武道について調べていたら、こんな文言に出くわした。
上原清吉によると、本部朝勇はよく「右手で勝ったら左手で負けておけ」と言っていた。つまり、いつも勝ちを求めに行くのではなく、たとえば普段の稽古とか練習試合では適当に負けて相手に花を持たせることも大切だという意味である。
実はこれと似た言葉を弟の本部朝基も語っていた。東京大道館の弟子であった丸川謙二氏によると、本部朝基はよく「稽古では10回中8回は負けておけ」と言っていたという。これは自分の本当の技や実力を安易に見せてはいけない、という意味も含まれるが、もう一つは、稽古仲間を痛めつけて怪我をさせたり、自尊心をひどく傷付けてはいけない、という意味でもある。
稽古仲間は、自分の技の向上に付き合ってくれる大切な存在であるから、安易に怪我を負わせたり、むやみに自尊心を傷付けてはいけない。もし相手が稽古を止めれば、それは自分の技の向上にとってもマイナスになる。だから、普段の稽古では、わざと負けてあげて相手に花を持たせるような配慮も必要だというものである。
これは本部御殿の家訓だったのか、昔の沖縄の武士(武術家)に普遍的にあった考えなのかは分からないが、とにかく本部流ではこのような教えが受け継がれている。
本部朝基の言葉:十回中八回は負けておけ
じっさい、本部朝基(もとぶ ちょうき)という唐手家はとんでもない強さである。52歳の時に巨漢ロシア人ボクサーを一撃の元に倒したとか、62歳の時に当時フェザー級チャンピオンだったピストン堀口と試合をし、堀口のパンチをすべて交わして、入身をして堀口の眉間スレスレに拳を寸止めしてみせたという。
本部朝基の有名な台詞として、「唐手はもちろん、柔道、相撲、拳闘など、何をする者でも希望するなら、いつでも試合に応じる。ただし、相手の命は保証する」とある。
ただし、相手の命は保証する。
この言葉が、氏の強さを物語っている気がする。
身体付きからしてわかる。こういう身体の人は本物だ。肥田先生と同じような身体をしている。腹周りが異様に肥えていて、丹田からくるエネルギーが全身に振り分けられている感じだ。中心生命によって力を得ているから、力の質そのものが違うのだろう。昨今の、ウエイトトレーニングによって胸部ばかりが発達して腹部が異常に細い逆三角形タイプのビルダー系とは一線を画す。あらゆる時代の最も優れた体育家だけが、この肉体の神秘に迫ることができるのだ。
ヨガナンダ先生も、クンダリニーの波動を肉体節々に注ぎ込むようにして身体を鍛えなさい、と言っている。近代の不世出の達人、大東流合気柔術の佐川幸義先生も、師である武田惣角大先生の手を見て、その異様な大きさに驚いたそうだが、佐川先生自身も晩年にこの方法を突き止め、「やっと手を大きくする方法がわかった」と弟子に言い、本当に大きくしてしまったという。おそらくこれは、ヨガのシッディである八つの神通自在力の一つと同義の力だと思われる。
こうして人は神の子となると、マーヤのあらゆる束縛を克服し、アイシュワリヤ(神通自在力)を身に付けるようになる。アイシュワリヤには八種類ある。
1. アニマ 自分のからだでも、そのほか何でも、自由にいくらでも小さく――原子の大きさにまでも――することができる能力
2. マヒマ 自分のからだでも、そのほか何でも、自由にいくらでも大きく(マハット)することができる能力(←おそらくこれ?)
