以前、斎藤一人さんが、
「なんでこの世界の歴史で、あちこちで戦争ばかりしてきたかわかるかい? それはね、戦争をしていないと男が女に自分の有利を証明することができなかったからなんだよ。もし戦争をしていないと、男は女と同じ仕事をすることになるだろう? そうすると、女の方が優れているということが明るみになってしまう。昔の男たちはそれを知ってたんだね。だからそれを恐れて世界は戦争していたんだよ」
と言っていたけれども、なんだ、このめちゃくちゃなおっさんは。このおっさんめちゃくちゃ言いやがる。こんなめちゃくちゃなことを言うおっさんがいてもいいのか?
めちゃくちゃだ……。こんな人がマルカンの社長やってていいのか? と思ったが、そのあと数時間、よく考えてみて、確かにその通りだと思った。小生はこの話を聞いてから、斎藤一人さんは紛れもなく今の日本を代表する賢人の一人だと思ったのである。
まぁ、これは斎藤一人さんの事実に基づいた観察が一因でもあるらしい。というのも、マルカンの全国支部において、営業成績一位をとるのはほとんど女性だかららしい。
営業のことはわからないけれども、たいてい、小生がいつも行くドトールやタリーズをとってみても、いや、これまで小生が勤めたどんな会社、工場、フレッツ光の勧誘、病院、デイサービス、どれをとってみても、すべて男より女の方が上回っていた。
本当に、男は女に勝てるものは戦争しかないかもしれない。つまり、体力か。
しかし、その体力といっても、どうやら仕事における体力はまた違ってくるらしい。タリーズの仕事ぶりを見ていても、男はみんな朝からへばったような顔をしていて、それに比べて女性はハツラツとしていて元気であり、持久力も高く、ほぼ一日中その状態が続いている。どう考えても、彼女たちの方が朝早く起きて化粧しているだろうし、子供のお弁当を作ったり、夕飯の作り置きをしておいたり、洗濯機を回したり布団を干したり、子供を保育園に連れて行き、その足で職場に駆け込んでくる様子もうかがえて、生理だったりするわけで、男なんてせいぜいヒゲを剃るぐらいしかなく、女より二時間は長く寝ているのにも関わらず、いざ職場の朝ミーティング時になると、どいつもこいつもクレヨンしんちゃんのボーちゃんみたいな顔をしているのである。
こういった現状が、このタリーズだけにとどまらず、ドトールでもそうだったし、すべての職場でもそうだったように、というのも、確かに男と女が同じ仕事になってしまっているのは、その通りなのだ。どうもやっぱり我々が毎日あたることになる“仕事”と呼ばれるものは、家事の延長のようなところがあって、ほとんど女性有利にできている。腕力はほとんど使われず、細々とした雑務の延長、女が得意とするような、整理や事務処理や電話対応や甘い声かけやサービス、つまり、気遣いをしているだけだ。昔の寺田屋で侍たちの世話をしていた女中のような、メイド服を着たような仕事を男も今全国でやらされているのであり、草食動物のように横に目がついていなければならないような、広い視野であたらなければならない仕事が多い。そのため、ライオンはメスが狩りをして、オスは後ろに控え、別の集落のオスライオンがふらふら歩いているとガルルルルと威嚇し、人間の男もやることがなくて江戸の通りを歩いていると鞘が当たって喧嘩をし始める。
「女性が社会の舵を取り、男性がオールをせっせと漕ぐことになるでしょう。このことは今の時代の精神を印します」アーナンダマイー・マー
しかし、どうもこの件について、まだ世間ではあまり騒がれているように見えない。勘の良い人はもうとっくにこの事実に気づいているけれども、あまりこの話題が世間で上がらないのは、まぁ産休で女性が戦線離脱してしまうこともあるが、最も大きい理由として、女性の方が成績が良かったとしても彼女たちがあまり自慢しないからだと思われる。男と同じ業績を上げたとしても、男はそれにはしゃぐことに対し、女は大人しくしていることが多い。同じ結果だというのに、日和見な態度を見せて、あれができなかった、これができないと、落ち込んでいたりする。そういったとき男は、「〇〇ちゃんはもっとこうしたほうがいいかもしれないね」などと励まし、女は、「そうなんです……なかなか、私、上手くできなくて……」と言ったりしているが、全ての原因はここからきていると思われる。
