食べ物に関する研究・美容・健康 月に60000円で生きる上級ミニマリストの節約術 恋愛 オススメ商品 タリーズ観察記

最高の一日

掃除機を買った。今までコロコロを使っていたけど、粘着テープを剥がすのが面倒になってきて、アマゾンで5000円くらいのスティック型掃除機を買ったら、これが楽しくて、楽しくて、一日に5回くらい掃除してしまう。おかげで部屋が綺麗になってしょうがない。綺麗な部屋で過ごす一日の幸せといったらない。何もせず、ただ綺麗な部屋で、置き畳の上に転がっていると、真空パックされているみたいで気持ちがいい。

最近は顔の調子もいい。これまで一合の玄米を食べていたが、それに『玄麦』を大さじ一杯加えてみた。「玄米と少しの野菜で栄養は完全に足りる」と、二木博士と肥田先生は言っていたけれども、ガンジーは「玄米と麦を合わせれば栄養は完全になる」と言っていた。出前館で、たまたま吉野家に入ったら、至るところに「とろろ麦ご飯」が宣伝されていて、それがとても美味しそうだった。どうせなら自分で作ろうと思って、玄米玄麦ご飯に長芋をのせて食べてみたら、とても美味しかった。マッサージをしているおばあちゃんに玉ねぎをもらったので、玉ねぎをみじん切りにのせて、加えてみたら、びっくり! シャキシャキの食感! 玉ねぎのみじん切りを入れるとどんな食べ物でも美味しくなるんじゃないかと思った。ファミマのハッシュドポテトも、あのシャキシャキ感がおいしいしね。

最高だ。もう納豆も入れてしまえと思って、ひきわり納豆を3パックぜんぶ加えて、玄米玄麦、長芋、玉ねぎ、納豆ご飯が完成してしまった。もうこうなったらカツオ節も加えちゃえ!と思って、入れてみたら、もう最・高! 本当に生きてて良かったと思った! 部屋も綺麗だし、ご飯も美味しいし、本当にすごいと思った。

玄麦について

白米より玄米の方がいいのは周知だけど、麦も玄麦のほうがいいかなと思って、アマゾンで玄麦を買ってみた。ただでさえ麦は食物繊維が全ての食べ物の中でトップクラスなのだが、玄麦にすることで手がつけられなくなるらしい。そのおかげで肌がピカピカ。玄麦を食べ始めた数日は、食物繊維を摂り過ぎてしまうせいか、ドバーーっと便が出て困ったが、今はちょうどいいバナナ状になっている。夏は玄麦がいいと思う。身体がいい具合に冷える。暑さが気にならなくなり、クーラーなしでも過ごせてしまう。風呂に入らなくても身体がベタベタしない。汗もサラサラして、油っぽい粘性はなく、皮膚を弾くようなポップコーンのような瑞々しい汗が出る。これが、カラムーチョひとつ食べようものなら、身体中がベタベタでクーラーがないとどうにもいかなくなるものだ。我々は文明の利器に頼る前に、食事について考えた方が良さそうだ。

玄麦は、そんなに高くないし(900g798円)、大さじ一杯加えてやるだけなので、余裕で一ヶ月持つだろう。玄米玄麦ごはんに、玉ねぎを入れて食べるのがうまいこと! しかも玉ねぎは大玉一個60円くらいで売られているので、半分カットして使っても、一食30円だ。納豆より安いかもしれない。納豆よりゴミも出ない。今まで以上に寝起きがサラッとして、朝起きた時の重たい感じがなくなった。これまでは少し活性酸素がこもったような、気だるそうな顔つきがあったが、玄麦にしてから、顔がシュッとタイトになり、若返った気がする。部屋も綺麗でご飯も美味しくて若返って最高だ。

最近は暑いから昼間は出前館はやらない。夕方の2時間だけやっている。ちょうどバイクで走るのにいちばん楽しい時間帯で、出前館の仕事も楽しい。仕事が楽しいってどんなに素晴らしいことだろう。早く17時になれ、早く出前館やりたい、バイクに乗りたい! と思いながら、朝から17時までゴロゴロしている。そして、楽しい仕事を終えたら、「「「パーリナイ!!」」」玄米玄麦長芋玉ねぎ納豆カツオ節ごはんのお出ましだ! がんばって働いたご褒美に、なんと、納豆は3パックぜんぶ投入! これで一食いくらになるだろう?

