「あ、しまるこさーん! 久しぶりじゃないですかぁー! 三週間ぶりですかー!?」
「はい、ちょうど、三週間ぶりですね」
インストラクターのYukiさんがぽくちんの登場に気づいて挨拶してくれた。
他の練習生たちは全員一丸となって鏡越しにフォームチェックをやっている。キックのフィニッシュ時にピタと動きを停めて、そのまま静止して石像みたいになっている。バランスを崩して誰かにぶつかり、そのまま全員ドミノ倒しになって割れてしまったら困るから、ぽくちんに挨拶ができないらしい。
三週間ぶりにやってきたのに、しどい(泣)
今日、家を出てくるとき、餃子はニンニク抜きにしてとお母さんにお願いして、脇毛を剃って、買ったばかりのアンダーアーマーの白Tシャツと、3Dカットのエアリズムボクサーパンツを履いて、何が出るかな♪ 何が出るかな♪ と、ごきげんようのサイコロBGMを頭のなかで鳴らしながら行ったのに、女性陣から歓待の意を示してもらえることはなかった。
ぽくといえば、もう39歳になるのに、運動部の高校生のような肉体をしていて、懸垂が20回できて、非常に見た目が若々しく、一日一食の少食にしていて、抗酸化物質を身体に溜めないように食養生して、老化を遅らせているけれども、「実年齢」というやつには敵わないか。
このジムの女性たちといえば25〜30歳くらいが中心だから、15個ぐらい歳が離れてしまうと、ちょっと難しいか。霊性修行の効果もあまり表れているようには思えない。毎晩1時間瞑想しているのはこのジムでぽくちんだけだと思うが、光の化身のように絡まれることもない。
実家から歩いて5分の場所。すでに練習着に着替えてやってきているから(やる気満々だホイ♪)更衣室を借りて着替える必要もない。床のあちこちに練習生たちのカバンが置かれていて、ぽくちんもそれに倣って、適当な場所にカバンを置いて、ストレッチすることにした。うんしょ、うんしょ……
チラと全体を見た。今日は、女性が6人、男が3人。
ちんまりとしたジムでよくやっている。外から見ると、『〜キックボクシングジム 女性会員募集中〜』と書かれた旗がたなびいているが、やっているのかいないのかもわからない、駅前シャッター街のテナント一室を借用していて、隣に八百屋があって、やや入るには怪しいジムだ。昼間に通り過ぎる際には怪しく見えるが、夜になるとこのテナント一室だけが輝きだし、まるで妖精たちが集まって何らかの画策のための準備をしているようだ。
さて、女性6人の紹介は後回しにするとして……
ちんこどもからいくか。
1本目は、山口とかいう人。
山口という苗字をもつ人は、昨今ではどこの職場でも、『ぐっさん』というあだ名をつけられてしまうものであり、山口県の人たちは一体どうしているのかと思われるけど、彼もそれに倣って、初めはぐっさん、ぐっさんと呼ばれていた。しかし、それだと当たり前すぎるということで、時宜をあらためて再考され、『さんぐー』と呼ばれるようになった。ぽくちんは高みの見物を決め込んでいて、あだ名命名選手権に参加しなかったけれども、ひとりの女性が、「じゃあ『さんぐー』にしましょう」と言った時、そのセンスに脱帽した。もう少しこのジムに通ってもいいかなと思った。
山口氏は(ぽくちんは意地でも『さんぐー』と呼ばない……!)、男性ホルモンが多いタイプで、よく日焼けしていて、サーフィンをやっていそうな、髭をはやしていてワイルドな見た目をしている。体毛が濃くて、いつもタンクトップを着用していて、胸毛や脇毛がはみ出ている。こういった男性性からくる不潔感は女性陣が跋扈するジムにおいては不利に働くのではないかと思われる方もいるかもしれないが、仕方のないところからくる男性性については女性たちは寛容らしい。無一文者がお腹を空かせてコロッケを盗んでしまったのを見るような慈愛を持ち出している節がある。が、少しでもニヤニヤしたりすると、一射絶命の矢を集団で射る。彼女たちにとってHENTAIというのは、ニヤニヤしているかそうでないかといった定義のもとに下されるものであり、抱かれている赤ん坊でも、中年男顔負けの下卑たニヤニヤした顔を見せて乳汁を吸引しようものなら、「ヒッ」と驚嘆の声をあげて手を離されてしまう。
2本目は、ジジイ
推定年齢70〜80歳。初めて見た時は、25歳くらいの女性とずいぶん気心が知れた仲でミットを打ち合っていたので、孫と一緒にジムにやってきている人なのかと思った。なまじ身体が大きいため、ぽくちんとペアにさせられることが多い。男と一緒にミットを持って練習するより、女と一緒にやってる方が楽しそうにしている。気難しそうな、陶芸の腕を割ってばかりいそうな見た目をしており、じっさい、ぽくちんと話すときは目を合わせないし、他の男と話すときも同様である。しかし女と話すときは子供のように目を輝かせる。よくここまでわかりやすい態度を見せるものだなと、エロジジイと揶揄されることが怖くないのかなと思うが、若い男だと、それを悟られないように、むしろかえって男と一緒に練習するときの方を楽しそうに演技するものだが、年齢のためか、もうその演技する力が残ってないようである。女性陣からすると、老人のこの態度は好感がもてるらしい。巷では、年寄りの男にも性欲があるのではないかという説がたまに騒がれるが、彼を見ているとそれが真実だということがわかる。女性たちの方にこの老人と正式に付き合う気持ちはないだろうが、老人の方にあるかはわからない。