女性研究 恋愛 仕事 ドトール観察記

ドトールのヤリチン嫌いがヤリチンを好きになるまで

最近、ドトールにヤンキーの店員が入ってきた。

非常に背が高く(190cmくらい)、まだ20歳くらいだが、異様に落ちついている。

ヤンキーというものはあんがい小心者が多く、目に映るすべての男に対しどちらの方が喧嘩が強いのか比べずにはいられない生き物であり、チビのヤンキーになると体格のいい女に勝てるのかどうか本気で心配するものだが、190cmになるとそんなことは考えなくなるから、落ち着きはそこからきているのだろう。

このドトールには、ウエイトトレーニングが趣味らしい40代の中年男たちがやってくることがあるが、彼らは老人と看護学生しかいないドトールで威張り倒し、店員が弱そうな男のときは、「兄ちゃん、アイスコーヒーもらえる!?」とカウンターに肘をついて無駄にでかい声を出し、べつにコーヒーじゃなくて喧嘩でもいいんだぜ? というような顔をする。彼らは席につくと、レジに立ち尽くして震えている男店員をニヤニヤ見ながら、コーヒーにプロテインを入れて飲む。

しかし、190cmの店員の前ではうってかわって大人しくなり、これは喧嘩用ではなく健康目的のための筋肉ですというような顔をする。

自販機より大きくてニヤニヤした笑い方をしない男はそれだけでモテるものだ。190cmはとてもモテていた。新人なのに要領もよく気遣いもでき、パートのおばさん達から好かれていた。しかし筆者の見たところ、同世代の女性店員達からはあまり好かれていないようだった。なぜだろう?

同世代の女の子達は、190cmに目をくれると、ふーん、見た目完全にヤンキーじゃん、自分からみんなに声をかけてるし、評判いいみたいだけど、いるんだよね、そういう社会派ヤンキー。オレ、誰とでも仲良くなれますってノリ、嫌いなの私、私のこともどうせ落とせると思ってるんでしょ? 私は落ちない、と、若い女性店員たちは性器にアロンアルファを塗ったかのようにガードを固くしていた。

女という生き物は、ヤリチンを見ると一生懸命に勝とうとする。私は落ちない、私だけは落ちない、と、ヤリチンとやらないことで女としての価値を証明したくなるのだ。ヤリチンより上に立ちたいし、ヤリチンにヤリ捨てられた女たちよりも上でありたい。ヤリチンランド記念館の墓標に自分の名を刻まれることほど女にとって不名誉なことはないのだ。

女は目の前にヤリチンがいるだけで狂わせられる。ヤリチンから発せられる信号がノイズとなって鳴り響くのだ。そのノイズと戦うように、彼女たちは股間を食いしばっていた。

おや? ひときわ股間を食いしばっている女がいる。ちょうどいい、今回はこの子を主人公にしてこの物語を追っていこう。胸のワッペンに『小西』と書かれている。小西? 面倒くさいから『ヤリチン嫌い』と呼ぶことにしよう。

ヤリチン嫌いは、人一倍190cmのヤリチンに対抗意識を燃やしているようだった。

声? かけてくればいいじゃん。でも素っ気なくしてやる。あんたがいくら口説いてきても、私は素っ気なくしてやる。あんたの連勝記録に初黒星をつけるのは私だ、という顔をヤリチン嫌いはしていた。

しかし、それがどうやら悪手になるらしい。はじめからすんなりヤリチンと仲良くなる女よりも、ヤリチンに抵抗しようとしてしまう女の方が、かえってヤリチンにやられてしまうようなのである。

ヤリチン嫌いは自分からヤリチンに声をかけたら負けだと思っていた。ぜったいに自分からは声をかけない、と毎朝、神棚に誓ってから出勤してくるのだった。

しかし、仕事上の会話はしなければならない。仕事上の会話を拒んだら、それはそれで自分の負けになってしまう。だからヤリチン嫌いは、ヤリチンに仕事の会話を振られた時は不本意ながら応じるようにし、しかし、それ以外の仕事以外の会話を一言でも振られようものなら、凄まじい勢いでそっけなくしてやるつもりでいた。

しかし、その機会は待てども待てどもやってこない。ヤリチンはヤリチン嫌いに業務上に必要なことを話すのみだった。なぜだろう? ヤリチンらしくない。ヤリチンとはちんこが乾く間もないほど話しかけてくるからヤリチンではなかったか? ヤリチン嫌いは混乱してしまった。あれ? 拍子抜けね。ぜんぜん話しかけてこない。私の方が素っ気なくしてやろうと思ったのに、素っ気なくされている……? なんか、返り討ちにあってるみたいでシャクね。

声をかけられたらムカつくけど、かけられなくてもムカつく。この気持ちはなんだろう?

ヤリチン嫌いはフロアに立ち尽くしていた。

ある朝、筆者がドトールに行くと、ヤリチン嫌いが店長に怒られていた。シフトを忘れていたらしい。店長に、「工藤君(ヤリチン)が代わりに出てくれたからいいけど、今後、こんなことがあったら承知しないからね」と言われていた。

ただでさえ背の小さなヤリチン嫌いだったが、Sサイズのコーヒーカップより小さくなってしまっていた。

ヤリチン嫌いはヤリチンに謝った。ヤリチンに謝るのは不本意だが、これはどう考えても自分が悪い。すると、なんとヤリチンは、ヤリチン嫌いに強い口調で怒ったのだ!