玄米 100円

玄麦 20円

玉ねぎ 30円

長芋 120円

納豆(国産ひきわり) 110円

カツオ節 280円

計 660円。 (^◇^;)

ちょっと玄米が高いな。一食食べるのに100円かかっている。5kg3200円の有機栽培米の無農薬の真空パックのものを買っているから(冷蔵庫がないから真空パックじゃないと厳しい)、少し高くついてしまう。長芋もちょっと高いかもしれない。一本まるまる使ってるから。俺が食いしん坊のせいでもあるんだけど。カツオ節も食べたら止まらなくて、80グラムの大袋を一食で使い切っちゃった(笑)あー、口の中が魚くせー。でも美味しかった〜!

↑何をどう考えても、これ以上おいしい食べ物はこの世にない気がする。写真だと玉ねぎがみじん切りになっていないが、玉ねぎは絶対にみじん切りのほうがいい! シャキシャキ食感がたまらないのだ!(まぁ、ヨガでは玉ねぎは禁止されているけどね(^◇^;))

いかん、いかん、新鮮とか、今を生きる、とか、心に歓喜を……! などと言っていると、つい刹那的な快楽主義に走る自分を許してしまう。基本的には、玄米玄麦と玉ねぎだけで良さそうだ。まぁ、そうすれば一食150円くらいに収まるだろう。ひゃ……、ひゃくごじゅうえんでこんなに美味しいもの食べられていいの!? と、本当に感激だが、最近は毎日これが食べられて、本当に嬉しい。バガヴァッドギーターには、「味覚を楽しませることは罪そのものを食べているのだ」と書かれてあり、それがどうしても引っかかるが、そうは言っても、「少食すぎるのもよくない、あまり粗末すぎる食事もよくない」とも書いてあったから、玄米玄麦玉ねぎご飯の一日一食なら、別に大丈夫だろう。しかし、玄麦を食べて以来、翌朝、とても、綺麗な顔つきをしているのだ。本当に、自分が24歳くらいかと思った。最近すごく若返ってきたこともあり、もしかしたら、タリーズの店員の女の子も、俺のこと20代後半くらいに思っているかもしれない。同世代くらいに思ってくれているかもしれない? なんて思ったりして。

あー、そして、こんなに幸せなのに、明日Galaxy S23が届く、ワクワクo(^-^)o iphone 14 pro MAXを売った金で(やっぱりiphoneは最低だった。テザリングをするために買ったのに、テザリングが切れて使い物にならなかった。あと、ホーム画面を解除するために、必ず上にスワイプしなきゃいけないのはなんなんだ? これは本当になんなんだろう? なんの意地でAppleはこの仕様を続けているのか分からないが、企業が意地になっちゃダメだろう)、売った金でお釣りがくるくらいの値段で、現在Android最高機種のGalaxy S23が買えるなんて驚きだ。明日は、Galaxy S23を遊び倒すゾ〜!♬

午前11時。彼女が出勤してくる。いつも会うと、笑顔で「こんにちは」と言ってくれる。店員だから、たいてい向こうが先に挨拶してくれる。俺も笑顔で「こんにちは」と言って返している。しかし、向こうの「こんにちは」の方が、とても発声が良くて、澄んでいる。俺はどうしても、ジメジメと薄暗い地下室の底の粘性のある「こんにちは」になってしまう。長芋のせいか? 鮮度がぜんぜん違う。なぜ、あんなに美しい声と笑顔で、こんにちはと言えるんだろう? 「147番でお待ちの、ブラッドオレンジジュースをご注文のお客様ー! お待たせしました!」と言っているときの、声、非常に澄んでいて、よく響き渡る声なのだ。気だるさというものがまったくない。彼女も、玄米玄麦長芋玉ねぎ納豆カツオ節ごはんを食べているのか?