3. ラギマ 自分のからだでも、そのほか何でも、自由にいくらでも軽く(ラグー)することができる能力
4. ガリマ 自分のからだでも、そのほか何でも、自由にいくらでも重く(グル)することができる能力
5. プラプティ 何でも欲するものを手に(アブテイ)入れることができる能力
6. ワシットワ 何でも思いのままに支配(ワーサ)することができる能力
7. プラカミヤ 不屈の意志の力によって、あらゆる欲望(カーマ)を満足させることができる能力
8.イシットワ すべてのものの主(イーシャ)になることができる能力
「よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信ずる者もわたしのわざをなすであろう。そればかりか、もっと大きなわざをなすであろう。わたしが父のみもとに行くからである」(ヨハネによる福音書14:12)
スワミ・スリ・ユクテスワ 『聖なる科学』より
「勝利を得る者には、わたしとともにわたしの座に着かせよう――ちょうど、わたしが勝利を得て、わたしの父とともにそのみ座についたのと同様に」 (ヨハネの黙示録3:21)
本部朝基の強さなら、相手が誰であれ、対峙した瞬間に無力化できるように思われるが、それでも稽古中は十回中八回は負けるようにしていた。
肥田先生も、「私はすでに世人において勝って、勝ち余っているから、飲み屋で酔っ払いに絡まれた際は、好きなように殴らせておいた」と述懐している。
井上尚弥や大谷翔平は、その商品価値のために勝ち続けなければならないだろうが、周りから勝利を期待されてない境遇にある者は(あるいは厚遇といってもいい)、なるべく負ける方を選ばなければならない。
なぜなら、単なるおつきあいにおいて、ましてや勤務において、だれもがもっとも好んで求めるものは、相手が自分よりも劣っているということなのだから。ところで、ここで要求されるのと同じ程度まで、自分が徹頭徹尾、大いに明らかに全面的に劣っており、まったく取るに足らぬ無価値な人間であると確信し、そういう思いに満ちあふれているのは一文無しぐらいである(中略)そんな輩だけが無心のしかたを心得ている。だからゲーテが
『下劣だと
文句をいってはなりませぬ
世間がなんと言おうとも
下劣さは 侮りがたい力ゆえ』
『西東詩集』〜「旅人の心の安らぎ」
という言葉で私たちに明かした、あの一目につかぬ真理の体得者に早い時期に、つまり若くしてなれるのもそういう人間だけである。
「ショーペンハウエル 『幸福について』より」
まぁ、僕なんてものは、相変わらず、プロボクサーにボコボコにされている有様で、もう永遠に勝利に届かないのではないかと思わなくもない日もなくはないのだが。
さいきん、ビジター(日帰り利用、非会員)で通っているキックボクシングジムで、アマチュアの大会に何度か出場している女性キックボクサーとマススパーリングをした。
女という生き物は、あまりフェイントが得意ではないらしい。正月の書き初めでもやっているかのように、実直に攻撃を繰り出してくるので、彼女が攻撃してくるタイミングにこちらの攻撃を被せていたら、次第に、彼女は何もできなくなっていった。
格闘技にもれず、サッカーでもバレーでも、女性の試合運びを見ていればわかることだが、男に比べて正直だ。K-1などを見ていても、どつき合いのような試合が多く、男よりも傷がついたら困るであろう顔面を互いに一歩も引かずに殴り合う展開が多い。まるで顔面至上社会を壊す魂胆があるかのように。彼女の小川のせせらぎのような攻撃に、何度も心が洗われる気がした。それは生来において女が男よりも真面目だということがよくわかるものだった。
