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ネッツトヨタのお姉さんに半年ぶりに会ってきたよ! 2

今回も運が良かったことにお姉さんがいてくれた。

小生がネッツトヨタに車の点検に行くと、お姉さんはいつもいる。

ネッツトヨタのお姉さんに半年ぶりに会ってきたよ!

12年この車に乗っているが、半年に一回に車の点検があるため、

年(2回)×12年=24回

お姉さんとはこれまで、24回、会っている。

お姉さんはいったい何歳になるだろう? 見た目は27歳くらいに見えるが。

小生は今の車に24歳の頃から乗っていて(何の偶然だろう? 24という同じ数字だ)、その頃からお姉さんを見ているわけだから、いちばん若く見積もったとして、お姉さんが高卒採用の18歳の頃から働いていたとして計算しても、現在は30歳になっているということだ。

しかし、お姉さんをいつ見ても思うことは、とても12年、ここで働いているとは思えないほどの鮮度を保っていることだ。まるで一日市長でやってきたアイドルのように、周囲からの清新の視線を一挙に集めている。

男社員はいつもお姉さんをチラチラ見ているし、客との商談時においても、背中で自分の仕事している姿をお姉さんに見せつけている。男性客も、展示されている車よりもお姉さんを見ていることが多い。男性客は男社員と比べて遠慮する必要は下がるから、お姉さんに入れてもらった茶を飲みながら、去っていくお姉さんの後ろ姿をまじまじと眺めていることが多い。男性客は、車という買い物の特質上、家族連れでやってくることが多いが、お姉さんを目にした途端、となりにいる嫁を中古車だと認識するような顔をする。

お姉さんがなぜ周囲の男たちをこれほど惹きつけるかというと、結婚適合者としていちばんいい部類に映るからだろう。

ガサツだったり欲深いところもなく、うまい具合にいつも引っ込んで、家にいるような空気を出さず、下品な笑いをせず、実家暮らしながら自分で作った小さなお弁当を食べ、頬杖をついたりあくびをしたりすることなく、高卒採用だから難しいことはわからないけど、お茶汲みだけはしっかりやりますという、典型的な受付タイプの童貞ホイホイ。

人間にまるで癖がなく、当たり前のことしか言わなそうだ。優秀すぎるわけでもなく下等すぎるわけでもなく、どこから見ても普通な感じである。朝はきちんと起きるが、たまに寝坊してしまい、お母さんに「早く起きなさいよー」などと軽く言われ、「わかってるよー」と軽く返し、そんなふうに気の抜けた会話などもするが、そこまでだと思われる。それ以上の「ダラけ」がお姉さんの人生の中にあるようには思えない。生活感を隠そうとしているわけでもないのに、奥に透けて見える生活感が、その程度で収まっている。

部屋で一人で過ごしているときの態度や、趣味、思想、内部の醸成されたもの、そういったものは、黙って仕事をしていたとしても、あらゆる動作や機微から滲み出てしまうものであるが、お姉さんは普通に生きてきて、学校でもまじめに提出物は出すけど、テストの成績はそれほどいいわけでもなく、かといって悪いわけではなく、中の上の高校を出て、テニスをやって、テニスも中の上で、適度にユニフォームが汚れ、適度に洗濯し、適度にいい友人に囲まれて適度な会話をして過ごしてきたのだなと思われる。

この小市民的な、癖のない精神が功を奏している。男性社員らに色香は撒き散らすことは女性の喜びのひとつであり、お姉さんにもその素養がないこともないのだが、できるならそっと仕事していたい、という小ぶり感が結婚相手として重宝されるのだろう。

そしていよいよ見た目の話になるが、プロポーションが抜群にいい。やや背が高く、おそろしいほど細い。これがKカップのグラビアアイドルのような身体だったら、すこし味が濃すぎるきらいがあり、飽きられるのは早くなっただろう。お姉さんは細いというよりも華奢なのである。シルエットが骨格からしてきめ細かい。しかし単にガリガリというわけではなく、神経が行き届いていることによって無事に脂肪が燃焼されたといったような、身の詰まった芯の通っている霊肉で、そんなに運動をやっているように見えないが、ふだんから姿勢がいいから、姿勢維持筋やインナーマッスルなどの内側のコアから代謝が促されている。

