最近noteで漫画ばかり読んでいた。ダントツで一番面白かったのはこの漫画である。
これまで順風満帆に生きてきた大学生の女の子が、就職活動を通じて本当の自分の生き方を模索し、とうとう就職活動を放棄し自分探しの旅へ傾倒していくストーリー。
就活という極めて現実的なテーマであるが、ファンタジー色の強い彼女の絵柄や思想が良い化学反応を生み出している。
ここまでふわふわしている人間というものを初めて見た。絵柄がすでにふわふわしている。
いつも自分の世界を空中遊泳している根っからの詩人。頭の中にお花畑が広がっている。しかしその花が綺麗なのだ。ピュアなハートが独り歩きしている様を、等身大の言葉で、我々に呼びかけてくれる。
Fukiさんもまた「解きたい病」なのだろう。誰に頼まれたわけでもないのに、今胸にある考えごとをそのままにすることなく、解き明かしたくて仕方ない様子だ。思春期の、大学生の、就活時の特有の心模様がこれでもかと描かれる。その思考の流れを追体験できるところにこの漫画の面白さがある。
彼女ほど純粋な人間はまあいない。出会い系で90人の女性と出会ってきたが、こんな女性はいなかった。おそらく表現の世界にしか生息しないのだろう。
映画監督の黒澤明氏がドストエフスキーについてこう言っている。「みなさんドストエフスキーのことをあれこれと憶測するけれども、ドストエフスキーを一言でいうと、優しい。優しすぎる。その優しさというのが常軌を逸している。人間が本来持つことのできる分量をこえているんです」
モーツァルトも、「芸術の神髄は、愛、愛、愛、愛なのだ」と言っている。
異様なくらいに優しい人間だけが終局にたどりつくことができる。
しかしこの優しさにおいて男は女に敵わない。
YouTube講演家の鴨頭さんの話だけど、ある日、鴨頭さんのお弟子さんの女性が空を見つめていて、空が青いという理由で涙した。お弟子さんの頬から大粒の涙がスーッと流れ落ちたのを見て、鴨頭さんは落雷に打たれたように動けなくなったという。信じられない。確かにこの美しい蒼穹に感動しないはずがない。しかし泣くか? 泣くだろうか? がんばれば泣けるかもしれない。しかしそういうことではない。今この女性の頬をつたったものは、蓮の花の雫が落ちたような、そんな涙なのだ。
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さて、作者さんの漫画だが、あまりにも素晴らしすぎて、1話から7話まですべて一気読みしてしまった。
よくここまで心の端々を捕まえられるものだと思う。25歳かそこらで。小生が25歳の頃に描いた漫画とは比べものにならない。
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25歳の頃、集英社に「幻のチンコオロギを捕まえろ!」という漫画を持ち込んだ話
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若くてみずみずしい感性が爆発している。普段からよっぽど注意深く自分の心を観察していないとできる芸当ではない。
読者の気持ちを代弁してくれるような作品はたくさんあり、よくここまで掘り下げられるものだなと感嘆する作品はたくさんあるが、そのさらに上のレベルで掘り下げている。心そのものが紙面に落とされているようだ。
秀才は古今東西の書物を読破した人物。天才は自然という書物をそのまま読破した人物といわれるが、彼女には知識の匂いがない。あるのは空の匂い、大地の感触。桃色の感性だ。
いちばん凄いと思うことは、急ぎ過ぎず、遅れることなく、過不足なく、その瞬間瞬間に求められていることを描写できていることだ。25歳で。この漫画に書かれているようなことを考えている人はいるけど、表現できる人はいない。自分の内面の奥まで掘り下げていき、ちゃんと描写し終えるまでは次に行かないと決めているかのような頑固さを感じる。一回り二回り歳を食った作家でもこうはいかない。なぜ若いのにこれほど表現がこなれているんだろう? ほとんどミスらしいミスがない。老練の手管を見せられているようである。
決してエネルギー任せに描き散らすのではなくて、感情のチェスとでもいうかのように、透徹な桃色の瞳に映ったものを計算して配置している。幽体離脱して自分を眺めているような客観性がある。我々は彼女を通してまるで彼女になったかのようになる。物書きは鏡の綺麗さを競っている。どれだけそのままを映し出せるかを。
「就活すること」自体誰も私に強制してないじゃん! なんて素晴らしいセリフ。
純粋さだけで勝負している。純粋さだけが歩いている。この漫画のいちばんの魅力はそこだろう。みんなの心の中に隠れている純粋さだけで勝負に出たらどうなるかという実験を見せてくれている。捨て身になることで逆に生命が開けてくる例を身をもって教えてくれる。
知性よりも技術よりも純粋さが大事だ。しかし純粋な人間は、その純粋さに応じるように頭脳も技術も最高のものを持つようになる。
その繊細さに負けないくらいに度胸もある。大学4年で就活しない。バイトをしても合わなければすぐに辞める。
美しいだけでなく強さがある。Fukiさんのお花畑には、フキといいたいところだが、ヒマワリやツクシがいっぱい咲いているのだろう。
↑このページはあまりにもフワフワしていて心配になってしまった。しかし、女の子の頭の中というのは基本的にこういうことのような気がする。赤いランドセルを背負って、リカちゃん人形を持って、裸足のまま外を飛び出してしまいそうな夢遊病患者みたいなところがすべての女にある。
作者さんはいつも頭の中に活字があふれて止まないのだろう。セリフのセンスは、脳内の活字と格闘する日々によって獲得されたものだということがわかる。
1話から追っていると、表現者としての腕がメキメキ成長していっているのがわかる。絵も表現もどんどん上手くなっている。自分のやるべきことは漫画だと気づかれたのだろう。小生も彼女の天職は漫画にあるように思う。ブログの文章も素晴らしいが漫画の方がいい味がでている。立体的に文章を書くのが得意なのだろう。
やはり聡明な人間は必ずここに気づく。そしてこの聡明さは最高練度の純正さからきている。
夢をあきらめるわけにはいかない。夢がなかったら描かなければならない。しかし多くの人がこれに気づいても実行する勇気がない。Fukiさんの一条の光を追い続ける姿勢は脅威だ。光が射した場所が道無き道であろうが葛藤しながら進んでいく。この漫画を読んでいると、必要なのは少しの才能と大きな勇気だとあらためて感じる。
なんとなくFukiさんはSHISHAMOのボーカルと似ている気がする。一見地味なノーマルな女の子に見えるけれど、女の子としての感性を人一倍多く賜っている。ただ生きているだけなのに、自分の世界をまっすぐに生きているから、等身大の自分をそのまま打ちだすだけで芸になる。芸以上の芸だ。これができる人は少ない。女の子だと、さらに。借り物の世界を生きている男たちが束になってもとても敵わないのである。ここまでの技量を感じさせる女の子は、SHISHAMOのボーカルとFukiさん以外に俺は知らない。
「雨やどりをしよう。」のセリフではないけど、Fukiさんの一番好きなセリフ。
夢を叶えるのには努力や才能なんかが大切だと思っていたけど、2人を見ているとその前に、「夢を見ること」と「できると信じること」こそが大切なのかもなあと思えてくる。