霊的修行

俺の修行がもう少し早く完成されていれば、このような高校生活を送れたのに。

9歳ぐらいの時、山岡鉄舟の「剣禅話」、宮本武蔵の「五輪書」、「天狗芸術論・猫の妙術」を読み込む。古典だけでなく、現代からの視点で武道の深奥について書かれた宇城憲治の身体脳についての本を数冊読むことで、どんな方法で修行していったらいいかを明確にする。

 

お母さんに60kgのサンドバックを買ってもらって、1日1時間はサンドバッグを殴り続ける。これにより、敏捷性と柔軟性を重視した実践的な身体作りができるようになる。

サンドバッグは、脱力した状態で、体重を上手く拳に伝える殴り方で殴る。いくら武道の本を読み込んだところで、さすがにこれは子供には難しい。子供ほど力んでしまう生き物だから脱力は会得しずらい。だが、拳を握らず、サンドバッグを押すようにして殴ることで、ふと自分の体重がサンドバッグに浸透された感覚を覚えることがたまにあるだろう。そこからヒントを掴んでいく。

お母さんに懸垂スタンドを買ってもらって、自重トレーニングを行う。マシントレーニングやウェイトはさすがにこの時期尚早だし、無理だ。

毎日のメニューは、腕立て伏せ120回(30回×4セット)、懸垂は50回(10回×5セット)、ディップス50回(10回×5セット)を行なうが、さすがに9歳には無理なので、できる範囲から始める。僅かに肘が曲がる程度の腕立てでもいい。だが、必ず9歳ごろから始める。小学校卒業までには全て達成できるようになればいい。

植物はたくさん肥料を与えると、でかくなるというから、同じ理屈で、子供もたくさん食べればでかくなるかもしれない。とにかくたくさん食べる(ただし、植物の場合は肥料をたくさん与えると、見た目は大きくなるが中身がスカスカになるという)。運動で血流が促進されることも手伝って(股関節の股割り等のストレッチも並行に行なう)、中学3年生のときには178cm、65kgの体格を得ることになる。

高校からウェイトトレーニングをやり始める。といってもベンチプレス80kg程度で終わらせてしまう。固くて短い筋肉はあまり実用的ではないし、見た目も不自然にモリモリしていると気持ち悪い。基本的にはサンドバッグのトレーニングを重視する。高校では80kgのサンドバッグ(新しくお母さんに買ってもらう)を1日2時間程度殴っていればそれで十分だ。しっかり振り抜いてサンドバッグが大きく揺れるようにパンチする。それで体幹は太くなるはずだ。

高校生の頃には身体は大体完成され、182センチ、70キロになる。これくらいがスリムで一番見た目はかっこいいだろう。サンドバッグ打ちを中心に鍛えたので、鋭利的に引き締まっていて、亀田興毅がおっきくなったような身体になる。

もちろんモテる。絶対に喧嘩で負けないし、体格のいい奴でも、「あ?」とか言って見つめ合ったり、胸ぐらを掴むしかできない連中の中、俺だけはさっさと殴って喧嘩を始めることができる。学校カーストの中でトップで、武道を通じて傑物の風格も醸し出すことができる。

 

昨今は、不良はめっきり減ったし、喧嘩が強いことがステータスにならないように思われるかもしれないが、結局は男社会というものは喧嘩が全てだ。特に俺が通うのは進学校だから、学校では「フィッシャーズ」や「ハイキュー!!」の話で盛り上がってナヨナヨしている連中ばかりだが、そんな奴らでも、本能をサブカルチャーで狂わせられてるだけで、内の秘めた真実の部分では、喧嘩が全てだということをわかっている。

 

瞑想も朝と寝る前に毎日1時間やっているので、心の鎮め方をわかっており、どんな問題にも全て応じることができてしまう。

中村天風の「運命を開く」を読んでいたこともあり、自然界にはプラスの気とマイナスの気の二つだけで成り立っていることを知っていて、常にプラスの気しか持ち合わせないようにする。子供特有のいじけたり、拗ねたり、女々しさがないので、とてもいいオーラを常に放っている。