格式という点でいえば、女性は、モデル体型がいちばん評価されるかもしれない。抱くという点から見ると心許ないかもしれないが、神聖さでいえば、やはり細さは正義である。顔の小ささも大事である。見事にパーツの均整が完成されていても、顔自体がでかいと、神聖さという点では落ちる。凛とした空気は、顔の小ささからくる横顔から生まれることが多い。お姉さんは、小顔で、鼻筋や輪郭がスッと通っていて、澄み切った小川のように心地よく気脈が流れている。くだらない岩石などがすべて取り除かれ、気の通り道が確立されている顔だ。こう考えると、ブスはブスッとしているからブスだということが反面教師としてよくわかる。

シルエットは、これは好みによって左右されると思われるかもしれないが、背が高めで小顔なタイプとチビキャラの肉付きのいいタイプでは、同じ容姿レベルだとしても、前者の方が長く男の興味を持続させる働きをもつ。

そして姿勢がいい。ただでさえシルエットが完璧で、これ以上ない様式美が完成されているのに、姿勢がよく、気が全体に滞りなく流れているように感じるから、一人だけオーラが違う。女性は姿勢を良くしていることがいちばんの婚活になるのだが、これをしらない女性は多い。

本当に芸能人のように見える。しかし芸能人のような、美が前面に押し出されすぎて、かえって下品に見えることもない。アンジェラ・アキや泉りかのように美の押し売りや、内部から溢れる自身の美力に酔うわけでもなく、あくまで私は高卒採用の受付でしかありませんから……という殊勝な空気で満ちている。同期の女性社員を本当に自分と同格だと思っているようである。

宇垣アナだってびっくりするほどの美人かもしれないが、ああいうふうに正直さ、人間らしさ、うるささ、気の強さが滲み出てしまっているだろう。お姉さんだったらあの栄光ゼミナールのCMはやらない。宇垣アナは番組の降板を告げられた際、プロデューサーやスタッフらのいる前でコーヒーを壁にぶちまけたという逸話があるが、確かにそういうことをやりそうな顔をしている。気の強さというものはちゃんと顔に書かれており、美人は例外なくみな気が強い。まぁこれは良い悪いの話ではなく、傾向の話である。小生はどちらかというと、お姉さんよりも、コーヒーを壁にぶちまける宇垣アナのような女性の方が好きである。

大抵の女性は最後の最後まで緊張感を保てるものではない。どこかで糸が切れてしまう。どこまでも借りてきた猫のように大人しい女性でも、ふとした笑った顔がとても下品だったりする。ガサツさや品性というものは、ちょうちんのようにいちばん目立つ場所にぶら下がっているのである。お姉さんのこの緊張感は、モテるためではなく、根っからの殊勝な性格からして、生まれたままの自分の姿を愛してもらいたいという欲求が少ないためだろう。

つまるところ、お姉さんは一人でいるときも女子力が高いから、という一言に尽きる。公の場に出た時だけ女子力を高くしても見抜かれてしまうもので、それは女性に対するいちんばんつらい制約になるのだが、お姉さんはどうやら男の目を気にしてそうしているわけでなく、生まれながらの細胞がそうさせているようなのだ。そのため、肉体も華奢なのである。およそ人間は肉体通りの性格をしているものだ。お姉さんの存在は、精神と肉体が連関している証左といえよう。

二番手の女性社員と比べても、宇宙とプラネタリウムくらいの根源じみた差があり、お姉さんも心の底では(私だけ綺麗すぎる……)ということがわかってしまうところも否めないだろうが、それを重荷に感じている。ここで、やった! 入れ食い状態だ! と顔に喜びを隠せない女性がいるが、そういうタイプの女性はその下品さゆえに、12年、鮮度を保ち続けることができなくなる。

しかし、いつ見ても、お姉さんは周りの男たちと話さない。自分の仕事を黙々とこなすだけで、男を酔わす蠱惑なオーラというものが少しもない。こうした、あまり話さない、少し謎を残しておいてあるのが、鮮度を長持ちさせる秘訣なのだろう。

昨今を生きる我々は、男といえど女といえど、内面に激しくうごめく悪魔を飼っており、それはどんな美人といえども、化粧で隠し通せるものではなく、必ず顔に表れる。我々は悪魔との戦いに忙しく、たった一匹のこの悪魔の存在によって右往左往している有様だから、もう一匹飼う余裕などないのである。だから、マッチングアプリでは、自分は健康です! というアピールがこれでもかという程にされている。お姉さんの存在は救いなのである。受付という仕事の性質も手伝っているが、いるというより咲いているという表現に近い。犬や猫、観葉植物のように。