本当に不思議で、ずっとなぜだろう、と考えていた。最近はそれについてずっと考えている。なぜ、あんなに素敵な笑顔で声が出せるのだろう? 彼女と会うと、必ず笑顔で「こんにちは」と言い合うから、そのせいで、今日はうまく言えるかな、とか、頭で事前に考えて、準備しようとしたり、身構えてしまうから、どうも自然さを失ってしまう。彼女の方が上手いのは、きっと意識していないからだろう。店員として働いて声を出している流れで、「こんにちは」と言っている。仕事モードだからだろう。しかし、他の店員を見ても、あんなふうではない。客の女たちを見渡しても、彼女より若い子が揃っているけど、顔、佇まい、声に、あれほどの鮮度がある女性はいない。今まで出会ったどんな人間よりも素敵な笑顔をするのだ。新鮮で無心。過去など何もなかったような顔をしている。一見するとクールで隙がないような顔や仕草をしているが、笑うと、とても無防備になる。砕けたような、あまりにも無防備な笑顔になる。

人間の生き方は顔にでる。笑ったとき、心の底から無垢な笑顔をする人間は稀だ。そういう笑顔に会うとホッとする。昔ながらの友に出会ったような気分になる。事実、心の中に荷物がないのだと思う。俺も、彼女のように、もっとすっきりした形で、「こんにちは」と言いたいのだが、どうも彼女を前にすると、粘性のある、ぎこちない顔と声になってしまって、負けた気がする。彼女に? 自分に? どっちに負けてるのかわからなくなるほどに。無心にこだわるのはこのためでもある。もっと、素直に、粘性のない声と顔で、「こんにちは」と言い返したい。だが、なかなか彼女に勝てない。

「真面目に恋をする男は、恋人の前では困惑したり拙劣であり、愛嬌もろくにないものである。」とカントの名言にあるが、真面目に恋をする側が負けてしまうことが世の常なのは悲しいことだ。心に何もない側がいつも勝つ。しかし岡本太郎は「君の存在自体が告白なんだ。そのままの君でぶつかればいいんだ」と言っていた。さーて、どっちがいいやら。無理して、ドキドキしているのに、ドキドキしていないふりして、カッコつけて話してもねぇ? そんなのはバレてしまうものだしね。俺だってそんなことをするくらいだったら、そのままの自分でぶつかる方を選ぶぐらいの人生経験は積んできたさ。

しかし、彼女は、たとえカントの言うような、困惑したり拙劣であり、愛嬌もろくにない男に対しても、態度を変えないどころか、その男の態度の意味までわかっていそうなのだ。それは、どうしたってわかってしまうのではないかと思う。特別に人情風俗に明るくなくても、ただ心が綺麗で透明度の高い人間には、すべてがわかってしまうのだ。彼女の透明な心に、そのままの彼の状態が入ってくる。そいつがドギマギしていようが取り繕おうが、心を使わなかろうが、使おうが、どのパターンにおいても、すべて、わかってしまいそうなのである。しかし、わかっていようが、わかっていなかろうが、彼女は砕けたような、非常に懐っこい笑顔をする。知性と幼児性が同居している。

