顔としては太宰治のような顔をした。空虚、空っぽ。
だが、意外にそうでもないかもしれない。
まつ毛はだいぶ長い、だが付けまつ毛ではない、だいぶ、伸びていてまっすぐで、カールしていない。油分というものをほとんど感じられない、出涸らしの椎茸のような見た目をしている。
ギーターを読む女性は、
カフェでギーターか、悪くない
しかし、キャンペーンのハリポタコーヒーをわざわざ選んで注文して、いわゆる通常のカップとは違った、ハリポタの模様がついたカップにしたのはなんでだろう、まさかホグワーツの関係者でもあるまいし。
格好はあまり気にしないようだ。おそらく、5、6年、いやそれより前から、同じ黒いナイロンパーカーを着ている。斎藤一人さんが黒を着るのは厳禁、霊性修行者は白い服を着なければならないとYouTube動画で語っていて、それを契機に、小生は白い服しか身につけなくなったが、彼女はまだその動画を視聴していないらしい。黒い服を着ている。ペンケースも黒、ボールペンも黒、髪色も黒。トートバッグはベージュの布製でこれも年季が入っており、なかにノートと本数冊が入っている、物を大事にするため長年愛用しているのか、そもそもはなから興味がないのか。
化粧っけもない。歳は……わからない、30……後半か、40か、いや、32歳と言っても、まちがいではなさそう、そういわれても納得してしまう。
じっさい、女性の方がスピリチュアル界隈に多いと思う。多いと思うが、
新しい私、新しい自分、新しい扉、キラキラワード、ハケンの品格、わたし、定時に帰ります、離婚弁護士、吉高由里子、キャビンアテンダント、テイク、オン……
タピオカ界隈の女とはまた違う種とはいえ、同じ落とし穴だと思う。
やはり、光粒が舞っているように、キラキラした感じがするからだろう。その点ギーターは真っ黒だ。暗く、黒く、禁欲的で、いっさいの欲を認めない、仄暗い底をみるものはまた仄暗い底もこちらをみているのだ、といわれるような、その、闇そのもののような書物だと思う。
したがって、彼女が望むなら、宗教的な会話も辞さないと思ったが、
彼女が望むなら、彼女と会話してみたい、と思ったのは、事実だ。
だが、やっぱり、少し想起してみて、それは口にだすそばから香気を失っていって、きっと、ギーターの中の閉じ込められてあるあの高貴さは、本の中にしか存在しない。最も、いちばんかんじんかなめの深遠なる思想は、各自、胸の内の静けさの中で、ゆっくり暖められるものだろう。口に出すのは、詮無いものだ。
だから、お互い、黙っているのがいいのだろう。
しかし、美しい横顔だ。欲がなさそうだ。ほとんどコーヒーに口つけず、もう何度となく読みこんだはずのそれを、一字一句、なめるように読んでいる。意外と本は綺麗だ。大切にいつも傷つけないように気をつけて持ち歩いているのだろう。もしかしたら最近買ったばかりなのかもしれない。一番初めから読んだと思ったら、途中からパッと開いたり、そして、そのページからそのまま続いて読んでいったかと思うと、また、散漫のようにペラペラとページを送って。お行儀の悪いお嬢ちゃんみたいだ。ふと目に入った箇所に、また釘付けになったように、また、立ち止まる。まさに、人生を歩くように読んでいる。ギーターを読む女性は本物だろう。愛も水も乾いた、およそ現世(うつしよ)のどこにも目が合ってないような、読んでいるのか、感じているのか、わからない目線で、ただ、紐解いている。こうした読み方をするものは、本物だろう。出前館のバカのオファーが鳴った。っち、いくしかないか。もう少し、彼女を見ていたかったが、きっと、もう二度と、カフェでギーターを読む女性に出会うことはないだろうから。
一応、スマホを持っているらしい。テーブルの上に置かれている。アイフォンの6代目か、おそらくもうまだ、OSサポートも終了している世代だと思われるが、使えればいいといった調子で、まだまだ手放す気はなさそうだ。変なスペースキーのような外部ボタンが付いているやつだ。カバーは黒でなく知的な深緑色のをつけている。
安そうなジーパンに、ニューバランスのグレーのスニーカー、不思議とボロボロではない。古そうな感じはするが、全体的に小綺麗ではある。ニューバランスは、もともと医療メーカーだったため、歩行困難者や障害者に向けて作ったノウハウが手伝っているため、いわゆる他のスポーツメーカーのスニーカーより、履き心地が優しく、歩きやすいといわれる傾向がある。彼女もそれを知ってか、体感的に、ただデザインとしては、大きなZが主張して子供っぽい気もする。すると、ギーターを閉じて、スマホを置いて、ベージュのトートバッグの中からB5の罫線6mmのルーズリーフの一枚を取り出し、それをテーブルの上に置いて、しばし夢想し始めた。2、3分、そのままいくらか景色を見ていたが、それをやめ、目を開けたまま、どこも見ず、2、3分、そのまま静止していた。すると、何やら文字を書き出した。一体何を書いているのだろう。小生の席から、2席分、右側に離れていて、一席一席分の差が大きく、全体像は見て取れるが、何が書かれているか、細部までは目視できない。しかし、小生には、その人が何を書いているか、書き物の中身まで調べようとする非デリケートな部分は断じてない。そこまでの卑劣漢ではないため、今回のストーカー記はここまでにしよう。今回の、これくらいまでの記述だったら犯罪ではないから、許されるはずだ。
