霊的修行

放心を最上とす

結婚というは未来が安全であるように、

明日が確実であるように、

あなたを永遠に愛し続けることだ。

しかし、結婚でしか人を

愛することができないとも言っていい。

だから、人は結婚はする。

ほとんどが情緒的なことでしか結婚できない。

結婚というのは、保険であり、妥協的な愛なのだ。

部分的な愛しか知らないから、

嫉妬を産む。憎悪を産む。

それは所有欲と言う愛なのだ。

情緒的な部分の愛のハネムーンが終わったら、

離婚になる。

多くのものは、官能的でいたという渇望を

繰り返したいだけだ。

だから不特定多数の行為にふけるのである。

愛とは全面的な愛、相手の全てを愛し、礼拝する。

愛は養わねばならない、そこに尊さがあるのだ。

お互いに一生をかけて、

それを知ることができたなら、真実の愛を手に入れるだろう。

これは以前このブログに遊びに来てくれていた友人の小川さんが書いた文章だ。本当にいい文章を書くなと感動してしまった。こんな素晴らしい知見と感性をもった人が、ついこの間まで、遊びに来てくれていたと思うと、感慨深いものがある。

本人はどこまでこの文章を実践できているかはわからないが、そもそも本人が書いたのか、聞きかじったものか、それとも自分の胸の内から出たものか、わからないが、しかし、彼はことあるごとに、これと似たことを口にしていた。女の悪口ばかり言っている男だったが、愛に戦う戦士であることは疑いようもない。

人でも、物でも、なんでも欲しいと思うから、それが手に入らないと苦しくなって、嫉妬や増悪を生む。自分の思い通りにいかないから発生する。

最近、すごくすごく欲しい対象に出会ったのだけど、これによって、むしろ不幸になっているんじゃないかと思うところがある。心がのびやかに活動せず、それに囚われて、かえって心配事が増えてしまった感じだ。

結局のところ、何かを欲するとき、一度それを希求すると、それが手に入るまでは不足感を感じ、欠乏感に苛まれ、平常心を失うことになる。手に入るまではずっと苦しみが続き、やっと手に入ったところで、苦しみが消える。つまり、元の状態に戻るだけだ。プラスが働いたのではなく、マイナスが発生してマイナスが消えるだけだ。もともと完全だったものにヒビが入って、ヒビが埋まるだけだ。勝手に自分でマイナスを作って、埋めている。とうぜん、手に入らなければ、マイナスのままだ。人や物を欲しているときなんて、いつもそんな状態だ。夢や目標もそうかもしれない。だからブッダは欲望を超克しろと言ったのだろう。

ゲーテは、インド僧に見られるような「静寂主義」や「厭世主義」を馬鹿にしていた。俺も、静寂主義や厭世主義はあまり好きではない。どちらかというと生命がワーー!!っと広がるような歓喜に包まれていたい。俺もゲーテのように根っからの恋愛脳で、俺もゲーテのように80歳になっても18歳の女の子と恋愛する人間になると思っている。最近は目にする女が輝いてみえて困っている。しかしそうは言っても、所有欲によって、苦しめられ、自分を失ってしまう状態からは卒業したいから、静寂主義の勉強を必要とする。

真理も例外ではない。そんなものを追いかけようとするから苦しむことになる。もともと手にしているものを追いかけようとするから苦しむはめになる。

光も邪魔かなと思い始めた。いちばんいい文章は、光でもなく影でもなく、無窮から飛び出してくる。

沢庵の「放心を最上とす」という言葉の意味が少しわかってきたような気がする。

だから、欲しい欲しい言うのも、じゃあ一人で自分を完成させるしかない、自分には神しかいないんだ、人間の女とではなく神と結婚する方が先だ、それは確かにそうに違いないが、そんな考えも邪魔にしかならない。

神だの愛だの、創造主なる大霊に祈ることも、ぜーんぶぜーんぶ捨てて、何もかも捨ててしまうこと。それが最大の帰依と思うようになった。

静寂主義の代表といえるラマナマハルシの顔は美しい。光に満ちている。物事に一切心を使ってない顔だ。

一九四〇年代にラマナアシュラマムにいた頃、私はシュリー・ラマナの目だけを見つめつづけて何時間も過ごしたものだった。彼の目は開いたまま見つめていたが、まったく何にも焦点を合わせていなかった。人の心の姿は目の中にはっきりと表れる。だが、その目の中にはまったく何もなかった。そこには一瞬の欲望の揺らぎも、かすかな想念がよぎることもなかった。このように完全に無欲な目を私は見たことがない。生涯で数多くの偉大な聖賢に出会ってきたが、シュリー・ラマナほど私に感銘を与えた聖者はいない。ハリヴァンシュ・ラル・プンジャ(パパジ)