しかしいつ来ても、この営業所は「張り」だけはある。誰も自分をないがしろにしていない。希望に満ち溢れている。希望というより「期待」か。期待とは、もちろんお姉さんである。お姉さんがたった一人いることで、張りが生まれてくるのだ。学校でも、クラスにマドンナ的な存在がいれば(たとえ付き合えなくても)毎日学校に行くのが楽しくなるのと同じ理屈だろう。ネッツトヨタの男社員たちが、仕事をきびきびやったり、身だしなみを子綺麗にして、ちゃんとヒゲを剃っているのは、接客業という仕事の性質上というよりも、お姉さんの要素が大きい。

しかし、よく観察していると、どうも愛とか恋とかを越えて、結婚相手としてお姉さんを見ているようなのである。まだ付き合ってもいないのに、こうして12年間一緒に働いた年数を、交際期間としてカウントしており、後はもうプロポーズして結婚してしまってもいいのではないかと考えている節すらある。それは低俗な邪な欲求というよりも、もっと前向きな動機。両親に紹介したくて仕方ないといった様子である。お姉さんにだけは風俗に行ってることをバレたくないという顔をしている。

男というものは、結婚相手を選ぶ上で、長く付き合って確かめる……ということももちろんあるのだが、街でふいに見かけた女性、ただその全体を一眼見て、すべてにおいて結婚に適していると思えてしまうところがある。それはやはり、人間はすべてにおいて外見に表れているからである。これまで生きてきた歴史がすべて、ただ街を歩いている姿に集約されている。乃木坂の北野日奈子が似たようなことを話していたこともあり、女性にもこういう価値観を持っていることが最近わかったが。

簡単に言えば、「確かめるまでもない」と思うのだろう。人間としてのバランス感覚に富んでいれば富んでいるほど、それが外に現れ、「確かめるまでもない」と思ってもらえるようになる。それは黙っていてもわかってしまうことで、これも姿勢に次いで婚活における最高のアドバンテージとなる。

このネッツトヨタは工場が併設されていることもあり、チン毛のようなモジャモジャ頭をした理系出身の技術者が店内の販促エリアを行き交いしている。そういう輩とお姉さんはとても相性がいいようで、飽きずに12年の間、鼻を膨らまして、今日はお姉さんとこれだけ話せたと一喜し、ホワイトボードのシフト表にてお姉さんの出勤日をチェックし、ニヤニヤしている。

なんというか、地方の国立大学や高専の雰囲気に似ている。三流私立大学となると、すぐにヤっただの盗まれただの昼ドラもびっくりの愛憎劇を繰り広げることになるが、零細企業もこれと同じ空気になる。こういったものは、大学におけるカラーがそのまま企業へと移行するように思われる。ネッツトヨタとなると、みんなでワクチンを受けにいって、お姉さんと結婚してお姉さんが妊娠したときも、産婦人科で渡された資料を細かい但し書きの欄まで丁寧に目を通し、その通り実践するという、極めて良識的に恋や結婚が進むことになる。

しかし、12年だ。もういい加減、しびれを切らさないのだろうか? これからもずっとこのやりとりを続けていくのか? 

「もういい! はやく誰か付き合ってくれ! さすがに12年だ、誰かと付き合ってもいいだろう! 付き合ったってことはセックスしたということだろう? 付き合って2週間なら3回したことになる、付き合って1年なら、35回ほどしたことになる。もういい、俺じゃなくてもいいから、誰かと付き合って誰かと結婚して誰かとセックスしたという事実をエサに妄想で楽しませてくれ! 付き合っている期間中の休日明けの出勤日は、つまり、そういうことだろう? そういうことを前日にしたわけだろう? 俺はその様子をチェックする楽しみに移ることにするよ! 彼女が昨日セックスしたのかしなかったのか、翌日の彼女の仕事ぶりからそれを判断するゲームに移れることになる。胸に一抹の苦しみはあるが、もう次の段階に行ってくれていい! 俺もそっち側の楽しみに移るから!」

そういう顔をしている男性社員もいる。理系の技術部はそういった考えにならず、まだ希望を持ち続けているようだが、文系出身の営業部の男たちは、そういう発想の切り替えをする者もいるようだ。