女は、(は? 私とあんた、同じ結果じゃん、なんで上から目線なん?)と、内心では思っているのかは分からないけど、とにかく学生時代からここがずっとうやむやになっており、そのまま社会に持ち込まれてしまっている。運転免許を取るとか、資格試験に受かったとか、男と女が同じことを達成しても、なぜか男がエスコートしている口ぶりが多い。そのせいでうやむやになってしまっているのだ。
小生が学生時代、とある企業の就職説明会に参加したとき、その場にいた皆でディスカッションをする運びとなり、たまたま隣の席に居合わせたスーツの女の子が、「こういうの得意ですか? わたし、全然こういうのできなくて……」と小生に囁いた。それに対して小生は、「ん? 大丈夫だよ、何かちょっとでも話し始めれば、芋づる式にアイデアが浮かんでくるもんだよ」と返したが、いざディスカッションが始まると、彼女は国際情勢や就活用語や英語などを交えてペラペラと流暢に話しだし、それに対してぽくちんは槇原敬之の歌詞のような言葉を単発的に話すことしかできなかった。
こういうことが、世の中には多く起こっているのである。
あと数年もすれば、Xでも、「なぁ……、女の方が優秀じゃね?」「うん……なんか、女の方が優秀な人が多い気がするよね……?」と、小さな声が上がってくるようになり、その声が全国各地で肥大化し、世間に認知される日までそう遠くないと思われる。ゴシップというのは馬鹿にできず、一度ゴシップでもってこの事実が押印されると、つまり完全にこの男女における根底の真実が置き換わってしまうという、それはとんでもないパラダイムシフトが起こるのである。
これまで、タリーズでも、全国の職場でも、彼女たちの方から情けをかけられ、男はかろうじて虫の息で生き延びることができていたが、とうとう、その存在にトドメを刺されることになる。彼女たちの方でも内心の奥深いところではそれがわかっていて、おそらくだが、彼女たちが花いちもんめのように手を繋いで女子トイレに入っていく先では、そのことが語られているのではないか、つまり国家転覆である。
“女が先導する社会” それは当然、これから世に生まれてくる子供たちにとって、それが当たり前の社会であることから、これまでメガネをかけてきたおさげのような女の子ですら、“私には力がある”ということを前提として生まれてくるということである。これがどういう意味をもつか、それは各自で考えてもらいたい。
じっさい、学校のクラスという単位で見たとき、いつも女子生徒たちが中心となって物事を進めていたと思う。その運動会だとか、しおりづくりだとか、名目だとか学校行事だとか、すべてにおいて、合唱コンクールだとか、歌をうたうことになっても、男なんてろくに歌わず、女の子たちが一生懸命に歌っていたものだが、その中でピアノの演奏ができる男がいたら、ワーとかキャー!とかカッコイイー!とか言って女子たちは集まってくるけれども、そのワーとかキャー!とか言っている女子たちはその曲を弾けてしまえるのである。
じっさい、このようなことが全国で起こっている。男が自慢しいで、女が遠慮がちだから、全てがうやむやになっているのであり、女は字も綺麗だし、提出物などもちゃんと出すことから、他者からも信用され、案外、この提出物をちゃんと出したり、ノートに書き写すとか、そういう普通のことを社会や会社は求めているのであり、それ以上の難しいことは誰も求めてはいない。誰も難しいことをしろなんて言ってないのに、男たちは戦争時代の名残か、大将首をとってやるんだ! と無闇に赤い血をたぎらせ、大将首を取ること以外は仕事ではないと思っている。タリーズにしろ、ドトールにしろ、そんな難しい仕事はありませんよと言っているのに、大将首を取るかさもなくば寝るか、と聞かん坊を爆発させている。
