オタクというのは美女をいじめてばかりいる。一般的には美女がオタクをいじめると思われるかもしれないが、実際はオタクが美女をいじめる。
オタクは授業中に美女がくっちゃべっていたら鬼のような形相で睨む。クラスの男子がどれだけ騒ごうが気を許すが、美女が少しでも雑音を口にしたら、ノートを取っているシャーペンの芯をボキッと折って睨む。そんなに授業を大切にしているなら、もっとテストの点数が高くてもいいはずだが、美女よりも点数が低いことが多い。
オタクは性欲の権化のように思われているが、実際にオタクが鼻の下を伸ばして目の前の女性にデレデレすることは少ない。アイドルの握手会のようにぜったいに裏切られないことがわかっている場合はデレデレするが、職場や学校では決してデレデレしない。むしろ女性が短いスカートを履いていたりすると、下品なものを見せないでもらいたいと、風紀委員長のような顔をして睨みつける。
美女も、お尻を触られたら、「気持ち悪い、こっちくるな!」といえるけど、正当な理由で自分の過失を指摘されたら怒れない。女性は公然に人に迷惑をかけてしまったとき、男よりずっと反省する生き物だから、オタクはそこを突くのである。
オタクはこのためのポジション取りの知識を備えており、ボクシングでいう、自分の攻撃だけが当たり、相手の攻撃が当たらない場所を取ることを心得ているため、美女は何もできない。
美女がタバコをポイ捨てしてくれたらこれほど嬉しいことはない。ポイ捨てしてくれてありがとう! これで心置き無く睨みつけることができる! と、内心ではとても嬉しがりながら、凄まじい顔で睨みつける。直接怒号を飛ばすことはない。
これが彼らの復讐方法だ。しかしオタクがマナーを守るのは美女の前だけである。
自分が相手にしてもらえない怒りをこのようにしてぶつける以外に方法がない。お尻を触ったり、夜道を襲ってしまったら負けである。そもそもオタクは美女に対して性欲を持っていない。復讐心が性欲を上回ってしまっているのである。人は自分を嫌う人間に欲情しない。性欲と怒りは同時に成立せず、だから怒りに専念することができる。
美女はオタクを気持ち悪がるよりも怖がることが多いが、その怖さは、このオタクの復讐心を肌で感じるからである。
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小生の高校時代のオタクは、休み時間になるとピアノの楽譜を取り出していた。皆がトイレにいったりクラスメイトと話している間、ずっと楽譜を眺めていた。
なぜ楽譜? と思うだろう。彼は近々ピアノのコンクールがあるから、たった10分の休み時間も犠牲にできないというような忙しそうな顔をしていた。
彼は世界史の授業のとき、教師からナポレオンについての問題を指名され、それは一言二言で答える類のものだったが、1分ぐらいずっとナポレオンについて語り出したことがあって、それ以来、あだ名が『ナポレオン』になった。
ナポレオンが音楽をやっているという話は聞いたことがなかった。吹奏楽部でもない。いつもまっすぐ家に帰るだけである。
ナポレオンは、楽器などなくても、楽譜さえあればいくらでも脳内で音楽を鳴らせるというような顔をしていた。たまに楽譜さえも見ないで目を瞑って腕を組み、指先をトントンしながらリズムを取っていることもあった。今でいう、あいみょんや髭男などのJ-POPは音楽として認めないという巨匠のような佇まいがあった。
もちろん、休み時間だからクラスの女子たちは騒ぐ。確かに授業中ではなく休み時間だったが、ナポレオンは神聖な時間を邪魔されたというように、怒った顔をしてカバンから大きなヘッドホンを取り出して耳に装着した。
頭の中に音楽が流れているはずなのに、別の曲が流れても大丈夫なのか。それとも楽譜と同じ曲なのか。どちらにせよ作業に集中できないようで、キッ! と何度もクラスの美女を睨みつけていた。ほとんどすべての人間がうるさくしていたにも関わらず、美女に対してだけ睨んでいた。
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友人にこの話をしたら、友人は、「欲からきている」といった。