また、ニール・ドナルド・ウォルシュの「神との対話」も読んでいたこともあり、人間の感情は「愛」と「不安」のどちらかが派生させたものしかないことも知っているので、「愛」側に常に立とうとする。

精神的にはこの二つの本と、岡本太郎の本によるところが大きく、一ミリも消極的な気持ちに侵されことのない理想の心でいることができる。心の原点というものを感知し、そこから離れず気を鎮めることができる。

瞑想しながら授業を受けているので、勉強はまったく問題なし。高校と大学はもちろん費用がかからない県立か国立だ。

高校一年の頃から、英語の勉強だけはやっておく。英単語は単語帳でなく、長文から習得する。毎日一つの長文はやる。もし仮に私立を受験することになったときは、世界史でなくて政経を選ぶ。

 

 

 

いざ喧嘩となると、右ストレートか左フックで相手の顎を揺らすのが得意の戦法となる。拳で顎を殴ると痛いし怪我をするので、平手打ちで、押すようにして殴る。サンドバッグを通じて体重を浸透させる技術は慣れているのでお手のものだ。何をすればいいのかわかっているのは大きい。これが、さきほど言ったすぐに喧嘩を始められる理由でもある。

街で不良に絡まれても、「いいからはやくやるぞ、ついてこい」と自然体の口調で言える。たとえガタイのいい喧嘩自慢男だとしても、いざ喧嘩を始めようとすると無駄に声を荒げたり、動物的になってしまう。その点、俺はこれから風呂に入るかのように自然なのだ。これには俺の近くにいた友人も相手もびびってしまう。

 

俺は「ここじゃ迷惑だから場所を変えよう」と言う。相手は、俺の余りに冷静な運びや、場所を変えられて喧嘩を止めてくれる人が周りにいなくなってしまうという思いで内心プルプルしているが、逃げるわけにもいかないので「おう」と言う。俺は相手に背を向けてゆっくり歩き出す。その無防備の後ろ姿を殴ってしまおうかと相手は思うが、進化する前のポケモンのようにプルプルして動けない。場所を変えた途端、俺は相手の学ランに着いたゴミを取ってあげるかのように、普通の速度で歩いて近づき、顎にめがけて左フック(平手)でワンパンKOする。

 

近くで見ていた友達に、「どうして左手なのにそんな力が出るの?」と驚かれる(武道未経験者は体重を相手に伝えられれば、利き手じゃなく前に出ている手足で攻撃してもダメージを与えられることをしらない)。

「ちょっと体重をうまく伝えただけだよ、誰にでもできる」と言い残して帰宅する。

翌日、さっそく学校で「え? 左手で!?」「あいつ右利きだろ??」「マジかよ、左手でワンパンかよ」と音速を超えてクラスメイト達に広がる。

 

 

部活は野球をやる。

バットのスイングも、みんなが腰の回転を意識してブンブン速く振ることばかり意識している中、俺は極めてゆっくりのスイングをする。

バットは無理して速く振ろうとすると、本来の軌道の力を失って、返ってボールが飛ばなくなってしまう。これはボクシングのパンチからハンマー投げまで全て同じ理屈だ。軌道を保って振り抜けばいいので力は必要なく、片手でも十分にホームランを打てる。

 

ちょうど一番体重が乗るところでしっかりボールを当てられるようにして、力を抜いて大きくゆっくり振るようにする。

振り始めはコンパクトに小さく、振り終わりは大きく伸ばすようにする。この辺りはボクシングと一緒だ。バットは背中まで回るといい。

「なんでこんなゆっくりに振ってるのにホームラン打てんだ!?」「片手で打ってたぞ!!」「コーチに言われたやり方と全然ちげぇ……!」と驚かれてしまう。

 

 

女にももちろんモテる。

 

