世の中には「ランチ」と言う女がいるが、「ランチ」という言葉を使うのは本当に恥ずかしいことだ。
どうして普通に「お昼」とか「お昼ご飯」と言えないのだろうか。
ランチいう言葉、響きに対して違和感だったり気づきがない人間は、頭が悪いしセンスもないし言語感覚がないし大喜利も弱い。世界に対する洞察力がないと言わざるを得ない。
こういうちょっとした言葉。流行りと言うか慣習と言うか、新しい言葉にすぐ流されてしまったり、リア充とか。草生えるとか。パチンカスとか。それはまあいい。
草生えるを日常で使うのはちょっと恥ずかしいし、ヤンキーの事をDQNというのも恥ずかしいことだ。
ランチはその中でもかなり恥ずかしい言葉だが、使う人は結構いる。
どうしてランチはこんなに恥ずかしいのか。これは感覚的なものだから伝えるのは難しいが、分かる人には分かる。使わない人は絶対に使わない。
男の方がこのあたりの感覚はわかっているようで女に比べて使わない人は多い。
あと笑いのことをユーモアとかいうのもやばい。
「ユーモアがどうのこうの縲懊怐vと言っている人間を見たらやばいというのは分かるだろう。こっちが恥ずかしくなってくるだろう。
こういうところに気づくのは、数学的な能力よりも文学的な勘が必要になってくる。
夕食行く時に、ディナーに行こうなんて言う奴がいたら気持ち悪いだろう。
朝ごはん食べに行く時にモーニング食べに行かない? なんて言われたらそいつの神経を疑うだろう。殺したくなるだろう。
人生に対する勘。感知能力が低いと、ディナーやモーニングを口にしてもなんとも思わなくなってしまう。これは恐ろしいことだ。こういう人はどこでどうやって生きても、全てにおいてセンスが悪い。
ちなみに俺はこういう部分が著しく発達していたせいか、飲食店のバイトで苦労した覚えがある。
・お盆のこと絶対トレーと言わない。
・布巾のことを絶対ダスターとは言わない。
・スパゲティのことをパスタと言わない。
それでよく怒られた。
潜在的に海外の文化を取り入れるような、周りをファッションだったりシャレオツで固めようとする人間の見栄っ張りな部分が健在された感じが嫌なのかもしれない。
普段日常で使う言葉をわざわざ充実したような言葉で言い回して、人生をきらびやかに演出しようとするつまらない試みだ。
語感の自然さを切り離してでも、会得するべきものだろうか。
これは俺だけじゃなく、周りの多くの人がこういう感覚を持っていることが俺にとって救いだ。
10代の女の子がランチと言ってるぶんには可愛いが、20代後半や30代で言ってるのを見ると、胃がもたれてしまう。血液が逆流してしまう。セクハラなのでやめてほしい。
ダイレクトでランチと言うか、一周回ってランチと言うかで変わってくるが、一周回って言う分にはいいが、一周回った人間はランチなんて絶対に言わない。
10代の女の子達がランチと言う分には、気持ち悪さを覚えないのはなぜだろう。
20代後半の女がランチと言っていると、一生懸命若い文化を追いかけているようで痛々しい。いや、若い文化を追いかけようとしてない。自然と染み付いた言葉として口にしている。世界の終わりだ。本当にこっちもこの世の終わりな気分になって。気持ち悪くなってしまうので本当にやめてほしい。
ここら辺は笑いのセンスと直結しているんだろう。女の方が笑いのセンスは圧倒的にない。
それはひとえに鈍感さからきている。
女は女らしく、女子力だけに傾注して自然にキャピキャピしてればいいと思っているので
笑いのセンスを磨くことをしないからだ。
勉強やスポーツもあんまりできすぎると困るし、どんなものでも、ある程度のところで研究するのを止めてしまうから鈍感になってしまうのだ。
だが、美だけは違う。美だけは命がけで探求している。
しかしいくら美が整っても、「ランチ」と言ってしまった時点で、たかが知れた女なのである。