匿名
しまるこさん、老いに対する恐怖はありますか?最近気づいたのですが、僕は老いに対する恐怖が強い人間です。若くいたいから一日一食生活をしてるような感じです。この気持ちにどう付き合ってますか?
しまるこ
私は年をとるごとに若くなっていっているのが自分でわかりますよ。若いのに年寄りみたいな人間もいますからね。まぁそういう形而上学的な話はともかくといったところですか?
外見的な面でも、やっぱり若くいたいから一日一食生活をしているところは私も同じですよ。ボクシングも、20代の動きをずっとしていられるようにという気持ちがあります。
ただ、やっぱり白髪がちょこちょこ生えてきて。生食にすれば白髪がまったく生えてこなくなるというのは、この界隈では有名な話だから、ここをいちばん気にしてといったところはありますね。
それもやっぱり女性の目を気にしているからかな? ただ、どうしたって私は39歳だし、もう若いと言える年齢ではないし、それに私がいちばんタイプの女性は、19歳〜24歳で、さすがに私がいくら若く見られようと努力したって、その子たちと釣り合いがとれないことは一目瞭然で。
人間の人生というものは、40歳までが収集の時期であり、残りの後半の40年は著述の時期だと言われています。これはショーペンハウアーとゲーテが言っていたことですけれどもね。ダヴィンチも言っていたかな。確かに、ここ最近なんですよ。ここ最近になって、やたらと文章が書きやすくなってきたのは。話すにしても、何をするにあたっても、年をとるごとに迷いがなくなってくる。40歳以降になると、農耕の女神ケレスの加護を受けて、生産的になってくるとも言われています。
これは自分の中で、有機的に緊密に内部の情報が統合されるためだと私は考えているのですが、そのための醸成の時間として必要になっているように思います。若いというのは、いつも電流や電熱にうたれているように落ちつかないものです。精神活動が活発で、あちこちに気が散って、実りもまた少なく、またそのために最も見なければならないものと目を合わせられない期間でもあります。
今日、「あなたの前にやって来るものに対してその場で対応しなさい。」という言葉にたまたま出会いました。文章を書くうえで、この言葉の意味がわかったのですよ。この言葉によって、今の自分にふさわしくない場を通り抜けることができました。それは次の記事を読めば読者の方でもわかるでしょう。
人は現在に生きておらず、過去や未来に即して生きているものです。もし現在、自分の胸に迫ってくるものを現在のままに扱えたら、それはまぁおそろしい文章になるのですが、こういったことも、年齢が若い時分にはできないものです。新鮮で永遠の生命は現在にあります。現在を、年をとるごとにつかまえやすくなってきました。そういう意味で、私は年をとるごとに自分が若くなっていっているのを感じますよ。真我を求めて生きるということは、若くなっていくことでもあります。だから、若くなるには時間がかかるのです。