女性研究

女性と言語について

栗薫:しまるこさん、こんにちは。いつも楽しく記事を拝読させていただいております。「女はパクリ魔」の記事、いつもながら独自の視点かつ深い洞察力によって裏付けられた鋭い内容で、読む手が止まらず一息で読んでしまいました。また大変参考になる部分がとても多い記事内容でした。

しかし、一点だけ気になったところがあり、お伺いしたくなりました。

私たち女は(少なくとも私や私の周りにいる女性)、結婚相手を決める時、結婚は一生に一度のことですし(昨今では必ずしもそうとは言い切れないかもしれませんが)、少なくとも結婚を決める上で3年以上は付き合う必要があると考えている女性は少なくなく、男性が思うより女性たちは男性の普段の行動をよく見て、結婚を決めていると思います。また年齢的な出産のことを考えると、23、4歳の頃から将来の伴侶に出会うために婚活を始めないと間に合わないという考えに取り憑かれ、最終的なゴール地点を逆算してから結婚や人生設計を立てている女性もいます(全員が全員そういうわけでは当然ないとは思いますが)。みんな、仕事や家庭環境、それぞれのケースがあり、それぞれの交際や結婚(に対する考え方)があるように思います。じっさいに子育てはとてもエネルギーがいるので、なるべく若いうちにと考えて焦り出し、その焦る中でも、妥協とか折り合いを混ぜながら、今の自分の取りうる最大公約数的な立場から、答え(結婚)を決めているのだと思います。

それを一律に、女性は同じ考えをしている。世間がいいとされている男性を結婚相手に選んでいると決めつけるのは、しまるこさんにしては、些か乱暴な論旨というか、それこそ思考停止している面が否めないのではないかと僭越ながら感じてしまい、今回、失礼を承知でこの文章を送らせていただきました。

>ほとんど女性というのは同じ顔をしている。同じ格好をしている。同じ頭をしている。

>女は個性という点において、男に比べてずっと弱い。これは脳の解剖学的器質、染色体的要素、同列意識の生活環境からきているだろう。

この辺りは、確かにそういった傾向はあるかもしれません。個性という点において、女性は平均値を地で行く面があることは否めないかもしれません。

確かに男性に比べて没個性的と言われれば返す言葉もありませんが、しかし、それは同時に、男性目線から見た偏ったものではないかとも感じられました。勝手なことばかりいってすいません💦

記事、いつも楽しみにしております。

しまるちんこっこ君

栗薫さん。なるほど、おっしゃるとおりです。栗薫さんの言っていることは正しいです。とくに女性は言語をつかさどる脳の連絡網が男より有機的とされ、一語一語、文章の是非を仔細に検討するきらいがあるようです。ガーッハッハッハ! なんでもけっこうけっこう!😂 と、豪放磊落の大殿のように、もうボケが始まっている男たちと同じようには、いかないものですね。

この場合、考えられるケースはいくらでもあります。女性の数だけ結婚があると言っても過言ではありません。

確かに、いぜん、私が勤めていたデイサービスの職場でも、当時29歳だった私よりも、46歳のおっさんの方がモテていました。ふつうに考えれば、私の方が若くてイケメンで資格持ちで懸垂も20回できて給料も多くもらっていたのに、おかしな話です。ある一人の介護士の20歳の女性は、最初は私に惚の字のようで、私とコンタクトをとる機会をつけ狙っている様子がありましたが、一つ、二つ、接触を図るごとに、あれ? なんか違うや……と勘づいたようで、だんだん私にちかよらなくなり、46歳のおっさんの方にシフトしていってしまいました。

おっさんとの会話の相性、主義主張、休日の過ごし方、食べる食べ物、決定的な要因はわかりかねますが、自分の細胞が何を求めているのか、20歳でありながらそれはわかるようで、「こっちにしよう!」と、自分の頭で考えて決めた様子がうかがえました。

しかし、それでも彼らが交際に発展することはなく、それぞれ違うパートナーを見つけて結婚したこともあり、もはや私の考えは及ぶべくもなく、これはもはや運命の領域なのでは?と思ったほどです。確かに、神が采配している運命の輪から逃れられず、強制的な修正力が働いている……としか考えられないようなケースも、私は多々、目にしてきました。

例えば、そうですね。

結婚願望が強い男女が、全ての条件に適った相手と出会っても、なぜか見送ってしまう、というようなこともあります。また、絶対に結婚しないと決めていたにも関わらず、ふとちい散歩に出かけるような気持ちでデートに向かい、その折にプロポーズしてしまった! ということも一見にしかずといった状況です。

今回記事に出した千原ジュニアなども、彼女とバーに行き、バーのトイレで用を足し戻ってきて、ふととなりに座っていた彼女の顔を見て、「結婚しよか?」という言葉が勝手に口から出たと言っています。それまではまったくこの女性との結婚を考えてはいなかったそうです。

