結婚した夫婦はとにかく子供を溺愛する。
もしこの世に確かな愛があるとすれば、母親の子供への愛情だけだ。
父親の子供へかける愛情に比べ、母親のそれは圧倒的に強い。それは動物の世界を見ても明らかだ。
父ライオンのあっけらかんとふらふらしている姿に比べ、母ライオンの、子供に川の渡り方を教えている姿はいつ見ても涙を禁じ得ない。
自然に忠実な動物の世界でこうなのだから、人間の世界でもこうなるのは当然かもしれない。
子供が生まれると、子供を愛さずにはいられなくなる。子供ばかりに目が行くようになる。そうなると、パートナーへの対応がおろそかになってくる。手抜きになってくる。家庭は子供中心になる。漂う生活感。色気などどこ吹く風だ。
子供を愛すのは簡単である。だがパートナーを愛すのが難しい。
子供に比べて、大人は理屈っぽく、めんどくさい、ちょっと相手をするだけでも神経を使うので疲れる。
その点、子供は悟ったところがなく、動物のように愛しやすい。だから愛しやすい方ばかり愛してしまう。愛するのに労力の要るパートナーは後手になる。
そのままずっと後手になり続け、その後手の中に愛情は埋もれてしまうことになる。
気持ちではパートナーを大事に思っていたとしても、結果として形に現れなくなってしまう。そこにすべての不幸の原因がある。
たんに初動の問題。構いやすさ、手のつけやすさの問題なのだ。
そうやって習慣ができあがってきてしまうと、ついに愛そうと思っても愛せなくなってしまう。
子供を愛すのは、いいお父さんやお母さんの条件みたいになってるけれども、あんまりパートナーの前で、子供を愛しすぎてばかりいると、パートナーから反感を買うものである。
大体、子供がいない夫婦の方が仲がいい。
子供を愛すのは大事なことだが、構いすぎるのはよくない。子供は放っておくのがいちばんいい。
環境だけ用意させておいて、後は好きにやらせておく。生まれたての子鹿みたいにエネルギーが爆発しているのが子供だ。子供が号泣して生まれてくるのは、この例えようのないエネルギーが爆発しているからである。
大人は、それを思う存分爆発させてやればいい。それが大人の唯一の仕事だ。教育などそれしかしようがない。
常識も覚えないとやっていけなくなるときがきたら、自ずと勝手に覚えるようになる。だから大人が子共にできることはなにもない。
子供は親の背中を見て育ち、勝手に生き方を真似る。だから親はお手本の生き方になるように、ただ自分のことをしっかりして生きればいいのだ。
夫婦がやることといえば、パートナーに愛をそそぐことだ。子供じゃなくて、妻や夫に愛をそそぐ。それが家庭における唯一の仕事である。
子供を愛しすぎた故に家庭が崩壊することはあっても、パートナーを愛しすぎた結果、家庭が崩壊することはない。
どれくらい気をつけていても、子共の方ばかり愛してしまうから、常にパートナーを見ているだけでいい。
むしろその方がパートナーはもちろん、子供も喜ぶ。
家庭の不和をいちばん感じとるのは子供で、子共は親が仲良くしているかどうかよく見ている。二人の仲がいいと誰よりも嬉しがる。
パートナーを愛して、たくさん愛して、その溢れた分を、子共に与えるのがちょうどいい。
小生は結婚したら、なるべく子供の相手はほどほどに抑えて、パートナーの方を大事にしたいと思っている。功を奏すかしらないけどね! わは! わはははは!
大人も大きな子供なのである。やっかいな、大きな子供なのである。