女性キックボクサーは、突っ立っているだけの状態となった。僕は好奇と見るや、ゴキブリのように、二倍も三倍も彼女より速く動いた。左回りに、あるいは右回りに、ステップワークしだすと、「わぁ……すごい!」「速い!」「おお……」という歓声がリング外から聞こえてきた。気をよくした僕は、さらに、三倍も四倍も速く……、(まだまだ速く動けるんだぜ? お嬢ちゃん……)と言うかのように、つい口元も歪んでしまい、レイプ魔のようなニヤケ顔をしながら、彼女の周囲を四倍も五倍も速く動いていたら、彼女が何気なく出した右ストレートを顔面にもらってしまった。「あ……! すいません……!」と、彼女の方が面食らったような顔をして、必死に謝ってきた(マスは本来、攻撃を当ててはいけないものだ)
「それ、いちばんダサいやつじゃないですか」と、リング外で一部始終を見ていた颯太(そうた)さんが言った。
颯太さんは、僕よりちょっと年下の36歳。165㎝、70kgの中肉中背、およそキックボクサーに見える風体ではないが、ジムのムードメーカーなる存在。入会して半年になる。
格闘技のジムは、黙々とサンドバッグ打ちをしている輩が多く、彼らに話しかけようとする猛者はめったにいないが、颯太さんは平気で話しかけてくる。パーソナルスペースの垣根を簡単に飛び越えてくるところがあり、そのため僕は颯太さんとすぐに仲良くなり、今では練習後に一緒に帰っている。僕たちが二人揃ってジムを後にするとき、「颯太さーん! 次いつ来るんですか?」「明日は!?」「明日ぜったい来てくださいよ!」「ダメです! ぜったいに明日来てください!」と女性陣の黄色い声がこだまする。一緒にジムを後にしていくもう一人の男に対してはその声がないことから、颯太さんの人気がうかがいしれる。
颯太さんは、タイ風だかアメカジだかわからない派手なトランクスを履いて、グローブも緑色と珍しく大きな白い炎のシルエットが入ったデザインのものを使用しており、36歳に見えないほど若く見え、髪がよく詰まっていて、毛量を前髪に集めて重たくした髪型をしている。誰もが知っている国内トップ自動車メーカーの社内SEとして勤務しており、自社工場内にてプログラミングをする日々を送っている。車はアルファードに乗っている。イケメンではないが、顔といい、体型といい、たぬきのような見た目をしており、どこか女性をほっとさせる、女性が自室のベッドに置いているテディベアが動き出して、キックボクシングジムにやってきたみたいだ! 36歳だというのに、やられキャラ、イジられキャラとして通用しており、颯太さんが女性たちに軽口を叩くから、女性たち(20代半ば〜後半)も颯太さんに軽口を飛ばす仲が生まれている。
颯太さんを見ていて思うことがある。概して、イケメンは女性に勝とうとしてしまう。イケメンがイケメンである理由の一つに女性に勝とうとしているというのがあるが、一分の隙もないほどに自分磨きに励んでいる男性俳優や女優なるものは、異性に勝とうとしているから結婚できないのだと思われる。彼らの努力は異性と向かい合うことから逃げている捌け口からきているところが多く、そのため実を結ばない。
このジムは10:2くらいの比率で女性が多く、女性専用ジムと言ってもいいくらいだ。いわゆるフィットネス、ダイエットのための、内装は白を基調とした、ラグジュアリーショップと見紛うほど絢爛としていて、天井には北欧風のシーリングライトが張られていて、造花や観葉植物がいたるところに置かれ、壁にかけられた朽ち果てたグローブもなければ、ワセリンの匂いもない。あるのは、はなやいだ雰囲気に包まれた、新設されたばかりの綺麗なリング、白い壁紙、柔軟剤やエイトフォーの香り、汗臭そうに見えない汗。
なるほど、だからしまるこはそのジムに通っているのか、と早合点する読者もいるかもしれないが、決してそうではない。
確かに、熊のようなトレーナー男が無言でミットを構えてくるジムもあるが、およそキックボクシングの技を磨くことをいちばんに念頭を置くなら、もっと望ましいジムがあることは否めないが、僕はもう2ヶ月、このジムに足を運んでいる。