例えるなら、男がガリア人で女はローマ人だ。カエサルはアレシア包囲戦において、敵に対して高い柵と堀、さらに内側に防御施設を築いたものであり、ローマ人はいつもこうした面倒な築城をおこなってから戦いを始めたものだったが、それに対しガリア人は、汚い衣服、乱暴、がさつ、粗野、未開、略奪者といった域を出ず、圧倒的な数を誇りながらも、樹上から石を投擲する程度しか戦略性を持たなかった。
じっさい、ローマ人(女)はいつもこうした組織だった連携力を見せ、それに対してガリア人(男)は先走り汁のように己が力を過信して自滅してしまう。
知恵とは、ここにある。
皆さんは、知恵というと、やれ勉強ができるだとか、やれ難しい思索ができるとか、人が知らないことを知っていたり、ノーベル化学賞だとか、そういうところに知恵があると思うかもしれないが、じっさいは、知恵とは無欲ということにあるのである。
知恵と無欲はイコールなのである。
説明するのは難しく、なんと言っていいのかわからないので、ラマナ・マハルシの言葉を借りよう。
「無欲と叡智は別のものではありません。それらは同一です。無欲とは、心がいかなる対象物に向かうことも差し控えることです。叡智とは、何の対象物も現れないことを意味しています。言い換えれば、真我以外の何者も求めないことが無欲あるいは無執着であり、真我をけっして離れないことが叡智です」ラマナ・マハルシ
これは少し考えてみればわかることだけれども、仕事において、やれサービスしようとか、誰かが休んだら代わりに出ようとか、人がやりたくない仕事をやったりすることは、ほとんどの場合、自分の怠惰や欲との戦いになる。つまり、「もうちょっと男子ってば、ちゃんと掃除してよ!」みたいな人材が、横で寝そべりながらそれを言われている人材よりも、社会は必要としていることだ。
さて、ではここで分かりやすく、それぞれを項目化して考えてみよう。
1、脳の構造
2、食べる量
3、性欲
4、横のつながり
5、隷属を甘んじて受け入れる
6、自慢しいでない
7、タバコ、酒
8、清潔感、ハゲ
1、脳の構造
変に頭が良すぎてもダメで、悪すぎてもダメなのである。その点、女の知能はちょうどいい。女はXX染色体で、男はXY染色体である理由から、男は、変に頭がよすぎるか悪すぎるかのどちらかであり、標準というものがない。だが女性はみんな標準であり、その標準的知性が社会では必要とされる。人はRPGのやり過ぎで、知性が高ければ高いほど良いものだと考えがちだけど、それは大きな誤りであり、社会にちょうど適した知性でなければならない。それゆえ恐ろしく高い知性がありながら、どこの職場に行ってもお払い箱にされてしまう男もアリエルのである。
2、食べる量
一つはまた食事である。食事一つとっても、女は食べ放題だといっても男の半分も食べたりはしないし、しかし男は本当にむしゃむしゃと信じられないくらい食べる。
3、性欲
食べるから性欲が、肉を食うから性線が刺激されて、男はいつもオナニーするので、性液の放出と共に仕事するパワーもなくしてしまう。確かに男の方が筋骨隆々で体力があるが、それも全部オナニーで垂れ流してしまう。
前述の、男がへばっているという下りは、オナニーのためである。性液の放出のために出涸らしになってしまう。
4、横のつながり
仕事とは、手を繋いで女子トイレに行き、みんなで集会を開くことをいう。
5、隷属を甘んじて受け入れる
男は、汚いからではなくてプライドが邪魔してちんこを舐められない。
6、自慢しいでない
上に挙げたとおりである。
7、タバコ、酒
8、清潔感、ハゲ
とにかく、くせーってことだろう。ここは、このクリエイトの創作の世界においても、ほとんど女が中心になっているのである。昨今の萌えアニメも、いつか廃れると言われて久しかったが、もう長く延命して一つのコンテンツとなり、というより、誰も映画も見ず、小説も読まず、せいぜい萌えアニメぐらいしか見なくなってきているところがある。というのも、それだけきれいな女を見たい。きれいな声が聞きたい、とにかく「くせー」ってことだろう。こんなくさいような社会の中で、聖杯の雫を仰ぎたいようなものかわからないが、女のきれいな声、オープニングも、エンディングもぜんぶ女性が歌っている。男の声が始まると「くせー」「きたねー」とヤジが飛び、男はちんこクセーからダメだと言われている。