確かに、栗薫さんがいうように、女性は、そこまで、動物や虫ケラふぜいのように、右ならえ右! といったふうに、同じ方向に顔を向けているわけではないかもしれません。

じっさいは、私もそれはわかっていますよ。

この人はそういったことを全部わかった上で書いている……と思ってくれれば、誤解が少なくて済むのですが、まあ、私は誤解をまったく恐れないし、今回、筆を取ったのは、誤解をときたいからではありません。

読者に対して誠実であろうとして、下手な書き手ほど、全部を書こうとしてしまいます。書くそばから一つ一つを検証していき、考えに考え抜かれた正しいことしか書かない、という書き手は存在します。そうやって検証に検証をかさね、あらゆる事態を想定したすべてを書き切ってしまうことほど混沌をまねくことはありません。

これは、ちょうど料理に例えることができるでしょう。このように、多義にわたる精神を、ひとつの一貫した精神で出発しているものに織り交ぜてしまったら、ソースと味噌とバルサミコ酢をいっしょくたに混ぜてしまうような複雑怪奇な味になり、はたしてどんな料理なのかわからなくなってしまいます。見事に味同士がケンカしてしまい、それを口にする客にとっても不幸なことになってしまいます。

これと同じように、多くの人が、全部を話そうとすることで、メチャクチャになっていることが少なくありません。一つ一つの言葉が正しいかどうか、彼らはいちいち足を止めて考えずにはいられません。考えれば考えるほど、ああ違う、あ、こういったことも考えられるかもしれない、あ、これも……と、すべての角度から検証していったら、もう残るものは何もありません! これらのために身動きが取れなくなり、がんじがらめとなって、ついには何も話すことができなくなってしまう、という例も少なくありません。

じっさい、それは、考えているようでいて、周りの考えが入ってきているだけです。本当はすでにもう、自分の考えは中心に置かれてあるのですが、周りの目を気にして、最初に持っていた自分の考えに、それらが干渉してきて、自分の考えを押し殺してしまっているに過ぎません。それはむしろ、自分の考えを言わないようにするために、隠れ蓑にしているとも言えます。

栗薫さんが、ふだん、お友達と話すときに、すべてを話したいと思っても(すべてを話してもいいのですが笑)、そのターンや、雰囲気、情勢。あるいは詩的な雰囲気を大事にするのなら、韻や比喩の支配をうけて、そのときに扱える言語はごくわずかということになります。文章の流れや要求に応じて一撃のもとに沈めなければならないことが、実生活上でも多々あるからです。

たとえば、上司と話すときも、思っていることを全部言えればいいですが、そうは問屋が下ろさず、全部が全部、言うことはできないでしょう。これらをぜんぶ無視して話す人もいますがね(笑)

まぁ、それをやれば、反論コメントをする人はいなくなるかもしれませんが、読む人もいなくなってしまうでしょう。

とある小説投稿サイトの友人も言っていました。

個人的には、"書きたいことを書かずに、書きたいことを書く" っていうのが基本的なスタンスなんですけど、そこまで極端を求めることはむしろこのお話の"良さ"を奪うことになることくらいわかりますし、そんな切り分けの"バランス"っていう所詮は読者に委ねられるかどうかの"想像の余地" その使い分け方、みたいなことかと思うんですよね。

私は、私が思っている以上に、文章が要求してくる文章を書いているだけで、自分が考えている以上に、この力に任せてしまっています。すべてをなげうって、向こうからかえってくる一文だけをセレクトする。女性はどうもこれが苦手らしく、あれも考えられる、これも考えられるかもしれない……とやってしまいがちです。

我々は、この複雑怪奇とも言われる人生航路の中で、ただ頭の中を白紙にして、向こうからかえってくる一つのものだけを信じていかなければ、生き抜けないところがあります。いちいちすべてを考えて、検証と検討ばかりやっていて、オードブルをミキサーにかけて、なんの料理かわからなくなっている人間が少なくないこの頃ですから、その注意喚起として、この文章を書きました。

栗薫さんが、今後、人生を歩く上で、この手のテキストを書く人間や、こういった話し方をする人間に出会うこともあるかもしれないから、参考になるかもしれません。

まぁ、もしかしたら、これは、たべる食物と関係していて、一つ一つの思想が、一つ一つの食べ物とリンクしていて、寿司や野菜やラーメンやチョコレートは、寿司はこの考え、大根はこの考え、ラーメンはこれ、といったふうに食べ物ごとに想起され、最終的にはそれらがミックスして、なんの考えかわからなくなってしまっている……ということも、なきにしもあらずといったことはおいといて。

生玄米のような、最もシンプルなかたちで、すべての栄養価を完全にもった文章を届けられたら、いちばんいいですが! だーっはっはっは!😂

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