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ただ観照するということ

よくわからない。わからないことがわからない。ただ眠い、信じられないほどに眠い、ずっと眠っていたい。

一体どうなっているのかさっぱりわからない、もうだめかもしれない。激しい欲望に振るい落とされそうになり、ただ起きていることが精一杯だ。眠い。寝ればいいか。頭がまともに働かないから。こうして手の動きで何か書くしかない。

書きたいことも考えたいこともない、静かに眠りたいだけである。二度と起きたくないが、起きてしまう。忙しい人に時間をあげたい。命もあげたい。外部的な要因はない、誰かが憎いわけでもない、誰かに褒められたいということもない。むしろ今はそれがうるさい。しいて言えば自分の存在が自分を苦しめる。ただ、在り続けるということがどれだけ苦痛か。だから我々はYouTubeを見たり美味しいものを食べたりして一時的に、この時間から離脱を試みる。幸せのだの不幸だの、楽しいだの楽しくないだの言っていることは、自己の時間からの離脱を指しているに過ぎない。一時的な解放だ。だから忙しい人ほど自分がない。

確かに物質的なことの方が気持ちいいかもしれない。Amazonプライムを開いて、転生したら何とかな〜を開いて、ポップコーンとセブンのポテトとビーフジャーキーとコーラを買い込んで、定位置に寝転がりながら、顔の横にMacBook Proを置いて、気持ちいい〜。ジャンジャカジャンジャカ音が鳴っている。美少女の声。現実から遠い音が聞こえる。こういう時は実写よりアニメの方がいい。シンゴジラとか言われても、スーツ着た生身の人間を見たくない。だからアニメが人気なんだろう。この疲れた世界には。ドワーフやエルフやゴブリンが出てくる世界の方がよっぽど安心する。

結婚か。

こりゃ結婚したらとんでもないことになるな。こんな姿見せておいて、恋とか、愛とか、尊敬とか。いや、案外いいかもしれないな。女だって一人じゃこんな生活してるんだ。一緒に欲望の海の底に落ちて。

禁欲か。

死にたい人はみんな、ただ消えてなくなりたいだけという。ずっと眠っていたいだけという。

俺の楽しみは、こんなもんか。ただこうして寝っ転がって、ドワーフやゴブリンを見ていることだけか楽しみか。別に楽しくもないけどな。そんなに美味いかねぇ? ポップコーンが。美味いから食べてるわけじゃないから不思議だ。本当に美味くない。これは本当だ。本当に美味くない。これが最後だと思うと食いたくなる。それだけだ。暇だから食うのか。寝っ転がってゴブリンを見ていると、セットでポップコーンとコーラとポテトを買うのが板についてしまっている。これ以上ない相性の良い組み合わせだ。

うーん。むにゃむにゃ。だから死んでるのと変わんねーんだって。死ぬも生きるもないよ。こんなのは。死んでるのと変わんないよ、こんなのは。むにゃむにゃ。眠い。寝るでちゅ。

もういいでちゅ。僕ちんは寝るでちゅ。

おやちゅみぃ〜。

今こうして生きているのだって、本当のところはこれ以上幸せなことがあろうか。仕事も週一。とりあえず貯金もある。生活費も抑えているから特に困ってはいない。別に週二で働いたっていい。いやむしろ働きたい。何も困ってない。楽しいことばかり。YouTubeを見たり、たまに面白いもんが書けて、それを面白いと言ってくれる人がいて、それは奇跡だ。こんな生活を夢見ていた。20代の頃からずっとこうなると思っていた。なんとなく1人でマンションでこうしてこんな生活をするものだろうと、なぜか昔からそんな風に思っていたところがある。20代前半の頃からなんとなくおぼろげなイメージが浮かんでいて、本当にその通りになった。

あの頃はもっと良い高そうなマンションで、そしてもっと都会だった、近くにソフマップがあって、毎日のようにエロゲーを買い込んでいる映像が頭に浮かんでいた。けれど、今のマンションはもっと地味で格式の低いもので、田舎だ。まぁ、それはどうでもいいことだが。

死にたい死にたいと言い続けてきて、今ではだいぶ治まってきたけど、やはり死にたい病がある、昼もある夜もあるけど、しかし一つ違うのは、あの頃と違って、肉体ではなく心を殺したいということだ。俺は生きていたくないし死ぬということは救いで、死は決して忌むべきものではないと考える。

しかし、自殺は殺人と変わらないのだ。人殺し、罪なことだ。いくら自殺によって肉体を殺したところで、また生まれ変わって地上に寄生させられる。今までと何も変わらない、また同じことの繰り返しだ。繰返しどころか、一層低いところからやり直しをさせられる……らしい。ラマナマハルシが言うには、自殺すると一旦格式の低い生命に下げられて再出発させられるらしい。バッタだの、猫だの、まぁ、だから基本的には、彼らは過去生で犯罪者や悪者であることが多いらしく、おしおきのために猫にされたと。そうやって罪を清めるための時間を過ごす。純粋素朴な存在になって良心を勉強させられるらしい。

自由になりたいという欲は稀らしい。神の寵愛によってやっと行なわれるものらしい。悟れないから苦しいと言って苦しいと感じるのはとても稀らしい。自由になりたいから苦しい。神を見いだせないから苦しいってどういうことだ。たとえ人間として生まれることができても、カルマについて、神について、離脱したいという願望を持って生まれることは、稀の稀の稀らしい。自分をあまりなろう系主人公のような特別扱いしたくはないが。36歳になって、なろう系の主人公みたいな真似をするつもりはない。まぁ大体あれらの主人公は30代半ばで、人生に絶望して転生して、どっかの王国の赤ちゃんとして生まれてってことを望む話で、うーん、俺じゃねーかって言う話だが。

