印刷工場で働いた体験談

印刷会社の工場で2年働いた俺が、工場の劣悪環境について語る

信じられなくて笑ってしまうが、このご時世に、いまだに印刷会社というものが存在している。馬鹿にしつつも、俺がそこで2年間働いたことは、もっと恐ろしいことである。

俺が印刷工場で行った仕事の内容といえば、「封入封緘」といって、封筒の中に紙をいれる機械の操作をすることだった。

機械に封筒をセットして、パカっと口を開けさせる、開いた瞬間に、スッと印刷物を入れるのだが(それも機械がやる)、印刷物が入ったら、今度は糊をつける機械があって、そして封筒の蓋をしめる機械があって、つまり、

封筒に印刷物を入れて糊をつけて蓋を閉じるまでの一連の流れを自動でやってくれる機械を操作するというものだった。

人間が手作業でやるより圧倒的に正確で速く、1日に5万くらいの印刷物を作ることができた。一度機械が順調に動き始めると、特にやることはない。たまに部材を補充してやるだけだ。

そしてコンテナに積まれた印刷物を20枚くらい手にとって、パラパラとちゃんと糊がついているか確認する。また、名前や住所が表に書かれている印刷物は、それが正しく印字されているか、もしくはその名前や住所が一番手前の位置に封緘されているのかも同時に確認する。これを通称「パラ検」という。「パラ検やった?」「おーい、ちょっとパラ検してくれー!」「パラ検したら休憩入ります」とかいって、馬鹿が馬鹿な仕事をしているだけでは済まされず、へんな固有名称まで勝手に作って仕事っぽいことをしているのだから恐れ入ってしまう。

工場の仕事は知っての通り、流れ作業が永遠(延々じゃなくて永遠(笑))と続き、誰もが死んだ目をしており、汚い作業着を着て、女は化粧が厚く、男は髭ズラやハゲが多く、清潔感のない人が多かった。言葉使いも悪かった。総じて品がない。その辺に置かれた帽子はいくら洗濯しても元の姿に戻ることは叶わなそうで、逆にどんなすごい臭いがするのか嗅いでみたくなった。皆の会話も少なく「カーンカーンカーンカーン!」という音がずっと鳴っていて、「ガガガガガガガガ!!」という音が鳴り、また「カーンカーンカーンカーン!」という音がよく鳴っていた。ずっと立ちっぱなしで疲れた身体に、その音はじわじわと染み込んできて、生気をよく吸い取られた。たまにふと狂気が爆発して、目の前の印刷物をバーーッ!と空中に放り投げたくなった。

給料は大卒で17万で高卒で15万くらいだった気がする。時給の高いアルバイトの方がずっと稼げる。俺はほとんど周りと会話しなかったが、勝手に入ってくる話を要約すると、パチンコや風俗、ファッション、車の話が多かった。みんな休憩の時間になると、ガンガンタバコを吸ってケータイをいじって、パチンコの話をする。ただでさえ給料が少ないのに、それを全部パチンコで使ってしまう。新しい給料が入ってもまたパチンコで使ってしまう。そして車をローンで買う。中にはレクサスの600万くらいする車をローンで買っている男もいた。確か彼は高卒で月給15万のはずだった。手取りだと11万くらいだろうか? どうして手取り11万で600万のレクサスを買うんだろうか。彼がドヤ顔でレクサスで帰っていくのをよく見た。

給料も安かったがボーナスも安かった。安いというより、缶ビール二本だった。俺は酒が飲めないので、もらってもかえって困ってしまうだけだった。

世の中のほとんどの仕事はいらないと思っているが、印刷会社はたしかにいらなかった。このデジタル社会で、紙の印刷物を届けるなんて狂気だ。gmailでさえ、届くとイライラする。

自宅のポストに印刷物が届けられたら、とても腹がたつ。ゴミを入れるな!と誰もが思うだろう。ゴミを投函されているのと変わらない。俺たちはこの迷惑な行いを毎日毎日一生懸命やっているのだ。会社は200人くらいいたが、全員で迷惑行為をしている。「じゃあ、お父さん仕事行ってくる!」「いってらっしゃい!」「さて、仕事だ!」といって、汗水垂らしてゴミを作ってばら撒いている。

