岡本敏子「どうしてそんなに悩むんだろうと、朝起きて顔を洗うために鏡を見ると、イヤな憂うつな顔をしているんですって。外に出ると『いい気なもんだよ、あの若者は』って思われていたんだけど、すごい憂うつな深刻な顔をして、すべてをぶっ壊してやりたいぐらいイヤだったって言うんです。でもそれは仕方がないじゃない。それを突破する力はまだないわけだから。それでも、なんか自分の中に火が燃えているというのか、譲り渡すことのできない何かが燃えているという感じは持っているの。子供のときからずっと。でも、それがなんなのか、どうしたらいいのかが、若いからわからないの。非力だしね。
それでずっと悩んでいたんだけど、あるときあまりに苦しくて苦しくてたまらなくなって、映画館の中に入っちゃったんですって。暗い中で座って、映画なんか全然見ていないんだけど、チラチラ光が明るくなったり暗くなったりしている中で、じっと自分の中を見ていたので、「ああ、そうだ。この中に燃えているものを今まで守ろうとしていた。それを消すこともできないし、渡すこともできないし、なんとかこうやって自分の力で守ろうとしていた。だから弱くなっちゃうんだ」と思ったんですって。それで、「いいんだ。そんなものは消しちまえ。これからは絶対に守らない」と決意をしたの。それで、あれかこれかという二つの道があったとき、絶対危険なほう、死んじゃうほうを選ぶって、そのとき決意したんですって。
(中略)
おもしろいのよ。 いつでもあれかこれかというときは、マイナス、マイナス、マイナスってかけとおしていくんだ。かけるしかないんだ。でも、あるときふっと弱気になって、ちょっとこっちのほうが有利だというほうを一回選んじゃったら、今までのことが全部ガラガラと崩れるんだぞと言うの」
(中略)
昔から岡本太郎だったんじゃないの。岡本太郎は自分でつくったし。岡本太郎になったの。それ以降は全然迷いがないの。覚悟しているし確信犯だから、それは見ていたら気持ちいいわよ」
【恋愛について、話しました。岡本敏子✕よしもとばなな】より抜粋
結局全ては岡本太郎の受け売りだ。
自分じゃいくら考えてもわからなかった。人を見る上でいちばん頼りになるのが、その人の奥さんの評価である。どれだけ世間の目を誤魔化せても長年一緒にいる人の目だけは誤魔化せない。特に異性は。
だからもう人生が終わる頃になって、もう一度、何度でも、一緒になりたいと思わせられる男が本物だと思う。
岡本敏子「だって、本当に単純明快なのよ。美談でもないし恋でもなかったかもしれない。ただ、本当に好きで、好きで、好きで、好きで、なんでもやってあげたいと思うけどね。だって、あんな人いないんだもの」
50年付き添った人に、なぜこんな言葉を言わせられるのか。どんな偉人研究をしても、奥さんにこんな言葉を言わせている人間を見たことがない。
「私は同じ時代を生きたというのに、もったいないことに知識不足で岡本太郎さんをそんなに大好きというわけではなかった。かの子さんの小説を好きだったので、かの子さんの息子さんとしてとらえていた部分の方が大きかったと思う。しかし、妊娠してつわりがひどく、いろいろなものを見たり聞いたりしても気分が悪かった時期になぜか岡本太郎さんの本だけは読むことができたのだ。 不純物のないシンプルな文章だったからだと思う」よしもとばなな
これは、よしもとばななの岡本太郎評だが、小生も全く同じ感想である。もうどうしようもなく外部の情報をシャットアウトして、ひたすら自分だけと向き合いたくなるとき、どんな本も気持ち悪くて胃もたれを起こしてしまうが、岡本太郎の本だけは読めてしまう。むしろ、そういう時にこそ、読みたくてたまらなくなるのだ。この点においては、肥田先生よりも中村天風先生よりも、ヨガナンダ先生よりも、読めてしまう。自分の過去に書いたものを読み返すと猛烈に気分が悪くなってしまうのは、不純物ばかり混じっているからに他ならない。これからは、本当のことを単純な形でしか表現しない。
岡本太郎は、感動したのなら越えなければならないと言っており、そしてピカソを越えたと話している。とうぜん俺もそのピカソを越えた岡本太郎を越えなければならない。「明日の神話」は、モニター越ししか見た事ないから言うのもあれだが……、信じられない絵である。
※
思考をずっと見つめていたら分かったことだが、思考もマインドも否定的な言葉しか出てこない。しかし、瞬間的にふっと降りてくるものは、全てプラスだ。
例えばどこからか、(あー今日はドトールの店員に自分からおはようございますって言ってみようかな)という閃きが降ってきて、その後、やっぱりいいか、どっちだって結果は変わらないし、これまで充分やれてきたんだから、それでいいやと思う。脳は現状維持をひたすら選びたがる。そういうふうに作られているのだ。考えること、思うことは、すべてマイナスだ。それは、ポジティブの皮を被ってやってくるからまたたちが悪い。もっと言えば、いいわけしか造り出さない。
だから、その現状維持の方を選びたがる脳や心の性質に対し、その訪れたひらめきとの差分だけ、不安が生まれるらしい。どうやら不安の正体とは、その差分のことを指すように思えてならない。
不思議なのは、どこから? なぜ自分から「おはようございます」って声をかけようというその声はやってくるのか? これはどこからやってくるのか? 天の声? 自分の声? 自分の本当に望んでいることだから? 潜在意識? 自己の完成のために神がその人に必要なものとして送ってくるのだろうか?