「うちの職場(理学療法士)のオタクは、施術中に寝るし、仕事中にトイレにいくと30分は帰ってこないし、休憩中もリハビリ室のいちばん高価なウォーターベッドで全身ウルトラマッサージモードをフル活用して寝てる。休憩時間をめいいっぱい使うために昼飯を食べず、12時00分になるとまっすぐにウォーターベッドに向かっていって、きっちり13時00分まで寝る。いつも夜遅くまでゲームをしているから、昼休憩時間を就寝時間にあてているみたい。まあ、施術中も寝るんだけどね。休憩室に置いてあるお菓子にいちばん早く飛びついて、せんべい、スナック菓子、クッキー、チョコレートって感じで、塩っ辛いものから甘いものの順で攻めて、最後は飴玉を3つくらいポケットに忍ばせて、マスクで口元が見えないことをいいことに、リハビリ中にいつも飴を舐めてる。お菓子棚を見ると、なにをどういう順番で食べるか、すごく緻密に計算してる顔をしてる。そして実際にその通りに遂行するよ」
小生は「ふーむ」と答えた。
「いちばん卑怯だと思うのが、人間関係が不得意ということを理由にして、いくら注意しても仕事のミスを直さないことだね。本人は直さないんじゃなくて直せないっていうスタンスだけど。自分はオタクで人付き合いが苦手で、こういう性格だから仕方ないから大目に見てくださいって態度でいる。お菓子の食べる順番を考えているときの顔は、すごい怜悧で注意力が働いてるんだよなぁ。あの注意力をもってすれば、仕事が覚えられないはずがないんだよ」
「人にはその人が本当にその仕事ができるかできないか見極められる能力があるからね」
「そうかもね。楽天のお買い物マラソンのポイント還元の計算はすごい得意なんだよ。これをこういう風にこういう順番で買ったらポイントが2万貯まりましたって、いつもスタッフルームで自慢してる。それができるんだったら、ぜったい仕事もできるはずなんだよ」
「ふーむ」
「そのオタクは森田さんっていうんだけど、41歳の人でね。仕事が終わると、病院の売店で、シャンプーやら歯ブラシやらの日用品と、1000円分ぐらいのお菓子を買って帰っていくんだよ」
「病院の売店で?」
「そう。ちょうど売店はスタッフや患者さんが行き交う大広間にあって、森田さんが買い込んでいる姿が患者さんに丸わかりなんだよ。自分の担当患者さんにも目撃されてる。患者さんは、つい数分前までリハビリをしてくれた自分の先生が、買い物カゴの中に山のようにお菓子をつぎ込んで行く姿を見てどう思うのかね?」
「ふーむ」
「森田先生、リハビリになんて興味ないのかな? さっきまでリハビリしてくれたのは仕事だったからなのかな? 私よりお菓子の方が興味ありそう。はやく帰ってそのお菓子食べたいんだろうな。私の病気よりお菓子の方が気になるんだろうなって、思うことになりそうじゃん?」
「確かに。ってか、そんなにお菓子が好きなら、スーパー行った方がいいだろ」
「その時間はスーパー混むだろうし、寄るのも面倒だろうしね。一直線に家に帰って、はやくゲームやりたいんだと思う」
「そこまで計算してるわけか」
「なんていうか、宅配便の山に囲まれて部屋で寝っ転がってピザを食いながらゲームしている時間が長すぎて、それが身体に染み込みすぎて、職場でも抜けきれてない感じ」
「ふーむ」
「だから、なんだっけ、ナポレオンだっけ? そいつも女に声をかけてもらうだけじゃ満足できなくて、『楽譜読んでるなんてすごいね!』までいってもらわないと満足できない身体になっちゃってたんじゃないの? 本当にオタクって欲が深いもん」
「なるほど」
確かに、総じてオタクというのは物欲が強い。物ばかり買っている。
「買い物カゴの中にノータイムでお菓子が詰め込まれていくあの感じ。あの独身が板についてる感じはすごいね。41歳のありのままの日常というか、森田さん、サンダル履いてるから余計に生活感が出るんだよなぁ」
「ふーむ」
「さすがに売店でお菓子を買い込むのはやめてくださいっていえないじゃん? だからみんな黙認してるんだけど、患者さんは、森田さんがお菓子を買い込んでる姿をすごい顔して見てる。歩行器を止めて、じっと見てる。その歩行器も森田さんが用意したやつなんだけど」