いろいろなジムを見てきたが、このジムは会員同士が非常に仲が良く、ほとんどの時間をおしゃべりしながら練習している。個人練習よりも全体練習が多く、会員同士が互いにミットを持ったり、全員で鏡に向かってエアロビクスやダンスをしたりしている。格闘技のジムというのは、ミット打ちくらいはやってくれるが、基本的には放置であり、一人で練習して一人で帰っていくものだ。しかしこのジムは、女性トレーナーのYukiさんが、常に会員たちの動線に目を光らせていて、顧客満足度の高いサービスを提供しようと躍起になっている。それゆえ、女性会員が雨後の筍のように募ってきて、その後に、その尻を追うように男性会員も募ってきて、新時代の令和の婚活マーケット、マッチングアプリに代わる新しい婚活市場になりそうな気配を醸し出している。
さて、先ほど僕とマススパーリングをした女性だが、彼女は顔に暗い翳りを残してリングから去ると、人気の少ないサンドバッグコーナーの方へトボトボと歩いていき、バッグを見つめたまま、構えもせずにポツンと立った。
「めっちゃ堪えてるじゃないですか〜! 麻衣さーん!」と、女性インストラクターのYukiさんが、ジム内全域に響き渡る大声を出しながら、彼女の方へ近づいていった。
「ああ、いや……、はぁ……」と、力なく、麻衣さんは沈んだ調子で応えた。
格闘技のインストラクターだけあって、当たりが強いなぁと思って僕は見ていた。堪えている相手に対して、「めっちゃ堪えてるじゃないですかぁ〜!」と言う神経に驚いた。
「しまるこさんはまだ、ここにきて2ヶ月くらいですよね……? この間、Yukiさんにミドルキックを教わってたばかりなのに……」と麻衣さんは言った。
「しまるこさんはボクシングやってたから」とYukiさんは言った。
ジムは狭いこともあって、Yukiさんと麻衣さんの会話は筒抜けだった。
そっとしておけばいいのに、敗者にかける言葉なんてないだろうに、そう思いながら、麻衣さんの顔を暗くした張本人である僕は、縄跳びエリアでロープスキッピングをしながら、二人の会話に聞き耳を立てていた。
「麻衣さん。私も男性とマスをやるときは、やっぱり力の差を感じますよ。男の人の長い足で前蹴りをくらうと、ほんと、やめて〜って思っちゃいます。ほら、やっぱり女性って、お腹蹴られるの嫌じゃないですか」
「お腹に前蹴りくらうのは本当に嫌ですね」
腹に前蹴りをくらうのが嫌ならキックボクシングなんてやるんじゃねーよと思ったが、さすがの僕も腹に前蹴りはしないでおいた。
Yukiさんに励まされながら、だんだんと目に光を取り戻していく麻衣さんを見て、女同士とはこういうものだろうか? と思った。
それはつまり、男同士だと、傷を見て見ないふりをするものだが、女性たちにとって、感傷を共有することは必要不可欠であり、コミュニケーションの花を咲かすための種となりえるのか。
負けて、慰められて、衆目の的になっているにも関わらず、平気で会話を続けている麻衣さんを見て、考えを改めなければならない必要性に駆られた。
「リーチが長いからね〜。グローブ一個分くらい違ってたもん。あれじゃちょっと届かないよ」
今度は颯太さんがやってきて、Yukiさんと麻衣さんの間に加わった。
「でも、颯太さん、私、あんな、ストーカーみたいな動きをされたのは初めてで」
「麻衣さんは、ちょっと動きが正直すぎたね」
「颯太さん、私のこと単純バカって言いたいんでしょ〜」
僕は颯太さんとマススパーリングをやっているからわかるが、颯太さんの方が麻衣さんよりも圧倒的に強い。しかし二人がスパーをやっているところを見ると、麻衣さんが押してみえることが多い。颯太さんはいつもちょっとだけわざと負けているのだ。
なるほど、だから僕はモテないんだろうなと思った。あんな、ストーカーみたいな動きをして。
もうやめちまうか? こんなクソみてーなジム。