お姉さんの方はどうだろう? 無論ネッツトヨタなら、収入としては十分。お母さんからも、はやくどれか一つを選んできなさい、と口うるさく毎日言われている。男たちも、自分達がお母さんからそう思われていることを知っているから、どこか安心してしまっているのである。お母さんは、「なるべく技術者の方がいい。営業部の連中は人当たりがよくて、正月の親戚の集いや、葬式の段取り時などは頼りになるかもしれないが、ネッツトヨタといえども手に職がついている方がいい」という話をお姉さんにしているようだった。少なくとも、技術部員たちは、そういう妄想をしていた。

そういうこともあって、お姉さんがマッチングアプリをやっていることはなさそうだった。受付という仕事の性質上、顔を晒したくないというのもあるだろう。お姉さんも、一応、良くも悪くも、ここでケリをつけようとしているようには見える。12年間引っ張ってきておいて、ここでマッチングアプリで結婚となったら、

「「「「「ま、ま、ま、ま、マッチングアプリ〜〜〜〜〜!??!?!!?」」」」」」

と、チン毛頭の技術者たちも、びっくりして毛がストレートになってしまうだろう。

「マッチングじゃなくてマイッチングだな」と、密かにお姉さんを狙っていた60代のエリアマネージャーが言う。さすがにこれくらい歳や役職が離れていると、こういった軽快なジョークで場をなだめられるのである。

しかし、彼らももう限界である、夏、暑さでのぼせているときや、自分の欲しい車が展示品として飾られていて乗って帰りたくてウズウズしているときなどに、お姉さんが通りかかったら、思わずガバッと抱きつきたくなってしまう。みんな瞬間的にそう思うけど、一回一回その感情を横におかねばらない。その感情を横に置きながらお姉さんと話すのは苦痛でもある。急いでいる時は横ではなく縦に置きそうになってしまうこともある。だから、たまにお姉さんのことが邪魔に感じることもある。

男というものは、嫁がいようと、彼女がいようと、職場のたった一人の気になる存在(話したことがなくても)の理由で、次の人生の舞台へ移れないことがある。ただ時間だけが流れる。本当は新宿店への移動(栄転)の話があったり、自分の本当にやりたいことが見つかったりしても(寿司職人など)、お姉さんと離れるのが嫌だから、先延ばしにしている気配もある。かといってずっとここにいても、お姉さんと話すのは忘年会のときくらいだ(話すといっても車の話をするだけだが)。忘年会でとなりの席にならなかったら、来年の忘年会までチャンスがまわってこない。しかしその忘年会も、ここ二年連続でコロナのせいでなくなってしまっている。自分がここに居続ける理由はあるのか、いよいよわからなくなる。

お姉さんもお姉さんで、はやくどれか一つを選べばいいのに、しぶっている。しぶっているのか、なんなのかわからないが、結婚したい気持ちがあるのは確かであろうが、なんなのか。

お姉さんは、ただ女でいること、というより、ただ自分として、受付の椅子に座っていることにすべてのリソースが割かれており、アプローチまでいけない。それがお姉さんの良さでもあり悪さでもある。

もう12年。30も超えた。高卒採用。転職も難しいだろう。寿退社以外、道はないのである。

小生は半年に一回、車の点検のために来ているが、お姉さんの点検のために来ていると言った方が正しい。

昨今では、車と一緒で、女性も走れる距離が伸びたと言われている風潮があるが、お姉さんはもう十分走ったと思われる。小生の査定としては、お姉さんはもうここらが限界だ。

ワンピースでも、ゴーイングメリー号からサウザンドサニー号に乗り移ったように、海賊ですら、名を捨てて実を取る。

まぁ、二年に一回、車検費用として14万8000円を払っているのだから、小生にも言う権利がある。いわばネッツトヨタは、小生の金でこうやって12年の間、この恋愛劇を繰り広げているのである。忘年会も小生の金でやっている。

人気絶頂時に引退するアイドルのように、あるいは白雪姫のように、あるいはカーボン凍結されるか、結婚するか、小生の12年になる車とどっちが引退が早いか、有終の美を飾って欲しい。いつまでもネッツトヨタの展示品としてアクアの代わりに飾られていて欲しい。半年後、お姉さんがいないことを祈る。

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