大いなる道は難しくない
選り好みをせず
愛することも憎むこともなければ
すべてははっきりと明らかになる

たがわずかでも分別をすれば
天と地は遙かに隔たる
真理を実現したければ
賛成や反対の見解を抱いてはならない

一つを嫌い一つを好むことは
心の病だ
物事の本質を理解しないとき
心の平和は徒に乱される

道は大いなる虚空のように完全で
欠けたところも、余分なところもない
ただ取捨選択するために
物事の本質を見極められないだけだ

外界に巻きこまれてはならない
空という概念にもとらわれてはならない
物事と一つになって、ただ静かにしていなさい
そうすれば誤った見解はひとりでに消え去る

心の活動を止めようと努力しても
その努力がさらなる活動をもたらす
対極の一方を選んでとどまるかぎり
一なるものを知ることはできない

一なるものを知らなければ
静動、正否ともにその自由な働きを失う
物事の現実性を否定すればその現実性を見失い
空の概念にしがみつけば空の原理を見失う

話せば話すほど、考えれば考えるほど
ますます真理から遠ざかるばかり
話すことも考えることもやめなさい
そうすれば知り得ないものは何もない

根源に帰れば本質を会得する
だが現れを追いかければ源を見失ってしまう
一瞬にして悟れば
現れも空も、ともに超越される

空の世界に起こる変転変化を
無知ゆえに人は実在と呼ぶ
真理を追い求めてはいけない
ただ相対的な見方をやめなさい

二元的な分別にとらわれて
現れを迫ってはならない
わずかでも是非を区別すれば
心の本質は失われてしまう

すべての二元対立は一元から生じるが
その一元にさえ執着してはならない
心が生じなければ
世界が背くことはない
何も背くことがなければ
すべてはあるがままだ

分別心が起こらなければ、心は存在をやめる
主体である心が消えれば、対象も消え去るように 想いの対象が消えれば、想う主体も消え去る

今日も今日とて、信心銘を抜粋してしまって申し訳ないが、その申し訳ついでに、さらに長いエピソードを転載して終えようと思う。今日は、以下のエピソードを転載するのが一番いい仕事だと、無窮が言っている気がするから、そうする。

ラマナマハルシの尊顔について語ったパパジだが、このパパジという男はラマナマハルシの弟子である。彼はラマナマハルシの一瞥で大悟した。パパジに、静寂主義の中で、心を使うことなく、生活を送ったエピソードがある。これは長い引用となるので、興味がある人だけ読んでくれればいい。

静寂主義で生きるとはどういうことか? 生活に応用するとはどういうことか? 放心を最上として、心を使わずに生きることを目指している俺にとって、無視できないエピソードである。俺は心を使わずに、生活して、修行して、執筆して、恋愛したいと思っている。そして彼らのように大いに笑いたいと思っている。

パパジ あなたは常に心に依存せずに行為している。だが、想念がそうではないとあなたに思わせるのだ。心があなたのすることを決定すると考えるのは一つの古い習慣なのだ。あなたが考えようと考えなかろうと行為は続いていく。仕事や行為をするために心は必要ない。あなたはただあなたがすると考えているだけだ。心が存在しなければ、仕事はとても効果的に為される。これに関して私自身の例をあげることができる。これについて語る人は稀だから、私が語らなければならない。これは聞き伝えではなく私自身の話だ。

それは一九五四年のことだった。私はアムステルダム行きの船にマンガンの鉱石を荷積みしていた。それ港で行なわれる鉱石の移送ではなく、「沖合い荷積み」と呼ばれるものだった。私は船から出たボートに乗り、船長とともに一日を過ごした。船は荷積みを終え、ハッチが閉じられた。私は船長から証明書と購入者からの銀行為替手形を受け取った。私自身の手で為替手形を渡したかったため、バンガロールの本社に帰ろうとしたのだが、すでに夜の十一時だったうえ、マンガロールの港からバンガロールの町までは四百五十キロ以上あった。それは楽な運転ではなかった。はじめに危険なカーブがたくさんある緩やかな山道を越えなければならなかったからだ。

だが、会社が至急この金を必要としていたため、私は一晩かけて運転し、それから山を越えたところでひと眠りすることに決めた。その日は重労働だったので、もしマンガロール側の山で眠ってしまったら時間どおりに起きられず、バンガロールに到着するのが遅れてしまうことはわかっていた。この山道には十一のヘアピン・カーブがあり、海抜千五百メートルまで登って、それから反対側の平地まで降りていくのだ。山の反対側にはよく知られたカフェがあって、トラックの運転手が集まっていた。他に途中止まれる場所はなかった。地滑りがひんぱんに起こり、そのうえ象が迷いこんで交通を妨げることもしばしばだった。それは細い道路で、しかも片側は切り立った崖になっていた。もし象が目の前に現れたら、距離を置いて彼らが森に戻るまで待たなければならなかった。仮に象たちの一頭でもいら立たせて、それが向かってきたら逃げ場はなかった。