山本陽子氏、だったか。
遥るかする
純めみ、くるっく/くるっく/くるっくぱちり、とおとおみひらきとおり むく/ふくらみとおりながら、
わおみひらきとおり、くらっ/らっく/らっく/くらっく とおり、かいてん/りらっく/りらっく
りらっく ゆくゆく、とおりながら、あきすみの、ゆっ/ゆっ/ゆっ/ゆっ/ とおり、微っ、凝っ、/まっ/
じろ きき すき/きえ/あおあおすきとおみ とおり/しじゅんとおとおひらり/むじゅうしむすろしか
つしすいし、まわりたち 芯がく すき/つむりうち/とおり/むしゅう かぎたのしみとおりながら
たくと/ちっく/ちっく すみ、とおり、くりっ/くりっ/くりっ\とみ|とおり、さっくる/さっく
ちっく/るちっく すみ、とおりながら
純めみ、きゅっく/きゅっく/きゅっく とおとおみ、とお、とおり、繊んじゅん/繊んく
さりさげなく/まばたきなく/とおり、たすっく/すっく/すっく、とお、とおりながら
すてっく、てっく、てっく
澄み透おり明かりめぐり、透おり明かりめぐり澄み透おり
透おりめぐり明かり澄みめぐり、めぐり澄み明かりぐりするながら、
闇するおもざし、幕、開き、拠ち/ひかりおもざし幕開き拠ち
響き、沈ずみ、さあっと吹き、抜けながら
響き、ひくみ、ひくみ透おり渉り、吹く、透おり、/
先がけ、叫び、しかける街々、とおくをわかち、しずみ、/透おり交いながら
しずみ 、しずみ透おりひくみ、ひびき、ひくみ/つよみ透おりするながら、たえまなく
透おり交わりするながら/ひびき透おり放ち、
瞬たき、路おり乗するながら
夜として観護るごと、めばめき 帳ばり、ふた襞、はたはた ひらき 覆い/
という、詩を残したとされる、
山本陽子氏は、アパートに一人住まいし、午前中はビルの掃除婦を勤め、午後は読書と飲酒に耽ってろくに食事も摂らず、彼女の部屋に残されていたものは、おびただしいメモ類とフライパン一個だったそうな。
41歳でなくなったそうな。死因は肝硬変だったらしいが。一応、アルコールの飲み過ぎということになっているかもしれないが。
どうやら、この手の人は、エドガーアランポーやキルケゴールにもみられるような、複雑怪奇の、謎のような死を遂げる。
宮沢賢治といい、モーツァルトといい、キルケゴール、カフカ、デカルト、シラー、バイロン卿、このぐらいの年で変な死に方でなくなるのが多い気がする。ゴッホなんかも拳銃自殺なんて言っているけど、外の原因も中の原因も、じつは一緒で、同じところから死はきていると思う。ゴーギャンの最期も、死んだ年月は違っても、やっぱり同じところからきているように思う。
死因はあとからつけられたものであり、なぜか、彼らはよくわからない死を遂げる。俺から言わせれば、坂本龍馬も同じだ。カエサルも。
それは、自死というには、あまりにも世俗的な言い方で。役目を終えて引き払っていくような、
いや、寂しすぎて死んじゃうのかな。
たまに、一人、孤独があまりにも進んでいくと、ただ、それだけの理由で死んでしまいそうな気分になることがあるが、俺は、おそらく、彼らの死因はそこからきているんじゃないかとすら見ている。
結婚はしているんだろうか? こういった質問は、彼女の独自性に対する侮辱とも受け取られかねないものだが、
ある意味、結婚を放棄した女性というのは、男ではたどり着けない、この場所まで行ってしまいそうな気がする。体は弱いが、もともと欲自体が少ないため、性欲に煩わされないため(少なくとも彼女が性欲に煩わされたといったことは人生において一度たりともなさそうだ)、人生において、その当初から持って生まれた、生来の真面目さが、男とは違うようである。必死に、何やら、ペンで書き綴る、この姿勢は……。はたして、小生は、こんな真面目に、書き物をする人間という物を見たことがない、少なくとも、男に、それを見たことはない。
又吉直樹の女バージョン、おそらく全て古着で構成されているような。
落ち着き払っている。読んじゃダメ!って、急に取り上げても、静かな目で、こちらを見透かしたような目で、じぃっと見られ、その瞳の前にものおじしてしまい、謝ってしまいそうだ。
男は、いくらか、その絶対数として、女よりストイックなのが多いが、その上をいくストイックな女がいて、それは女にしかあらわれないような気がする。俺には、あんなガラクタみたいなアイフォン6なんて使うのは耐えられないから。
遠い、静かな目、深遠な目だ。願わくば、この文章を彼女に届けたいが、それもやはり、ギーターの言葉を外で語るように、香気ないものになるだろう。というより、霊格の違いというやつか。何か話すそばから、追い払われてしまいそうな。しかしそれも、こうして、こういう文章を書くからだ。もし俺が、俺の時間、俺のリズムで、俺の仕事に打ち込んでいたら、追い払われるのは彼女の方なのだから。しかしこの文章もまた、仄暗い海の底で鎮座して漂う、プランクトンや金魚みたいな味気ない魚たちに喰われ、藻屑となってしまうのがいいだろうか。
だが、しかし……、