「あんなダセーの久々に見ましたよ(笑)」と颯太さんが笑いながら僕に話しかけてきた。
「そうっすか?(笑)」と僕も笑いながら返した。
「るろ剣の尖閣みたいでしたよ(笑)」
「あー(笑) 幽白の飛影でもあったかもしれないっすね、そういうシーン(笑)」と僕は返した。
「いちばんダサいやつじゃないっすか(笑)」
「(笑)」
「麻衣さん、今晩、夢にでてこなきゃいいすけどね(笑)」
「俺が麻衣さんの周りをカニのように動き回っている姿がっすか?(笑)」
※
この地上は、自分よりちょっと弱い相手と戦って、いい気分になりたいがために回っている世の中だ。俺は以前から、この地上において、大体の場合は負けた方がいいんじゃないかと思っていた。サラリーマンがああやってペコペコ頭を下げるのも、ここは負けておいた方がいいという予感めいたものを持っているからだ。うちの猫もことあるごとに床に倒れ込んではお腹を見せて降参のポーズをとることが多い。離婚しないで続けられている夫婦も、夫が奥さんの小言を聞き流すタイプだ。俺も家に帰れば母親から罵詈雑言を受けることは少なくないが、右から左へ受け流すようにしている。
誰と話していても、9割が間違っていると思うことが少なくないが、ほとんど、うんうんと言って聞き流している。下手に論破してしまったら大変だ。こんなふうに生きていると、誰とも深い関係にならないが、それは救われているということである。深い関係というのは、仲睦まじいようでいて、勝利を競い合っていることが多い。
世の中の人は強くない。
みんな負けてばかりだ。
「優しくありなさい。あなたの出会う人々は皆、困難な闘いにいどんでいるのだから」プラトン
まちがっても、自分が多少なりとも、金を手にしたり、地位や名声を手にすることがあっても、それをおくびにも出さないようにしよう。およそ霊性の道を歩む者だったら誰もが、 この地上で起こる一切の勝負と名のつくものに負けなければならない。なぜなら、それは物質的な見地においては負けを意味するが、霊的な見地からすると勝ちを意味するからだ。
霊性修行者が目指さなければならないのは、一目につかない真理の体得者。
勝つから波紋を呼んでしまい、負ければ平穏が訪れる。
本当のところは、他人もなければ、自分もない。この世界には、ただ一者なるものだけが存在していて、あらゆる動植物、物質、人間、石、水、空でさえも、その肉体や目に見える境目のために見誤ってしまうが、本来は、たった一者の存在があるだけだ。自分もなければ他人もない。我々は皆で一つの存在であり、比較すべき対象はどこにもない。
負ければ、相手はいい気分になってくれる、だから負ける、それは卑屈な言葉に聞こえるかもしれないが、セコイ処世術に思われるかもしれないが、あるいは負け犬の遠吠えのように聞こえるかもしれないが、この地上において勝利と呼べるものは、神を見出すことだけである。それ以外に勝利などは存在しない。この地上では、価値に値しないガラクタのような勝利の奪い合いがされているが、そんな勝利を返上して、互いが勝利を譲ろうとする社会こそが、これから新しい時代を迎える上で不可欠となってくるのだ。
※
ところで最近、また事故を起こしてしまった。バイクで走行中、とある温泉施設の駐車場へ入るために右折しようとしたところ、後ろから走ってきた軽トラとぶつかった。
衝突し、前方20m先あたりの場所に軽トラは停車すると、よく日に焼けた、タンクトップ姿の50代くらいの男が降りてきて、「小僧! ウインカー出さなかっただろボケナスが!🍆」と酷い罵詈雑言を言い放ってきた。「小僧! お前、道路の左側走りすぎなんだよ! もうちっと真ん中走れよ!」
小生といえば、もうすぐ39歳になるのに、小僧、小僧、と言われてちょっと嬉しかった。
「真ん中走ってれば、俺だって追い越そうと思わなかった!」
「小僧ウインカー出してなかったよな!? 俺だってバカじゃねーんだから、ウインカー出してれば、追い越そうとしなかったんだ!」
