女に「お前」と言うべきかどうか悩むところだろう。
あの、はあちゅう氏ですら旦那にお前呼ばわりされているらしい。今人気の旦那観察日記で、その様子が散見される。
はあちゅう氏と言えば、そこらのブロガーとは格式が違い、ブログの記事だけで終わってなるものかと、小説を数冊上梓し、作家という肩書きに執着しては文章の奥へと突き進んでいこうとする野心家の女性である。
そんなはあちゅう氏ですら、お前と呼ばれることに恍惚を感じるらしい。
ホストのドキュメンタリー動画を観ていると、大体のホストが客の女に対してお前と言っている。酒をついでやったり、タバコに火をつけてあげたり、そういう気配りはちゃんとやるくせに、呼ぶときは「お前」なんだなと笑ってしまう。もちろん、初対面で「お前」とは言わないだろう。信頼関係があってこそだろう。
ワンピースでも、ハンコックのような格式高い女ですら、ルフィにお前と呼ばれて喜んでいた。
ほとんどの女が、男に「お前」と呼ばれるのを嫌だと言う。しかし、そういう女こそ、真実はお前と言われたがっているようなのだ。
どうでもいいモヤシみたいな男にお前と呼ばれるのは死ぬほど腹が立つようだが、ダヴィデ像のような屹立してそそり立った男にお前と呼ばれる分には嬉しくなるらしい。だがこれも、いきなり初めからというわけでもない。信頼を結んでからだ。
実際、本当に男らしいかは置いておいて、とりあえず男らしく見えるかどうかが大事らしい。
昔、俺は花火大会でナンパをしまくったけど、全く釣れなかったことがあった。釣っていくのは、会話が上手いとか下手とか、女の心理把握に長けてるとかでなく、男として屹立しているかどうかということだった。
バックミュージックでEXILEが流れていそうな、肌が黒くてトマホークステーキをかぶりつきそうな、黒の小さめのタンクトップが似合う男が、どんどん釣っていった。
大した会話はしてない。そいつから発揮されるオーラが、今まで男としてカースト上位を歩んできたと言わんばかりなのである。女は、そのオーラに惹かれてしまうようだった。
女は強い男を求めている。それはずいぶん昔から絶対の真理として屹立している。遺伝子でそういう電子配合がされているのだろう。
俺の友達で、出会い系を攻略しまくっているチビがいるけど、日が経つごとにどんどんどんどん男らしくなっている。
そいつは病院に務めているけれど、患者の家族に対しても「俺は」とか言い出す。いかにも自然に出てしまって、俺はもともとこういうキャラなのでしょうがないみたいな体裁なので、誰も何も言えない。
コンビニで店員からお釣りをもらうときも、店員の手の距離が遠かっただけで、「俺の手に触りたくねーんねら、ここに金おけよ!」と怒号してテーブルを叩きつけたこともある。一緒にいた女が泣きながら(女はこういうとき理由もないのに感極まって泣き出してしまう)、メスの臭いを発奮させながら、そのチビの後ろをくっついて回っていた。
女は、大きい声で威圧的な態度をした男を見ると、どうしても子宮が反応してしまう生き物らしい。DVする男はモテるし、不良やヤンキーやヤクザはモテる。
そんな男を、口や頭では嫌とは言っているが、一度どこかで心を許したあとは、オラオラ系になられることで、一気に好感が加速されるように思われる(笑)。
それなりに筋肉質でバッファローボブスの黒い小さめの T シャツを着て、少し穴が開いたディーゼルのジーンズを履いて、腕時計をしていれば、子宮が反応するようだ。
そんなコテコテのナンパ野郎みたいなファッションを見ると、こういう男だったら口説かれてもいいと思うらしい。
なよなよした男に口説かれて抱かれるのだけはどうしても嫌なのだ。自分の品格が落ちてしまったような気がするし、よそよそしく性器の蓋を開けられるほど、惨めな気分を覚えることはない。
俺のアドレスにナンパ千人斬りの男のメルマガが毎日届くけど(笑)、いつもこんな空白ばかりのポエム的でギラギラしていて笑ってしまう。ナンパ師の全員が全員こんな調子の文章なのだ(笑)。
出会い系攻略ブログのライターや本の著者もこういう頭の悪そうな文体を取るので、わざとこういう体裁をしているんだろう。
「生まれつきこんな感じですけど?」「俺はこれが普通なんで」「肉食いてー」「ライブ行かない?」みたいな、ナチュラルテイストでオラオラ系を醸し出してくるので胃がもたれてしまう。
俺の友達のチビも昔はこんなじゃなかったのに、出会い系をやり過ぎてこんなのになってしまった。モテ道を極めようとするとこうなってしまうのか。
そうなるのだ。モテ道を極めようとする人間はみんな決まってこうなるし、俺もいくらか染まってしまった部分もあった。
それはやはり、女がオラオラを求めているからだ。
男の方も、「お前」と呼ぶのは勇気がいるのだ。慣れても勇気がいる。初めはおっかなびっくりだ。だが、それでも無理して乗り越えて、女の心の奥にある欲求を果たさんと旗を上げるのである。