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ボウフラと内側

思えば、みんな、何かしらの行動をしていて、いつも家にいる人ですら、YouTubeを見たり、漫画を読んだり、何かをしていて。

すべて、自分の外側にあるものが取るに足らない気がするのは、俺だけではないだろうが、やれ古典だのゲーテだのバガヴァッドギーターだの言ったところで、俺の中にあるものじゃない。俺の中にあるものだけが本当に価値があるのか、外側にあるものを一切すべて取り除いて、ただ自分の奥深くあるもの集中する。そうやって生きていくことは幸か不幸か。目の前のことから全部逃げているのか、布団の中に入っているのも辛くて、生玄米しか食べてないから、深夜2時になっても目が冴えている。全然眠れない。頭も冴えている。しかし、何もする気は起こらない。本もまったく読む気にならない。YouTubeも苦しい。何か哲学的なテーマを頭の中に持ち込んで、一つひとつその小窓を開いたり閉じたりするわけでもない。立ったり座ったり歩いたり四股を踏んだりはしている。別に悩みもあるわけではない。ただシンとしている。そんな感覚がいつまでもず〜っと続いている。楽しいといえば楽しい。こんなものかといえばこんなものか。ただ、もう、あまり火食はしたくない。

本当に何もないし、何も起こらない。しかしどこかに旅行に行ったり、女とデートしたりする方が苦しくなりそうだ。向こうもこんなずっと止まろうとしている男と一緒にはいたくないだろう。

生きるべきか死ぬべきか、とはよく言ったもので、こんなものは生きてるのか死んでるのかよくわかったもんじゃない。静かにしていて、とても静かにしていて、たまにふとこの人には心がないんじゃないかというくらい静かになると、それだけで変人と言われるものだ。そんなにすごい不思議ちゃんというわけでもないけど、なんか不思議ちゃんだね、と何度か言われてきたが、奇抜なことをやるより、こうして制止している方が変に思われるものだ。まぁ、これこそが奇抜な行いかもしれんがね。赤ん坊みたいな顔をして、「 」という顔をしていると、他人の力を奪う働きがある。力が抜けるような、すべてリセットされるような、この忙しい社会でそれは癒しとなるか邪魔となるか。

いったん心をいちばん下におろして、そこから上空に上がらないようにしていると、それが人間のニュートラルなわけだけどね。しかし、こうして文章を書くのはやっぱり好きだ。今まで例のごとく紙にたくさん書いていたが、PCに清書するのが面倒くさくて、なんとそれだけで二ヶ月が経ってしまうのだから、このちょっと面倒臭いというものの魔力は凄まじい。書くことはないのだが、書くことがないことを書いていることも楽しいものだ。何も書くことがなくても、ただ中心だけを綴ることができたらいい。

20代の頃からうっすら頭の中に浮かんでいた映像が形になっている。一人孤独にマンションに住み、3階のベランダからボーッと外を眺めている自分の姿だ。何もしないでじっとしている。何をするわけでない、空白、空白、空白、ここから学べるようなある気がして、この空白をずっと見続けてきた。この空白も、十分に味わい尽くせば、もう残高もなくなると思っていたが、増えていくばかりだ。いつまでやるのか、こっちが聞きたいくらいだ。貯金もこうだったらいいのに。

最悪、何も手に入れられなくても、全てを失ったとしても、一人、ただ、息を吸って吐いて存在しているだけの時間さえあれば、それでいい。働いて稼いで消費するよりは、ただ真空の中で突っ立っている方がいい。それはずっと昔から思っていたことだ。ただ生きるだけのことなのに、どうしてわざわざ忙しくしなければならないのか。

しかし、こうしていることすら、金がなきゃ何もできない。やはり金、世の中金だ。金は最高条件ではないが最低条件だ。この最低な暮らしすら、金がなきゃダメだ。ホラティウスが言っていた。「金を稼げ、徳はそのあと」金を稼ぐのを後回しにして、こんなことやってたってダメか。別に働きながらでもできるしな。といっても、どんな仕事でも、週二日ぐらい働けば、週休5日でこんなふうに過ごせてしまえるけどね、節約すればの話だが。

他人からすると、こういう生活がいちばんイラ立たせるようで、大学時代、昼の14時に起きて、遅い朝食を食べ、そしてまた布団に入って寝ていたら、母親に「いい加減にしろ!!!!!」と叫ばれたことがある。叫ばれて、泣かれた。「いい加減にしなさい!」じゃなくて「いい加減にしろ!!!!!」だった。母親の、あの時の凄まじい顔と声を忘れらない。母親は、涙目を浮かべていた。息子が人間として最低の最低に陥ってしまったと思ったのだろう。俺のその様子を毎日毎日眺めていて、せきが切れたようだった。まだその辺で悪いことをしていた方が良かったかもしれない。誰にも迷惑をかけてないし、他人のことなのに、他人の時間配分のことなのに、なんでこんなに怒るのかと思ったものだった。パソコンを開いて、アニメでも見ていた方がずっと怒られないくらいだった。だから、お母さんに怒られないために、パソコンを開き、遊んでいるふりをしたものだ。

