昔、印刷会社に勤めていた頃。朝礼の終わりに差し掛かって「では皆さん今日も一日怪我のないようによろしくお願いします」と、リーダーが締めくくると、
「がんばるぞおぉぉぉぉーーーーー!!!」
と凄まじくでかい声で叫ぶ工員がいた。
毎日のことだから誰も何も言わないし誰も驚かない。毎日、「がんばるぞぉぉぉーー!」 って叫ぶから、逆に叫ばなかったら周りからどうしたの? とうとうそのキャラやめるの? と思われることになるから途中下車はできない。降りるときは会社を辞めるときだ。
この人は信じられないくらい仕事ができる人だった。あの印刷工場はこの人だけの力で成り立っていた。周りもそう言っていた。
迷いというものが一切なかった。なんでもすぐはっきり言った。スキンヘッドで背筋がピンとして声がデカく、デカいけど優しい声だった。誰かが困っていると飛んでいき、みんながウジウジして立ち止まって会議していると、すぐに「それは〇〇なんじゃないの!?」と、みんなが思っているけど言えないことをパッパと言って、この人がいるだけですべての問題事が解決され、新しい企画も円滑に進められていった。自分の中の時間軸を、全体の時間軸にしてしまっていた。創価学会の役員であることを公表していた。講演家の鴨頭さんと似ていた。
宗教の力はバカにできないものである。宗教というより自分を信じる力。あの人はたぶん人間の力を信じていた。
自分がテキパキ仕事している姿を日々イメージして、それに近づけていった。そしてそれが重なった。俺達はみんな彼の創造した世界の住人だった。
※
今、ドトールでは、後ろでおばさん達が話している。2時間も3時間もずっと話している。アイスコーヒーがホットになりそうな勢いで話している。
話の内容からして新興宗教の勧誘か何からしい。ある綺麗な人が、すぐ騙されそうなオバサン二人を口説き倒している。この手の人の見た目は小綺麗で首が細い人が多い。肌も綺麗で、パァーっした光に満ちている。髪も黒々して後ろに一つで縛り、白いワンシャツに紺のスカート、パールみたいなイヤリングをしている。40代ぐらいだろうけど生活感があまりなかった。仲間由紀恵を少しうさん臭くした感じだった。
そこで私は変わったんです。その体験が私を変えたんです。それまでの私はこうでこうで、こんなことばかりずっと後ろから聞こえてくる。
がんばらなくていい
心のままにワクワクするほうをやってみたらうまくいく
好きなことだけすればいい
どんな感情でも出した方が好かれる
あなたは愛されている
存在するだけで価値がある
働かなくてもお金は入ってくる
お金は使えば使うほど入ってくる
などなど周りの人のコーヒーを不味くしておいてよく言うもんだ。
しかしよく話す人だ。言葉でそんなに人に伝えられるものだろうか。たとえ、言っていることが正しかったとしても、あんなに熱く、盲信的に、抑揚がうるさく、間のとり方が下手で、姿勢も悪く、表情も暑苦しいと、内容も何もあったもんじゃないだろう。
俺は悟ってはいないけど、悟ってる人は見ればわかる。動き、姿勢、表現、目。植芝盛平
。上原清吉。動画を見ればわかる。
上の人とこの人の違いは、間に合ってるかということ。上の人達は完全に間に合っている。進みすぎたり遅れることもない。天の周期と一致している。新興宗教の人は話すことに夢中になっている。自分の話したことに引っ張られ、辻褄合わせに追われ、壊れた水道の栓のように、押さえても別のところから水が溢れて、その処理に追われているように見える。一回一回、源流にかえり、そして、源流そのものになっているか、の違いである。
今もこうして女性が話しているすぐ横で、神が女性に話りかけているのを、俺にはみえる。しかし声の入り込む間がない。器がいっぱいになっていたら、それをこぼしてあげなければ入りようがない。この人の語っているものがいくら過去に真実だとしても、今、天の周期と一致していなければ無意味なのだ。
ラマナマハルシは、そのダルシャンを求めて世界各地から色んな人がやってくるが、ただ沈黙の眼差しを与えただけだったという。しかしその眼差しはどんな言葉よりも雄弁だった。アンマも、何も言わず抱きしめるだけである。神は行間に宿る。
イチローも、黙ってそばにいられる人は強いですよ、と言った。人はすぐに話してしまう。黙っていられないから話してしまう。
好きってどういうことですか? 朝起きたとき、その人のことを考えていたら好きってことじゃないかな。
イチローのこの名言は、おばさん達を、いくら上下に振っても出てこない言葉である。ひたすらバットを振り続けることで、素振りの芯と、精神の芯が一致して生まれた言葉である。
イチローは人生の多くを野球から教わったといった。イチローの人生相談チャンネルみたいなのがYouTubeでやっているけど、記者に対するイチローの態度はいつもツンケンしているけど、子供達の前での態度はとても優しかった。
人生の思索を重ねるより、バットを振り続ける方がわかるものだ。イチローのバットは、日本刀のようだ。
おばさん達の、話が終わって解散していく時の歩いていく姿勢は悪かった。あれでは神が宿らないのも無理はない。