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ただ観察するということ

この世界のあらゆることは全てあらかじめ起こることが決まっているのか、我々が動いたり食べたり、今こうして書いていることすら書かれる文章も。

星の運行は規則正しく秩序的に整えられており、猛スピードで駆け巡りながらも、決してぶつからない、それらは予め定められたルートを進んでいるようだ。

ラマナマハルシ、ヨガナンダ、ほかの結構な数の聖者は、運命論の立場をとっていて、支持しているようである自分の肉体が生まれたことにより誕生したことにより、全ての行動は決まっているという。木の葉が落ちるタイミングすら、すべて決まっていると。まぁ、決まっていないと、未来が見えるわけもないしなぁ。ショーペンハウアーは、「本当に困ったときは、どうしても自分で自分を救えない場合は、運命論の立場に立って考えれば、不安は取り除かれ、無気力になることも避けられるだろう」と言っていて、 つまり願掛けのように言っていて、ガンジーは「運命論については分かりかねる」と言っていた。

水野南北や出口王仁三郎も人間の一生の、食べられる量や寝られる時間は決まっていると言っているし、

悟ったとされる人達はほとんど皆すべて決まっていると言っているんだから、自分が何ヶ月後何時に死ぬということを正確に言いあてられたりするのだろう、空海のように。

坂本龍馬、お誕生日に死んだ

つまり哲学者や作家だと、超一流レベルでもベールに包まされてしまうが、空海だのヨガナンダなど肥田先生など、神の法則を完全にしたものは運命論がちゃんとあると言っている。肥田先生は自分の精神で直接見たと言っている。

我々はどこか背後にあるスピリットに動かされているようなものを感じるし、この動きと異なるルートを辿ろうとすると凄まじい抵抗にあうものである、その抵抗すらプログラムに組まれているのかと思い、もうそれ以上を考えていると発狂しそうになる、考えることすらできなくなってしまう。まぁ考えなくてもいいことだろう、人間はただ行為するしかないんだから。しかし、本当のところは人間が行為していないらしい。神がすべてを動かしているだけだという。それが運命論か、今そういう話をしてるんだっけか。

多くの人は、高校時代、こうしていればと考えて、あそこであの子に告白していれば、もっと勉強していれば、今の集中力と方法を持ってすれば、受験勉強なんて簡単なのに、どうしてあんなに煩悩が絶好調の時代に、受験勉強なんてさせられなきゃならないのか。今だったら中央大学くらいは入れるのに、と。

今だってそうだ、俺はここでこうする他ないのか。ちばてつやは、思えば、自分は背後の大霊に突き動かされるようにして漫画を描いてきたと言っているが、はぁそうか。羨ましいものだ。俺は部屋でこうして真の芯にピントに合わせることが、どうしてもやらなきゃいけないことのように思ってしまう。

しかし、それらはあらかじめから仕組まれていたとしたら、もうそうする以外に他なかったのである、今だってそう、今だって全て決められている通りの行動しかできない、これからもこの先も、死んだとしてもまた別の肉体を手に入れてこの地上に再臨して定められたプログラムを起こる。そうか、じゃあ過去を後悔する必要もないのか、未来も今も悩む必要はないのか、全ては決まっているのか。ラマナマハルシが言うんだから間違いはないと思うけどね。これを真の自己を発見するまで繰り返し繰り返し行われる。

中村天風は運命と宿命というものがあって、宿命というものは変えられないが、運命は変えられると言っている。宿命とは、男に生まれることを女に生まれることなど。

つまり、人生っていう列車に乗り込んだら、最後、後はずっとレールの上を決められた時刻に走り続け、脱線せずに走り続けるだけである。どれだけ脱線しているように見えても、寸分狂わずレールの上を走っているのである。自分が何をしようか何を抱こうが何を思おうが、すべて自動的に進んでいてくれるとしたら、大変結構なことだ。

だとしたら、心は必要だろうか? 全ては自動で続いていて、結果が変わらないのであれば、もう荷物は下ろしてしまった方がいい。列車の中でいつまでも荷物を抱えているのが我々なのである、荷物を持っていようが下ろそうが、目的地まで滞りなく、一分一秒変わることなく進んでいくなら、下ろしてしまった方が楽だ。

じゃあ、すべてが自動で進んでいくなら、何が残るか? 観察することだけが残る。ずっと他人のように、行為している自分を見続けるだけだ。誰だって、そんな時間はあるだろう。

それの何が楽しい? 何が幸せ? って思うかもしれないけど、俺は心に何もないことが幸せのように思う。何もなければ、神が入ってこれるスペースができて、神が入ってきて、それで幸せになれると思う。感動や歓喜が、ここにあったって何もおかしくはない。 人間はやっぱりどこまでいっても神の道具で、神に使われることによって道具の本分が満たされ、それでしか幸せになれないのではないか。

「あなたはあなたを観察することはできない。あなたではないものだけを、あなたは観察することができるのだ」と言うセリフがあってね。

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