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ノベルゲーム会社は古典作品をノベルゲーム化して販売するべき

俺は勉強のために古今東西の文学を読み漁っている。といっても読みあぐねたりして途中で寝てしまうことも多く、身についているのかよくわからない、人にちゃんと概要や感想を説明できない残念なレベルだ。

ライトノベル作家はともかく、一般文芸作家は、両親の影響からか、部屋にあった幼少時代に分厚い世界文学集を完読したという話がやたらと多い。どうして小学生や中学生であんなものを読めてしまうのかわからないし、読んだところで本当に教養になってるかも怪しいが、偉いと思う、羨ましいと思う。

難しい本を読みこなしたり、普段本を読む習慣が多い子供時代を送る人は、例外なく勉強ができる。

勉強も基本は書いてあることを理解することだから、読書とそう変わらないのかもしれない。勉強ができない子供は、活字と戦う習慣がほとんどないため、急に活字が現れると、どんなふうに戦っていいのかがわからないのだろう。

本を読め読めいっても、自発的な感情に動かさられなければ、易しい本ですら読みあぐねてしまう。

昨今、本が売れない時代というのは、そうやって育った大人が多いからであり、それに加え、アニメやゲーム、漫画などが溢れかえり、映像作品でないと、とてもじゃなく一つの作品を消化することはできない。

だが、そんな人でさえ、知識欲はある。カラマーゾフの兄弟は世界最大の文芸作品ならば、そんなにすごいのであれば読んでみたいと思う。カフカにしろ、何にしろその時代を越えた不変レベルにある作品を味わってみたいと思っている。

目の前にある萌えアニメ、ジャンプ漫画も素晴らしいが、少し飽きてきた。もっとすごいものはないかと、消費豚がぶひぶひ鳴きながら、もっとなにかを得たいと思っている。

だが、古典作品は難しい。難しいばかりではなく、読みにくい、つまらない、冗長であり、もっとわかりやすく書けよ! と思わずにいられない。みんな、興味はあるが挫折してしまう。

そんな人達のために、業界はどうすればいいのか。

難しい本を、映像化している作品はある。だが、原作を越えることはないし、文章や台詞も大幅にカットされて、別の作品になってしまっていることもある。それを見終えたところで、本当にその本の内容を消化したとはいえない。

本が読めない人でも、本の内容をちゃんと消化したいのだ。いったいこれはどうしたらいいのだろうか。本には、活字でしか表せない魅力があって、映像でどうにかしようとするのは無理なのか。本の内容の長さを映画のようなダイジェストで表現するのは難しいだろう。

ドラマみたいな長編ではどうだろうか。たしかにカラマーゾフの兄弟はドラマ化されている。俺はドラマ版は見たことないので、なんともいえないが、あの膨大の地の文をすべてナレーションで補えることはないだろう。カラマーゾフは台詞が多いが、中にはほとんど地の文で成り立っている小説も少なくない、ドラマ化といえども、それをナレーションで補完していったり、地の文を登場人物に言わせていくにつれ、本来の作品が崩壊していくのは目に見えることだ。

つまり、字の表記は保たれなければならない。

と、すると、ノベルゲーム形式がいいのではないかと思う。

文学作品をノベルゲーム化する。丁寧に作るのであれば、一文一文を易しくわかりやすくしてもいいかもしれないが、そのまま、一文ごとちょっとづつ表示させ、ワンクリックで進ませる。登場キャラの立ち絵や背景も音楽もしっかり作る。名前がよく覚えられなくても、立ち絵があるだけでだいぶわかりやすくなるだろう。

ちょっと萌えっぽい絵柄にしてしまってもいいだろう。

俺も学生時代は散々にわたってえろげーをやり込んで、有名作はもちろん、地味で誰もやらない作品もいっぱいやってきた。

アージュだけは別格で君が望む永遠とマブラブオルタネイティブは本当に名作だと思った。進撃の巨人の作者さんも好きらしい。これらが小説で作られた作品だったら、絶対にやらなかったと思う。やたらと長いし、アホみたいな会話が延々と続くのを小説という形式で見るのは耐えられない。小説だと無理だけど、エロゲー、ノベルゲーム形式だと淡々と読めてしまう人は絶対に多いだろう。

エロゲー業界ほど、可哀想な業界はないと思う。あれだけがんばって熱心に作っても売れない。売れない上に、大体がつまらないし、似たような作品ばかりだ。新しい風を起こしたくも、なかなか起こらない。多少絵が綺麗になったり、動くようになったりと地味に進化しているが、ここ10年くらいずっと大きな変化はない。これからも起こらなそうだ。予算的な問題から、動画作品に移行することはないだろうし、ノベル要素を撤廃することもないだろう。しばらくいまのような状態が続くだろうし、ただ3dになったり、目がパチパチしたり、口が動くだけで、それなりの演出効果が期待できる。ただ活字だけがある小説よりかはずっと読みやすい。

そして、残念なことに、シナリオライターの大体が低レベルであること。登場する女の子との日常的要素を楽しませるために、がんばって会話劇なるものを作ってくれるのが、ほとんどつまらない。

面白い作品を作れている会社なら別にいいと思うが、エロゲー会社で有り続けるために、何かしら作らないと潰れてしまうような会社なら、みんなが求めている作品を作ればいい。そして、もうできあがってる作品をちょっといじってやればいいだけだ。カラマーゾフのようなみんなが読みたくても読めない作品をノベルゲームの演出の力で再誕させてやればいい。もうできあがってる話を、ちょっとシナリオ風味にすればいいだけだし、なんならほとんどそのままの文章でワンクリックで表示できるようにしてしまえばいいだけだ。

まぁ、「作家性を出したい」というだろう。エロゲー会社のシナリオライターといえども、魂は売り渡していないのだ。会社全体で一つになって、作家性を出していきたいと思っているだろう。まぁ、それなら両方やればいいだろう。『カラマーゾフの兄弟』と、『女の子が階段から落ちてきたら死んで幽霊になって幽霊とセックスできた」と同時進行して作ればいい。古典作品はもう出来上がってるんだから、シナリオライターが作家性の作品を作っている間、それが出来上がるまでの間、『カラマーゾフの兄弟』を作ればいい。素材を使い回したりして、新たに素材を作る手間を省けばいい。大変かな?

もし俺がエロゲー会社の社長だったら、すぐに始めるビジネスだ。客だったとしても、文芸作品がノベルゲーム化したら、俺は買う。みんなも買うのではないだろうか?

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