やはりというべきか、俺が務めていた2年間の間に仕事はどんどん減っていって、年金定期便や保健や金融関係の仕事だけになってしまった。公的な郵便物というのはなかなか排他できないので、これらの仕事が残ったのだろう。仕事が全くなくて、出勤して掃除するだけという日もよくあった。

ジャンプを作っている工場なら素晴らしい。ジャンプはやっぱり紙で読みたい。ジャンプ以外の印刷会社ははたして必要だろうか? さっさと印刷会社は倒産した方がいいのではないか? みんなそれを感じながらも、思考を停止して、朝起きて仕事に行く。たかだか月給11万のために、毎朝起きて仕事に行くのだ。

さて、話を「パラ検」に戻す。俺はよくパラ検をやっていた。覚えが悪く、コミュニケーションがとれない俺は、パラ検より難しい印刷機械のオペレーターを任せてもらえなかった。俺はなんでも「はい!」と返事はするが、全然覚える気はなかった。ぜんぜん覚えないので凄まじく毎日のように怒られたのだが(本当に仕事を覚える気があるのかどうか、まじめに静かに個室で問いただされたこともある)、全く興味がないので覚えられなかった。覚えようとしなかった上に、頭が悪いので覚えられなかった。

そのため、よくパラ検をやっていたのだが、さっき言った通り、20枚くらいの印刷物をパラパラめくって糊がついているか、ちゃんと印刷物が入っているかどうか確認するのだ。これは冗談抜きで、通りすがりの中学生でもできる仕事だった。たまに派遣がやってきたが、派遣もみんなできていた。

俺はパラ検をどんな風にやっていたかというと、パラパラめくりながら、全てを忘れていくのである。とにかくどんどん自分から進んで無に近づいて行く。文字通り心が何もない状態になり、半分眠っているような、意識がない状態へと持って行こうとする。8時間働くのだが、8時間パラ検をやるというのは、普段の意識で行うことは絶対に無理で(みんな、一体どういう精神状態でパラ検をやっていたのだろう?)、ひたすら無になるというのは、8時間、なるべく疲れないようにパラ検をやるためにがんばって編み出した手法だった。

特に何か考え事をするわけではない。ただただ生気を抜いて行く。ひたすら無ヘ無へ無へもっていき、立ったまま半分眠った感じにする。それが一番時間が過ぎるのが早いような気がした(もちろん、それでも苦痛で苦痛で堪らないのだが)

これはなかなか信じてもらえないかもしれないが、とにかく無になってボーッとしていて、ある日、トイレの後でズボンのチャックが開いていて、トランクスも当時はボロボロの破れたやつを履いていたので、チンコがトランクスを突き抜けてチャックから外へボロんとはみ出していたことがあった。つまりチンコを垂れ流しながらパラ検を数時間やっていたことがあった。パラ検が終わった後、チンコがはみ出ていてびっくりしたことがある。

ほとんど眠っているので、仕事の前後の脈絡なるものを全く考えず、ただパラパラめくっていただけである。糊がちゃんとついてるかどうかなんて糞ほどどうでもよく、手元を動かしているだけ。印刷物にちゃんと名前がついてるかどうかも確認しなければならないのだが、表面側を自分に向けたことは一度もない。ただ目の位置を封筒に向かわせて、手元をパラパラさせていただけである。

特に一番怒られたのは、仕事の流れを考えないことだった。俺は死んだようにパラパラしてるだけで、校正やら次の仕事の準備やら同時に色々やらなければならないときがあっても、突っ立って死んでいるだけだった。目の前の仕事をやっているように見せかけることはできても、同時になにかをやるということができなかった。それが一番いっぱい怒られた。

なんと、俺はこれを2年間やったのだ……!

とにかく一日が長い!

なぜ封入封緘までは機械がやるのに、パラ検は人間がやるのか? 今の科学レベルでパラ検が難しいわけがない。実際俺は一度もパラ検をちゃんとやったことがなかった。会社は2年間、死体に給料を払い続けていた。

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