それはひとえに精神からきているのか? 頭脳からきているのか? 彼女は顔が大きめだった。目は非常に大きくて、掘りも深く、外人っぽい見た目であり、今は黒髪になっているが、以前のダークブラウンの方が似合っていたように思う。新人なのに仕事が非常にできることは、顔が大きめということも手伝っているだろう。顔が大きい人間は頭がいい。これは、ほとんど外れたことがない。論理性に長けていることが多い。中田敦彦がいい例だろう。俺は非常に顔が小さいため、あまり頭脳的な労働は得意としない。数学などは本当にダメで、いくら勉強しても、企業のSPI程度の難易度も分からずじまいだった。そのためほとんどを霊感に頼っている。そのため直感が働かない場合は何もできなくなってしまう。小顔の人間は、女優型思考というか、女優やアイドルは顔が小さいため、3LDKのよく整えられた綺麗な部屋で、裸で過ごして日光を浴びたりして恍惚して過ごす人間が多い。少しダチョウみたいな性質で生きている。脳の中に一点だけ光る感性を持っていて、ほとんどをそれに頼っていて、それ以外のところにあたると何もできなくなる。単に綺麗好きなだけの人間である。どちらかというと動物的な人間だ。

それに対し、顔が大きい女は、セックスに対して、脳がバグったような、脳内の中でいろんなコードが複雑に絡み合ったような、ぎこちない顔をするものであり、どこまでいっても動物になりきれないところがある。セックスするときも一抹の考えごとをしている。顔が小さい女は、何でもスッと入ってしまうが、顔が大きい女は、何事も抵抗する。顔が大きい女は、答えを出すまでの時間がかかるが、それは迷っているというより、過程をすべて踏んでいる。セックスする時も、キスをする時も、過程をすべて踏んでいることがあり、顔が小さい男や女は、過程をすっとばして、生きている。

だから俺は、結婚する相手は顔がでかい女の方が良いのではないかと思っている。ダチョウが2匹揃ってしまっても困るからね。今まで付き合った女はみんな顔がでかかった。人は自分にないものを求めるのだろう。しかしタリーズの彼女は、顔が大きい人間と小さい人間の両方の性質を持っているような気がする。なぜなら彼女はたまにダチョウのような光を放つからだ。事実、彼女はやや顔が大きめなだけであって、そこまで大きいわけでもない。

そんなことを考えていたら、窓ガラスを挟んだ向こう側で、彼女がテーブルを拭いていた。外はオープンテラスとなっており、暑い中、彼女は外に出てテーブルを拭いていた。俺の席から遠くのテーブルを拭いていたが、だんだんと近づいてきて、俺の席の前のテーブルを拭くことになることはわかりきっていた。俺はそのとき、きっと彼女はこちらを向いてニコッと微笑んで挨拶するだろうと思った。分厚いガラスで遮られているから、いつものように「こんにちは」と声に出して言わないけど、きっと軽く会釈して微笑むだろうなと思った。今はまだ遠いところのテーブルを拭いているが、俺の存在には気づいている様子だった。それは彼女の様子からなんとなくわかってしまう。彼女はきっと、俺の席に近づいたら挨拶をしなきゃ、と心の中にそのスケジュールが組み込まれている顔をしていた。そんな顔をしてテーブルを拭いていたのだ。それは少し重荷を負わせてしまったような気がして、少し申し訳ないと思った。

俺は彼女がテーブルを拭いているのを凝視していた。玄米だか玄麦だかクソみたいな書きかけの記事なんてほったらかしで、もういっそタリーズのゴミ箱にパソコンごと捨ててやろう!と思うほど、どうでもよく、ただ彼女が、一つ、また一つ、テーブルを拭いて、俺の前のテーブルを拭きにくるところをじっと見ていた。

すると、彼女は、一つテーブルを終え、また一つ終え、とうとう俺の席の前にあるテーブルを拭き出した。彼女は俺に挨拶するだろうか? と、ずっとドキドキしていた。すると、彼女はそれまでの、何か、予定があるような、スケジュールがあるような、誰かに挨拶でもする予定があるような顔をしながら、少し神妙な顔をしながらテーブルを拭いていたのだけど、俺の方をパッと見て、非常に、砕けた、それこそ10年来の友人にあったかのような、懐かしい、とても素晴らしい笑顔を見せた!