結婚しているのか、長年付き添っている妻はいるのか、このジムに来た目的は何なのか、謎である。達観したゲーテのような歳のとり方、つまり明鏡止水の果てに辿り着ける有徳の賢者、さながら大木の下で村の子供達に叡智を授ける長老のような老人よりも、女性と話すときにわかりやすいまでにニヤケ顔をする老人の方がどこでも女性ウケがいい。病院で入院生活を送っている老人でも、行儀のいい老人よりも、こういったジジイの方が可愛がられるものだ。まるで、この老人は、我々にその身をもって教えてくれているようだ。いつか我々男性は、寝たきりになって、全ての緊張から離れ、己の自然な欲望を女性に見せることがかなうようになるが、そのときになって初めて、もっとはやくこの姿を見せていればよかったという気持ちを残しながら死んでいくことを。
「しまるこさん、前蹴りです」
「はい」
ジムに入ってまだ間もない数分、死期について思いを巡らせていると、女性インストラクターのYukiさんに声をかけられた。
「男性同士でペアになってください。じゃあ、杉元さんと……」
(っちぃ……。やっぱりか)
ジジイの方もあからさまに嫌そうな顔をしていた。
「お願いします」
「……」
返事がない。ただの屍のようだ。
「それでは交代でやってくださーい」
「うほ」
ジジイが親の仇のように前蹴りを繰り出してきた。(バカが、こいつ、交代制だっつってんのに、どっちが先に蹴るか取り決めもしねーうちに蹴り始めてきやがって。ボケてんのか……?)しかし、なかなか体重がのっていて重い蹴りだ。そこらの女性の蹴りよりだんぜん重い。もともと体重があるのも相まって(70kgぐらい?)、以前、銭湯代わりに利用していたホリディスポーツクラブで、ムキムキの老人の姿がちらほらあったことを思い出す。俺の税金を使って鍛えた身体で、やってくれるじゃねーか。昔に格闘技をやっていたのかもしれない。そこらの女よりも強いし、下手したら入門したての青二歳の小僧より強い節すらある。この体力に余力が募りつのって、いまだ性交渉に耐えうる頑健さのアピールに感じられなくもない、それを俺にやってどーすんだよっていう話だが、一発、一発、キックを受けるたびに、少なくとも本人から、そういったネバネバした意志のようなものが感じ取れた。
ジジイのキックを受けながら、横目で周りの人たちを観察してみる。
大人ってこんなに子供っぽいものだったか。それが第一に直球として飛び込んでくる感想だった。
片方がミットを構えて、もう片方がミットの真ん中にグローブを当てる。ただそれだけのことに(それだけのことだからか)、子供のような笑顔を見せている。
もう30代の男と、20代後半の女性たちが、「ふー!」とか、「あつい!」「あー!」「今の、スッゴォーい」と、感嘆詞ばかりが飛び交う。これまで会社勤務によって培われた大人性が剥がれ落ちていっているようだった。
やはり、男は女と一緒にトレーニングしたいと思っていたものだし、女も男と一緒にトレーニングしたいと思っていた。男女がそろって一緒に身体を動かすなんて小学校のとき以来だ。もう中学になると、男女は別にされてしまい。──私たちは離されたくなかった。というかのように、小学校の教室の時計の針がふたたび動き始めたようだった。おそらくこれが中高生のときに訪れていても、彼らがいま見せている笑顔はなかっただろう。時宜を得て、素直な心を手に入れて、やっと花ひらいた。
もう一つ、おかしな現象が見られた。
ファッションが派手同士のペアは口数が少なくなり、ファッションに開きがあるペアは口数が多くなるということだ。
ちょうど結婚適齢期の男女が、ぺこ&りゅうちぇるのように、おしゃれなタンクトップウェアやカラフルなパンツを履いた姿で立ち並ぶと、「今すぐにでも彼らは結婚するのではないか?」という周囲からの視線を、本人たちの方が勝手に早合点して自分たちをその視線で見て、気恥ずかしくなってしまうからだと思われる。
学校や職場でも、意中のイケメンに対して恥ずかしがって声をかけられないうちに、気を抜いて話せるブサメンと話をしていたら、そのまま付き合って結婚してしまいました(^◇^;)というのはよく見られるケースであり、この、『照れ』のせいで、人生が180度変わってしまうことはしばしばだ。今、この場においても、同じ災害が起ころうとしている。
こうしてシャバに出ると、思わず忘れてしまいそうになる。幸福とは、意識であり、状態であること。外を求めずとも、己の内側にあること。他人と一緒にいると、他人の当たり前がこちらにも入ってくる。それは、生活。時間。実家に帰って母親と一緒に過ごしているときにも覚える感覚だ。
部屋にいるとき、BGMを鳴らして過ごす時間と、鳴らさないで過ごす時間の違いといえようか。自意識の薄い、抵抗というものを感じない時間。ノイズの有無。ここにいると、この中の誰かと結婚し、そのまま家庭を築いていそうになる。そして、また、生まれ変わって、やり直し。
霊性修行を通して、見た目もイケメンとなり、格闘センスもいちばん優れ、精神的境地も非常に優れたものになり、公の場に出て行ったら、さぞかしモテるようになっているだろうと思っていたら、ぜんぜんだったことにがっかりした。
やはり、同じ霊波動同士、同じ霊格帯同士が惹き合う仕組みになっているようだ。
基本的には、一人アパートの一室で瞑想して過ごし、たまに人里に降りてきて、みんなと一緒にスポーツをする。それくらいがちょうど良さそうだ。