「とろとろ走りやがって!」
「あんまりとろとろ走ってるから、追い越してくれってサインだと思ったわ! バカが!」
とにかく、小生の方に非があることを、言いたげだった。
確かに小生はウインカーを出さなかった。もう何十回とも訪れている温泉施設なのに、一瞬、道がわからなくなったのだ。麻衣さんの顔面パンチが効いていたのかもしれない。あれ、ここが右折するとこだっけか? あれ、どうだっけか? と思いながら走っていて、あ、ここだ! と思って、急に右折しようとしたところ、その瞬間、肩口が触れる距離でとなりを軽トラが走っていて意味がわからなかった。身体は接触しなかったが、バイクの右ハンドル先端部が、軽トラの横腹をキュイイイイイと強い金属音を鳴らしながら引っ掻いていった。軽トラは追い越すために凄いスピードを出していたから(時速80kmぐらいは出ていたと思う)、右折のタイミングがもう少し早かったら、間違いなく死んでいた。神はまだ俺を生かしてくれているのだと思った。
その後も、けたたましい勢いで、怒ること、怒ること。4つも5つも、いかに自分が正しくて、10:0で、自分は悪くないという論旨を並べ立てていたが、警察を待つこと40分、彼は急に優しい口調になり、「なぁ、どう思う? 俺もわりーと思うんだが、この場合、どっちが悪くなるんだろうな? 5分5分ってとこか? 兄ちゃんもウィンカー出さなかったし、俺も片側一車線道路で追い越そうとしたし、この場合、どっちが悪くなるんだろーな?」とタバコに火をつけながら聞いてきた。もし小生が“勝とう”としていたら、彼はこの疑問を口にしなかったと思う。
もう一つ。
昔、とあるTV番組で、経験人数が1000人という百戦錬磨のナンパ師のインタビューが放送されていた。ナンパ師は、それほど冴えているわけではなく、顔にニキビなどがちょこちょこあって、清潔感もさほどなく、短髪で、小綺麗なスーツ姿をしていて、腰が低そうな男ではあったが、ナンパの極意を語っていた。
「ナンパ師の多くは、女性たちから勝利を得ようとしてしまいます。そのために彼らは負けてしまいます。そもそも、ナンパについていく女性というのは、負けている女性です。靴が汚れていて、よく見ると洋服のあちこちの結び目がほつれていて、自信なさそうにトボトボと歩いている女の子以外は、声をかけてもついてくるものではありません。彼女たちは、学校や職場や家庭、あらゆるところで負けています。そんな折に、勝っているような風采の男が近づいてきて、また勝ち星を拾っていくような状況に立ち会った際、勝ちを譲ってやろうという心境になるでしょうか? レベルの低いナンパ師は、ここがわかっていないのです。確かに、女の子は、男の口車にのせられてついていってしまうこともあるかもしれません、しかし、女の子は、連れられて街を歩いているさなかでも、心の奥深いところでは、また負けた、という感情が残っているのです。じっさい、最後の勝負の際となるとき、つまりホテルに連れ込む段になったとき、ここが要となってきます。彼女たちにとって、最後の奪われたくないプライドとして持っているんですね」そして、「つまり、ナンパとは、彼女たちに勝利をプレゼントすることなのです」と締めくくっていた。
俺は、世の中にこんなに頭のいい男がいるのかと思った。彼がナンパではなく、霊性修行にその知性を捧げていたらどうなっていただろうと思う。確かに、周りを観察していると、モテない男は女に勝とうとすることが多いけど、モテる男は女に負けるのが上手いことが多いような気がする。AV女優なども、なぜこんなに可愛い子が出演するんだろう? いったいプロデューサー達はどんな手を使って彼女たちをこの世界に引っ張り込んだんだろう? と誰もが思わなくないだろうが、これもソースが不明で恐縮だが、プロデューサーたちが女の子に土下座するらしい。