顔の造形もかっこいいのだが、瞑想や修行から培った不動心の境地が、顔に表れている。後光が射すような表情で、優しく穏やかでありながら、自信に溢れている。

心の原点に即しているので、自分のフィルターを通して穿った見方をすることがなく、特別に何もしていないのに、相手の心が全て透けて見えてしまう。相手が今何に困っているか、当の本人ですらわからない問題を言い当ててしまう。

心の一番静かなところで会話して、妙に品が良く、心地よさを与える。心の一番静かなところで繰り出される笑顔というものは、人格が未成熟な彼らにとって希望になろう。ちなみに、この頃の俺のあだ名は「先生」だ。

高校生の男子はノリで会話することが多く、動物が鳴いているようなコミュニケーションしかとれない。同じ世代の人間から見てもやかましく、また、すぐに拗ねたり、ニヒルやアンニュイを持ち出してかっこつけたり、「俺からはぜってーLINEしない」と強がったり、漫画のキャラクター(特にゾロ)を真似することに注視して、自分にしか意識がいってなかったり、ほとんどがうまく女子と話せない中、俺はスゥゥ縲懊€懊€怎bと女子に近づいて、仲良くなってしまう。

 

ゾロになりたがっている男に対しても、「なんだか立石、ゾロに似てない?」と言ってあげたり、彼らの一番言ってほしい言葉を言ってあげるので、男子からも人気がすごい。

多くの男子は、一生懸命がんばってもモテないが(女子の気をひきたくて、女子から見える位置で馬鹿騒ぎしているだけw)、俺は女子の話を聞いてるだけで全然話さないのに、モテるので不思議に思われてしまう。

 

 

 

そして、俺は、学年のほとんどの美少女とセックスすることになって大変なことになる。

十代の男子は処女崇拝を通り越して、好きな子が違う男と会話しただけでビッチとしか思えなくなってしまう。

 

会話どころか、学校のほとんどの美少女とセックスしてしまったので、みんな学校に行くのが嫌になってしまう。

多くの男子が俺に敵意を持つが、当然、俺に喧嘩で勝てるわけもない。

さすがに孤立することになるが、俺の精神は地球より大きく出来ているので、特に問題もない。

 

授業中、天井を突き破りそうになるくらい浮いてしまうが、何事もないように一人で弁当を食べる。

 

返ってこないのに、すれ違う学生に挨拶をしたり、「起立、礼、着席!」と号令も力強く発生する。体育の時間、ペアになって組体操することになって、誰もペアを組んでくれないが、心は何も動かない。本当に何も心が動いていないことがクラスメイト達に伝わり、びっくりされる。

 

「なんで1人なのにあんなに悠々としてるんだ?」「見たか? いつもと変わらない表情で校門潜ってやってきたぜ」「これは、俺らがハブいてるんじゃなくて、俺らがハブられてんじゃね?」と勝手に迷走する。

 

学校生活でぼっちほどキツイものはないが、それを全く何事もないような顔をして過ごすと、周りはどうしていいかわからなくなってしまう。

 

ここで、惨めな子羊のようなどんよりした顔で過ごしていると、例え仲直りしても、彼らの下に位置することになってしまう。あるいは、怒って鉄拳制裁に出ても、「ハブられると殴るのかよこいつ」と器が小さいと思われてしまう。

 

孤立すると、どんなに心が強い人間でも、苦しい顔がちらりと見えてしまうし、クラスメイト達はそれを発見しようと面白おかしくするが、どこを探しても見つからない。当然だ。演技をしているわけでなく、本当に心から寂しいと思っていないのだから。

 

そしてクラスのリーダー格が話しかけてくる。

 

「先生。マジですげーよ、悪かったよ、ごめんな」

「別にいいよ」

「怒ってないのか?」

「怒ってないよ」

「でも女は喰うんだろ?」

「喰う」

 

そして俺はクラスの男子に認められながら、「女子高生の食い放題コース←無料」に突入することになる。

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