しかし、何をすればいい? バイト? サークル? 活動? 活動ねぇ〜。活動して、得られるものは何? お母さんはじゃあたくさん活動してきたかもしれないけど、その活動から得られた精神性は、息子が寝ているのを我慢できずに怒り泣き散らしてしまう感情不制御の精神性じゃん。俺の言い分も聞かずにね。まぁ言い分なんてないんだけど。言ったってわからないだろうし。じっとして真空と会話しないから、こうして真空から活動ができないんだ。少なくとも俺は真空から、日中に誰が寝てようが怒らない精神性を得た。俺みたいに真空から文章が書けるか? 世の中にはね、じっとしていながら、布団の中に寝って、自分のいちばん奥にあるものを探しにいくって活動があるんだよ。布団が俺の道場なんだ。俺のすべてはここにあるんだよ。もうほとんどお母さんの血は残ってない。お母さんは読書家だから、「罪と罰」を読んだことがあるかどうかしらないけど、ラスコリーニコフが冒頭で、宿舎の女将さんから、「あんた寝てばっかで何してるんだい! 若いんだからちっとは外出かけてきたらどうだい!」と言われて、「仕事さ」と答えた。「仕事? ハハハ! 仕事ってあんたそりゃ、そうやって寝ていて金が入ってくるんなら仕事かもしれないけど! 一銭も入らないじゃないか! そりゃあたいそうな仕事だね〜!」というくだりがあったが、あそこの意味わからなかっただろ。俺にはわかったよ。ドストエフスキーはそうやって生きてきたんだということがね。

言ってもわからないだろ? すべてを放棄して、自分の最奥から持ち帰ろうとしていると言ったって、わからないだろう? ニートの戯言にしか聞こえないだろう? 別にいいんだ、それは。だから何も言わないんだ。何も言わないから余計、わからなくなるんだろう? だから怒るんだろう? 泣くんだろう? ごめんね、お母さん。僕ちゃんは36歳になってもこんなことをやってま〜す(^ ^) だからね〜、今俺が急に死んだとしてもなんで死んだのかもわからないだろうから、答えだけは書いとくよ。別に死なないがね、少しは安心するだろう。

大体、物を書くなんてものは、机の上で書いてるわけじゃないんだ。真空と会話した分を、そのまま天に返しているだけだ。人との会話だってそうだ。話している時は、もう話し終わった後だ。やはり真空と話した分を返しているだけ。確かに、真空に答えがあって、真空にすべてがあるが、すべてというだけあって、毒も薬もある。毒の方を多めに飲むとこういうことになるんだ。 深淵を覗くときは深淵もこちらを覗いているってやつか。

俺の最終的な拠り所は、いつもここだ。この状態のまま、書き、話し、仕事をして、すべての出発点にしようとしてきた。活動家で、アウトドアで、ツーリングやキャンプばかりしてる人に面白い人間を見たことがない。学生時代にも、勉強、部活、バイト、バイトの掛け持ち。掛け持ちを二つも三つもやって、一分一秒の隙間もないほど活動していた人間がいたが、例外なくつまらん奴しかいなかった。ここに男も女も例外はない。彼らがいうには、時間がもったいないから働くらしい。勉強家や読書家でもなく、部屋でダラダラしているタイプがなぜか面白いタイプが多い。田舎より都会の方が面白い人間は多い。まぁ、決してダラダラして過ごすことをお勧めしているわけではない。怠惰はやはり罪だ。

まったく長い、長すぎるモラトリアムだ。あと4ヶ月もすれば37歳だ。もういいだろう。もういいよ。俺だってべつに寝たくて寝てるわけでもない。ただ外側をいくら探してみたところで何も見つからないから、仕方なくこうしているだけだ。本当に、仕方がなくこうしているんだよ。消去法で、最後に残ったのが、これなんだ。この活動だ。いちばん消極といちばん積極が組み合わさってできた謎の行動だ。俺だって活動したいよ。俺は目覚めるために眠っているのだ。青年なんてみんなこんなものだよ、世の中のお母さん。俺はちょっと青年の期間が長いだけだ。まぁ俺は死ぬまで青年なんだけどな。しかし、親父は〜、いつもこんな俺を見て、「忙しそうだ」と言っていた。俺に何か尋ねたいことがあっても、忙しそうで声がかけられなかったといつか言われた。(笑)俺も実のところ、自分のことを忙しいと思っている。

ショーペンハウエルは人間は40歳までが蓄積期間で、40歳以降は生産的になり、それまで蓄えてきたものを還元するようになると言っていたが、本当かね? 「私は40歳以前に物を成した人間を見たことがない。その一つに、性欲に煩わされることが少なくなるからだろう」と、あの有名な、ナポレオンヒルの『思考は現実化する』に書いてあったが、本当かね?  本当だとしても、だとしたら……、人間というのは恐ろしく手間がかかるね! 赤ちゃんから、40歳まで、ずっと丁寧に世話をしてあげて、40年も、水をやり、餌をやり、日光を与え、勉強させて、ゲームを与え、ボ〜っとさせながら、仕事ができなくても多めに見て、全部庇ってあげながら、すくすく伸ばしてあげて、40年……? こんな大きな社会の荷物は見たことがない! 本当なら、じゃああと3年寝てようかな。40になれば勝手にやり始めるかな? 俺の知ってる40歳はもうとっくに育てる側にまわってるけどなぁ?