最も困難な道路は十五キロほどの距離で、安全に走りきるにはよほど注意深く運転する必要があった。特に真夜中には。では、何が起こったか? 私は運転中に眠ってしまったのだ。しかもこの危険な道路に入る前に。そして目が覚めたら、私は山を降りてバンガロールへの道を走っていたのだ。後になって計算してみたのだが、多くの険しいカーブをこなしながら、私は五十キロもの距離を眠ったまま運転したことになる。バンガロールへの道の途中で目を覚ましたとき、私は生まれ変わったように爽やかな気分だった。とてもよく眠ったに違いない。ひとたび目覚めると、もはや休息も睡眠も必要なかった。私は爽快な気持ちで、そのままパンガロールまで休むことなく走ったのだった。身体が眠っていた間、いったい誰が運転していたのだろうか? 今となっても、この謎は解けていない。無意識だった身体が正しいときに正しいことをするように何かが私の面倒を見たのだ。心も身体もそれに関わっていなかった。「このカーブは注意して曲がらなければいけない」と考える人はそこにはいなかったのだ。

これほど極端な話ではないが、やはり興味深いもう一つの話をしよう。一九四七年に、私はパンジャブからラクナウに来た。私は働いていた。なぜなら、私とともに現パキスタン領から来た親戚全員の生活を支えなければならなかったからだ。ときおり、私は外的世界で起こっていることに気づかないような没入状態に陥ることがあった。私は身体が何をしているのか、実際に気づくことのないまま歩きまわり、仕事をこなすことがよくあった。周りで起こっていることに気づいてさえいなかった。それはどうでもいいことだったのだ。何かが身体を安全に保ち、すべきことをするように私の面倒を見ていたのだ。

私がマドラス(現チェンナイ)で働いていた頃、同じようなことがよく起こったものだ。マイラボールからマウント・ロードまで歩いていこうとするとき、車の往来に注意を払おうとするのだが、外的な気づきが消え去ってしまうのだ。目的地に着いても、いくつかの道を渡ったという記憶さえないことに後で気づくのだった。

だが、一度事故に遭遇したことがあった。それは一九四八年、ラクナウで起こった。ラルバーグからハズラトガンジの郵便局に向かって歩いていたとき、スピード違反の車にはねられたのだ。当時はまだ踏み台をつけた戦前の車が走っていた。その車には外側に人が立って乗れるような鉄の平板がついていた。私は後ろから来たその古いフォード車にはねられた。衝撃で踏み台がはずれてしまったほど強烈に。何が起こったのか気がついたとき、その踏み台は私の隣に道をふさぐように落ちていた。事故が起こる前、私は今話していたような没入状態にあった。そのため、事故については私自身何も覚えていなかった。詳しいことは、後になって道路に倒れている私の周りに群がっていた人たちから聞いたのだ。ひき逃げだと彼らは言った。私が深刻な傷を負っているに違いないと誰もが思っていた。スピードを出して走っている車に追突されたからだ。だが、立ち上がってみると、まったく怪我はなかった。ズボンは破れていたが、めくってみると足にかすり傷があるだけだった。人々は私を警察まで連れていって報告したがったが、怪我をしていなかったので、私は彼らの提案を無視したのだった。

これが私の体験だ。心なしに生き、働くことができるだけではなく、外的世界に気づくことなしに生き、働くこともできるのだ。誰が面倒を見るのだろう? あなたが没入するその力があなたの面倒を見る。それが指示を与え、身体はその指示に従うのだ。これはあなた自身で体験しなければならない生き方だ。訓練できるようなものではない。

以前に私たちは蛇が突然現れたときにどう反応するかという討論をしていた。あなたがこの状態にあるとき、何をすべきか、あるいは他の人の助言を受けるべきかといった考えは起こらない。正しい反応が自発的に、自動的に起こるのだ。そこには疑いも想念もまったくないだろう。

質問者 あなたが鉱山で働いていたとき、考えなければならないことがたくさんあったはずです。設備のこと、得意先のこと、書類のことなど。どうやって計画することも考えることもなしにこれらの仕事を処理したのですか?

パパジ (笑いながら)それは夜、車を運転しているようなものだ。なぜあなたがそれをしているのか、何をしているのかに気づかずとも、何かがあなたに正しいことを正しいときにさせるのだ。私はこのような体験を数知れずしてきた。

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