しかし、もっと嫌なのは、くだらないことでゲラゲラ笑って、他人の悪口で盛り上がって、今よりずっと笑いのセンスがない人間となり、数段下がった人間のバージョンとして再出発させられることだ。霊感も低く、知能も低くなり、工場の資材の上に腰掛けて、ビール飲みながら、仲間とゲラゲラ笑い、ラスコリーニコフみたいな顔をしながら仕事している奴の顔を見ても、その顔の中から何も盗めなくなり、そんな人間となって、順調にステップアップしていき、また再び今回の俺に生まれ変わって、またこの地点になるのか。また再びここに戻ってくるんだもんな。いいじゃん。そんなの放り投げちまえよ。やってみなきゃわかんねーじゃねーか。こんなものは俺の勝手だ。勢いだ。俺が悩みたくないからって言うから、神がそういう生き物にするんだ。望んだり叶ったりじゃねーか。いいじゃん。だけど、終わりの終わりにしてくれないってさ。終わらせるには、精神集中しかないんだってさ。

そうか、Twitterで暴言を吐いて、芸能人の不倫に熱中している人間として、生まれるのか。

とにかくこの、自分を完全に取り払おうという試み、それはそう起こるものじゃないらしい。自由になりたいというこの欲望は、自発的に起こるものではないらしい。何千何万回と生まれ変わってきて、それはもう信じられないことほどの徳を積んできて、やっと結実されるらしい。だとしたら、どうして俺は万引きしまくってたんだ? 高校時代、死ぬほどゲームキューブを万引きしたからなぁ。いつも電話している友達と、毎日学校帰りにゲームキューブを万引きしていた。だから悟れないのかと真面目に考えることもある。自転車のカゴからペットボトルの空を取り出して、道路に投げ捨てて帰ってたからなぁ。

今の生活には不服はない、これ以上の生活など望めようもない。死のうが生きようが、何をしようが何をしなかろうがいい。神を見出そうとするならそれもできる。神、ねぇ〜。よく知りもしないのに、簡単に言っちゃいけないのに。しかし、アメリカ人はよく十字を切って祈ってるな。マイクタイソンですらやっていた。神に感謝しますって。日本だけだ。こんなに神にアレルギーを起こしているのは。まぁ、信仰深い国がいいかはわからないが、変な悪徳マルチが広がるだけだろうしね。

しかし、今すぐにでも旅立ちたくなる衝動はなんだろう。もう準備はできたから、いつでも旅立てる気でいる、部屋とドトールの往復の人間が、どこに飛び立つと言うのか。これから出前館のバイトをやろうと思っているから、マックとガストとから好しとドミノピザとジョイフルとピザーラとビッグボーイとかっぱ寿司に旅立つだけだ。部屋から一歩も出たくないという面倒臭がりの食いしん坊の家に届けに旅立つだけだ。

ドトールでも出前館をやっている。受注しても、ドトールは恥ずかしいから行けない。(え? この人出前館だったんだ……。ずっといつもドトールに来て座って宙を見つめていて不気味だと思ってたけど、出前館とかやられると……もっと不気味)と思われるからね。俺だって恥ずかしいから入っていけないよ。4年間、毎日やってきて、決まった時間に決まった席で決まった姿勢で座り、ずっとボーッとしていた男が、急に出前館の赤い帽子をかぶってやってきたら……。それこそ本当に死を選ぶ。

ドトールに行き、「アイスコーヒーのSで」としか話さない。基本的には一日にこの一言しか話さない。タブレットに向かって音声検索しようとすると声の出し方を忘れていて、あれどうやって声って出すんだっけ? となることもある。

みんなよくしゃべる、そしてよく行動する。いつだって絶え間なく、よく動く。こんな晴れた日に何もせず、ただ座ってぼーっとしているということは、何もせず机の上にコップだけ置いて姿勢を正し、2時間3時間も座っているということは、恐ろしい変人で、そこまでいくとカッコつけているような、デスノートの映画が流行っていた時は、Lの真似している男が、たくさん街に溢れていたが、そういう種類だと思われることだけは困る。

どこからか声が聞こえて、これじゃダメだという、これではダメ、もっと真剣に求めなさいという。

死にたくなるのは、心の活動があるからだ、心の方が死ねばいい。心だけが死ねばいい。心がいつも勝手に活動して疲れさせ、俺の制御を離れ、勝手に飛び回って忙しくて、コントロールできなくて、次から次と意味のないことを繰り返して、眠りたくなる。終わらせたくなる。永遠に眠りたい、朝目覚めることがなかったらどれだけ幸せだろう。起きてしまった以上は仕方がないから、生きるだけだ。俺はこれから眠るために活動するのだ。

特に目標という目標もないのだが、できることをやるしかない。俺の目標は、この純粋な観照を文章にしたい。笑いにしたい。そのために、まず純粋な観照者としての自己を確立しなければならない。文章が上手いとか比喩とか表現をひねくりまわすつもりなんて全くない。別に文章じゃなくたっていい。自分の全生命をぶつけられれば、何だっていい。たまたま俺が、他のことより少しだけ文章が得意という気質に生まれているから、それを利用しているに過ぎない。ただ書くだけだ。

正確で客観的な観照は、何かに固執している時にはできません。多くのことに固執している人は、本当の意味で他者を助けることはできないのです。観照する方法を知る人だけが、真の自己を確立した人のみが、本当に他者を助けることができます。アンマ

きっと、人の役にも立つと思うんだけどなぁ。

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