これは一瞬一瞬だ。部屋で一人で過ごして終わるような日においても、いつもこの声がやってきて、そしてこの声に反駁するような思考が次にやってくる。そしてそれらが戦って疲れて寝てしまう。
しかし、もう考えすぎて、苦しくなってきて、もうここしかないんじゃないかと思った。
すると不安がなくなった。よく眠れるようになった。もう考えたってしかたがない。危険な方に飛び込み、飛び込み続けていたら、考えるなんてことはなくなってしまう。
人というものは、どういう形であろうとも、どれほど少なかろうと、何らかの喜びや楽しみがなくてはすまないものだ。苦しみの最中にあってさえもそうなのだ。俺は不安を手放したいと思いながら抱きしめて離さなかった。
生きていれば、こっちから探し求めなくても、向こうから、たくさん、たくさん危険な信号を送ってきてくれる。それはもう一日にたくさんだ。ただそれに飛び込み続けるだけでよかったんだ。これが俺の求めていたものだ。考えると、次の波に乗り遅れてしまう。小さい波だろうが大きい波だろうが、それはこちらにはお構いなしに、すぐにやってくる。
じゃあ、俺は結局どうすればいいか。ただプールの飛び込み台に立って、いつでも飛び込める準備だけしておけばいいんだ。ピー! と笛が鳴ったら飛び込む。それだけでいいんだ。
自死。心を殺したいと思っていたが、殺せなかったのはそういうことか。心を守ろうとしていた。生きることも死ぬことも変わらない。逆説的だが、死ぬことによって生きられる。これしか心を壊す方法はない。
今を生きる、瞬間を生きるとは、ずっとわからなかったが、これに違いない。
沢庵が言っていた、「放心を最上とす」と一致する。
山岡鉄舟の話がどうもずっと気になってて、冒頭の敏子さんの岡本太郎の語りと比べてみたら、やっぱり同じだった。
「商人のはなしから悟る」 山岡鉄舟
ある日わたしの書がほしいといって訪ねてきていた豪商の某氏が自分の経歴を語って聞かせてくれたなかで、ひじょうに興味深いはなしがあった。
「世の中というのはおかしなものですなあ。 自分でも不思議に思うのですが、ほんとうに貧しい家に生まれたわたしが、いまでは思いがけず巨万の財産をつくっているのでありまして、これはまったく案外のことと思えるのです。
ただし、わたしが若いころの経験のうちで、ただ一つ貴重に思っているのは、四、五百円の金ができて商品を仕入れたのはよかったのですが、なんと物価は下がり気味だという評判なのです。そこで、早く売り払ってしまいたいものだと考えていると、知人たちはわたしの弱身につけこんで安く買い叩こうとかかるものですから、わたしの胸はドキドキしてしまい、そのために気持が浮き足だってしまって、ほんとうの物価の事情を知ることができないようになってしまいました。あれやこれやと迷い、すっかりうろたえてしまったのです。
そこで、わたしはすっぱりと決心を固め、どうにでもなれと放っておきました。そのうちに、商人たちがやって来ては原価の一割高で買うというのです。今度はわたしのほうが一割高ではいやだとつっぱねたのですが、それではもう五分だけ増そうと買い値を上げてくるではありませんか。
そこで売ってしまえばよかったのですが、欲を出して、もっと高く、もっと高くと思っているうちに、最後は原価より二割以上も低い値で売るという結果になってしまいました。
わたしが商いの気合というものを知ったのは、これがはじめてのことだったわけです。思いきって大きな商売をやってやろうというときに、勝ち負けや損得にびくびくしていては、商売にならぬものだとわかったのです。つまり、これは必ず儲かるぞと思ってしまうと、ドキドキするし、損をするのじゃないかなと思うと、自分のからだが縮むような気分になるのです。そこでわたしは、こんなことで心配しているようではとても大事業なんかできっこないのだと思いなおし、それからというものは、たとえどんなことを計画するにしても、まず自分の心がしっかりしているときにとくと思いを定めておき、いざ仕事にとりかかったときには、あれこれはいっさい考えないようにして、どしどし実行することにしてきたのであります。その後は、損得は別にして、まずは人前の商人になれたものと思って今日までやってきたわけです」
このはなしを、前に述べた滴水師がわたしに示した「両刃鋒を交えて避くるを須いず」という公案の語句と照らしあわせ、また自分の剣道と関連させて考えてみると、簡単にはいいあらわせないような真理を感じるのであった。それは、明治十三年三月二十五日のことである。
【山岡鉄舟 「剣禅話」 高野澄 編訳 より抜粋】
いいからはやく飛び込めって? わかったよ!(笑)