってきたけど、そう簡単に向こうからプレゼントされるものでもなく、自分で開拓するしかなかった。
というわけで、はやく、次の何か、自分が楽しめるものを書きたいが、再現性はどこにあるだろうと考えたとき、実のところ、これがなかなか難しいところがある。この再現性を見極めたとき、俺は毎日、楽しい人生を送れるようになるのだが。
初体験の記事は、自分の記憶をたどって書いた作品だ。ただ思い返して書いただけなので、材料はすべて揃っていた。キャラクターも、舞台も、オチも、価値感情も、セリフさえ。だから、あとは、それに対して、今の自分自身を付け加えてあげるだけでよかった。とても楽ちんな仕事だった。
こんなふうに、頭の中からイタコをおろすように、記憶を頼りに書くのがやっぱりいちばんいいのかなぁ、と思い始めた。幸運なことに、俺は、自分が体験したことはほとんどぜんぶ覚えている。これは、頭ではなく、心の中に印象として残ったものは決して忘れないという性質を人間は有しているからだと思う。人それぞれ、心の中に留める印象が違うだけでね。
もう一つ、言えることがあるとしたら……、傷である。
この、記憶と、傷は、関係しているようであり、頭の中からイタコをおろすように、スルスルと書けるときというのは、記憶とともに、傷が一役かっている気がする。
出会い系はどっちもバカ
プロフィール文
中出しで怒られた
就活生
まぁ、だいたい、他者が俺の作品を評価するうえで決定的な意味をもつのは、この辺だろう。俺の方も、それは認めざるを得ない。どれも、そのとき、強く、強く、自分の心の中にダメージを負った、そのずっと胸の中に残っていた傷が、時節を得て外に飛び出してきたものたちだ。このとき俺は書いているというより、書かされているという気分だった。
もしかしたら、文章というものは、あるいは創作というものは、過去の自分の中の強く残った傷、感傷なのだろうかと思った。
思うに、初めて、文章なるものが作られたのは、“日記”らしい。その日記というのは、なんのためというと、事実の記載、メモ、情報伝達といったものよりも、もっぱら、心の内省、愚痴、傷ついたこと、嫌だったこと、失恋、後悔、そんなことを残すために残されたものが始まりだったらしい。古代ギリシャだとか、そういった時代から文章を書くという文化が始まったものと思われるが。はじめのはじめは、自己療養のための小さな営みに過ぎなかったということだ。
それから、もっと大袈裟になり、人物、ストーリーなるものが加えられていって、ドラマなるものが生まれていったが、骨子となるものは自身の内省と言えそうである。
つまり、ピカソの言うとおり、“芸術は苦しみから生まれる”と言えそうだが。真実のところはわからない。べつに、感傷的な、センシティブなものばかり書くというつもりもない。ただ、再現性を見たときの話だ。(再現性などというものは追いかけないほうがいいのかもしれないが)
そして、もう一つ言うのであれば、むしろこっちの方が大事なのだが、この感傷ないし傷、詩人の胸に宿る傷というものは、それは宿命的に起こるということだ。起こることは起こる。それは書くために起こるのだ。ゲーテが「私は捏造した詩を尊敬しない」と言ったように、頭で考えて創作したものというのは、現実のもつ説得力に及ばないところがある。
俺はゲーテのようにフランス革命時代に生まれたわけではないから、この、平々凡々とした現代には書くに値するものがないかもしれないが、これもまた詩人の目だろう。いかにこの平々凡々とした現実の前に、この石ころのようなガラクタのような日常から真実を見出せるかといったところだろう。脚本的な面白さを求めるのに忙しい連中はそいつらとAIに任せていればいい。
現在は現在としての権利を要求している。俺のあいだに起こることは宿命的に起きている。すべて俺の手によって書かれるために起きているのだ。俺には、こんな、初体験の記事などとは比べ物にならない、人生最大の傷が残っている。おそらく俺にとって書くということのすべてはこのためにあるだろう。どうしても、自分の技術や、精神の器が足りずに、これまで書けないでいたが、今回、初体験の記事を書くことで、書き方がわかった気がする。今なら書けそうな気がする。
また、最近、二回目の免停となり、違反者講習に行ってきたので、それについても書きたいと思っている。
小学生のときに、下級生たちから石を投げられていたこと。
高校時代の初めての彼女のこと。
中学時代、サッカー部の同級生と喧嘩したとき、髪をつかまれて身動きが取れなくなり、顔面にサッカーボールキックをくらい続けて病院送りにされたこと。
小学生のとき、うまく目玉焼きが焼けなくて、キレて卵パックの8個をぜんぶフライパンで焼いて夕食に使える卵がなくなってお母さんに怒られたこと。
なども、書きたいと思っているが。朝、タリーズに着くころには、そのとき書こうと思う題材がそのときあらわれるので、その風に任せようと思う。今だって、この文章をそうやって書いているのだから。
あと、さらにもう一つ言うのであれば、むしろこれがいちばん大事なのかもしれないが、肥田先生が「昨晩は楽しい世界に招待された」と言ったように、もし、俺が招待されることがあれば、その世界について書いてみたいということだ。肥田先生は、その世界についてはその一言のみで、明快に記述はされなかったが、俺が招待されたときは、明快に書くことをお約束する。