「小西さん、仕事なんだと思ってんすか? アルバイトだって仕事なんだから、ちゃんとやってくださいよ」

ヤリチン嫌いはびっくりした。ヤリチンは女に優しくするものだから、「いいっす、ぜんぜん気にしないでください。俺がシフト忘れたときは代わりお願いしますね」という言葉が返ってくる気でいたのだ。

確かに多くのヤリチンの場合、女のミスをなんでも庇って優しい言葉をかけるものだが、それは二流のヤリチンである。一流のヤリチンははっきりと怒るのである。相手が先輩だろうが言うべきことは言う。

(うそ。口説かれるどころか、怒られた)

(私、先輩なのに)

(でも、ぐうの音もでない。だって悪いのは私だもの)

声もまたやっかいだった。どこぞの小男のように甲高い声でキャンキャン怒られても心に響いても子宮には響かない。190cmの身長になると総じて声が低いことが多く、キリマンジャロコーヒーのように渋くて深みのある低音が子宮によく響くのだ。

勝手に張り合って、勝手に一人相撲して、勝手にミスをして、ミスの始末を自分でするのならいい、でも、ヤリチンがするとしたら? ヤリチンが代わりにシフトに出て、ヤリチンが代わりに謝る。そんなことが続いたら? 

なに、この始末書の山は……? 机の上の始末書が190cmになっとる〜。

ある日、ヤリチンは休憩に入ろうとしていた。休憩しながらコーヒーを飲もうと思ったのか、ヤリチンはレジに行ってコーヒーを注文した。

ヤリチンはコーヒーを注文し終えると、レジのパートのおばさんに向かって、「山内さんは何飲みます?」と言った。

「え? 買ってくれるの?」

「はい」

「ありがとう。でも、今は仕事中だから飲めないし、気持ちだけ受け取っておくね」とおばさんはヤリチンに言った。

するとヤリチンは、「入金だけ先に済ませちゃいましょうよ。後で山内さんが休憩に入ったときに作って飲んでください」と言った。

今コーヒーを作って休憩室に置いておくより、休憩に入った瞬間にできたてホヤホヤのものを飲めるようにといった心づかいである。筆者も長らくこのドトールを愛用しているが、こんなことを“ヤり”出したのは、ヤリチンが初めてである。

パートのおばさんは驚いていた。15年くらい若返った顔をした。

なかなか手の込んだ気配りである。一歩間違えれば不幸な事故を誘発してしまう恐れがある中、わざわざこんな面倒な思いをしてまでパートのおばさんにコーヒーを届けたいだろうか? 

こういうのはヤンキーの方が上手い。ヤンキーは度胸があるからである。優しさとは総じて度胸に依存している部分が大きく、多くの人が人に優しくできないのは度胸がないからである。思いついたとしても実行できないで終わるのだ。

ヤリチン嫌いは一部始終を見ていた。あんなふうにおばさん達にコーヒー配っちゃってさ、できすぎだっつーの。私はあんたの策には引っかかんないんだからね〜、と、休憩室の隅っこでヤリチンが作ったコーヒーを飲んでいた。そのとき歴史が動いた。ふとヤリチン嫌いは考え直した。これだけのことがスマートにできるってことは、結婚した後も夫婦生活をスマートに送らせてくれるのでは? たとえ浮気の心配のないヤラナイチンと結婚したとしても、冷めたコーヒーをデスクの上に置きっぱなしにされたら、結婚生活も冷めきったものになるかもしれない。

(ヤリチンのコーヒー)

ヤリチン嫌いはヤリチンが作ったコーヒーを飲んだ。

(おいしい)

お礼をいわなきゃ。でもどうやって話しかけたらいいかわからない。あまりにもブスッとした顔をしてしまった。あの顔まだ覚えているだろうか? ひどいブスだった。

もうヤリチンモードを発動してくれてもいいのに、いつになったら発動するのかしら? ヤリチンはやるからヤリチンなんでしょ? やらなかったら何チンになんの? はやくチンをやりなさいよ……!

もし、ヤリチンがはじめから口説きにかかっていたらこうはならなかっただろう。ヤリチンはヤリチンの仕事をした。ヤリチンは何もしなかった。何もしないという仕事をした。「金と女は追うな」という格言があるが、それは今回のようなことをいう。ヤリチンの”ヤリ”は、何もやらないことをヤることを言うのだ。

『罪と罰』でポルフィーリーがラスコーリニコフを追い詰めたように、ヤリチン嫌いは完全に蜘蛛の糸に絡め取られていた。もがき、苦しみながら、自分から糸を巻き付けながら進んでいった。自分から、糸の中心へ、中心へ、もがきながら進んでいった。

恋する女がいれるコーヒーは美味しい。筆者はヤリチン嫌いが作ったコーヒーを飲んだ。蜘蛛の糸とポルフィーリーの含みのある笑いがブレンドされたチンのような味がした。

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