まぁ、色々言ってはいるが、対して外側に不満があるわけでもない。俺にとって外側は存在しないのと同じだ。外側は、清潔な格好をして、心から善意をもって対応していれば、すべて大丈夫だからだ。内面は、全集中が必要となる。

活動の活動による活動のための活動をしていると、この辺りの妙がわからなくなってしまう。不機嫌が最大の罪ということが、不機嫌がいちばん良くない。そのことすら気づかない。内側の根を滅ぼさない限り。だから俺は怒られても不満な顔を一つも浮かべない。不満な顔を一つもしないから、お母さんはいよいよわからなくなるのだろうが。怒って、泣いて、活動して。親子なのに、決して交わらない軌道を歩いているのだから仕方のないことだ。

理性、感情、思考、考え、気づき、ポジティブ、ネガティブ、愛、不安、心、一つひとつ、今、自分の本体の上に何が乗っているのか。この邪魔なものたちを一つひとつ外していって、最後に残るものは何か? それが純粋な自分の持ち物じゃないか? 息子が昼の14時に起きて朝食を食って寝て、14時に再び寝床に入ることを怒る心は、泣く心は、自分の本体に積載された一つの余計なもの……、とは考えないのだろうか? これは、外側の活動、旅行やデートや飲み会やバイトしていると気づかないものだ。内側からしか見つけられない。しかし、この余計なものを一つひとつ外していって、最後に残るものがあったとして、その最後にあるそれすら捨て去ることは可能なのか? もう37歳になるんだから、それだって捨ててなきゃおかしいんだ。

埼玉の印刷工場で働いているときも、製品の検品しながらずっとこんなことを考えていたから、誰かに何かを指示されたとき、まったく頭に内容が入ってこなかった。全部不純物だと思って捨てていた。本当に仕事覚えが悪かった。俺は本当に部屋でぼーっとする以外の仕事ができないのだ。

だからだろう。ずっとこんなことになると思っていた。多分、俺は30代になったら、部屋でボーッとする人生になるんだろうなぁと思っていた。ならざるをえないんだろうなぁと思っていたら、本当になってしまった。思考は現実化する、か。幸せだけど、生きるべきか、死ぬべきか、それだけが問題だ、のように思う。こんなのは死んでるのともう変わらないのだから、じっさいに刃物を胸に通して物質的に機能不全にしたところで、何も変わらないという話だ。消極的な意味で言っているわけじゃない。消極的に見えるかもしれないが、積極的な意味で言っている。精神的な自殺だ。こうなったら、とことん心を破壊してやれ、ということだ。俺は心を破壊することしか興味がない。

文字通り、何もない。朝から晩まで何もない。YouTubeですら、アニメですら、本ですら、少しでも食べると苦しくなってしまう。最近は何も受け付けなくなってしまった。せめて本くらいは読もうと思っても、満腹の時に食べ物が受け付けないように、とても食えたもんじゃない。インプットもアウトプットもない。さて弱ったな。こんなだから、何も書くことがない。しかし、こんな状態でしか書けないものもあるかもしれない。笑わせるでもない、悟らせるでもない、およそ人類の叡智の発展に寄与できるものではないが、他の何もやる気になれないから、せめてこれくらいはやらなければならない。

書いてほしい、とこれまで人に期待されたことはあっただろうか。どこで仕事しても、できれば来ないでほしいって顔を、どこでもされたからなぁ。まず机の上に紙を出してペンを置いて、そのまま座る。書く気など、さらさらない。平気で一時間も二時間も過ぎていく、が嫌いではない時間だ。そこでふと、ストーリーでも笑いでもない、出会い系でも恋でもない、出会い系の女の顔にちんこをペチペチしたでもない、霊的なんとかでもない、ただ心境を書きたくなったのだ。今は心境しか書くことはできない。

今は、何かに挑戦して、挑戦して、その中で自分のできることを見つけて……、とやっているわけではない。それも大事だがね。挑戦、それ以上に大事なことはないから挑戦はするが、同時に、一つ、また一つ捨てて、すべて捨てて、自分すらも捨ててしまいたいのだから、そんなことを同時にやっている気分だ。モンテーニュは37歳で全てを放棄して、ただ日記を書き続けるだけの生活に入ったが、まぁ、こうしてすぐに偉人と比べたがるのは、悪い癖だ。友達にも、「それ殺したくなるからやめろ」とよく言われる。

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