俺も素晴らしい笑顔を返した。俺も、いかにこちらも素晴らしい笑顔で返せるか準備していたので、ちゃんと素晴らしい笑顔で返すことができた。それこそ、いい笑顔をしようなんて思っていなかった。すべて忘れてしまうのがいいと思い、事実そうした。そしてそれが功を奏した。俺は彼女に素晴らしい笑顔で返す予定をまったく組んでいなかった。完全に身体の反応に任せた。文字通り、放心していた。すると、まったく粘性のない、地下の薄暗くくぐもったような笑顔ではなく、とてもはっきりした、それでいて明るい、屈託のない、素晴らしい笑顔を返すことができた。

すると、なんと、彼女は小走りでパタパタと歩き出した……! 明らかに、歩く速度が速くなり、テーブルを拭く速度も早くなった。次のテーブルに移って、次のテーブルを拭いていたのだが、明らかに、さっきまでのテーブル群を拭くより早くなっていた。大丈夫だろうか? 拭き残しはないだろうか? 少し顔を赤らめていた。無心と無心の笑顔の交換。いや、無心とは言い難い。俺はこの笑顔の交換によって、およそ昇天しそうな、天に昇るような気持ちになってかえって心がゆったりとしたが、彼女は動作が早くなってしまった。互いの心の中に残した結果は違ったようだ。彼女の動作が早くなったのは、何を意味しているんだろう? 俺の歯にカツオ節がついていたのか? しかし、これから笑顔をしなければならない予定にある笑顔も、悪くない。事実、これまでで一番いい笑顔だった。彼女が仕事の流れで俺に見せていた笑顔とは違っていた。予定調和だが、予定調和ではなく、俺のために用意された笑顔のように感じた。そして、いつもクールな彼女が、赤毛のアンみたいに小走りに駆けていった。いや、ハイジか? ハイジのような、とても可愛い少女性のようなものを感じた。まだまだ暑いが、春を感じた。彼女は早く遠くのテーブルを拭きたそうな顔をしていた。そしてすぐにその念願が叶い、拭いているうちに自分の時間が取り戻せるだろうと思っているらしく一安心しているようだった。とにかく素早くテーブルを拭いていた。そして、その動作は、先ほどまでの無心とは違っていた。

なんて、素晴らしいんだろう! なんで、こんなに、素晴らしいんだろう!

たとえ、付き合えなくても、恋などなくても、こんなに素晴らしい、息吹が胸の中を走っている。なんだろう、このときめきは、どうして37歳になったら、こんなときめきを覚えてはいけないなどと言うのだろう? 誰が言ったのだろう?

本当に素敵だと思った。お腹いっぱいになってしまった。このときめきが意味することはなんだろう? 100冊、1000冊の本を読んでも獲得できないだろう。初恋。これが初恋でなかったらなんだろう? 10代、20代の恋など、児戯に等しい。人は30代後半になって初めて恋を知るのだ。俺は、心を解放して、初めて胸いっぱいにこのときめきを吸い込むことができて、とても幸せだった。ただ、ただ、素晴らしいと思った。そして、なんと、明日はGalaxy S23が届くというのだ! 午前中にGalaxy S23 が届くから、午前中に設定を完了したら、その足で、Galaxy S23をレジで掲示してタリーズの会計に使えるかもしれない。そう思うとワクワクが止まらなかった。今日はどうしよう、ワクワクが止まらない。しかも、今日の夕方は、きっとちょうどいい日差しと温度になり、これ以上ないバイク日和となるだろう、そして、帰ったら、「玄米玄麦長芋玉ねぎ納豆カツオ節ごはん」のお待ちかねだ! いやー! この前まで死にたくて仕方なかったけど、最高だ! そして、こんなふうに生活を楽しみながら、心を使わないで生きること、「放心を最上とす」を完全にして、これからもっとすごいことになると思うと、想像しただけでハゲて、爆発してしまいそうだ! さーて、Galaxy S23に備えて、今日は寝るぜ!

© 2024 しまるこブログ Powered by AFFINGER5